06 ,2013
「なべて世はこともなし」は、『卯月屋文庫』 の紙森様との、リレー小説です。
一週間の出来事を、交代で書かせて頂きました。
6話のお話を、各サイトにて毎日1話ずつ曜日に合わせて更新いたします。
なべて世はこともなし 土曜日→日曜日
一気に昇りつめた体温が、限界を振り切ったように灼熱に変わる。
逃がしようのない熱は、戸惑いが捨てきれない身体や思考をぐずぐずと焼き尽くしてゆく。
底の見えない欲情と、後から後から生まれてくる新たな熱。
「も、アカン……アカンて。設樂、もう止めて、息ができへんようなる」
「まだやで、アツ。もうちょっと、我慢しといて」
熱を生む塊を呑まされた柔らかな窪みに、内腿を割っていた指が侵入してくる。それまで丸くなって快感に耐えていた背中が、バネのようにしなり仰け反った。
短く切羽詰まった声を上げる喉に手がかかり、厚みのある唇が息を吐ききった口を塞ぐ。呼吸を奪われ、迸る放出を絡みつく長い指に止められ、代わりに最奥で熱い迸りを受けさせられた。
「止めるんは、ソレちゃ……う! ア…、阿呆ゥ…っ!!」
「やりすぎや。お前は一体、オレをどこに連れて行こゆうねん?」
躰の節々に残るけだるさを愚痴る淳明の隣で、設樂はのんびり煙草をふかしている。
波の音に紛れて、早朝の海岸を散歩する犬の鳴き声が聞こえてきた。
今日が日曜日で助かった。山下淳明(あつはる)は、まだ靄のかかった頭を枕に埋めて息を吐いた。
「ああ゛? どこも行く気ないけど? 今日は日曜やで。家でアツと一日中、イチャイチャする予定やし」
「一日中って、マジでお前はオレを殺す気か? そうゆう意味ちゃうやろ。ホンマにお前って男は、とことん自己中な男やな」
「殺すやなんて、とんでもないわ。大切なアツを俺が殺すわけないやん。これでも俺的には、めっちゃ譲歩して、セーブしてんねんけど?」
「これの、どこがセーブやねん? 」
淡く潤みを残した目で、疑わしげに見上げる淳明の髪に設樂がチュッと接吻ける。
「ホンマ可愛ええな、アツ。高校ん時から知っとったのに、なんで気ィ付かへんかったんやろ」
「そういう恥ずかしいこと、口にすんな」
目許を染め閉口する淳明に、設樂が煙草をもみ消し覆いかぶさる。
「勿体ないことしてもたって、後悔の嵐、真っ只中やねん。だからその分、いま取り返させて」
逃げかけた肩を捕まえ、設樂は笑いながら淳明の額に接吻けを落とした。
「お前、やっぱりオレを殺す気やろ」
「もう一晩。今晩もここに泊まるって言うてくれたら我慢するで」
「それは、無理。着替えも、明日の定例会の資料もマンションやし」
「そやったら、今はもう諦めて」
「設樂…」
設樂は笑みを消した唇を、緩く解けた淳明の唇に重ねた。
夜の向こうから聞こえる波の音と、口の中に広がった煙草の香りがとても似合っている。淳明は、波に攫われる頭の隅でそんなことを思った。
設楽との出会いは、高校時代だった。
学校は違っていたが、バスケの練習試合で何度も顔を合わせ、互いの存在はよく知っていた。それが隣県の大学で再び顔を合わせた時はお互い驚いた。
当時、既にゲイを自覚していた設樂の5年に及ぶ猛烈なアタックの末、淳明が折れるかたちで付き合いだして2年が経つ。
「好きやで」「惚れてんねん」 と、念仏のように唱え続ける設樂を、淳明はずっと鬱陶しいと思っていたし、実際、本人を前にして堂々と口にもしていた。
だが歳月とは怖しいもので、いつしか隣で好きだ何だと念仏を唱える男がいることが、淳明の平常になっていた。長年、粘り強く刷り込みを続けた設樂の大勝利というわけだ。
最初こそ渋々つき合い出したが、今では設樂と同じくらい、いやそれ以上に設樂のことを好きだと淳明は自負している。
設樂は、淳明の会社と取引のあるITを主軸とする企業に勤めている。
ベタな関西弁を封印した会社での設楽は、スマートな容姿やいかにも切れ者といった判断の速さで淳明の会社で評判がいい。
もちろん、恋人の評価が高いことは淳明にとっても悪い気分ではない。
だがこうして淳明といる時の設樂は、世話焼きでユーモラスで三枚目な男になる。自分だけが知る設樂が嬉しい。などと、本人を前にまったくもって言う気はないが。
改めて設樂が好きなのだと自覚する時、淳明は腹のあたりがこそばゆいような気分になる。
「まだ寝とってええで。メシ出来たら声掛けるし、それまでテレビでも見とく?」
「いや、いい」
海辺の街を、雲ひとつない空が覆う。陽は既に傾き、海岸沿いのワンルームを柔らかい海風が吹き抜けてゆく。結局、貴重な日曜日を設楽とだらだら過してしまったことを反省しつつ、淳明はベッドの中からキッチンで手際よく食事の支度をする姿を眺めた。
波の音をBGMにゆったり時間が流れている。こんな休日の午後も淳明は嫌いではない。
「サラダにプルーン刻んで入れといたから食べや」
「ドライフルーツは嫌いって知ってるくせに。嫌がらせかよ。特にプルーンの鉄臭さは想像するだけで吐きそうになる」
コーヒーをセットしながら、嘆かわし気に設樂は首を振った。
「そんな偏食ばっかしてるから、アツはいつまでも低血圧なままなんや」
「うるさいな。お前は、俺の母親か?」
売り言葉に買い言葉。高校時代から変ることのない軽い言葉の遣り取りが心地が良い。フィルターに湯を注ぎつつ、裸でタオルケットに包まったままの淳明をチラリと見て設楽が笑う。
「ヤラシイ目で笑うな。気持ち悪い」
「オカンとしては、息子のめざましい成長ぶりに目を細めんのは当然やん。アツはホンマ教え甲斐あるムスコで、オカンは嬉しいわ」
そう言うと設楽は、ケトルを下ろした手でそっと脂下がった目尻を押さえた。
「お前、真性のアホやろ」
ノンケだった自分が、同じ男である設樂にここまでめり込もうとは、正直、自分でも意外だった。
同性という垣根を飛び越え、友人の枠から抜けだした関係は、思いのほか居心地よかったのだから仕方ない。
それは、設樂が自分を大事にしてくれているからだということも知っている。
状況を冷静に判断すると、色々と考えなければいけない事もないわけではない。が、現状の心地良さに、問題直視を先延ばしにしている自分がいることもわかっている。
「ん、なんだ? この黒いのは」
脱ぎ捨てた服を身につけようと、床に手を伸ばしかけて気が付いた。ベッドとマットの隙間に何か黒いものが挟まっている。
端っこを摘んで引っ張りだすと、幅の広いレザーのブレスレットが出てきた。ハードな感じのする分厚い本革。外側にもう一本細いベルトが巻き付き、そこから輪っかのついた短いチェーンがぶら下がっている。持ち上げると結構な重みがあり、見かけより頑丈なのがわかる。
手首に沿うようなタイトなデザインはブレスレットというより、手枷という方が相応しい。
ハードなデザインのブレスレットは、意外とノーブルな趣味を持つ設樂の好みとは違う気がした。第一、どう見てもサイズが設楽の手首より細い。
「なんだこれ。あ……」
不意に、ブレスレットが淳明の手の中から消えた。
「アツ、メシが出来たぞ。食おうぜ」
ブレスレットを素早くカーゴパンツのポケットに突っ込んだ設樂が、訝しげに見上げる淳明にぎこちなく笑う。出来損ないのハリボテ並みに不審な笑顔だ。ここまで焦る設樂を、淳明はあまり見たことがない。
怪しすぎる。
まさかと思う気持ちと、絶対怪しいと疑う心が混濁して、何をどう問いかければいいのかわからない。
ぽかんと固まる淳明を、設樂はダイニングテーブルに促した。
「せっかくのペスカトーレが冷めてしまうやん。力作やねん、早よ食お」
淳明は自分の服を拾い上げ、釈然としない気持ちで身に着けてゆく。その姿を、ポケットの中のブレスレットを撫でながら、締りのない顔で嬉しそうに眺める設樂に淳明は気付かない。
日にちが切り替わる頃、設樂が車の中でまたゴネ出した。
毎日曜の夜、淳明を送る車の中で2人はいつも同じ諍いを繰り返す。
「アツ、やっぱりもう一晩泊まってや。早朝、俺がマンションまで送るやん」
「しつこいで、設樂。なんぼいうても、アカンもんはアカン。今晩もお前に付き合ったら、オレは明日仕事にならんようになる。それにオレは、お前となし崩しのいい加減な生活になっていくんは嫌やねん」
「ほんなら、思い切ってこっちに越してきたらええやん。なあ、一緒に住も」
「無理」
「なんでそない、いっつも判でついたみたいに即行で却下すんの?」
聞き分けの悪い設樂が声を尖らせる。
「エエ歳して拗ねんな。お前はガキか?」
「母親にされたり、ガキにされたり今日は忙しいわ。それよか、なんでここまで付き合って、同棲できへんのか。アツ、ちゃんと説明してや」
同棲を承諾しない淳明に納得せず、ゴネる設樂はいつもの設楽と変わらない。それなのに、淳明は心の中に生まれた疑念は膨らむ一方で全く晴れようとしない。
あのブレスレットは、設樂のものではない。じゃあ、誰のだ。
自分たちに一体何が起こっているのか、急な展開で頭の中がごった返して収集がつかない。苛立ちは、そのまま淳明の態度に出た。
「先ず、職場が遠くなる。満員電車にも乗らなアカンようになる。お前の部屋に男二人は狭すぎるし、近所にコンビニもない。体裁つかんし、同棲する理由の説明もオレは親にようせん。それに……」
「ようそんだけ並べてくれたな。それにって、まだなんよ?」
あのブレスレットが誰のものか、なぜ設樂のベッドから出たきたのか。一旦、疑問を口にすると、逃げ道を意で塞いで設樂を問い詰めてしまいそうな、弱い自分がいる。
欲しくてたまらなかった物が手に入った途端、気持ちが冷めてしまった。そんなこと、よくあることだ。
付き合って2年。5年もの間、好きだと言い続けてくれた設樂だが、実際に付き合ってみて本当は淳明にがっかりしているのかもしれない。
設樂はゲイだが、所詮自分は違う。
見目もよく優しく、情も厚い設樂に”その気”があれば、恋人に立候補したがゲイの男はいくらでもいるはずだ。
その中に、設楽より手首の細い男がいてもおかしくない。
山が迫る海沿いの道路を走る車はいつしか、100万ドルの夜景と謳われた都会の高速に乗る。どんより濁った険悪な沈黙のまま、車は淳明のマンションの前に着いた。
「アツ、待ってや。さっきの”それに”の答え、まだ聞いてへん」
降りようとした淳明の腕を、設樂が捕らえる。
沈黙する淳明に設楽は小さく息を吐く。
「なあ、ほんなら明日の……今日の晩もこっちに来うへん?」
「オレは、無理やて言ったで」
淳明の硬い拒絶の声に、設楽は手を放した。
月曜日 >>

◆ なべて世はこともなし ◆
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一週間の出来事を、交代で書かせて頂きました。
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なべて世はこともなし 土曜日→日曜日
一気に昇りつめた体温が、限界を振り切ったように灼熱に変わる。
逃がしようのない熱は、戸惑いが捨てきれない身体や思考をぐずぐずと焼き尽くしてゆく。
底の見えない欲情と、後から後から生まれてくる新たな熱。
「も、アカン……アカンて。設樂、もう止めて、息ができへんようなる」
「まだやで、アツ。もうちょっと、我慢しといて」
熱を生む塊を呑まされた柔らかな窪みに、内腿を割っていた指が侵入してくる。それまで丸くなって快感に耐えていた背中が、バネのようにしなり仰け反った。
短く切羽詰まった声を上げる喉に手がかかり、厚みのある唇が息を吐ききった口を塞ぐ。呼吸を奪われ、迸る放出を絡みつく長い指に止められ、代わりに最奥で熱い迸りを受けさせられた。
「止めるんは、ソレちゃ……う! ア…、阿呆ゥ…っ!!」
「やりすぎや。お前は一体、オレをどこに連れて行こゆうねん?」
躰の節々に残るけだるさを愚痴る淳明の隣で、設樂はのんびり煙草をふかしている。
波の音に紛れて、早朝の海岸を散歩する犬の鳴き声が聞こえてきた。
今日が日曜日で助かった。山下淳明(あつはる)は、まだ靄のかかった頭を枕に埋めて息を吐いた。
「ああ゛? どこも行く気ないけど? 今日は日曜やで。家でアツと一日中、イチャイチャする予定やし」
「一日中って、マジでお前はオレを殺す気か? そうゆう意味ちゃうやろ。ホンマにお前って男は、とことん自己中な男やな」
「殺すやなんて、とんでもないわ。大切なアツを俺が殺すわけないやん。これでも俺的には、めっちゃ譲歩して、セーブしてんねんけど?」
「これの、どこがセーブやねん? 」
淡く潤みを残した目で、疑わしげに見上げる淳明の髪に設樂がチュッと接吻ける。
「ホンマ可愛ええな、アツ。高校ん時から知っとったのに、なんで気ィ付かへんかったんやろ」
「そういう恥ずかしいこと、口にすんな」
目許を染め閉口する淳明に、設樂が煙草をもみ消し覆いかぶさる。
「勿体ないことしてもたって、後悔の嵐、真っ只中やねん。だからその分、いま取り返させて」
逃げかけた肩を捕まえ、設樂は笑いながら淳明の額に接吻けを落とした。
「お前、やっぱりオレを殺す気やろ」
「もう一晩。今晩もここに泊まるって言うてくれたら我慢するで」
「それは、無理。着替えも、明日の定例会の資料もマンションやし」
「そやったら、今はもう諦めて」
「設樂…」
設樂は笑みを消した唇を、緩く解けた淳明の唇に重ねた。
夜の向こうから聞こえる波の音と、口の中に広がった煙草の香りがとても似合っている。淳明は、波に攫われる頭の隅でそんなことを思った。
設楽との出会いは、高校時代だった。
学校は違っていたが、バスケの練習試合で何度も顔を合わせ、互いの存在はよく知っていた。それが隣県の大学で再び顔を合わせた時はお互い驚いた。
当時、既にゲイを自覚していた設樂の5年に及ぶ猛烈なアタックの末、淳明が折れるかたちで付き合いだして2年が経つ。
「好きやで」「惚れてんねん」 と、念仏のように唱え続ける設樂を、淳明はずっと鬱陶しいと思っていたし、実際、本人を前にして堂々と口にもしていた。
だが歳月とは怖しいもので、いつしか隣で好きだ何だと念仏を唱える男がいることが、淳明の平常になっていた。長年、粘り強く刷り込みを続けた設樂の大勝利というわけだ。
最初こそ渋々つき合い出したが、今では設樂と同じくらい、いやそれ以上に設樂のことを好きだと淳明は自負している。
設樂は、淳明の会社と取引のあるITを主軸とする企業に勤めている。
ベタな関西弁を封印した会社での設楽は、スマートな容姿やいかにも切れ者といった判断の速さで淳明の会社で評判がいい。
もちろん、恋人の評価が高いことは淳明にとっても悪い気分ではない。
だがこうして淳明といる時の設樂は、世話焼きでユーモラスで三枚目な男になる。自分だけが知る設樂が嬉しい。などと、本人を前にまったくもって言う気はないが。
改めて設樂が好きなのだと自覚する時、淳明は腹のあたりがこそばゆいような気分になる。
「まだ寝とってええで。メシ出来たら声掛けるし、それまでテレビでも見とく?」
「いや、いい」
海辺の街を、雲ひとつない空が覆う。陽は既に傾き、海岸沿いのワンルームを柔らかい海風が吹き抜けてゆく。結局、貴重な日曜日を設楽とだらだら過してしまったことを反省しつつ、淳明はベッドの中からキッチンで手際よく食事の支度をする姿を眺めた。
波の音をBGMにゆったり時間が流れている。こんな休日の午後も淳明は嫌いではない。
「サラダにプルーン刻んで入れといたから食べや」
「ドライフルーツは嫌いって知ってるくせに。嫌がらせかよ。特にプルーンの鉄臭さは想像するだけで吐きそうになる」
コーヒーをセットしながら、嘆かわし気に設樂は首を振った。
「そんな偏食ばっかしてるから、アツはいつまでも低血圧なままなんや」
「うるさいな。お前は、俺の母親か?」
売り言葉に買い言葉。高校時代から変ることのない軽い言葉の遣り取りが心地が良い。フィルターに湯を注ぎつつ、裸でタオルケットに包まったままの淳明をチラリと見て設楽が笑う。
「ヤラシイ目で笑うな。気持ち悪い」
「オカンとしては、息子のめざましい成長ぶりに目を細めんのは当然やん。アツはホンマ教え甲斐あるムスコで、オカンは嬉しいわ」
そう言うと設楽は、ケトルを下ろした手でそっと脂下がった目尻を押さえた。
「お前、真性のアホやろ」
ノンケだった自分が、同じ男である設樂にここまでめり込もうとは、正直、自分でも意外だった。
同性という垣根を飛び越え、友人の枠から抜けだした関係は、思いのほか居心地よかったのだから仕方ない。
それは、設樂が自分を大事にしてくれているからだということも知っている。
状況を冷静に判断すると、色々と考えなければいけない事もないわけではない。が、現状の心地良さに、問題直視を先延ばしにしている自分がいることもわかっている。
「ん、なんだ? この黒いのは」
脱ぎ捨てた服を身につけようと、床に手を伸ばしかけて気が付いた。ベッドとマットの隙間に何か黒いものが挟まっている。
端っこを摘んで引っ張りだすと、幅の広いレザーのブレスレットが出てきた。ハードな感じのする分厚い本革。外側にもう一本細いベルトが巻き付き、そこから輪っかのついた短いチェーンがぶら下がっている。持ち上げると結構な重みがあり、見かけより頑丈なのがわかる。
手首に沿うようなタイトなデザインはブレスレットというより、手枷という方が相応しい。
ハードなデザインのブレスレットは、意外とノーブルな趣味を持つ設樂の好みとは違う気がした。第一、どう見てもサイズが設楽の手首より細い。
「なんだこれ。あ……」
不意に、ブレスレットが淳明の手の中から消えた。
「アツ、メシが出来たぞ。食おうぜ」
ブレスレットを素早くカーゴパンツのポケットに突っ込んだ設樂が、訝しげに見上げる淳明にぎこちなく笑う。出来損ないのハリボテ並みに不審な笑顔だ。ここまで焦る設樂を、淳明はあまり見たことがない。
怪しすぎる。
まさかと思う気持ちと、絶対怪しいと疑う心が混濁して、何をどう問いかければいいのかわからない。
ぽかんと固まる淳明を、設樂はダイニングテーブルに促した。
「せっかくのペスカトーレが冷めてしまうやん。力作やねん、早よ食お」
淳明は自分の服を拾い上げ、釈然としない気持ちで身に着けてゆく。その姿を、ポケットの中のブレスレットを撫でながら、締りのない顔で嬉しそうに眺める設樂に淳明は気付かない。
日にちが切り替わる頃、設樂が車の中でまたゴネ出した。
毎日曜の夜、淳明を送る車の中で2人はいつも同じ諍いを繰り返す。
「アツ、やっぱりもう一晩泊まってや。早朝、俺がマンションまで送るやん」
「しつこいで、設樂。なんぼいうても、アカンもんはアカン。今晩もお前に付き合ったら、オレは明日仕事にならんようになる。それにオレは、お前となし崩しのいい加減な生活になっていくんは嫌やねん」
「ほんなら、思い切ってこっちに越してきたらええやん。なあ、一緒に住も」
「無理」
「なんでそない、いっつも判でついたみたいに即行で却下すんの?」
聞き分けの悪い設樂が声を尖らせる。
「エエ歳して拗ねんな。お前はガキか?」
「母親にされたり、ガキにされたり今日は忙しいわ。それよか、なんでここまで付き合って、同棲できへんのか。アツ、ちゃんと説明してや」
同棲を承諾しない淳明に納得せず、ゴネる設樂はいつもの設楽と変わらない。それなのに、淳明は心の中に生まれた疑念は膨らむ一方で全く晴れようとしない。
あのブレスレットは、設樂のものではない。じゃあ、誰のだ。
自分たちに一体何が起こっているのか、急な展開で頭の中がごった返して収集がつかない。苛立ちは、そのまま淳明の態度に出た。
「先ず、職場が遠くなる。満員電車にも乗らなアカンようになる。お前の部屋に男二人は狭すぎるし、近所にコンビニもない。体裁つかんし、同棲する理由の説明もオレは親にようせん。それに……」
「ようそんだけ並べてくれたな。それにって、まだなんよ?」
あのブレスレットが誰のものか、なぜ設樂のベッドから出たきたのか。一旦、疑問を口にすると、逃げ道を意で塞いで設樂を問い詰めてしまいそうな、弱い自分がいる。
欲しくてたまらなかった物が手に入った途端、気持ちが冷めてしまった。そんなこと、よくあることだ。
付き合って2年。5年もの間、好きだと言い続けてくれた設樂だが、実際に付き合ってみて本当は淳明にがっかりしているのかもしれない。
設樂はゲイだが、所詮自分は違う。
見目もよく優しく、情も厚い設樂に”その気”があれば、恋人に立候補したがゲイの男はいくらでもいるはずだ。
その中に、設楽より手首の細い男がいてもおかしくない。
山が迫る海沿いの道路を走る車はいつしか、100万ドルの夜景と謳われた都会の高速に乗る。どんより濁った険悪な沈黙のまま、車は淳明のマンションの前に着いた。
「アツ、待ってや。さっきの”それに”の答え、まだ聞いてへん」
降りようとした淳明の腕を、設樂が捕らえる。
沈黙する淳明に設楽は小さく息を吐く。
「なあ、ほんなら明日の……今日の晩もこっちに来うへん?」
「オレは、無理やて言ったで」
淳明の硬い拒絶の声に、設楽は手を放した。
月曜日 >>

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