01 ,2016
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それなりの金を払ったからには、それなりの満足を得たい。それは万人共通の意識だ。あたり前だ。だから金を払ってくれた客に、金額に見合ったあたり前の奉仕をする。
イニシアチブは常に冷静な自分にあり、客の性欲を自在にコントロールするのはお手のもの。だったはずが新規の客、幸田 東夷には完全にお手上げだった。
男として非の打ち所のない幸田の躯には、腰の辺に曼珠沙華に龍が絡まった拳ほどの大きさの刺青が彫ってあった。緻密な鱗を纏った龍が紅い曼珠沙華の花に絡んでいる。
龍が花を束縛しているようにも、護っている。そんな想像を誘う構図だ。
ヤバイ商売をしているような匂いはしてこないが、幸田はまったくの堅気という訳でもなさそうだ。
もしかしたら幸田は中国人かもしれない。そんな思いが脳裏を掠める。裕紀にはどうでもいいことだし、明確な根拠はない。だが幸田からは、馴染みのある匂いがした。
その匂いの根拠ならわかる。紅雷だ。
大陸的とでもいうのか、幸田には紅雷に感じるのと同じ湿り気のない鷹揚さというか、掴みどころのないん”広さ”を感じた。
ただ東夷という名には、古く漢民族による東方の異民族を示した蔑称だと聞いたことがある。
東方の蛮族という名を持ち、言動も粗野な男だが、幸田には一貫した気品もある。世界を舞台に活躍する同性のチェロ奏者の伴侶がいるという意外も、幸田の魅力に華を添える。
男も女も惚れさせそうな男だ。
似た雰囲気を持つ男の顔がまた浮かんで、頭から閉め出した。
息を上げ、織目の詰まったリネンに投げ出した裕紀の手を幸田が持ち上げた。
「いい手しているな。働き者の手だ」
冷凍肉の入った箱を運ぶ手は、指の先が荒れて爪が割れている。とても学生の手には見えない。慌てて引っ込めようとした手指を捕まえた幸田の手が、自分の口に運んだ。
「隠すな、いいって褒めているだろうが」
指の節に歯を立てられ、根本を舌で抉られた。感じたことのない痺れが、吐精で萎えた下腹を直撃した。片手でペニスを弄ばれながら乳嘴を啄まれ、絶え間なく追いつめられる感覚に、ついぞ口にしたこともなかった言葉を口走ってしまいそうになる。
幸田は金で買った商売男を、ただ奉仕させるだけでなく、一緒に快感の高みに連れて行こうとする。これでは、どちらが奉仕しているのかわからなくなる。風俗の面目丸潰れだ。
「これぽっちで、また勃たせんのか。可愛いな、お前」
喉の奥で笑いながら、熱の点った顔や唇にキスの雨を降らせる。もう幸田の思うがままに翻弄されるばかりだった。嫁がいるから、これでも自分を抑えているのだと幸田は言う。ならば、幸田が本気を出されたら、一体どんなことになるのか。
男には興味が無い。そうはっきり自覚している自分を、ここまで骨抜きにする幸田の本気の手管を想像し目眩がした。
「色っぽい顔も出来るんだな。なあ教えろよ、お前の本名」
幸田に組み敷かれてから息が上がりっぱなしだ。
「それは、答えられません。勘弁してくださ…」
「ふぅん、そうか。なら、こうするまでだ」
大腿の付け根の一点を親指の腹で押さえられた。刹那、甘ったるい痺れが四肢を突き抜け、嬌声を上げた躯が反り返った。
「ヒロ、キ…裕紀です! あ…めて……はぅ」
堪らず幸田の、厚い胸に手を縋らせ仰け反った。溺れる肢体を幸田が強く抱きしめる。
「裕紀…そうか裕紀か。いい子だ、裕紀」
客に強要されて吐き出す、醒めた生理的な射精ではなく、官能の波に巻き込まれながらの吐精は頭の芯まで痺れさせた。長く尾を引く余韻は甘くて重い。
立て続けに吐精を果たし、くたりと力の抜けた裕紀から束縛を解いた男の唇が、 『ヒロキ』 と声に出さずに名をなぞり、蕩けるような笑みをのせてわらった。倣って同じように名前をなぞった裕紀の唇の読んだ幸田が、苦笑を漏らす。その苦笑の意味に気が付かず、素直な目を瞬かせた裕紀を、幸田はもう一度腕の中に抱き込んだ。
「お前は、本当に可愛いな。裕紀」
背後に滑りこんだ指に、他人には触れさせたことのない場所を触られ、全身に電流が駆け抜けた。急速に思考が浮上し、蕩けていた眼球に切羽詰まった光が宿る。
「やめてください……!!」
つぷり尻朶を割られる感覚に、抱き寄せていた肩を力一杯、押し返した。
「うおおおおーーっ、挿れてえぇぇっ!」
幸田の突然の咆哮に度肝を抜かれた。
仰向けの裕紀の胸に伏した幸田が、突っ張る腕をものともせず、裕紀の胴を掻き抱く。
「ここまでやらせて挿れさせないお前も大概、酷いヤツだが、俺の脳を遠隔操作でコントロールしてやらせてくれない嫁はもっと酷い。鬼だ! 悪魔だ! お前もそう思うだろ?」
は……? 男らしい眉をハの字に下げた情けない顔に、思わす吹き出してしまった。
笑いが止まらなくなった裕紀に釣られ、幸田も笑い出す。
コースの2時間を経過していたが、サービスで幸田のコンクリート並に固くなったペニスを口で抜いてやった。
幸田の苦笑の理由に裕紀が気がついたのは、数日後の事だった。
日曜日の午後、仕事で中国の昆明に滞在している紅雷からメールが来た。
古銭のレプリカと、琥珀の偽物のどちらが欲しい?
「レプリカと偽物……つまり、どちらもガラクタということか」
どちらもいらないと返信した。その後、なんでだ? とか、他に何かほしい物はないかとか、矢継ぎ早にメールが届いたが無視した。
フローリングの床に寝転がって、秋晴れの空を眺めながらごろごろと頭を揺らす。
図らずも知ってしまった自分の性質に、困惑していた。
自分には、男を好きになるという要素は皆無だと信じきっていた。だからこそ、風俗も仕事と割りきる事ができた。
またメールの着信音が鳴る。今度は、スマホの電源を落としてベッドの上に放った。
幸田の苦笑の理由。幸田を紅雷と呼んだ自分の無意識に、床に転がる頭の中は混乱していた。
呼び間違え? だとしても、なんであの状況で紅雷の名前が出てくるのか。
腹や脚を這う幸田の手を、皮膚を貪る唇の温度や甘噛する歯の硬さを、思い起こすとずくりと自分の中の何かが反応する。そして、自己嫌悪に襲われる。
予感に理性が震撼する。男を……紅雷を好きになるかもしれない。考えを振り払うように、床の上でまた頭を振る。
紅雷は裕紀が男相手の風俗をしていると知った上で、友人として付き合ってくれている。裕紀が男に興味が無いことも知っているし、金を稼がなくてはならない裕紀の事情も資格を取って前進しようとしていることをわかってくれているからだ。
紅雷と話していると、自分は負け犬なんかではないと思うことが出来る。まだいけると、自分を信じることが出来る。
紅雷との友情関係を壊すなど、ありえない。
「潮時かもな」
借金はまだ残っているが、奨学金は4割弱を前倒しで返済できた。実家のローンは非正規雇用だが仕事についた父と、母のパート収入で払ってくれている。
余裕は相変わらずないし、生活がきつくなるのは目に見えているが、試してみようという気持ちになっている。
クラブをやめて健全な生活に戻せば、紅雷への気持ちも、気の迷いだったと思えるようになるに違いない。深く息を吐くと、清々しい秋の空気が肺を満たした。
「食品衛生責任者の資格、早く取らないと」
そうだ地に足をしっかりつけて、人生を立て直すんだ。
目を閉じれば、抜けるような空の薄い青が瞼の裏まで染みこんでくる。
青に浄化されながら浅い眠りへと意識は滑っていった。
夜になってスマホの電源を入れると、予想通りずらっと並んだ紅雷のメールに埋もれるように、そのメールは届いていた。
*********
「おう、司か。どうしたこんな時間に。事務所に顔出すのも久しぶりだな。ここんとこ休んでたみたいだけど、体調はもういいのか?」
水曜日 21時、曜日はともかくボーイにとっては稼ぎ時な時間帯だ。
デートクラブ、アルデバランのソファで、裕紀は所長の佐野の出社を待っていた。
「ご心配かけてすみませんでした」
アルデバランは歓楽街から少し外れた雑居ビルの4階から一番上の7階までをフォロア借りしていた。4階は事務所とボーイの待機室で、5~7階は防音の効いた客室が並ぶ。
スタッフは所長の佐野とボーイたちのスケジュールを管理するマネージャー2人だけ。それに、客室清掃のおばちゃんが1人いる。
「佐野さん、実はちょっとお願いが。俺…」
ひっきりなしにかかってくる電話の対応に追われるマネージャーたちの横で、お茶を啜る室内清掃の幸枝さんが弛んだ目蓋を上げる。
「バックヴァージン解禁にします。それと、平日のロングもどんどん入れてください」
昼間の仕事のことを考えて、平日の泊まりはNGにしていた。
「やっとその気になってくれたか。もう2年だもんなあ。司の細い腰に挿れたい~ってオファーが結構来ててな、出し惜しみもそろそろ限界だなって思ってたとこなんだよな。よし、司の気が変わらないうちにオークションにかけるか」
遠慮も恥じらいもない。さらっと下種いセリフを吐いてパソコンを開け、佐野自ら威勢良くキーを打ち始めた。
「オークション、ですか?」 自然と語尾が上がる。
そんなもの入札してまで買いたいという物好きは、河内以外にもいるとは思えないが。
「お遊びみたいなもんだが、こういうイベント事は客にウケるんだよ。司もどうせなら、ちょっとでも高く売れたほうが嬉しいだろ。入札期間は……と、今から72時間でいいか?」
落札者ナシの可能性を、佐野の頭は微塵も思いつかないらしい。目はモニターに釘付の佐野の嬉々とした横顔に、裕紀は苦笑しつつ溜息を付いた。
「お任せします。それと佐野さん、もうひとつお願いが」
「うん、なんだ? へえ…早速、エントリーがきたぞ。オイオイオイオイ……」
佐野の口調が変わり、声が裏返った 「どんどん競り上がってくぞ! 流石だな、司。勿体ぶった甲斐があったじゃないか。こりゃあ、開店以来の高値がつくかもしれん」
人聞きの悪い。佐野は、いまにも小踊りし出すんじゃないかというくらい上機嫌だ。頼むなら今だろう。
「お金を貸していただけませんか」
「あー、金か。司には稼がせてもらってるしな、まあいいけど。いくらだ?」
「取り敢えず、1千万円ほど」
ダダダとマシンガンみたいにキーを打っていた佐野の指がぴたりと止まり、幸枝さんが啜っていたお茶を吹き出した。
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