02 ,2016
<16>
手のひら半分ほどリーチの長い腕と牡鹿のようにすらりと長い脚が、腕や足に重なり縺れ、解けてまた絡まり合う。そうやって、唇も指も肌も紅雷にゆるゆると結びつけられていく。
全身を湿らせていたシャワーの滴りも薄っすらと躯を覆う汗に変わり、触れる部分をより密着させてふたりの肌を繋いだ。
「裕紀、こっち向けよ。顔を見せて」
「嫌だ」
身についたルーティンも経験もまったく役には立たない。
気持ちが良いのに恥ずかしくて、嬉しいのに戸惑っている。ただ肌を合わせるだけの行為に、これほどの幸福感を感じたことはない。
「なあ、見せてくれよ」
「嫌だって」
客に、エロい悩ましいと評判の顔を、紅雷に見せるのは気が進まない。頑なに顔を逸らして正面から見られないように逃げまわっていると、ふうんと一計を企てる声がして、全ての結び目が解かれた。
はっと顔を上げると、腿の上に跨った紅雷が膝立ちになって、高みから見おろしている。隠すものもなく、顔どころか性器まで露出しの上半身が瞬時に朱に染まった。
「ば……かやろ!」
「まったく…この前、オレの前で気前よく素っ裸になったヒトと同一人物とはとても思えないね」
自分だって全裸の紅雷が、腰に手を当てニヤリと笑う。その綺麗に張った胸筋から下肢に続く腹は軽く割れていて、さり気に嫉妬を誘う。
その腰の背面に見覚えのある拳大の刺青を見つけたのはバスルームでだった。
「この刺青は……」
牡丹に蝙蝠。似たような構図の刺青を前にも見たことがある。曼珠沙華に龍。幸田の刺青だ
「オレの家は、男が生まれると紋が与えられるんだ。大概は縁起がいいとされるものから選ばれて、それが変わることは一生ない。十二歳になったら、一族への忠誠の証として躯に彫り物を入れ、成人したらそこに華を彫り足すんだ」
「そうだったのか。蝙蝠が紅雷の紋だとは知らなかった。気味悪いとか言ったりなんかして、悪かったな」
素直に謝ると、紅雷は頭を掻いて息を吐いた。
「まあいいよ。俺が決めたんじゃないし、蝙蝠って確かに気持ちのいい生き物ってわけでもないからな」
子供の頃、友達と夕刻にひらひら飛ぶ蝙蝠に小石をぶつけて遊んだ。反省してあの時の蝙蝠にも心の中で謝った。
「でもこれからはさ…」
「そうだな、これからは大切に可愛がることにするよ」
そう言って笑ってやると、じゃあ今夜からと紅雷がいやらしさ全開で微笑んだ。
紅雷が羞恥に身を捩る裕紀を囲むようにベッドに手を突いた。ボスッという重い音とともに、振動が伝わり驚いて顔を向けた裕紀の唇を素早く捕える。
「ぅん……ん…っ」
裕紀の脇から背中を掬い、仰け反った顎に歯を立てる。
「ほん、れ……ちょっ、やめ」
兆した裕紀の雄穂に自分を擦り付け、腕の中で一息に体温を上げた躯を攻め落としてゆく。鎖骨、肩の付け根、腋、臍…と手指で封じ舌と唇で愛撫する。
ふつり、ふつりと、紅雷の唇が植えつける官能の種が、皮膚の内側で次々芽吹いて、細胞のひとつひとつが細やかに慄えた。
「裕紀…好きだ。すごく可愛い。もっと、もっとオレを感じてる顔して見せて」
鼓膜が甘く溶け落ちた刹那、息を呑んだ。
「紅雷っ」 叫んだ口を、紅雷の口が塞ぐ。
まだ固い窄まりを紅雷の指が撫で、凶器みたいな甘い声で確認してくる。
「くれるんだよな? オレに」
微かに頷いた裕紀の口角に触れる唇が、戦慄く下唇を吸い上げる。濡れた音を立てて唇から離れた紅雷がもう一度、上半身を起こし躯をずらし裕紀の上体も起こさせる。
「ちゃんと見てろよ」
自分の躯に散らばった花弁に、潤んだ目元を紅潮させた裕紀の顎を指先で囚え、紅雷が顔を上げさせる。そして、自分を喰い尽くしてしまいような欲望の色を切れ長の目に湛えた男に命ぜられるままに脚を開いた。
裕紀と目を合わせながら紅雷が半身を沈めてゆく。
エレクトの先端に滑らかな舌の滑りを感じて、全神経が腰に集まった。痛いほどに芯を持った雄穂が紅雷の口に呑み込まれてゆく。
「紅雷……もう」
たまらず仰け反った上半身を、裕紀は後方に突いた腕で支えた。
「もう、なに?」
意地の悪い質問をした紅雷が浮いた腰の下に指を潜らせ、未開の場所を探り始める。滑りがいいのは、ローションを指に塗っているからだろう。窄まりの中心を指の先に割られて息を詰めた。
客に拝み倒されても、与えるどころか触れることも許してこなかった場所。
「痛くない?」
雄穂から口から放し、下で根本から舐め上げた紅雷が訊いてきた。人はどれだけ社会的なちいがあろうと、人格者だと言われようと、服を剥いで肌を合わさえれば性格が剥き出しになる。
「……くない」
お前がこんなにスケベでイヤラシイ男だとは気が付かなかったぞ。
「せめて、セクシーって言ってくれよ」
眉を上げた紅雷は、本当にセクシーに微笑むと、一気に根本まで指を進めた。
自分でも赤面するような喘ぎ声を撒き散らして、裕紀の背中がベッドに沈む。
その窮屈さから指が増やされているのがわかる。ゆっくりひだを広げられる感覚に、躯が速やかに馴染もうとするのは、自分もまた紅雷が欲しいと思っているからだ。
「あ……」 全身を強烈な快感が走り抜けた。
「いまいいとこに、当たった?」
異物感ばかりでなく、官能と快感が同時に埋まる場所。そのイントネーションから、紅雷が故意にその場所を避けていたことを確信した。
なんとかもう一度と、隠微に紅雷の指を追いかける裕紀を、笑いを含んだ声があやす。
「裕紀には”オレ”で感じて欲しいから、もう少し我慢な」
こいつ……。呼び水を撒いて放置する気か。お前がその気なら
「紅雷……」
声の端々に蜜をまぶして、流し目をくれてやる。男を瞬殺する奥義。
レスポンス(後悔)は直後にやってきた。
「ああ……っ、ホンレ…・やめ。頭がおかしくなるっ」
「なったら、あとは俺が全部、面倒見るからなればいいっ」
紅雷の怒張に突き上げられ、白濁に塗れた性器を扱き上げられ、何度も頂点に達した。激しすぎる快感に頭を振りたて、溺れる者のように紅雷にしがみつく。
後孔に紅雷を埋め込まれたまま、舌が抜けそうなくらい吸い上げられて吐精しながら力尽きる。ずるりと紅雷の背中から腕が離れ、シーツに落ちた背中を紅雷の長い腕が抱き寄せる。そして声を上げさせるほど強く抱きしめると、紅雷も裕紀の最奥にその精を放った。
「怒ってる?」
「怒ってない」
しおらしく聞いてくれる男は寸部の隙間なく、背中に張り付いている。
怒っているかと聞く割に反省はしてないなと思うのは、今も背中に当たる未だ固くてデカイ楔のせいだ。
「怒ってないけど、もうちょっと手加減しようとかないのかよ。俺は初心者なんだぞ」。
「あんな男殺しの目で挑発する裕紀が悪い」
「紅雷が変な罠を仕掛けてくるからだろ」
前と後ろ。ぴったりくっついたまま、お前がお前がと剣呑に罵り合う。
そのうち胴に巻き付いた紅雷の腕がギュッと抱きしめてきた。裕紀の首の後や肩甲骨にキスしながら、喉の奥で笑い出す。
「こんな風にベッドの中で、裕紀と痴話喧嘩出来る日が来るなんて。夢みたいだ」
それを聞いた裕紀も、ふわりと眉間を解く。長い腕に誘われるまま、背後の男と向き合い笑い合う。
再会の日の、成功した友に嫉妬し、斜に構え拗ねた目で世界を見ていた卑屈な自分は消えていた。いま優しい目で自分を凝視る男は、友であり恋人でもある。
指で流す短めの髪が、薄く髭の浮いた精悍な頬が愛おしい。
「紅雷…俺のこと、あきらめないでくれてありがとうな」
広くて長い河は無くなってはいない。ただ対岸にいた紅雷はいまは同じ岸辺に立ち、流れのその先に向かって一緒に歩いている。
********
かくして、当座に必要な金は、裕紀が紅雷の部屋に同棲することを条件に、東夷の経営する幸田不動産が貸してくれることになった。
自分が出すと言い張った紅雷の申し出を断った裕紀に、幸田が提案してきた。同棲が条件になったのは、裕紀が借金を踏み倒して逃げないように見張るという意味もあるのだろう。
幸田不動産の金庫番の男に借りていたゲイビを返した。
「こんなもんまだ持ってたのか? クラブは廃業だし、もらっとけよ」
「いや、必要ないから」
即座に紅雷が突き返すと、佐野は 「あっそ」 と意味深に笑ってゲイビを引っ込めた。
「しかし、マジで一千万貸すことになろうとはねえ」 佐野は、紅雷と裕紀を交互に見て肩を竦めた。
奨学金は、いまも自分で返している。
紅雷と一緒に住むということは、自動的にもう二人付いて来ることになる。
「誰が、渋谷になんか引っ越すか!」
「なあ怒るなよ。渋谷いいじゃねえの。なんなら世田谷でもいいぞ。晴人、引っ越して入籍しようぜ」
「するならお前一人でやれ!」
「ひとりで入籍なんざ出来るわきゃねえだろ。このわからず嫁!」
「誰が、嫁だっ。ああっ? まったくお前って奴はっ」
駐車場で引越し荷物を下ろしているところに、東夷と晴人がやってきた。
紅雷の部屋に出入りするうち、キレる晴人・宥める東夷の図は見慣れた光景になった。
「またケンカかよ。もういい加減、長いんだしさ、晴人も中年の横暴にも慣れろよ」
晴人が肩から掛けた白い革製のケースを、アルファ・ロメオに積み込んで振り向いた。ケースの中には時価2億円というチェロの名器が収まっている。
「中年って言うな。こいつと俺は同じ年だ!」
「おうよ、俺と晴人は同級生だからな」
ガバっと肩を組んだ東夷の腕を払いのけ、ぶりぶり怒りながら自分のポルシェにチェロを積む。
「ったく、あの妙ちきりんな玉を受け取っちまったせいで、簡単に別れることも出来やしねえ」
「タマ…?」
裕紀は徐ろに自分が抱えている荷物を見おろした。
食品衛生管理者のテキストの入った紙袋の上に、紅雷に貰った例の中国土産の箱が乗っている。中に透かし彫りに金の蝙蝠の象嵌が施された、あの翡翠の玉が入っている。
3人の視線が箱に集中した。
「……お前、そいつを正式に受け取ったのか」
「別に正式にとかじゃなく、普通に出張の土産で貰いましたけど。なあ、紅雷?」
紅雷は明後日の方向をむいている。それで幸田に視線を戻すと、視線をかわされた。白々しさの漂う沈黙は、晴人がポルシェを指でノックする音で解けた。
「俺は時間だ。あとはお前らでよく話し合え」
「お…俺も、ちよっくら幸田不動産に顔出してくっかなー。晴人、途中まで乗せてってくれよ」
「お前は自分の車でいけ!」
季節は5月。隣の公園にも、レジデンスの庭にも宝石みたいに煌く緑が溢れ、そそくさと軽トラの荷下ろし作業に戻った紅雷の白いシャツの背中にも淡い緑の陰影を作った。
不意にその背中の肩甲骨や背筋の滑らかな隆起や、締まった皮膚の感触が蘇り、手のひらがじんと熱を帯びた。
「なあ、この玉には紅雷の紋の蝙蝠が象嵌してあったよな。なにか特別な意味でもあるんじゃないのか」
答えはない。
「紅雷、隠し事をするなら、この同居は無しだ」
淡緑に染まる背中がぴくりと固まり、コマ送りみたいなぎこちなさで振り返った。
「その玉は、婚姻時に相手に贈る宝玉なんだ」
「コンイン?」
理解の進度に合わせて変化してゆく裕紀を、紅雷は見守った。
「一旦、受け取ったら、自動的にウチの一族の中に組み込まれる、とでもいうか。まあ、単に形式的なものだから」
鼻の頭を掻くそぶりで口元をかくすのは、後ろめたい事がある証拠だ。「単に形式だけ」 のことなら、晴人があんな風にぼやくはずがない。はっきりと聞いたわけではないが、紅雷の家は中国ではかなり古い歴史を持つ一族で、独特のしきたりや風習が今も生きているのだという。
何かとんでもなく厄介な物を、しかもどさくさに紛れて受け取らされてしまったのかもしれない。
テキストの上に乗った箱を凝視する裕紀に、先手を打った紅雷が言う。
「返却は不可だから」
「そんな説明、一切無かったよな。こんなのは闇討ちと同じ… お前、最初から俺を取り込むつもりだったのか?」
闇討ちかあ…と心外そうに口の中で繰り返した紅雷が口角を上げる。余裕の足取りで、両手が塞がっている裕紀に近づいて行き、その頬を捕えた。
柔らかな薫風が、ふたりの間にできた狭い隙間を吹き抜ける。
「否定はしない。俺は裕紀を強奪するために日本に戻って来たんだから」
そして先手必勝とばかりに、反論の言葉を探す唇を接吻けで塞いだ。
(おわり)
◀◀ 15 / ▷▷

手のひら半分ほどリーチの長い腕と牡鹿のようにすらりと長い脚が、腕や足に重なり縺れ、解けてまた絡まり合う。そうやって、唇も指も肌も紅雷にゆるゆると結びつけられていく。
全身を湿らせていたシャワーの滴りも薄っすらと躯を覆う汗に変わり、触れる部分をより密着させてふたりの肌を繋いだ。
「裕紀、こっち向けよ。顔を見せて」
「嫌だ」
身についたルーティンも経験もまったく役には立たない。
気持ちが良いのに恥ずかしくて、嬉しいのに戸惑っている。ただ肌を合わせるだけの行為に、これほどの幸福感を感じたことはない。
「なあ、見せてくれよ」
「嫌だって」
客に、エロい悩ましいと評判の顔を、紅雷に見せるのは気が進まない。頑なに顔を逸らして正面から見られないように逃げまわっていると、ふうんと一計を企てる声がして、全ての結び目が解かれた。
はっと顔を上げると、腿の上に跨った紅雷が膝立ちになって、高みから見おろしている。隠すものもなく、顔どころか性器まで露出しの上半身が瞬時に朱に染まった。
「ば……かやろ!」
「まったく…この前、オレの前で気前よく素っ裸になったヒトと同一人物とはとても思えないね」
自分だって全裸の紅雷が、腰に手を当てニヤリと笑う。その綺麗に張った胸筋から下肢に続く腹は軽く割れていて、さり気に嫉妬を誘う。
その腰の背面に見覚えのある拳大の刺青を見つけたのはバスルームでだった。
「この刺青は……」
牡丹に蝙蝠。似たような構図の刺青を前にも見たことがある。曼珠沙華に龍。幸田の刺青だ
「オレの家は、男が生まれると紋が与えられるんだ。大概は縁起がいいとされるものから選ばれて、それが変わることは一生ない。十二歳になったら、一族への忠誠の証として躯に彫り物を入れ、成人したらそこに華を彫り足すんだ」
「そうだったのか。蝙蝠が紅雷の紋だとは知らなかった。気味悪いとか言ったりなんかして、悪かったな」
素直に謝ると、紅雷は頭を掻いて息を吐いた。
「まあいいよ。俺が決めたんじゃないし、蝙蝠って確かに気持ちのいい生き物ってわけでもないからな」
子供の頃、友達と夕刻にひらひら飛ぶ蝙蝠に小石をぶつけて遊んだ。反省してあの時の蝙蝠にも心の中で謝った。
「でもこれからはさ…」
「そうだな、これからは大切に可愛がることにするよ」
そう言って笑ってやると、じゃあ今夜からと紅雷がいやらしさ全開で微笑んだ。
紅雷が羞恥に身を捩る裕紀を囲むようにベッドに手を突いた。ボスッという重い音とともに、振動が伝わり驚いて顔を向けた裕紀の唇を素早く捕える。
「ぅん……ん…っ」
裕紀の脇から背中を掬い、仰け反った顎に歯を立てる。
「ほん、れ……ちょっ、やめ」
兆した裕紀の雄穂に自分を擦り付け、腕の中で一息に体温を上げた躯を攻め落としてゆく。鎖骨、肩の付け根、腋、臍…と手指で封じ舌と唇で愛撫する。
ふつり、ふつりと、紅雷の唇が植えつける官能の種が、皮膚の内側で次々芽吹いて、細胞のひとつひとつが細やかに慄えた。
「裕紀…好きだ。すごく可愛い。もっと、もっとオレを感じてる顔して見せて」
鼓膜が甘く溶け落ちた刹那、息を呑んだ。
「紅雷っ」 叫んだ口を、紅雷の口が塞ぐ。
まだ固い窄まりを紅雷の指が撫で、凶器みたいな甘い声で確認してくる。
「くれるんだよな? オレに」
微かに頷いた裕紀の口角に触れる唇が、戦慄く下唇を吸い上げる。濡れた音を立てて唇から離れた紅雷がもう一度、上半身を起こし躯をずらし裕紀の上体も起こさせる。
「ちゃんと見てろよ」
自分の躯に散らばった花弁に、潤んだ目元を紅潮させた裕紀の顎を指先で囚え、紅雷が顔を上げさせる。そして、自分を喰い尽くしてしまいような欲望の色を切れ長の目に湛えた男に命ぜられるままに脚を開いた。
裕紀と目を合わせながら紅雷が半身を沈めてゆく。
エレクトの先端に滑らかな舌の滑りを感じて、全神経が腰に集まった。痛いほどに芯を持った雄穂が紅雷の口に呑み込まれてゆく。
「紅雷……もう」
たまらず仰け反った上半身を、裕紀は後方に突いた腕で支えた。
「もう、なに?」
意地の悪い質問をした紅雷が浮いた腰の下に指を潜らせ、未開の場所を探り始める。滑りがいいのは、ローションを指に塗っているからだろう。窄まりの中心を指の先に割られて息を詰めた。
客に拝み倒されても、与えるどころか触れることも許してこなかった場所。
「痛くない?」
雄穂から口から放し、下で根本から舐め上げた紅雷が訊いてきた。人はどれだけ社会的なちいがあろうと、人格者だと言われようと、服を剥いで肌を合わさえれば性格が剥き出しになる。
「……くない」
お前がこんなにスケベでイヤラシイ男だとは気が付かなかったぞ。
「せめて、セクシーって言ってくれよ」
眉を上げた紅雷は、本当にセクシーに微笑むと、一気に根本まで指を進めた。
自分でも赤面するような喘ぎ声を撒き散らして、裕紀の背中がベッドに沈む。
その窮屈さから指が増やされているのがわかる。ゆっくりひだを広げられる感覚に、躯が速やかに馴染もうとするのは、自分もまた紅雷が欲しいと思っているからだ。
「あ……」 全身を強烈な快感が走り抜けた。
「いまいいとこに、当たった?」
異物感ばかりでなく、官能と快感が同時に埋まる場所。そのイントネーションから、紅雷が故意にその場所を避けていたことを確信した。
なんとかもう一度と、隠微に紅雷の指を追いかける裕紀を、笑いを含んだ声があやす。
「裕紀には”オレ”で感じて欲しいから、もう少し我慢な」
こいつ……。呼び水を撒いて放置する気か。お前がその気なら
「紅雷……」
声の端々に蜜をまぶして、流し目をくれてやる。男を瞬殺する奥義。
レスポンス(後悔)は直後にやってきた。
「ああ……っ、ホンレ…・やめ。頭がおかしくなるっ」
「なったら、あとは俺が全部、面倒見るからなればいいっ」
紅雷の怒張に突き上げられ、白濁に塗れた性器を扱き上げられ、何度も頂点に達した。激しすぎる快感に頭を振りたて、溺れる者のように紅雷にしがみつく。
後孔に紅雷を埋め込まれたまま、舌が抜けそうなくらい吸い上げられて吐精しながら力尽きる。ずるりと紅雷の背中から腕が離れ、シーツに落ちた背中を紅雷の長い腕が抱き寄せる。そして声を上げさせるほど強く抱きしめると、紅雷も裕紀の最奥にその精を放った。
「怒ってる?」
「怒ってない」
しおらしく聞いてくれる男は寸部の隙間なく、背中に張り付いている。
怒っているかと聞く割に反省はしてないなと思うのは、今も背中に当たる未だ固くてデカイ楔のせいだ。
「怒ってないけど、もうちょっと手加減しようとかないのかよ。俺は初心者なんだぞ」。
「あんな男殺しの目で挑発する裕紀が悪い」
「紅雷が変な罠を仕掛けてくるからだろ」
前と後ろ。ぴったりくっついたまま、お前がお前がと剣呑に罵り合う。
そのうち胴に巻き付いた紅雷の腕がギュッと抱きしめてきた。裕紀の首の後や肩甲骨にキスしながら、喉の奥で笑い出す。
「こんな風にベッドの中で、裕紀と痴話喧嘩出来る日が来るなんて。夢みたいだ」
それを聞いた裕紀も、ふわりと眉間を解く。長い腕に誘われるまま、背後の男と向き合い笑い合う。
再会の日の、成功した友に嫉妬し、斜に構え拗ねた目で世界を見ていた卑屈な自分は消えていた。いま優しい目で自分を凝視る男は、友であり恋人でもある。
指で流す短めの髪が、薄く髭の浮いた精悍な頬が愛おしい。
「紅雷…俺のこと、あきらめないでくれてありがとうな」
広くて長い河は無くなってはいない。ただ対岸にいた紅雷はいまは同じ岸辺に立ち、流れのその先に向かって一緒に歩いている。
********
かくして、当座に必要な金は、裕紀が紅雷の部屋に同棲することを条件に、東夷の経営する幸田不動産が貸してくれることになった。
自分が出すと言い張った紅雷の申し出を断った裕紀に、幸田が提案してきた。同棲が条件になったのは、裕紀が借金を踏み倒して逃げないように見張るという意味もあるのだろう。
幸田不動産の金庫番の男に借りていたゲイビを返した。
「こんなもんまだ持ってたのか? クラブは廃業だし、もらっとけよ」
「いや、必要ないから」
即座に紅雷が突き返すと、佐野は 「あっそ」 と意味深に笑ってゲイビを引っ込めた。
「しかし、マジで一千万貸すことになろうとはねえ」 佐野は、紅雷と裕紀を交互に見て肩を竦めた。
奨学金は、いまも自分で返している。
紅雷と一緒に住むということは、自動的にもう二人付いて来ることになる。
「誰が、渋谷になんか引っ越すか!」
「なあ怒るなよ。渋谷いいじゃねえの。なんなら世田谷でもいいぞ。晴人、引っ越して入籍しようぜ」
「するならお前一人でやれ!」
「ひとりで入籍なんざ出来るわきゃねえだろ。このわからず嫁!」
「誰が、嫁だっ。ああっ? まったくお前って奴はっ」
駐車場で引越し荷物を下ろしているところに、東夷と晴人がやってきた。
紅雷の部屋に出入りするうち、キレる晴人・宥める東夷の図は見慣れた光景になった。
「またケンカかよ。もういい加減、長いんだしさ、晴人も中年の横暴にも慣れろよ」
晴人が肩から掛けた白い革製のケースを、アルファ・ロメオに積み込んで振り向いた。ケースの中には時価2億円というチェロの名器が収まっている。
「中年って言うな。こいつと俺は同じ年だ!」
「おうよ、俺と晴人は同級生だからな」
ガバっと肩を組んだ東夷の腕を払いのけ、ぶりぶり怒りながら自分のポルシェにチェロを積む。
「ったく、あの妙ちきりんな玉を受け取っちまったせいで、簡単に別れることも出来やしねえ」
「タマ…?」
裕紀は徐ろに自分が抱えている荷物を見おろした。
食品衛生管理者のテキストの入った紙袋の上に、紅雷に貰った例の中国土産の箱が乗っている。中に透かし彫りに金の蝙蝠の象嵌が施された、あの翡翠の玉が入っている。
3人の視線が箱に集中した。
「……お前、そいつを正式に受け取ったのか」
「別に正式にとかじゃなく、普通に出張の土産で貰いましたけど。なあ、紅雷?」
紅雷は明後日の方向をむいている。それで幸田に視線を戻すと、視線をかわされた。白々しさの漂う沈黙は、晴人がポルシェを指でノックする音で解けた。
「俺は時間だ。あとはお前らでよく話し合え」
「お…俺も、ちよっくら幸田不動産に顔出してくっかなー。晴人、途中まで乗せてってくれよ」
「お前は自分の車でいけ!」
季節は5月。隣の公園にも、レジデンスの庭にも宝石みたいに煌く緑が溢れ、そそくさと軽トラの荷下ろし作業に戻った紅雷の白いシャツの背中にも淡い緑の陰影を作った。
不意にその背中の肩甲骨や背筋の滑らかな隆起や、締まった皮膚の感触が蘇り、手のひらがじんと熱を帯びた。
「なあ、この玉には紅雷の紋の蝙蝠が象嵌してあったよな。なにか特別な意味でもあるんじゃないのか」
答えはない。
「紅雷、隠し事をするなら、この同居は無しだ」
淡緑に染まる背中がぴくりと固まり、コマ送りみたいなぎこちなさで振り返った。
「その玉は、婚姻時に相手に贈る宝玉なんだ」
「コンイン?」
理解の進度に合わせて変化してゆく裕紀を、紅雷は見守った。
「一旦、受け取ったら、自動的にウチの一族の中に組み込まれる、とでもいうか。まあ、単に形式的なものだから」
鼻の頭を掻くそぶりで口元をかくすのは、後ろめたい事がある証拠だ。「単に形式だけ」 のことなら、晴人があんな風にぼやくはずがない。はっきりと聞いたわけではないが、紅雷の家は中国ではかなり古い歴史を持つ一族で、独特のしきたりや風習が今も生きているのだという。
何かとんでもなく厄介な物を、しかもどさくさに紛れて受け取らされてしまったのかもしれない。
テキストの上に乗った箱を凝視する裕紀に、先手を打った紅雷が言う。
「返却は不可だから」
「そんな説明、一切無かったよな。こんなのは闇討ちと同じ… お前、最初から俺を取り込むつもりだったのか?」
闇討ちかあ…と心外そうに口の中で繰り返した紅雷が口角を上げる。余裕の足取りで、両手が塞がっている裕紀に近づいて行き、その頬を捕えた。
柔らかな薫風が、ふたりの間にできた狭い隙間を吹き抜ける。
「否定はしない。俺は裕紀を強奪するために日本に戻って来たんだから」
そして先手必勝とばかりに、反論の言葉を探す唇を接吻けで塞いだ。
(おわり)
◀◀ 15 / ▷▷
