01 ,2009
翠滴 2 poison 1 (34)
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「そのうち君が顔を出すだろうと思っていたよ、サクラさん。
いや、今は”ベベル”と呼んだほうがいいのかな」
男は、笑みを浮かべ黒いレザーの執務椅子の上で足を組み替えた。
ベベル、河村が時々享一のことをそう呼んでいた。ボサノバの曲名から抜き出し、韻が享一に合うと言いい、”美しい”という意味のその言葉に享一が顔を顰めるのも気にせず、呼んでは髪や指を弄んで愛撫した。
享一は、神前に向けて強烈に顔を歪める。
その、河村とは今朝、大森のコンファレンスルームでの定例会議で顔を会わせた。
「恋狂いの眼をしている」
会議が終わり、皆がいなくなると河村は開口一番、そう言った。
午前のまぶしい光が低い位置から差し込み部屋を満たしている。
デジャヴュのように窓際で向かい合わせで立っていた。
今日は、河村が腕を組みぺリメーターボックスに軽く腰を乗せている。
「今日の午後から休ませてください」
「理由は?」
答えられず、視線を落した。
恋狂いの人間のやる事といえば決まっている。愚か者のやる事だ。
頭の上で小さなため息が聞こえると同時に、左のこめかみ辺りに温い柔らかさを
感じた。気付いて顔を上げた時にはもう離れている。
「痛かったか?」 河村に殴られたあたりを長い指が壊れ物に触れるように辿る。
その手をやんわりと遮り、首を振った。
「今日、半日だけ休みをやる」
享一は、礼の代わりに黙って頭を下げた。
休みがもらえなくても、今日はもうK2に顔を出す気はなかった。
「どうせ、来る気はないんだろう? まあ、そのバリバリ殺気立った臨戦態勢丸出しの顔をアトリエに出されたとしても、こちらとしては迷惑だからな」
「すみません」
「行くのか?」「・・・はい」
「撃沈したらは、俺がサルベージしてやる。で、お前が敢え無く撃沈するのを祈っておく」
享一は困ったように小さく笑う。
「俺をサルベージしても、なにもいいことなんてないですよ。引き揚げても、きっと、ただのどざえもんだ」
「どざえもんなら、ダッチワイフ代わりにできる。やりたい放題だ、それも悪くない」
どこまでが本気で冗談なのか? 本格的な春を思わせる日差しの中で何も言わず見詰め合った。河村の指が頬に伸びてきて、身を起し角度を変えた唇がスローモーションで重なって、掠めるようにキスをして離れる。そのまま、河村はコンファレンスルームを出て行った。
胸に満ちる寂寥感に、残された享一は小さく喘いだ。
その2時間後、享一は都心に立つKNホールディングス本社の役員室にいた。
肩書きは、開発部の室長と聞いていたが兼任という事だったらしい。同族会社ならではの独善的な構造が鼻につく。黒っぽいカーペットに白い壁、重厚なデザインのイタリアの高級メーカーの家具が ”手本” のように配置された冷たく個性の無い空間に息苦しさを感じた。K2や葉山、AZULとすっかり馴染んでしまった、圭太のデザインの醸し出すような、柔らかで清々しい雰囲気はここに微塵もない。
「こんなにあっさり、会って頂けるとは思いませんでした」
「そうかい? 私はサクラさんが来るのを、ずうっと待っていたんだがね」
革のデスクチェアーで寛ぐ神前の薄く微笑を浮かべた余裕の表情と丁寧な物腰が、享一の警戒心を一層掻きたて圧迫してくる。享一は極まりきった緊張を見透かされないよう、背筋を伸ばして正面の神前を見返した。
「周は、君の事未だ知らない人間だと言い張っているが、君は認めたからここに来たんだろうね。ところで、君は圭太と付き合っていたはずだが、彼のことはどうしたのかな。振ったのなら、大事な友人を袖にした君を、私は許せないな」
重厚なデスクの上で肘をつき、組んだ指に顎を乗せ上目遣いで冷笑している。
大切な友人を思い遣り、立腹している風には見えない。逆に面白がっているようだ。
屈折したこの男の事だ、実際そうなのだろう。
享一は、強張った肺に可能な限りの酸素を吸い込んだ。
「周を解放してください」
唐突に放った言葉に、神前が笑い出した。
「何を言い出すのかと思えば、君は見かけによらず随分とストレートな性質だね。いや、却ってこれで話がしやすくなったよ」
一瞬、神前の体温のない黒い瞳がぶわっと膨張し、何もかも飲み込んでしまう闇の入り口がぽっかり口を開けたような気がした。神前が闇を零しながら楽しげに嗤う。
「では享一君、もし私が周を手放したとしたら、君は私に何をくれる?」
「そのうち君が顔を出すだろうと思っていたよ、サクラさん。
いや、今は”ベベル”と呼んだほうがいいのかな」
男は、笑みを浮かべ黒いレザーの執務椅子の上で足を組み替えた。
ベベル、河村が時々享一のことをそう呼んでいた。ボサノバの曲名から抜き出し、韻が享一に合うと言いい、”美しい”という意味のその言葉に享一が顔を顰めるのも気にせず、呼んでは髪や指を弄んで愛撫した。
享一は、神前に向けて強烈に顔を歪める。
その、河村とは今朝、大森のコンファレンスルームでの定例会議で顔を会わせた。
「恋狂いの眼をしている」
会議が終わり、皆がいなくなると河村は開口一番、そう言った。
午前のまぶしい光が低い位置から差し込み部屋を満たしている。
デジャヴュのように窓際で向かい合わせで立っていた。
今日は、河村が腕を組みぺリメーターボックスに軽く腰を乗せている。
「今日の午後から休ませてください」
「理由は?」
答えられず、視線を落した。
恋狂いの人間のやる事といえば決まっている。愚か者のやる事だ。
頭の上で小さなため息が聞こえると同時に、左のこめかみ辺りに温い柔らかさを
感じた。気付いて顔を上げた時にはもう離れている。
「痛かったか?」 河村に殴られたあたりを長い指が壊れ物に触れるように辿る。
その手をやんわりと遮り、首を振った。
「今日、半日だけ休みをやる」
享一は、礼の代わりに黙って頭を下げた。
休みがもらえなくても、今日はもうK2に顔を出す気はなかった。
「どうせ、来る気はないんだろう? まあ、そのバリバリ殺気立った臨戦態勢丸出しの顔をアトリエに出されたとしても、こちらとしては迷惑だからな」
「すみません」
「行くのか?」「・・・はい」
「撃沈したらは、俺がサルベージしてやる。で、お前が敢え無く撃沈するのを祈っておく」
享一は困ったように小さく笑う。
「俺をサルベージしても、なにもいいことなんてないですよ。引き揚げても、きっと、ただのどざえもんだ」
「どざえもんなら、ダッチワイフ代わりにできる。やりたい放題だ、それも悪くない」
どこまでが本気で冗談なのか? 本格的な春を思わせる日差しの中で何も言わず見詰め合った。河村の指が頬に伸びてきて、身を起し角度を変えた唇がスローモーションで重なって、掠めるようにキスをして離れる。そのまま、河村はコンファレンスルームを出て行った。
胸に満ちる寂寥感に、残された享一は小さく喘いだ。
その2時間後、享一は都心に立つKNホールディングス本社の役員室にいた。
肩書きは、開発部の室長と聞いていたが兼任という事だったらしい。同族会社ならではの独善的な構造が鼻につく。黒っぽいカーペットに白い壁、重厚なデザインのイタリアの高級メーカーの家具が ”手本” のように配置された冷たく個性の無い空間に息苦しさを感じた。K2や葉山、AZULとすっかり馴染んでしまった、圭太のデザインの醸し出すような、柔らかで清々しい雰囲気はここに微塵もない。
「こんなにあっさり、会って頂けるとは思いませんでした」
「そうかい? 私はサクラさんが来るのを、ずうっと待っていたんだがね」
革のデスクチェアーで寛ぐ神前の薄く微笑を浮かべた余裕の表情と丁寧な物腰が、享一の警戒心を一層掻きたて圧迫してくる。享一は極まりきった緊張を見透かされないよう、背筋を伸ばして正面の神前を見返した。
「周は、君の事未だ知らない人間だと言い張っているが、君は認めたからここに来たんだろうね。ところで、君は圭太と付き合っていたはずだが、彼のことはどうしたのかな。振ったのなら、大事な友人を袖にした君を、私は許せないな」
重厚なデスクの上で肘をつき、組んだ指に顎を乗せ上目遣いで冷笑している。
大切な友人を思い遣り、立腹している風には見えない。逆に面白がっているようだ。
屈折したこの男の事だ、実際そうなのだろう。
享一は、強張った肺に可能な限りの酸素を吸い込んだ。
「周を解放してください」
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「何を言い出すのかと思えば、君は見かけによらず随分とストレートな性質だね。いや、却ってこれで話がしやすくなったよ」
一瞬、神前の体温のない黒い瞳がぶわっと膨張し、何もかも飲み込んでしまう闇の入り口がぽっかり口を開けたような気がした。神前が闇を零しながら楽しげに嗤う。
「では享一君、もし私が周を手放したとしたら、君は私に何をくれる?」
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おおっ・・神前の交換条件ですか?
享一負けるな!!
頑張れ~!!
でも、河村は男前ですねぇ~。
いい男です。
惚れてしまいそう・・ふふっ。