03 ,2009
深海魚 8
「おっと、そろそろ戻る時間だ」
そのまま伊原がコートを取り完全に立ち上がって圭太の前で止まる。
ほぼ、同じ背丈の圭太を正面から見る目に挑戦的な色を湛え鮮やかに笑いかける。
「河村先生が、バレンタインに1人でいるなんて、お珍しいですね」
「伊原さんこそ、今日みたいな日に、こんな所でお会いするとは意外です」
「ちょっと、彼と昨日軽い行き違いがありましてね、気になってノコノコやって来たって訳です。これから、東京に舞い戻ってパーティの梯子ですよ。義理と付き合いでオールナイトってわけです」
伊原は、やれやれという風に両手を広げ笑って見せる。
「大変ですね、俺はもうトシなんでイベントで盛り上がるのは飽きてきたってところです」
河村にしては、かつてのクライアントに対し、ややぞんざいに返答した。
伊原はそれを全く気にするでもなく顔に笑みを貼り付けたまま言い募る。
「またまた・・・先生は僕より年下のくせに。
イベントものに飽きた先生になんですが、月末、別荘での僕のバースディパーティーには出席して頂けるんですよね?東京のご自宅には、先日招待状をお送りしたのですが、ご返事をまだ頂いてなかったもので・・・」
伊原は、年に一回自分の誕生会と称して、地元の有志を集め営業を兼ねた接待を自分の別荘で催した。勿論、東京からもごく一部の選ばれた人間だけが招待される。そのパーティでのケータリングを手配したり、飲み物をサーブするのもシーラカンスを任されて4年目になる静の仕事になりつつある。細かいことに気の廻る静の仕事には無駄がなく卒がない、その辺も伊原が静を東京に呼びたがる理由のひとつだ。
「いかがですか?」
伊原の別荘は、圭太のセカンドハウスの並びにある。
圭太のセカンドハウスが高台に位置するのに対して、伊原の別荘は海岸レベルに建っており、プライベートプールを通ってそのまま砂浜に出ることも出来る。夏には毎週末のように客や友人が訪れ、バーテンダー兼世話係として静が手伝いに行くことが多かった。
享一も2度ほど圭太に連れられて訪れたがあり、圭太の新しい恋人として注目を浴びていた。互いの知識を競い合うような文化人を気取る招待客達の会話や、過度に華やかな場に馴染みきれないのか、享一は邪魔にならないようにかといって卑屈にもならず、そっと黙って座っていた。そんなところも静には好感が持てた。
静は、緊張した面持ちで先程床に落としたアイスピックを拾って洗うと、それを片付けた。2人の会話に注意を傾けながらも、頭の中で手を繋いでいた言い訳を必死になって考える。そもそも圭太とは言い訳をする関係でも無いのに、なんと言えばいいのか?
狼狽えた頭は空回りするばかりで、汲み上げたワードは片っ端から砂のように崩れ跡形も残らない。
「すみません。最近忙しくて郵便物をチェックしてなかったものですから、スケジュールを見てからでないと・・」
「河村先生、ぜひいらして下さいよ。
もちろん、静君にも、別荘に来てもらって、手伝ってもらうつもりですし」
伊原は、圭太の返事に被せるように言うと振り返り、熱の籠った瞳で静を見つめる。その視線をどういう顔で受け止めればよいのか分らず目を逸らせた。その静の様子を圭太は横目で見ていたが、その視線に鋭く険があるのを見て取ると伊原は僅かに目を眇め口角を吊り上げ嗤う。
「・・・わかりました、伺います」
「そう、よかった。実は、先生のファンだっていうご婦人がいてね、それはもう先生に会いたがっておられたので、僕も鼻か高いですよ。では週末に、お待ちしていますよ」
圭太の返事を聞いた伊原は、さも愉しげに笑い、そのまま立ち去りかけたが何かを思い出したように振返った。
「ああ、そうだ静君、僕もこれから君の事を先生みたいに”シズカ”って呼んでもいいかな?」
惚けたように間延びした声が聞いてきて、俯いていた静が驚いて顔を上げると、断られるとは露程も思っていない自信に満ちた甘く強請る瞳と目が合った。
中学生の自分をシズカと呼びだしたのは圭太で、大人になった今、この呼び名で自分を呼ぶ者は圭太の他にはいない。静はこの”シズカ”という呼び名を、自分と圭太を結ぶキーワードのようなものだと思っていた。
正直、絶対 他の誰にも呼ばせたくはない。
「それは・・・」遠慮勝ちに口を開くと、またも伊原が言葉を遮る。
「じゃあね、シズカクン。今日はカップル客にアテられるなよ。
せいぜい、脂下がった男共にしっかり酒を勧めて売り上げ向上に努めてくれ」
「また連絡するから」
伊原は静にウインクをすると圭太に会釈を残して、店を出て行った。
「シズカ、ジンをロックで」
「はい・・・」
冷めた表情の圭太がカウンターに座り、沈黙が降りた。
←前話 次話→
■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
そのまま伊原がコートを取り完全に立ち上がって圭太の前で止まる。
ほぼ、同じ背丈の圭太を正面から見る目に挑戦的な色を湛え鮮やかに笑いかける。
「河村先生が、バレンタインに1人でいるなんて、お珍しいですね」
「伊原さんこそ、今日みたいな日に、こんな所でお会いするとは意外です」
「ちょっと、彼と昨日軽い行き違いがありましてね、気になってノコノコやって来たって訳です。これから、東京に舞い戻ってパーティの梯子ですよ。義理と付き合いでオールナイトってわけです」
伊原は、やれやれという風に両手を広げ笑って見せる。
「大変ですね、俺はもうトシなんでイベントで盛り上がるのは飽きてきたってところです」
河村にしては、かつてのクライアントに対し、ややぞんざいに返答した。
伊原はそれを全く気にするでもなく顔に笑みを貼り付けたまま言い募る。
「またまた・・・先生は僕より年下のくせに。
イベントものに飽きた先生になんですが、月末、別荘での僕のバースディパーティーには出席して頂けるんですよね?東京のご自宅には、先日招待状をお送りしたのですが、ご返事をまだ頂いてなかったもので・・・」
伊原は、年に一回自分の誕生会と称して、地元の有志を集め営業を兼ねた接待を自分の別荘で催した。勿論、東京からもごく一部の選ばれた人間だけが招待される。そのパーティでのケータリングを手配したり、飲み物をサーブするのもシーラカンスを任されて4年目になる静の仕事になりつつある。細かいことに気の廻る静の仕事には無駄がなく卒がない、その辺も伊原が静を東京に呼びたがる理由のひとつだ。
「いかがですか?」
伊原の別荘は、圭太のセカンドハウスの並びにある。
圭太のセカンドハウスが高台に位置するのに対して、伊原の別荘は海岸レベルに建っており、プライベートプールを通ってそのまま砂浜に出ることも出来る。夏には毎週末のように客や友人が訪れ、バーテンダー兼世話係として静が手伝いに行くことが多かった。
享一も2度ほど圭太に連れられて訪れたがあり、圭太の新しい恋人として注目を浴びていた。互いの知識を競い合うような文化人を気取る招待客達の会話や、過度に華やかな場に馴染みきれないのか、享一は邪魔にならないようにかといって卑屈にもならず、そっと黙って座っていた。そんなところも静には好感が持てた。
静は、緊張した面持ちで先程床に落としたアイスピックを拾って洗うと、それを片付けた。2人の会話に注意を傾けながらも、頭の中で手を繋いでいた言い訳を必死になって考える。そもそも圭太とは言い訳をする関係でも無いのに、なんと言えばいいのか?
狼狽えた頭は空回りするばかりで、汲み上げたワードは片っ端から砂のように崩れ跡形も残らない。
「すみません。最近忙しくて郵便物をチェックしてなかったものですから、スケジュールを見てからでないと・・」
「河村先生、ぜひいらして下さいよ。
もちろん、静君にも、別荘に来てもらって、手伝ってもらうつもりですし」
伊原は、圭太の返事に被せるように言うと振り返り、熱の籠った瞳で静を見つめる。その視線をどういう顔で受け止めればよいのか分らず目を逸らせた。その静の様子を圭太は横目で見ていたが、その視線に鋭く険があるのを見て取ると伊原は僅かに目を眇め口角を吊り上げ嗤う。
「・・・わかりました、伺います」
「そう、よかった。実は、先生のファンだっていうご婦人がいてね、それはもう先生に会いたがっておられたので、僕も鼻か高いですよ。では週末に、お待ちしていますよ」
圭太の返事を聞いた伊原は、さも愉しげに笑い、そのまま立ち去りかけたが何かを思い出したように振返った。
「ああ、そうだ静君、僕もこれから君の事を先生みたいに”シズカ”って呼んでもいいかな?」
惚けたように間延びした声が聞いてきて、俯いていた静が驚いて顔を上げると、断られるとは露程も思っていない自信に満ちた甘く強請る瞳と目が合った。
中学生の自分をシズカと呼びだしたのは圭太で、大人になった今、この呼び名で自分を呼ぶ者は圭太の他にはいない。静はこの”シズカ”という呼び名を、自分と圭太を結ぶキーワードのようなものだと思っていた。
正直、絶対 他の誰にも呼ばせたくはない。
「それは・・・」遠慮勝ちに口を開くと、またも伊原が言葉を遮る。
「じゃあね、シズカクン。今日はカップル客にアテられるなよ。
せいぜい、脂下がった男共にしっかり酒を勧めて売り上げ向上に努めてくれ」
「また連絡するから」
伊原は静にウインクをすると圭太に会釈を残して、店を出て行った。
「シズカ、ジンをロックで」
「はい・・・」
冷めた表情の圭太がカウンターに座り、沈黙が降りた。
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■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
□□最後までお読み頂き、ありがとうございます。
更新が、途切れ途切れで本当に申し訳ありません(ペコペコペコ・・・
本人がこの調子ですので、どうかお時間のあるときにでも
覗いてやっていただければ有難いです。
更新が、途切れ途切れで本当に申し訳ありません(ペコペコペコ・・・
本人がこの調子ですので、どうかお時間のあるときにでも
覗いてやっていただければ有難いです。
伊原の魔の手を静は逃れる事が出来るのかしら?
圭太の態度も変わってきたし。
目の前で、手を握られている静を見て、今まで気が付かなかった気持が、湧きだしちゃったような・・?
う~ん。
それとも、弟分を取られちゃったような?
どっちだろ~!!
しかし、バースディパーティ・・波乱の幕開け?
おおっ!!
ドキドキしてきた~!!!(笑)