01 ,2016
<1>
満足気な息を吐いた男が仰向けに寝転るがと、安っぽいスプリングの音が重そうにギシギシ音を立てた。
「司 (つかさ) くんとできるなら、20万出しても惜しくないなあ。ねえ、もうそろそろ挿れてくれてもいいんじゃないの。君だって金が欲しいからこんな仕事しているんだろう?」
"こんな"仕事に就く男を、週も明けず ”ご指名” してくる奴に言われてもなと内心で苦笑し、エグみのある粘液をテイッシュに吐き出した。一刻も早く口の中を消毒したい。
「司くんの力になりたいんだよ。学費を稼ぎたいなら、高値がつくうちに売ったほうが得だよ」
最悪な言葉を連発した男が返答代わりに浮かべた愛想笑を勘違いし、肉付きのよい指で腰を引き寄せた。近くなった顔に、粘ついた視線をなすりつけてくる。吐き出した汚い粘液を再度、顔に塗りたくられるようなきがして、気が滅入った。
「それとも、指名を増やす方がいい?」
気取られぬようにベッドサイドに置いたデジタル時計を目で確認する。
21:45 コースはまだ15分も残っている。落胆は顔に出さず、微笑んだ。
「ご厚意は十分に頂戴しております。これ以上は、河内様にもご迷惑がかかるのでは。お気持ち有難く頂いておきますね」
頬を撫でていた手が、鎖骨を伝い胸の尖りを弄りだす。
そのネチこい弄り方に、内心うんざりしているのに、躯はざわりと反応する。こういう時、男の躯は単純過ぎて始末に終えないと思い、またその単純さで稼ぐ自分のあざとさにも呆れて失笑しそうになった。
「ねえ司の携番教えてよ。店抜きで直接会えば、その分デート代が全部、稼ぎになるから司も得だろう」
「何度も申し上げた通り、店を抜いてのデートは固く禁じられていますので。その手の誘いは違反で、除名対象になりますよ」
胸からやんわり手をどけると、またフェラチオを強請られた。ほんの数分数秒だって無駄にしたくないらしい。
「2人だけの秘密にすれば大丈夫。誰にもバレないさ。僕はね窮屈な規約なんか取っ払って、もっと自由に司といろんなことがしたいんだ。わかるでしょ?」
わかりません。脳内は即答だが、現実は伏せた頭を股間に深く押さえつけられ、不快感に嘔吐きそうになる。口の中のモノを噛み千切ってやろうかと脳裏を掠めるが、想像だけで本当に吐きそうになり、翌日の納品先と加工肉の数量のことを考えて気を紛らわせた。
河内には、プライベートで会おうとしつこくせがまれ辟易していた。
他にも駄目だというのに写真を撮ろうとしたり、帰り際に放してくれなかったりと違反行為のオンパレードだ。最近は言動がエスカレートしてきて時々、怖くなる時がある。
こういう商売にトラブルはつきもので、質の高い店ほどそういう客には警戒する。
会員制のデートクラブ・アルデバランに登録するには、それなりの客筋であることを保証する紹介者の口添えが必要だ。身元や職業はもちろん、人によっては本人には告知せず犯罪歴や身辺関係まで調べられることもあるという。
河内の家は祖父が会社を起こし、父親がそれを継いだと聞いている。次は河内の番だが、器ではないと判断されたのだろう。妹婿が跡を継ぎ、河内は役員名簿に名前だけ連ねているのだという。
遊んでいても金の方からが寄ってくる。それが河内の口癖だ。
頻繁にクラブを利用してくれるが遊び方がねちこく、今日みたいに携帯番号を聞き出そうとしたり、禁止されている道具を使いたがったりとボーイ間での評判は良くない。河内を紹介した男も、指名したボーイに酷いSM行為を強要し先刻除名処分を受けたばかりだ。
困ったことに、他のボーイの代理で相手をしてから、河内は自分ばかりを指名してくるようになった。
「終わりました。それと、ちょっとお伝えしてておきたいことが…」
やっと河内から開放され、駅に向かいながら店にを携帯で報告する。河内のルール違反も正直に話した。デートクラブといえば多少耳障りはソフトだが、所詮は風俗だ。トラブル時に店がしっかり守ってくれないなければ、デート嬢やボーイは傷つき泣き寝入りすることになる。
昼間は会社員として働き、夜は大学生と偽って男に奉仕して金を貰う。
平凡と非日常、対極する2つの世界を行き来する生活。
夜が帳をおろす頃、会社を出て駅に向かうその間にちらちらと零れるように日常から抜け落ちていく。そして陽が昇れば、またどこにでもいる平凡な会社員の皮を被り、肉を運んで納品書を切るのだ。
あれから河内の指名はぱったりと入らなくなった。後になって、ボーイ仲間から河内が除名処分されたことを聞かされた。
その河内が再び目の前に現れたのは、それから2ヶ月ほども経った夏の夜だった。
利便性も高い都内の住宅街に建つ外国人向けレジデンスは、入居審査も厳しいとの噂だ。この高級住宅街界隈でも、賃貸価格が飛び抜けて高いレジデンスの2室を、VIP用の客室としてデートクラブが使用していることを住人は知らない。
その夜は、新作発表会で上京する度に指名をくれる京都の老舗織物会社の8代目若社長に呼ばれて訪れていた。過ぎた額のチップにほくそ笑みながら、二件目の仕事をキャンセルする手立てはないかと考えながら門を出たところで、見覚えのある小太りな男と出くわした。
一般会員は知り得ないはずの、VIP室のあるこのレジデンスを、河内は一体どうやって突き止めたのか。ドロリと濁った焦点の合わない目を向けてくる河内に、頭の中で警笛が鳴る。
本来なら外で客を見かけてもこちらから声を掛けるのはご法度だが、 「お久しぶりですね」 と親しみを込めて話しかけた。河内からの反応はなく、行く手を立ち塞いだまま退いてくれる気配もない。
面倒臭いことになったと思った。
「司くん、本当に…久しぶりだね」
口元が引き攣ったように持ち上がるも、顔の他のパーツは全然笑っていない。
どこか安定の欠いた薄気味悪い目つきで近づいてくる男に、歩道に下りかけた足が本能的に後ろに退いた。
「いいね、いいね。司くん現役の大学生のはずなのに、そういう大人びた格好もすごくよく似合うよね」
どこか引っかかる河内の物言いに、内心ひやりとした。
VIP室を使う客は、世間体を気を使わなければいけない立場にある客だ。訪れる時は、なるべく馴染む格好を選ぶようにと、店からも言われていた。
この日は、顧客の相談に訪れた保険会社の社員風を装っている。スーツは、食肉を扱う会社の営業部に勤める自分が持っている中で一番、ましなものを選んできた。
鞄の中には仕事の書類や名刺と一緒に、二軒目用の着替えが入っている。
「司くん、僕のこと除名しろってクラブに頼んだんでしょ」
「とんでもない、そんなことは一言も……え!?」
いきなり飛びついてきた河内に鞄をもぎ取られた。一瞬何が起こったのかと唖然としている間に、運動とは無縁な体型の背中が鞄を脇に抱え、すばしっこく公園の中に逃げるのを見て血の気が引いた。
「待ってください河内様! 誤解です。その鞄を返してください」
もし鞄の中を見られたら大学生でないことはもとより、本名や住所、勤務先までバレてしまう。それだけは、絶対に阻止しなければならない。
迷うこと無く、河内を追って暗い山吹の茂みを分け入った。
「河内様……うわっ」
隠れて待ち構えていた河内にいきなり横手からタックルを食らい、太い木の根っこで膝を強打した。痛みで蹲った躯を半ば引き摺るように奥に引っ張りこまれ、地面に転がされた。
「じゃあ誰が、僕を除名しろって言ったっていうんだ?」
暗い地面で膝を押さえ、外灯の光が僅かに届く暗がりで仁王立ちの河内を見上げる。河内が鬼気迫る形相で今しがた打ち付けたばかりの膝を蹴った。
「やめてください、誤解……」
除名しろとは言っていない、事実を話しただけだ。
痛みに悲鳴を上げるが、夜の公園に誰かが駆けつける気配はない。力一杯また蹴られ、地面の上でもんどり打った。
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満足気な息を吐いた男が仰向けに寝転るがと、安っぽいスプリングの音が重そうにギシギシ音を立てた。
「司 (つかさ) くんとできるなら、20万出しても惜しくないなあ。ねえ、もうそろそろ挿れてくれてもいいんじゃないの。君だって金が欲しいからこんな仕事しているんだろう?」
"こんな"仕事に就く男を、週も明けず ”ご指名” してくる奴に言われてもなと内心で苦笑し、エグみのある粘液をテイッシュに吐き出した。一刻も早く口の中を消毒したい。
「司くんの力になりたいんだよ。学費を稼ぎたいなら、高値がつくうちに売ったほうが得だよ」
最悪な言葉を連発した男が返答代わりに浮かべた愛想笑を勘違いし、肉付きのよい指で腰を引き寄せた。近くなった顔に、粘ついた視線をなすりつけてくる。吐き出した汚い粘液を再度、顔に塗りたくられるようなきがして、気が滅入った。
「それとも、指名を増やす方がいい?」
気取られぬようにベッドサイドに置いたデジタル時計を目で確認する。
21:45 コースはまだ15分も残っている。落胆は顔に出さず、微笑んだ。
「ご厚意は十分に頂戴しております。これ以上は、河内様にもご迷惑がかかるのでは。お気持ち有難く頂いておきますね」
頬を撫でていた手が、鎖骨を伝い胸の尖りを弄りだす。
そのネチこい弄り方に、内心うんざりしているのに、躯はざわりと反応する。こういう時、男の躯は単純過ぎて始末に終えないと思い、またその単純さで稼ぐ自分のあざとさにも呆れて失笑しそうになった。
「ねえ司の携番教えてよ。店抜きで直接会えば、その分デート代が全部、稼ぎになるから司も得だろう」
「何度も申し上げた通り、店を抜いてのデートは固く禁じられていますので。その手の誘いは違反で、除名対象になりますよ」
胸からやんわり手をどけると、またフェラチオを強請られた。ほんの数分数秒だって無駄にしたくないらしい。
「2人だけの秘密にすれば大丈夫。誰にもバレないさ。僕はね窮屈な規約なんか取っ払って、もっと自由に司といろんなことがしたいんだ。わかるでしょ?」
わかりません。脳内は即答だが、現実は伏せた頭を股間に深く押さえつけられ、不快感に嘔吐きそうになる。口の中のモノを噛み千切ってやろうかと脳裏を掠めるが、想像だけで本当に吐きそうになり、翌日の納品先と加工肉の数量のことを考えて気を紛らわせた。
河内には、プライベートで会おうとしつこくせがまれ辟易していた。
他にも駄目だというのに写真を撮ろうとしたり、帰り際に放してくれなかったりと違反行為のオンパレードだ。最近は言動がエスカレートしてきて時々、怖くなる時がある。
こういう商売にトラブルはつきもので、質の高い店ほどそういう客には警戒する。
会員制のデートクラブ・アルデバランに登録するには、それなりの客筋であることを保証する紹介者の口添えが必要だ。身元や職業はもちろん、人によっては本人には告知せず犯罪歴や身辺関係まで調べられることもあるという。
河内の家は祖父が会社を起こし、父親がそれを継いだと聞いている。次は河内の番だが、器ではないと判断されたのだろう。妹婿が跡を継ぎ、河内は役員名簿に名前だけ連ねているのだという。
遊んでいても金の方からが寄ってくる。それが河内の口癖だ。
頻繁にクラブを利用してくれるが遊び方がねちこく、今日みたいに携帯番号を聞き出そうとしたり、禁止されている道具を使いたがったりとボーイ間での評判は良くない。河内を紹介した男も、指名したボーイに酷いSM行為を強要し先刻除名処分を受けたばかりだ。
困ったことに、他のボーイの代理で相手をしてから、河内は自分ばかりを指名してくるようになった。
「終わりました。それと、ちょっとお伝えしてておきたいことが…」
やっと河内から開放され、駅に向かいながら店にを携帯で報告する。河内のルール違反も正直に話した。デートクラブといえば多少耳障りはソフトだが、所詮は風俗だ。トラブル時に店がしっかり守ってくれないなければ、デート嬢やボーイは傷つき泣き寝入りすることになる。
昼間は会社員として働き、夜は大学生と偽って男に奉仕して金を貰う。
平凡と非日常、対極する2つの世界を行き来する生活。
夜が帳をおろす頃、会社を出て駅に向かうその間にちらちらと零れるように日常から抜け落ちていく。そして陽が昇れば、またどこにでもいる平凡な会社員の皮を被り、肉を運んで納品書を切るのだ。
あれから河内の指名はぱったりと入らなくなった。後になって、ボーイ仲間から河内が除名処分されたことを聞かされた。
その河内が再び目の前に現れたのは、それから2ヶ月ほども経った夏の夜だった。
利便性も高い都内の住宅街に建つ外国人向けレジデンスは、入居審査も厳しいとの噂だ。この高級住宅街界隈でも、賃貸価格が飛び抜けて高いレジデンスの2室を、VIP用の客室としてデートクラブが使用していることを住人は知らない。
その夜は、新作発表会で上京する度に指名をくれる京都の老舗織物会社の8代目若社長に呼ばれて訪れていた。過ぎた額のチップにほくそ笑みながら、二件目の仕事をキャンセルする手立てはないかと考えながら門を出たところで、見覚えのある小太りな男と出くわした。
一般会員は知り得ないはずの、VIP室のあるこのレジデンスを、河内は一体どうやって突き止めたのか。ドロリと濁った焦点の合わない目を向けてくる河内に、頭の中で警笛が鳴る。
本来なら外で客を見かけてもこちらから声を掛けるのはご法度だが、 「お久しぶりですね」 と親しみを込めて話しかけた。河内からの反応はなく、行く手を立ち塞いだまま退いてくれる気配もない。
面倒臭いことになったと思った。
「司くん、本当に…久しぶりだね」
口元が引き攣ったように持ち上がるも、顔の他のパーツは全然笑っていない。
どこか安定の欠いた薄気味悪い目つきで近づいてくる男に、歩道に下りかけた足が本能的に後ろに退いた。
「いいね、いいね。司くん現役の大学生のはずなのに、そういう大人びた格好もすごくよく似合うよね」
どこか引っかかる河内の物言いに、内心ひやりとした。
VIP室を使う客は、世間体を気を使わなければいけない立場にある客だ。訪れる時は、なるべく馴染む格好を選ぶようにと、店からも言われていた。
この日は、顧客の相談に訪れた保険会社の社員風を装っている。スーツは、食肉を扱う会社の営業部に勤める自分が持っている中で一番、ましなものを選んできた。
鞄の中には仕事の書類や名刺と一緒に、二軒目用の着替えが入っている。
「司くん、僕のこと除名しろってクラブに頼んだんでしょ」
「とんでもない、そんなことは一言も……え!?」
いきなり飛びついてきた河内に鞄をもぎ取られた。一瞬何が起こったのかと唖然としている間に、運動とは無縁な体型の背中が鞄を脇に抱え、すばしっこく公園の中に逃げるのを見て血の気が引いた。
「待ってください河内様! 誤解です。その鞄を返してください」
もし鞄の中を見られたら大学生でないことはもとより、本名や住所、勤務先までバレてしまう。それだけは、絶対に阻止しなければならない。
迷うこと無く、河内を追って暗い山吹の茂みを分け入った。
「河内様……うわっ」
隠れて待ち構えていた河内にいきなり横手からタックルを食らい、太い木の根っこで膝を強打した。痛みで蹲った躯を半ば引き摺るように奥に引っ張りこまれ、地面に転がされた。
「じゃあ誰が、僕を除名しろって言ったっていうんだ?」
暗い地面で膝を押さえ、外灯の光が僅かに届く暗がりで仁王立ちの河内を見上げる。河内が鬼気迫る形相で今しがた打ち付けたばかりの膝を蹴った。
「やめてください、誤解……」
除名しろとは言っていない、事実を話しただけだ。
痛みに悲鳴を上げるが、夜の公園に誰かが駆けつける気配はない。力一杯また蹴られ、地面の上でもんどり打った。
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