01 ,2016
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メールの返信も滅多にしない、留守電にメッセージが入っていても折り返さない。
なのに紅雷は4年ぶりの再会がよほど嬉しかったのか、無言の拒絶を気にするでもなく、無頓着とも思える鷹揚さで、近況や取るに足らない無駄話を頻繁にメールしてきた。
放っておくと着信欄が紅雷の名前で埋まってしまう勢いだ。
ビニ傘ならば無視するところだが、何やら高そうな傘も返さなくていけないしで、一度きりのつもりで仕方なく会ったが最後、メールの数が倍増した。
「お前ってさ、こんなマメな性格だっけ?」
「中国で携帯盗られて、大学時代の友達に連絡できなかったから、裕紀に会えて嬉しいんだよ」
沖縄にいる紅雷からの通話を、駐車したフロントガラスに広がる紅葉眺めながら受ける。。
「ただでさえ貴重な休みに男なんかさそってねえで、さっさと彼女つくって、そいつとLINEするなり出掛けるなりしろよ」
スマホをスピーカーに変え、まだ温い弁当のフタを開ける。ふわんと食欲をそそるスパイシーなソースの匂いに鼻腔を膨らませた。
デラックス・トンカツス・ペシャル弁当、ひとつ380円。デラックスとスペシャルがWでついて、破格のお値段だ。弁当屋で自社製品を使った弁当を、営業用の車の中で食べるのがここのところ日課だ。自分が納品した加工肉がどう調理されているのか、リサーチも兼ねて買う。
『人のことより、裕紀はどうなのよ。前に付き合ってたカワイイ子いたねー。アミちゃんね、あの子はどうなったアルね?』
紅雷は日本語を完璧に話せるくせに、わざと訛る時がある。今どきアルなんて訛る中国人もないと思うが。
「亜美って、いつの話してんだ、そんなのとっくにフラれたっつうんだ。まだ借金も残ってるし、とうぶん女と付き合う余裕は俺には無いな」
亜美は大学時代に付き合っていたコだ。卒業後も半年くらい付き合っていたたが、金欠が原因の喧嘩が絶えなかった。実家が洪水に遭いローンを返済を手伝いたいと言ったらスタンプ付きのLINEでフラれた。お涙なくては語れない悲恋物語だ。
トンカツを齧って咀嚼する。
使用されているのはアメリカ産の豚肉で、国産並とはいかないが、デラックス・スペシャルに恥じない味とボリュームだ。しっとりと火の通った肉とサクサクの衣に甘めのトンカツソースがからまって美味い。コスパの高さに感心しつつ、がつがつ食い進めた。
なんでも前向きに考える紅雷に感化されてか、職場の人間やエロ目的の客以外と話す機会が増えて見解が広がったためか、前より物事を俯瞰で考えるようになった。
仕事のこと、将来の事。考えるのを先送りにしていたボーイの仕事のことも。
ボーイは賞味期限のある仕事だ。年齢でサバを読むのとは関係なしに、お客に飽きられるときは必ずやってくる。
いつまで自分は風俗の仕事を続けるのか、ヘテロの看板はいつまで通用するのか。
デートクラブ 『アルデバラン』の店長の佐野は、人気があるうちにバックヴァージンを解禁にしないかと、やたら持ちかけてくるようになった。
散々際どい事をやっておいて今更な気はするが、自分の意思で咥えるのと、躯を開いて受け入れるのとでは精神面への影響が全く違う。一度、佐野にそれっぽいことを漏らしたら、「ふぅん、あーそ~~」 と白けた顔で流された。
奈落に落ちながらも一線を超えないのは、自分を見失わないための安全帯にしがみついているようなものだ。
河内にあの公園でレイプされていたらと想像すると、今でも背筋が寒くなる。そんなことになっていたら、襲ってきた河内以上に襲われた自分を許せなくなっていたと思う。
自分を助けてくれたのが、4年という年月を隔て現れた紅雷だったというのは。
しば漬けを口に放り込み、弁当を完食する。
紅雷も昼食を終えたのか、地元の食べ物の話とか美ら海水族館に視察に行ったこととか、他愛もないことを話している。週に1~2回は、こんな感じでランチタイムに紅雷と電話で喋る。
適当に紅雷に相槌を打ちながら弁当のパッケージを片付け、ペットボトルの蓋を開けた。
デラックスでスペシャルな味とボリュームに大満足だが、欲を言えば野菜がもっと欲しかった。緑茶を喉に流しこみながら手帳を開き、『野菜たっぷりメニュー、商品考察、提案』 と書き付け、提案の部分を丸で囲む。
第一志望ではなく、他社を落ちまくってやっと滑りこんだ会社だ。やりがいとかではなく、ただ淡々と与えられた仕事をこなす日々だった。入社4年目にして、自分の仕事に積極的に取り組みたいと思うようになった。すると、自分を取り巻く環境が面白いように変わった。
取引相手や社内でのコミュニケーションが増え、より多くの取引先も任されるようになった。近い将来、食品衛生責任者になることを見据え、空いた時間に勉強も始めている。
紅雷と再会し、追いつけないと卑屈になった日からたった3ヶ月しか経っていなかった。
『でさ、来週末の話に戻るけど、観たい映画があるんだ』
「駄目だな、来週末は埋まってる」
スマホのスケジュール帳は土日ともDのマークが入っていた。スピーカーから紅雷の不満気な溜息が返ってくる。出張の多い紅雷が週末に東京にいるのは、月に1、2回だ。そんな貴重な休みに男友達と映画とか無いだろうと笑う。
「そんなことねえし」
少し拗ねた紅雷の声に自尊心が擽られて、また紅雷に対する嫉妬や抵抗感情が取り払われてゆく。
丸2日分の時間を押さえたのは、京都の老舗織物会社の8代目、能勢 朔也だ。
新作の披露展覧会で上京する能勢とはデートだけでなく、食事の相手や時には能勢の車の運転をしたりもする。その分、時給も割増でもらえるので指名をもらった時、一も二もなく引き受けた。
能勢はスマートな男で、裕紀が嫌がるようなことはしない。借金を1日でも早く返したい裕紀に、能勢の指名を断る理由はなかった。
『そうか、残念だな。帰りに紅葉の見える庭園レストランで飯でもと思ったんだけど』
車を駐車している神社横の小路は黄色い銀杏が薄く積もる。低い白い漆喰塀から覗く、もみじの紅とのコントラストがちょっと現実離れしていて、とても綺麗だ。
「その頃には紅葉も、もう散ってるよ」
『散ってない、絶対まだ見頃だよ。土日のどっちか1日くらいどうにかならないか?』
いつもならこちらの事情を察して、すんなり引いてくれるのに、今日はやけに食い下がってくる。
一目も二目も置く友人に惜しがられているのだから当然、悪い気はしない。憧れに似た感覚は歯痒いが、今は紅雷に早く追いつきたいという気持ちを素直に認める事が出来るようになった。
「そろそろ昼休みも終わりだ。紅雷は、東京に戻って昆明だっけ。気をつけて行ってこいよな」
通話を切ると、画面のデジタル表示が13:00になる。デートクラブの仕事を始めて、何かにつけて時計をチェックする癖がついた。
「中国だって紅葉だろうよ」
紅雷は明日、一旦東京に戻ってから中国の昆明に出張する。忙しい男だ。戻るのは来週の中頃で、タイミングが合えば、車を止めているこの小路は黄金色の絨毯を敷き詰めたみたいになっているだろう。
一面金色に染まった道を見せたら、紅雷は歓ぶだろうか。
「中国人は金ピカが好きだって言うしな」
自然と口許が緩む。
ギアをドライブに入れたところで、メールの着信があった。
今夜 20時 Tホテル 1002号室 幸田 東夷 様 (新規会員)
「ふうん、写真で見るより落ち着いた感じだね」
どきりとした。店のプロフィールは大学4年生になっている。
「今どき、就職で忙しい時期なんじゃないの。それとも、もう決まった組?」
最近、会社でも雰囲気が落ち着いたとか、地に足がついてきたとか言われることがある。老けたというより、実年齢に近くなったということだと、自分にいいように解釈していたが。
「ま、いいや。君みたいな子、嫌いじゃないし。入れよ」
前室から招き入れられて、前払いで料金を貰う。
「これで本番無しなんて、君んとこ結構高いよな。あー、司くんだっけ?」
「呼び捨てで結構です、幸田様。有料になりますが、当店では一度だけチェンジ可能です。いかがなさいますか?」
幸田は革の上着をソファに脱ぎ捨てると、冷蔵庫の中の覗く。
「司って源氏名だろ、君にはあんま似合ってないな。ビールにワイン、ふーんシャンパンなんてのもあるぞ。さすが値の張るホテルは、粋なアイテム置いてるなあ。君も、何か飲むか?」
長駆を屈めて、悠長に飲み物も選ぶ背中は、シャツの上からでも締まっているのがわかる。背格好や余裕のある態度がどことなく紅雷を思い起こさせ、急に気持ちが臆してきた。
「いえ、俺は…。幸田様、チェンジはいかがされますか?」
「取り敢えず、泡系でいいな?」
幸田がシャンパンのミニボトルを手に振り返った。束の間、じっと裕紀を見てから立ち上がり、今度はフルートグラスを2つ取り出す。
「チェンジは面倒臭いし、いいや。どうせ、挿れられねえしな」
「は?」
薄いピンクの液体が入ったグラスを渡された。先に自分のグラスを一気に飲み干した幸田が、それで商談成立とばかりにさっさと服を脱ぎ出した。
グラス片手に戸惑う裕紀に、幸田がにやりと笑う。
「嫁がおっかねーのよ」
「ご結婚されてるんですね」
そういう客は少なくない。実生活は異性と結婚をして普通に子供もいる。だが本当の性癖を隠し自分を偽る生活に疲れ、救いを求めるように金で男を売るデートクラブに電話を掛けてくる。
「ま、嫁っつうても、男だけどな。嫉妬深いクセに演奏旅行とかなんだっていって、亭主の俺をひと月もほっぽり出すんだからな。マジ信じられねえ。鬼だなヤツは、鬼嫁。だから…」
一糸まとわぬ姿になった幸田が、惜しげも無く引き締まった裸体を晒し、裕紀の腕を掴んでにやりと笑う。
「今夜は、お前をとことん可愛がってやるから覚悟しろよ、司。先ずは手始めにシャワーだ」

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