02 ,2009
深海魚 4
圭太を困らせたくはない、でも・・・と
シーラカンスのオーナーである伊原氏との今朝の遣り取りを思い出す。
伊原氏には、前々から静に住み込みで東京の本宅専属のバーテンダーになってほしいと言われてきた。婉曲にだが、身の回りのことも頼みたいと・・・。
それが、何を意味するのか、奥手な静にも大体の察しはつく。
そっと、再び圭太の横顔を伺い見る。世界から切り取るように、形の良い頤や鼻、唇を秀でたラインが縁取り、薄い色のサングラスに覆われた瞳は真っ直ぐ前を向いている。昔からこの横顔が好きだった。
圭太にとって俺は、仲のいい友達の弟でしかない。俺の圭太に対する感情は、きっと圭太にとって煩いだけだ。身体と一緒に、心まで柔かい皮のシートに沈んでゆく。
外を見るふりをして、そっと目を閉じた。
「落とせよ」
不意に圭太が呟いた声に顔を上げる。
「え?」
「その鬚。何度も言うようだけど、全然、似合ってない。もともと薄いのに無理して伸ばしても、全くサマになってない。落としたほうが断然、女にもモテるぞ」
無意識のうちに指先が顎鬚を弄んでいた事に気付き、人に見られたくない癖を見咎められた子供のようにバツが悪くなって、赤面しながら指を下ろした。圭太の何気ない、思いやりのこもった言葉が、沈んだ心にいくつもの小さな引っ掻き傷を作っていく。
「ただ、延ばしてるんじゃないんだ。
願掛けしてて、願いが叶ったら落とそうと思ってる」
圭太が小さく噴出した。また傷が増える。
「シズカって、意外と迷信深いんだな。で、シズカの望みは叶いそうなのか?」
「どうかな・・」俯いた顔が曖昧に笑う。
「その願い事って、何?薫には黙っててやるから、俺にだけ、こっそり聞かせろよ」
圭太が、ニヤニヤと笑いながら横目で助手席に視線を向ける。
その、優しげな庇護するような眼差しに、やはり自分は弟分なのだと胸を痛くしていることなんか、圭太にはわからないだろう。
たぶん、願いが叶うことは無い。
喩え、この鬚が白くなっても、自分の顔から消えることは無いに違いない。
横浜横須賀道路に入るとやがて見慣れた海が見えてきた。
安堵に吐息が漏れる。
早く自分が本来いるべき、深い深い海の底に潜り込んでしまいたかった。
「シズカ、どこで降ろしてほしい?」
圭太に問われて、答えに窮した。店を開けるつもりなら、この時間には花を買い求めてから店に入り、清掃やら氷やおしぼり、酒のストックなんかを点検をしている時間だ。
だが、今更店は休みだったと告げる訳には、いかない。
小さな声で行き先を口にする。
「シーラカンスに、お願いします」
運転席から、盛大な溜息が聞こえた。
「嘘付け。シーラカンスは、3のつく日は定休日で、本当は13日の今日は、休みなんだろう?シズカ、俺が打ち上げに行くと思って、気を遣って嘘をついたんだろ?」
総て見透かされていた。そう思うと、自分の幼稚な嘘が恥ずかしくなって赤面し、シートに縮こまった。その恥ずかしさの中にほんの少し混ざる嬉しさに気付き更に頬を熱くする。
「シズカのさ、そういう所は嫌いじゃないし、むしろ美点だとは思う。
けどな、その自分から進んで貧乏くじを引く性格はいい加減直さないとな。シズカが本当に欲しいものが出来た時に、逆ににビビって、手を伸ばすことも出来なくて泣き面をかくことになりそうで、俺は心配になるぞ」
そう言うと、圭太は右手を伸ばし静の頭をくしゃりと撫でる。
その掌の温もりに涙が出そうになって、瞳を閉じた。
圭太は優しい。圭太の優しさが自分に向けられる度、心の中の掻き傷が増えてゆく。
本当に欲しいものに手を伸ばす・・・・。
いつだってその指の先にあるのは、幼馴染というカテゴリーから決して零れることの無い圭太の姿だ。
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■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
シーラカンスのオーナーである伊原氏との今朝の遣り取りを思い出す。
伊原氏には、前々から静に住み込みで東京の本宅専属のバーテンダーになってほしいと言われてきた。婉曲にだが、身の回りのことも頼みたいと・・・。
それが、何を意味するのか、奥手な静にも大体の察しはつく。
そっと、再び圭太の横顔を伺い見る。世界から切り取るように、形の良い頤や鼻、唇を秀でたラインが縁取り、薄い色のサングラスに覆われた瞳は真っ直ぐ前を向いている。昔からこの横顔が好きだった。
圭太にとって俺は、仲のいい友達の弟でしかない。俺の圭太に対する感情は、きっと圭太にとって煩いだけだ。身体と一緒に、心まで柔かい皮のシートに沈んでゆく。
外を見るふりをして、そっと目を閉じた。
「落とせよ」
不意に圭太が呟いた声に顔を上げる。
「え?」
「その鬚。何度も言うようだけど、全然、似合ってない。もともと薄いのに無理して伸ばしても、全くサマになってない。落としたほうが断然、女にもモテるぞ」
無意識のうちに指先が顎鬚を弄んでいた事に気付き、人に見られたくない癖を見咎められた子供のようにバツが悪くなって、赤面しながら指を下ろした。圭太の何気ない、思いやりのこもった言葉が、沈んだ心にいくつもの小さな引っ掻き傷を作っていく。
「ただ、延ばしてるんじゃないんだ。
願掛けしてて、願いが叶ったら落とそうと思ってる」
圭太が小さく噴出した。また傷が増える。
「シズカって、意外と迷信深いんだな。で、シズカの望みは叶いそうなのか?」
「どうかな・・」俯いた顔が曖昧に笑う。
「その願い事って、何?薫には黙っててやるから、俺にだけ、こっそり聞かせろよ」
圭太が、ニヤニヤと笑いながら横目で助手席に視線を向ける。
その、優しげな庇護するような眼差しに、やはり自分は弟分なのだと胸を痛くしていることなんか、圭太にはわからないだろう。
たぶん、願いが叶うことは無い。
喩え、この鬚が白くなっても、自分の顔から消えることは無いに違いない。
横浜横須賀道路に入るとやがて見慣れた海が見えてきた。
安堵に吐息が漏れる。
早く自分が本来いるべき、深い深い海の底に潜り込んでしまいたかった。
「シズカ、どこで降ろしてほしい?」
圭太に問われて、答えに窮した。店を開けるつもりなら、この時間には花を買い求めてから店に入り、清掃やら氷やおしぼり、酒のストックなんかを点検をしている時間だ。
だが、今更店は休みだったと告げる訳には、いかない。
小さな声で行き先を口にする。
「シーラカンスに、お願いします」
運転席から、盛大な溜息が聞こえた。
「嘘付け。シーラカンスは、3のつく日は定休日で、本当は13日の今日は、休みなんだろう?シズカ、俺が打ち上げに行くと思って、気を遣って嘘をついたんだろ?」
総て見透かされていた。そう思うと、自分の幼稚な嘘が恥ずかしくなって赤面し、シートに縮こまった。その恥ずかしさの中にほんの少し混ざる嬉しさに気付き更に頬を熱くする。
「シズカのさ、そういう所は嫌いじゃないし、むしろ美点だとは思う。
けどな、その自分から進んで貧乏くじを引く性格はいい加減直さないとな。シズカが本当に欲しいものが出来た時に、逆ににビビって、手を伸ばすことも出来なくて泣き面をかくことになりそうで、俺は心配になるぞ」
そう言うと、圭太は右手を伸ばし静の頭をくしゃりと撫でる。
その掌の温もりに涙が出そうになって、瞳を閉じた。
圭太は優しい。圭太の優しさが自分に向けられる度、心の中の掻き傷が増えてゆく。
本当に欲しいものに手を伸ばす・・・・。
いつだってその指の先にあるのは、幼馴染というカテゴリーから決して零れることの無い圭太の姿だ。
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■深海魚 1 から読む
■静×圭太 関連<SS> ― 願い ―
■河村 圭太 関連作 翠滴 2
切ないよぉ~。
圭太は全然静の気持ちに気が付いてないんですね・・。
静の気持ちが痛いほど伝わってきます。
圭太の優しさはある意味、罪深いですね・・。
でも、圭太ファンになっちゃいそうです!!(ウフッ・・)
ああっ・・でも鳴海も忘れてはいませんよ~!