02 ,2009
深海魚 7
繋がれた手指から、得体の知れないドロリとしたものが自分に向かって這い上がって来る気がして背筋に悪寒が走った。なのに身体の芯が正体のわからぬ熱に痺れて、手を引っ込めることが出来ない。
「彼の事は諦めて、僕のところにおいで。27歳の健康な成人男子の性欲を持余すなんて勿体無い。君だって人並みにはある筈だよ?躯の欲望がさ・・・」
静とて性的な経験が無い訳でもなかった。どちらかと言うと、誘われることも多い方で、仕事柄アルコールで口の軽くなった客から誘いを受けることは多い。
この仕事に就いた初期の頃は、なかなか慣れず、客に勧められるまま杯を重ね、女性客とホテルに縺れ込んだり、バーに近い自分のマンションに連れ帰ったりした。相手の女に押し切られて付き合うこともしばしだったが、結局愛が育つことはなく相手に浮気を疑われ、罵られ呆れられて、どの女も去っていった。
実質的な浮気はしてはいないが、心の中にはいつも同じ人がいるのだから浮気したのと同じだ。別れた後には相手に対する申し訳なさと、自責の念に捕らわれては落ち込んだ。そのうちに自堕落な生活に疲れ、店では酒を飲まなくなった。付き合っては、別れを繰り返す静をどう思ったのか、いつの頃からか男性客からも誘いを受けることが増えてきた。波風を立てないためにも、静は緩く笑いゲイの世界が理解できない振りをして誤魔化してきた。
今、目の前にいる男はこれまでの相手とは違う。静の、河村 圭太という男に対する恋心を見抜き、その上で誘ってきている。胸の奥で鳴る早鐘のような激しい警鐘に逃げ出したいと思うにのに身動きが取れない。
「君は、男同士の営みの経験はあるのかい?
河村君と運よく付き合えることになったとしたら、必ず通る道だと思うけど?
彼が手に入らないなら、せめて経験だけでもしてみても、いいんじゃない?」
不意に、伊原の顔が哀れっぽく懇願するような表情に変わり、縋る視線を投げてきた。
静は嫌悪を露にし、露骨に顔を顰める。静にしてみれば、その表情が、単に悪戯けをしているようにしか見えない。
「一度だけ、チャンスをくれないか?
君がもし僕とのSEXに満足しなかったら、僕は潔く君を諦めるよ。
その時は、この店を君に譲ってもいい」
「え?」
虚を衝かれた静の鳶色の瞳が伊原の真意を測るように、自信に満ちた瞳の奥を覗き込む。
伊原は本当にこの店を手放す気などあるのだろうか?それがこの男の怖いところだ。友好的に下手に出てその実、裏で舌なめずりをしている。それが、この伊原という男だ。どうすれば、伊原からこちらの要求のみでこの店を手に入れることが出来るのだろうか?
繋がれた手のことは、すっかり頭から失念し伊原の瞳を見つめた。
「シズカ・・・」
その声に我に返り、驚いて入り口を見ると圭太が立っている。
圭太もこの状況に驚いている様子で、何も言わず突っ立ていたが、やがて
「失礼・・・、伊原さんが来ているとは思わなかったので、お邪魔だったな」
その言葉に、圭太の視線が伊原と繋がった手指に注がれるのに気付いて、慌てて伊原に捕らえられた手を引っ込めた。
狼狽る静に、伊原が面映げな笑いを含んだ視線を寄越してくる。
ここでそんな顔をされては、完全に圭太に誤解されてしまう。静の焦る気持ちとは対照的に、伊原は余裕の表情で切り出した。
「いいえ、ちっとも構いませんよ、河村先生。僕達の用事は粗方終わりましたから
ああ、先生あともう少しだけお待ちください」
「・・・・!」
そういって圭太に目配せをすると、伊原はカウンター越しに片手を伸ばして静の後頭部を捕らえ、易々と自分の方へ引き寄せた。
突然のことに静の顔は引き攣り狼狽えたように圭太を見る。
圭太も表情を消したまま同じ場所に立って静のことをじっと見ている。
首を、『違う、誤解だ』と左右に振ろうとするが、伊原の手にガッチリと固定されて微動だにする事も出来ない。
「失望はさせない。テクニックには自信があるんだ。君のその鬚は、僕の為に剃り落とすことになることを、期待しているよ・・・」
伊原は自分も前屈みになり、引き寄せた耳元に、子供が内緒話をするように吹き込んでくる。その瞳が、チラチラと圭太を確認し愉しげに細められた。
静の顔が困惑し、瞬時に真っ赤になる。その様子は、河村から見れば、静が中睦まじい恋人から愛の言葉とキスを同時に受け取っているようにしか見えない。
静の頭を解放すると、伊原はなにやら確信を得たようにニヤリと笑った。
←前話 次話→
■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
「彼の事は諦めて、僕のところにおいで。27歳の健康な成人男子の性欲を持余すなんて勿体無い。君だって人並みにはある筈だよ?躯の欲望がさ・・・」
静とて性的な経験が無い訳でもなかった。どちらかと言うと、誘われることも多い方で、仕事柄アルコールで口の軽くなった客から誘いを受けることは多い。
この仕事に就いた初期の頃は、なかなか慣れず、客に勧められるまま杯を重ね、女性客とホテルに縺れ込んだり、バーに近い自分のマンションに連れ帰ったりした。相手の女に押し切られて付き合うこともしばしだったが、結局愛が育つことはなく相手に浮気を疑われ、罵られ呆れられて、どの女も去っていった。
実質的な浮気はしてはいないが、心の中にはいつも同じ人がいるのだから浮気したのと同じだ。別れた後には相手に対する申し訳なさと、自責の念に捕らわれては落ち込んだ。そのうちに自堕落な生活に疲れ、店では酒を飲まなくなった。付き合っては、別れを繰り返す静をどう思ったのか、いつの頃からか男性客からも誘いを受けることが増えてきた。波風を立てないためにも、静は緩く笑いゲイの世界が理解できない振りをして誤魔化してきた。
今、目の前にいる男はこれまでの相手とは違う。静の、河村 圭太という男に対する恋心を見抜き、その上で誘ってきている。胸の奥で鳴る早鐘のような激しい警鐘に逃げ出したいと思うにのに身動きが取れない。
「君は、男同士の営みの経験はあるのかい?
河村君と運よく付き合えることになったとしたら、必ず通る道だと思うけど?
彼が手に入らないなら、せめて経験だけでもしてみても、いいんじゃない?」
不意に、伊原の顔が哀れっぽく懇願するような表情に変わり、縋る視線を投げてきた。
静は嫌悪を露にし、露骨に顔を顰める。静にしてみれば、その表情が、単に悪戯けをしているようにしか見えない。
「一度だけ、チャンスをくれないか?
君がもし僕とのSEXに満足しなかったら、僕は潔く君を諦めるよ。
その時は、この店を君に譲ってもいい」
「え?」
虚を衝かれた静の鳶色の瞳が伊原の真意を測るように、自信に満ちた瞳の奥を覗き込む。
伊原は本当にこの店を手放す気などあるのだろうか?それがこの男の怖いところだ。友好的に下手に出てその実、裏で舌なめずりをしている。それが、この伊原という男だ。どうすれば、伊原からこちらの要求のみでこの店を手に入れることが出来るのだろうか?
繋がれた手のことは、すっかり頭から失念し伊原の瞳を見つめた。
「シズカ・・・」
その声に我に返り、驚いて入り口を見ると圭太が立っている。
圭太もこの状況に驚いている様子で、何も言わず突っ立ていたが、やがて
「失礼・・・、伊原さんが来ているとは思わなかったので、お邪魔だったな」
その言葉に、圭太の視線が伊原と繋がった手指に注がれるのに気付いて、慌てて伊原に捕らえられた手を引っ込めた。
狼狽る静に、伊原が面映げな笑いを含んだ視線を寄越してくる。
ここでそんな顔をされては、完全に圭太に誤解されてしまう。静の焦る気持ちとは対照的に、伊原は余裕の表情で切り出した。
「いいえ、ちっとも構いませんよ、河村先生。僕達の用事は粗方終わりましたから
ああ、先生あともう少しだけお待ちください」
「・・・・!」
そういって圭太に目配せをすると、伊原はカウンター越しに片手を伸ばして静の後頭部を捕らえ、易々と自分の方へ引き寄せた。
突然のことに静の顔は引き攣り狼狽えたように圭太を見る。
圭太も表情を消したまま同じ場所に立って静のことをじっと見ている。
首を、『違う、誤解だ』と左右に振ろうとするが、伊原の手にガッチリと固定されて微動だにする事も出来ない。
「失望はさせない。テクニックには自信があるんだ。君のその鬚は、僕の為に剃り落とすことになることを、期待しているよ・・・」
伊原は自分も前屈みになり、引き寄せた耳元に、子供が内緒話をするように吹き込んでくる。その瞳が、チラチラと圭太を確認し愉しげに細められた。
静の顔が困惑し、瞬時に真っ赤になる。その様子は、河村から見れば、静が中睦まじい恋人から愛の言葉とキスを同時に受け取っているようにしか見えない。
静の頭を解放すると、伊原はなにやら確信を得たようにニヤリと笑った。
←前話 次話→
■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
しーちゃんのパニックが伝わって来る気がしますよ~(;つД`)
にしても、伊原氏、狙った獲物は逃がさない…ってなそこはかとない恐ろしさ。
う~わ、ワクワクして来た♪
圭太、何を思ったのかしら~?!