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紙魚

Author:紙魚
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Category: 筐ヶ淵に佇む鬼は(全16話)

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筐ヶ淵に佇む鬼は 1

 その男はデスク越しに瞠目するわたしの顔を認めると、その涼やかな目を細めた。
 ほんの数秒、いやコンマ数秒だったかもしれない。その目に浮かんだ躊躇いを消すと、男は待ちますからというゼスチャーをし、客用のソファに腰掛けた。
 
 空気のゆるんだ平日の昼下がり。
 蝉の声と強い日差しだけが盛況で、不動産を求める客足も風鈴を鳴らす風もぴたりと動きがない。屋根も道路も、街中が火鉢の中に入れられたかの如く太陽に容赦無く炙られ、真新しいアスファルトの上では熱気が揺らめいていた。

 わたしはと言えば、客もないのに贅沢はならんと、せっせと通りに水を打ち、扇風機と団扇のダブル活用で何とか涼を確保せんと格闘していた。だがそれも午前中の話で、気温の上がる午後になると扇風機の風も熱風になり、団扇で自分を扇ぐのすら億劫になった。
 時々、隣の駄菓子屋にやってくるガキどもがアイスキャンディ片手に 「おっちゃん、今日も閑古鳥やん」「閑古鳥、カァーカァー」 と冷やかしていく。
 体力を奪う暑さで追い払うのもかったるく、 「へい、困ったもんですわ」 と適当に相槌を打ってやり過ごすもんだがら、ガキどもは図に乗って毎日やってくる。
 角の蕎麦屋で笊2枚を平らげ、自分もアイスを買って戻ってきた。ソーダ味のアイスバーを堪能して煙草を吸って、今度は落ちてくる目蓋と格闘しているところに、その男はやってきた。
 シャツの襟を緩めだらけ切っていたわたしの眠気は、来店した男の顔を目にした途端、一気に弾け飛んだ。

 柔らかい筆ですっと刷いたような切れ長の眼、その嫋やかさとは対照的な眉は、何事にも易く左右されぬ男の小難しさを感じさせる。日本人離れした形の良い鼻と、流麗な線で削がれた顎には小さな黒子がひとつ。
 暑気も吹き飛ぶ浮世離れした男の美貌は、たぶん誰が見てもため息をつくだろう。
 だが、わたしが驚いたのはもっと別の理由でだった。
 わたしには、幼い日の記憶に封印した人がいた。男の顔は、その人物とあまりにも似過ぎていた。
 頭のすぐ後ろでごそりと蠢いた過去に、わたしは人知れず震撼した。黙ってソファに座る男の横顔を見ていると、記憶の海原に重石をつけて沈めていた古い記憶が、この日を待ちわびていたかのように浮上してくる。
 暑さで流れた汗は、いまは別の意味の汗に変わり、冷たく背中を濡らしていた。
 
 記憶の中の人物を初めて見た時の衝撃は、いまだ鮮明に自分の中に残っている。
 当時まだ子供だったわたしは、銅拍子を手に童舞を舞うその少年の美しさから目を離すことが出来なかった。目の前で舞うのは真、天から降りし迦陵頻伽ではないかと真剣に疑ったものだった。

 いま大人のわたしは、茹だった頭をゆっくり振る。
 そんなはずはない。30年も前の話だ。本人が”生きていれば”、私より年上だった彼は50に手が届いているはずだ。
 目の前の男はどう見積もっても20代半ば。
 今年、厄年を迎えたわたしの半分ほどの年齢にしか見えない。しかも私の知っている男の左腕以外は、郷里の筐ヶ明神の深淵に、今も惚れた男と共に沈んでいるはずだった。


 時は終戦を迎え、めまぐるしく変貌する時代に人々は翻弄されつつも、逞しく生きる道を求めていた。誰もが生きることで精一杯だった。そんな折に起こった男同士の心中事件に、人里離れた小さな村は騒然となった。
 亡くなったのが、村の将来を担うと言われた若者と、村一番の顔役の孫であったというのも、皆を仰天させる要因のひとつだった。
 遺体がなければ葬儀も上げられない。消防団が淵の水に網を投げ、長い棒で衝いてふたりの骸を探したが見つからなかった。後に遺体は沈んだままで、形だけの密葬が執り行われたと聞いた。
 捜索が打ち切られた7日後に、顔役の孫の左腕だけが上がった。
 腕が見つかって村はまた大騒ぎになった。一夜明けると、皆、判でついたように事件のことに触れなくなった。
 子供の好奇心を装って曽祖母に尋ねると、口を捻られ「ほなこと口にすっと祟られるけ、ぜって口にすんな」と叱られた。
 口に上げることすら忌まれた男の心中事件は、やがて村に残る古い因習とともに忘れられていった。

 閉鎖的だった山間の村も、今では道路が整備され近代化の波が押し寄せ、村の様相も様変わりした。ただ、筐ヶ明神と二人が眠る深淵だけは、その一帯が御神体ということもあり、手付かずで残っている。
 そういえば、見つかった左腕はどうしたのだろう。ちゃんと埋葬してもらえたのだろうか。 
 不意に水の中を彷徨う冷たい指が、ソーダの風味が残る唇に触れたような気がして、眩暈を起こしそうになった。

 男は黙ったままソファでわたしを待っている。私が仕事をしていると思っているらしく、終わるまで待つつもりのようだ。
 わたしは覚醒しながら悪い夢を見ているのかと、顔役の孫と同じ顔をした男を横目で盗むように何度も見た。男には腕が2本、ちゃんとついている。それでもわたしの本能は納得しない。
 わたしは怖気を振り払うように立ち上がった。
「どうも、お待たせしました。ここは外より暑いでしょう、いまクーラーをいれますから」
 一分の隙なく最新型のスーツを着こむ男に声を掛けて、窓に手を伸ばす。だが、サッシを摘んだ指はわたしの意志を拒むかのように締めようとしない。伸ばした腕に男の視線を感じた。
 もう、暑さなど感じなかった。全身が嫌な汗で冷えきっている。寒いくらいだ。いつ立ち上がったのか、細かく慄え始めた腕をそっと捉まれ、わたしは飛び上がりそうになった。
「どうかお構いなく。僕は暑いのは全然平気です」
 初めて聞く男の声は、30年という歳月を一気に吹き飛ばした。無様によろめいた私は、扇風機のコードに足を引っ掛け、自分が座っていた事務椅子に倒れ込んだ。
「あ、あなたは……」
 彼は接吻する直前のように緩めた唇に左手の人差指をあて、わたしの言葉を遮った。指の後ろで、薄い弧を描く唇が微笑む形で横にすうっと広がる。
 その手首の内側に、長い平行四辺形が3つ並ぶ徴を見つけ、わたしは衝撃を受けた。自分の確信を否定したくて震える頭を振る。
「嘘だ……章俊さんは、確かに…」
 あの時と同じ。わたしを惑乱させる微笑に、全身から力が抜けてゆく。わたしの怯えになど気が付かないように、男は自分の鞄から封筒を取り出した。
「ある土地の買収をお願いしたいしたくて、今日はこちらに来ました」
 机の上に一枚の紙が差し出される。その住所を見て、わたしは頭を抱えた。

 不動産屋を開業して6年、その前は商社で15年勤めた。横浜、福岡、大阪、ロンドンにも5年いた。仕事柄、たくさんの人間に会ってきたわたしの人生の中で、最も美しく最も恐ろしい人がわたしの目の前にいた。


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テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学