02 ,2011
レジ男 5
企業向けのシステムを構築し、サーバーからコンサルティングまで一括して管理をする。
日本ミラクルはライバルというにはおこががましい、業界の最大手だ。
山咲 泰志は在学中より独自のシステムを開発し、ミラクルをはじめ複数の企業から注目されていた。熾烈な青田買いを勝ち抜き、我がRNシステムが山咲を獲得できたのはまさに奇跡だった……はずだった。
入社した山咲は、当然RNシステムのホープと囃され期待を集めたが、事務方と揉め、呆気なく会社を辞めた。鳴り物入りで入社し、研修期間が終わるや辞表を出した大型新入社員の暴挙に、社内が騒然となったのはそう古い話ではない。
会えたら訊いたみたいと思っていた疑問が、ひとつ解消される。
「それで、俺の苗字を知っていたわけだ。もしかして君が会社で揉めた事務方ってさ、良平?」
ゲイの痴話喧嘩という醜態を晒した後ろめたさか、最後の良平の名前のところで声のトーンがが幾分小さくなる。最初から良平を知っていたのなら、動く鬼瓦を見て腰を抜かさなかった理由も納得がいく。
山咲は思い出したくもないのか、口の端だけを僅かに上げて笑った。
まだまだ学生でも通せそうだと思っていた青年は、髪を短くそろえて流し、カジュアルな服がスーツに変わっただけで随分と印象が変り大人びて見えた。誠実そうな目の色だけがレジ男を思い出させた。
「大学3年の夏、就活のOB訪問で相手をしてくれたのが田口さんでした。僕は、田口さんのものの見方や考え方に感化されて、一緒に仕事をしたいと思ったから入社したのに、宇積(うづみ)さんはわざとチームを外したんです」
「まさか」
大学のOBだった俺は、会社から山咲貴之を獲得せよという命を受け、会社近所のカフェで山咲と会った。
はっきり覚えているのは、かなり印象的な面談だったからだ。
山咲は俺と会った時点で、自分が受ける会社全てを徹底的に分析・比較し、頭に叩き込んでいた。大学3年といえば、自分が描く将来の夢と現実に折り合いをつけ、企業相手に手探りを始める頃だ。
独創性があり、礼儀正しく、かつ社会的なバランス感覚もいい。仕事に対するビジョンも明確で、稀に見る優秀な青年だったという印象も残っている。
それなのに何のまじないか、山咲の顔だけがすぽんと記憶の中から抜けていた。
「わざとだなんて。君が辞めたらウチも大損害なのは、会社中の人間が認識していた事実だし」
「わざとです。動物的とでもいうか、あの人は勘がいい。宇積さんは田口さんに対する僕の特別な感情に気付いて邪魔したんです」
何かいま、妙に引っかかることを言われた気がする。
「ミラクルからは会社を辞めてすぐ、オファーを貰いました。ですが、即ミラクルに移るというのも露骨ですし、ワンクッションおこうと専門とは関係のない実家のスーパーを手伝っていたんです」
こんな重要人物を前に、何で気がつかなかった?俺。
イケメン面を頭の中から排除する自分の嗜好が恨めしい。
今から再スカウトなんて、ないよな?ないかな?ない?やっぱり駄目?
・・・だよな。
逃げた魚は大きい。他人のものになると、ますます大きく見えてくる。
「そうだったのか。君が入社したなら、ミラクルはますます手強くなるな」
山咲がミラクルのシステム開発部に入ったのなら、ミラクルが新しいソリューションネットワークを構築するのは時間の問題だ。うちからミラクルに乗り換える顧客だって出てくるかもしれない。
落胆する顔を隠すようにして、スチロールのカップを口に運ぶ。
良平の馬鹿野郎、まったく余計なことしやがって。
ハンバーガーを食べ終えた山咲の手が、丁寧に包み紙をたたんで小さな籐籠の中に入れる。
レジ男のレジ捌きを懐かしく思い出した。
複雑なネットワークを組み立てる山咲の頭の中は、きっとあのレジカゴの中みたいに全てが正しく、かつ美しく格納されているのだろう。こんな秀逸な人材は、そうそう転がってはいない。
俺はカップの内側でこっそり嘆息した。
「田口さん、僕はあなたを近いうちに、公私共々ヘッドハントするつもりです。今度は手は抜きません。僕はもう一度あなたと同じ土俵に立って、今度こそあなたを獲得したい」
言葉を理解するワンテンポをおいて、口の中のコーヒーを噴出しそうになった。
「だ・・・大丈夫ですか?」
頷きながら手のひらで制すると、立ち上がったレジ男は不服そうな表情で腰を戻した。
「ち、ちょっと山咲君。あのね・・・」
「レジであなたが目の前に立った時、僕は嬉しさのあまり心臓が飛び出すかと思いました。なのに、あなたは僕のことを忘れてるし、いつの間にか『レジ男』とかあだ名をつけているし。僕は、再起不能に陥りそうだった」
「いや、それは本当に悪かった」
口許を紙ナプキンで拭いながら笑って誤魔化す俺を、山咲が熱のこもった視線で見据える。参ったな。
「なら・・・もう判っていると思うけど、俺は面食いじゃない。俺の好みは、その・・・君みたいな洗練されたハンサムじゃなくて、良平みたいにちょっと暑苦しいくらいの男臭いタイプなんだ」
微動だにしない視線に晒され、言葉が勢いを失う。
「ああいう物騒な顔が好きなんだ。だから・・・」
何の因果でこんな若造相手に、はにかみながら自分の男の趣味を披露しなければならんのだ。言いながら情けない気持ちになってきて、最後は口篭った。
「気が利かなくてすみません。こういう場所でする話ではなかったですね。出ませんか? 実家の近くのマンションに引っ越したんで、帰る方向は同じなんです」
ラッシュのピークを過ぎ、客もまばらになったプラットホームに並んで電車を待つ。
大人なセリフで俺を連れ出した山咲は何か考え込んでいるようで、バーガーショップを出てからずっと黙ったままだ。
夜も更けてくると吹さらしのホームの空気は冷え、冬の分厚いコートが恋しくなる。俺は鞄のない方の手をポケットに突っ込み、山咲に聞こえないように今日何度目かの溜息を吐いた。
「あなたは僕を庇って、宇積さんより百万倍偉いと言ってくれた。あの時は本当に嬉しかった」
ぽつりと、隣に立つ山咲が前を向いたまましゃべりだした。
「レジで僕を褒めてくれた。これも嬉しかったです。田口さんに褒められるのが夢でしたから。でも僕は、本業の分野で田口さんから褒められたいし、いろんな意味で僕にはあなたを諦めるなんて出来ない」
アイボリーの春物のコートを着た山咲が、思いつめた目で俺の横顔を見つめるのを感じる。
優秀な後輩に仕事で褒められたいなどと言われては、嬉しく思わないでもない。だが、耳触りのいい返事を返してやることができず会話は途切れたままだった。
電車の中でもお互い黙って過ごし、下車駅で他の客と共に降りた。
「君の気持ちに応えられなくてすまない。でも、レジに立っている時の君の笑顔はすごくいいと思った。これは本当だ。ミラクルでも元気でがんばってくれな」
重苦しくなりはじめた沈黙を断ち切るように別れの挨拶を押し付け、山咲に背を向ける。
改札を抜けた俺を少し慌てた声が引き止めてきた。
「待ってください。どうせ田口さんと同じマンションなんです。帰りながら話をしましょう」
「え?まさか君、あのマンション借りたの?」
「下の部屋がちょうど売りに出ていたので、買いました」
「買った?」
呆気に取られ、さぞ間の抜けた顔をしているだろう俺をロックオンした山咲が口の端で笑う。
「手を抜かないと言ったでしょう。僕は几帳面な性格なんです」
客と店員という枠と共に、先輩後輩の枠も一緒に取っ払われてはいないだろうか?
「・・・知ってるよ」
「さあ帰りましょう、田口さん]
マンションに向かって歩き出した山咲の声音は嬉しげで、心なしかハンターめいた物騒な響きが混ざっていた。
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企業向けのシステムを構築し、サーバーからコンサルティングまで一括して管理をする。
日本ミラクルはライバルというにはおこががましい、業界の最大手だ。
山咲 泰志は在学中より独自のシステムを開発し、ミラクルをはじめ複数の企業から注目されていた。熾烈な青田買いを勝ち抜き、我がRNシステムが山咲を獲得できたのはまさに奇跡だった……はずだった。
入社した山咲は、当然RNシステムのホープと囃され期待を集めたが、事務方と揉め、呆気なく会社を辞めた。鳴り物入りで入社し、研修期間が終わるや辞表を出した大型新入社員の暴挙に、社内が騒然となったのはそう古い話ではない。
会えたら訊いたみたいと思っていた疑問が、ひとつ解消される。
「それで、俺の苗字を知っていたわけだ。もしかして君が会社で揉めた事務方ってさ、良平?」
ゲイの痴話喧嘩という醜態を晒した後ろめたさか、最後の良平の名前のところで声のトーンがが幾分小さくなる。最初から良平を知っていたのなら、動く鬼瓦を見て腰を抜かさなかった理由も納得がいく。
山咲は思い出したくもないのか、口の端だけを僅かに上げて笑った。
まだまだ学生でも通せそうだと思っていた青年は、髪を短くそろえて流し、カジュアルな服がスーツに変わっただけで随分と印象が変り大人びて見えた。誠実そうな目の色だけがレジ男を思い出させた。
「大学3年の夏、就活のOB訪問で相手をしてくれたのが田口さんでした。僕は、田口さんのものの見方や考え方に感化されて、一緒に仕事をしたいと思ったから入社したのに、宇積(うづみ)さんはわざとチームを外したんです」
「まさか」
大学のOBだった俺は、会社から山咲貴之を獲得せよという命を受け、会社近所のカフェで山咲と会った。
はっきり覚えているのは、かなり印象的な面談だったからだ。
山咲は俺と会った時点で、自分が受ける会社全てを徹底的に分析・比較し、頭に叩き込んでいた。大学3年といえば、自分が描く将来の夢と現実に折り合いをつけ、企業相手に手探りを始める頃だ。
独創性があり、礼儀正しく、かつ社会的なバランス感覚もいい。仕事に対するビジョンも明確で、稀に見る優秀な青年だったという印象も残っている。
それなのに何のまじないか、山咲の顔だけがすぽんと記憶の中から抜けていた。
「わざとだなんて。君が辞めたらウチも大損害なのは、会社中の人間が認識していた事実だし」
「わざとです。動物的とでもいうか、あの人は勘がいい。宇積さんは田口さんに対する僕の特別な感情に気付いて邪魔したんです」
何かいま、妙に引っかかることを言われた気がする。
「ミラクルからは会社を辞めてすぐ、オファーを貰いました。ですが、即ミラクルに移るというのも露骨ですし、ワンクッションおこうと専門とは関係のない実家のスーパーを手伝っていたんです」
こんな重要人物を前に、何で気がつかなかった?俺。
イケメン面を頭の中から排除する自分の嗜好が恨めしい。
今から再スカウトなんて、ないよな?ないかな?ない?やっぱり駄目?
・・・だよな。
逃げた魚は大きい。他人のものになると、ますます大きく見えてくる。
「そうだったのか。君が入社したなら、ミラクルはますます手強くなるな」
山咲がミラクルのシステム開発部に入ったのなら、ミラクルが新しいソリューションネットワークを構築するのは時間の問題だ。うちからミラクルに乗り換える顧客だって出てくるかもしれない。
落胆する顔を隠すようにして、スチロールのカップを口に運ぶ。
良平の馬鹿野郎、まったく余計なことしやがって。
ハンバーガーを食べ終えた山咲の手が、丁寧に包み紙をたたんで小さな籐籠の中に入れる。
レジ男のレジ捌きを懐かしく思い出した。
複雑なネットワークを組み立てる山咲の頭の中は、きっとあのレジカゴの中みたいに全てが正しく、かつ美しく格納されているのだろう。こんな秀逸な人材は、そうそう転がってはいない。
俺はカップの内側でこっそり嘆息した。
「田口さん、僕はあなたを近いうちに、公私共々ヘッドハントするつもりです。今度は手は抜きません。僕はもう一度あなたと同じ土俵に立って、今度こそあなたを獲得したい」
言葉を理解するワンテンポをおいて、口の中のコーヒーを噴出しそうになった。
「だ・・・大丈夫ですか?」
頷きながら手のひらで制すると、立ち上がったレジ男は不服そうな表情で腰を戻した。
「ち、ちょっと山咲君。あのね・・・」
「レジであなたが目の前に立った時、僕は嬉しさのあまり心臓が飛び出すかと思いました。なのに、あなたは僕のことを忘れてるし、いつの間にか『レジ男』とかあだ名をつけているし。僕は、再起不能に陥りそうだった」
「いや、それは本当に悪かった」
口許を紙ナプキンで拭いながら笑って誤魔化す俺を、山咲が熱のこもった視線で見据える。参ったな。
「なら・・・もう判っていると思うけど、俺は面食いじゃない。俺の好みは、その・・・君みたいな洗練されたハンサムじゃなくて、良平みたいにちょっと暑苦しいくらいの男臭いタイプなんだ」
微動だにしない視線に晒され、言葉が勢いを失う。
「ああいう物騒な顔が好きなんだ。だから・・・」
何の因果でこんな若造相手に、はにかみながら自分の男の趣味を披露しなければならんのだ。言いながら情けない気持ちになってきて、最後は口篭った。
「気が利かなくてすみません。こういう場所でする話ではなかったですね。出ませんか? 実家の近くのマンションに引っ越したんで、帰る方向は同じなんです」
ラッシュのピークを過ぎ、客もまばらになったプラットホームに並んで電車を待つ。
大人なセリフで俺を連れ出した山咲は何か考え込んでいるようで、バーガーショップを出てからずっと黙ったままだ。
夜も更けてくると吹さらしのホームの空気は冷え、冬の分厚いコートが恋しくなる。俺は鞄のない方の手をポケットに突っ込み、山咲に聞こえないように今日何度目かの溜息を吐いた。
「あなたは僕を庇って、宇積さんより百万倍偉いと言ってくれた。あの時は本当に嬉しかった」
ぽつりと、隣に立つ山咲が前を向いたまましゃべりだした。
「レジで僕を褒めてくれた。これも嬉しかったです。田口さんに褒められるのが夢でしたから。でも僕は、本業の分野で田口さんから褒められたいし、いろんな意味で僕にはあなたを諦めるなんて出来ない」
アイボリーの春物のコートを着た山咲が、思いつめた目で俺の横顔を見つめるのを感じる。
優秀な後輩に仕事で褒められたいなどと言われては、嬉しく思わないでもない。だが、耳触りのいい返事を返してやることができず会話は途切れたままだった。
電車の中でもお互い黙って過ごし、下車駅で他の客と共に降りた。
「君の気持ちに応えられなくてすまない。でも、レジに立っている時の君の笑顔はすごくいいと思った。これは本当だ。ミラクルでも元気でがんばってくれな」
重苦しくなりはじめた沈黙を断ち切るように別れの挨拶を押し付け、山咲に背を向ける。
改札を抜けた俺を少し慌てた声が引き止めてきた。
「待ってください。どうせ田口さんと同じマンションなんです。帰りながら話をしましょう」
「え?まさか君、あのマンション借りたの?」
「下の部屋がちょうど売りに出ていたので、買いました」
「買った?」
呆気に取られ、さぞ間の抜けた顔をしているだろう俺をロックオンした山咲が口の端で笑う。
「手を抜かないと言ったでしょう。僕は几帳面な性格なんです」
客と店員という枠と共に、先輩後輩の枠も一緒に取っ払われてはいないだろうか?
「・・・知ってるよ」
「さあ帰りましょう、田口さん]
マンションに向かって歩き出した山咲の声音は嬉しげで、心なしかハンターめいた物騒な響きが混ざっていた。
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