01 ,2011
レジ男 2
今日もレジ男のレジに並んだ。
レジ男は山咲という名札を胸につけていたが、俺の中ではすっかりレジ男で定着していた。
レジに並ぶ列は心なし他より長く、何かしら華やいで空気がうっすらピンクに染まる。原因は主婦や学生、OLといった若い女性客だ。
男客は、当然のように空いている他のレジを選ぶ。女だらけの列で男物のコートを着て頭ひとつはみ出させている 自分はちょっと異分子っぽい。
「カッコいいよねぇ」
前に並ぶ主婦2人がなにやら小声で話している。
「こんなとこでレジ打つよか、モデルとかやっちゃえばいいのに」
耳がレジの言葉に反応する。レジ男の事らしい。
「でも山咲君ってさ、このスーパーの息子なんだってよ。あと継ぐんじゃない?」
「…ってことは、まさか将来はスーパーのオヤジ? 六本木とか歩いたら、スカウトが掛かりそうなのに勿体無いじゃん」
生憎ここは、六本木でも渋谷でもさらに原宿でもない。スカウトなんてものにはほど遠い、ご縁に掠りもしない下町のスーパーだ。
安定の営業スマイルで接客するレジ男の手元を見る。
今日も軽快にスキャン、商品を手際よく隣のカゴに移す。まるでパズルが仕上がってゆくような、見事なカゴさばきだ。
この前レジ男が、お年寄りの買い物を手伝い、商品をシルバーカーに積んでいるのを見かけた。経営者としての資質はわからないが、几帳面な性格と行き届いたホスピタリティは、接客業に持ってこいではないか。
スーパーの店員以外のレジ男なんか想像できない。
主婦A・Bはレジ男の話をしながら肘で突き合い、チラチラとこちらを見上げてくる。なんざんしょう? と視線を向けると2人揃って顔を紅くしながら下を向いてしまった。
「いらっしゃいませ」
改めてレジ男の顔を正面から観察する。なるほど、世間で言うイケメンの類に胸を張って入れるルックスだ。
うん? なんだろう。何かが妙に引っかかる。この、いやに既視感のある感じは。
さりげに俯くレジ男の顔を眺め続ける。
「今日はいつもより遅いお越しですね」
レジ男はスキャンしながら愛想よく、お馴染みさん向けの声をかけてきた。
似ているタレントでもいるのかもしれない。タイプの顔なら一度見れば、3年は忘れない自信はある。だが、残念ながらレジ男の顔は、俺のストライクゾーンから大きく、真反対方向に外れていた。
レジ男の顔は一般的にいうハンサム顔で、そこそこ背も高い。いかにも万人にモテそうな爽やかで可愛げのある顔だ。だがアンチ面食いな俺の好みは、自分とは反対のガタイのいい男臭いタイプだ。一般的に暑苦しいとか、厳ついとか言われる顔が、ザ・ドストライクなのだ。
たぶんこれまで付き合った恋人達にも言われた通り、無いもの強請りなんだと思う。
「そうかな?」 適当に応えながら、視線は商品を捌く手許に落ちる。
ベーグルやマーガリンが収まる度、頭の中でカチ、カチと小気味良い音がする。最後にレジ袋に入った卵のパックが載せられた。壊れやすい卵はいつも袋に入れてから最後に渡してくれる。
完璧だ。
「そうですよ。いつもより1時間くらい遅いかな。仕事、お忙しいんですか?」
明朝直行の取引先への資料を忘れ、会社に取りに戻った。「いや今日はさ」 とかい摘んで話すと、「そうだったんですか、大変でしたね」 と、労いの言葉に柔らかい笑みを添えた。笑顔の似合う青年だ。
営業用の笑顔だとわかっていてもレジ男に笑いかけられると、和やかな気分になる。
レジ男の笑顔があれば、このスーパーも安泰だ。
会社からの帰り道、ほぼ毎日レジ男のスーパーに寄る。もっと大型のスーパーが駅前にあったが、なんとなく足はレジ男のいるこのスーパーに向いた。
タイミングが合うのか合わないのか、出張や外勤が続いて良平と職場で顔を合わせる事もなく半月が過ぎた。
「お客さんこの頃、料理をされるようになったんですね」
1/4切れの白菜の横に椎茸のパックとうす揚げ、鶏ミンチのパックが並んで収まる。良平と別れた直後は自分ひとりのために料理なんかする気になれず、インスタントものや出来合いの惣菜で適当に済ませていた。
「インスタントばかりじゃ、さすがに栄養も偏るしね。ひとり分だから、簡単なものしか作らないけど」
レジ男は女が幅を効かせる職場で同性の客に気安さを感じるのか、手隙な時はまめに声をかけて来た。
「君さ、前から思っていたんだけど、カゴに詰めるのすごく上手いよね。後の袋詰作業のことも考えてるっていうか。ここの息子さんって聞いたけど、ずっと店を手伝ってたの?」
「確かにここの息子ですけど、身分はパートです。以前は、全然関係のない仕事をしてました。ちょっと色々あって、辞めちゃったんですけどね」
褒めたつもりなのに、レジ男の表情が硬くなった。
「ふうん、そうなんだ」
どんな色々があったのか、聞いてみたい気もしたが、一介の客が店員のプライベートを根掘り葉掘り聞くのもどうかと、短い相槌に留めておく。
「ありがとうございます。今日は品物が多いですから、卵を忘れないで下さいね」
「朝は目玉焼きがないと目が覚めないから、忘れたら大変だ」
「好きなんですか? 目玉焼き」
硬かったレジ男の目が急にキラキラと輝きはじめた。どうやら、レジ男も目玉焼きファンらしい。
「うん、目玉は絶対2コ。子供みたいだろ」
冗談めかして笑うと、レジ男も一緒に笑った。
レジ男の笑顔はいいと思う。
息の凍る家路を歩きながら、レジ男が前の仕事を辞めた理由を想像する。一気に消沈した若者の表情が気になった。
几帳面で慎重派っぽいレジ男が、仕事で会社を辞めるほどのミスをしたとは考えにくい。
よく気が付くし、頭も悪くなさそうだ。人当たりも良いレジ男は、人間関係も卒がないだろう。
あとは恋愛問題、とか?
社内恋愛。痴情の縺れ・・・苦いものが込み上げて、苦笑が漏れる。俺じゃあるまいし。
あれっ?
マンションのエントランスで鍵を出そうとして、卵の袋を忘れたことに気付いた。あれこれ考え事をしながら歩いているうちに帰ってきてしまっていた。
仕方ない、明日は卵抜きか。
せっかくレジ男が忠告してくれたのに。と、レジ男の気遣いがこそばゆい気がして頬が緩む。
マンションに入ろうと歩き出した俺の肘を誰かが掴んだ。
「田口、やっと捕まえた」
笑ったまま固まった唇が強引に奪われ、掴まれたままの腕からスーパーの袋が地面に落ちた。
衝撃で裂けた袋から中身が飛び出す。白菜、豆腐、鶏ミンチ・・・
「楽しそうだな、瑛介。なにかいい事でもあったか?」
「良平・・・」
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今日もレジ男のレジに並んだ。
レジ男は山咲という名札を胸につけていたが、俺の中ではすっかりレジ男で定着していた。
レジに並ぶ列は心なし他より長く、何かしら華やいで空気がうっすらピンクに染まる。原因は主婦や学生、OLといった若い女性客だ。
男客は、当然のように空いている他のレジを選ぶ。女だらけの列で男物のコートを着て頭ひとつはみ出させている 自分はちょっと異分子っぽい。
「カッコいいよねぇ」
前に並ぶ主婦2人がなにやら小声で話している。
「こんなとこでレジ打つよか、モデルとかやっちゃえばいいのに」
耳がレジの言葉に反応する。レジ男の事らしい。
「でも山咲君ってさ、このスーパーの息子なんだってよ。あと継ぐんじゃない?」
「…ってことは、まさか将来はスーパーのオヤジ? 六本木とか歩いたら、スカウトが掛かりそうなのに勿体無いじゃん」
生憎ここは、六本木でも渋谷でもさらに原宿でもない。スカウトなんてものにはほど遠い、ご縁に掠りもしない下町のスーパーだ。
安定の営業スマイルで接客するレジ男の手元を見る。
今日も軽快にスキャン、商品を手際よく隣のカゴに移す。まるでパズルが仕上がってゆくような、見事なカゴさばきだ。
この前レジ男が、お年寄りの買い物を手伝い、商品をシルバーカーに積んでいるのを見かけた。経営者としての資質はわからないが、几帳面な性格と行き届いたホスピタリティは、接客業に持ってこいではないか。
スーパーの店員以外のレジ男なんか想像できない。
主婦A・Bはレジ男の話をしながら肘で突き合い、チラチラとこちらを見上げてくる。なんざんしょう? と視線を向けると2人揃って顔を紅くしながら下を向いてしまった。
「いらっしゃいませ」
改めてレジ男の顔を正面から観察する。なるほど、世間で言うイケメンの類に胸を張って入れるルックスだ。
うん? なんだろう。何かが妙に引っかかる。この、いやに既視感のある感じは。
さりげに俯くレジ男の顔を眺め続ける。
「今日はいつもより遅いお越しですね」
レジ男はスキャンしながら愛想よく、お馴染みさん向けの声をかけてきた。
似ているタレントでもいるのかもしれない。タイプの顔なら一度見れば、3年は忘れない自信はある。だが、残念ながらレジ男の顔は、俺のストライクゾーンから大きく、真反対方向に外れていた。
レジ男の顔は一般的にいうハンサム顔で、そこそこ背も高い。いかにも万人にモテそうな爽やかで可愛げのある顔だ。だがアンチ面食いな俺の好みは、自分とは反対のガタイのいい男臭いタイプだ。一般的に暑苦しいとか、厳ついとか言われる顔が、ザ・ドストライクなのだ。
たぶんこれまで付き合った恋人達にも言われた通り、無いもの強請りなんだと思う。
「そうかな?」 適当に応えながら、視線は商品を捌く手許に落ちる。
ベーグルやマーガリンが収まる度、頭の中でカチ、カチと小気味良い音がする。最後にレジ袋に入った卵のパックが載せられた。壊れやすい卵はいつも袋に入れてから最後に渡してくれる。
完璧だ。
「そうですよ。いつもより1時間くらい遅いかな。仕事、お忙しいんですか?」
明朝直行の取引先への資料を忘れ、会社に取りに戻った。「いや今日はさ」 とかい摘んで話すと、「そうだったんですか、大変でしたね」 と、労いの言葉に柔らかい笑みを添えた。笑顔の似合う青年だ。
営業用の笑顔だとわかっていてもレジ男に笑いかけられると、和やかな気分になる。
レジ男の笑顔があれば、このスーパーも安泰だ。
会社からの帰り道、ほぼ毎日レジ男のスーパーに寄る。もっと大型のスーパーが駅前にあったが、なんとなく足はレジ男のいるこのスーパーに向いた。
タイミングが合うのか合わないのか、出張や外勤が続いて良平と職場で顔を合わせる事もなく半月が過ぎた。
「お客さんこの頃、料理をされるようになったんですね」
1/4切れの白菜の横に椎茸のパックとうす揚げ、鶏ミンチのパックが並んで収まる。良平と別れた直後は自分ひとりのために料理なんかする気になれず、インスタントものや出来合いの惣菜で適当に済ませていた。
「インスタントばかりじゃ、さすがに栄養も偏るしね。ひとり分だから、簡単なものしか作らないけど」
レジ男は女が幅を効かせる職場で同性の客に気安さを感じるのか、手隙な時はまめに声をかけて来た。
「君さ、前から思っていたんだけど、カゴに詰めるのすごく上手いよね。後の袋詰作業のことも考えてるっていうか。ここの息子さんって聞いたけど、ずっと店を手伝ってたの?」
「確かにここの息子ですけど、身分はパートです。以前は、全然関係のない仕事をしてました。ちょっと色々あって、辞めちゃったんですけどね」
褒めたつもりなのに、レジ男の表情が硬くなった。
「ふうん、そうなんだ」
どんな色々があったのか、聞いてみたい気もしたが、一介の客が店員のプライベートを根掘り葉掘り聞くのもどうかと、短い相槌に留めておく。
「ありがとうございます。今日は品物が多いですから、卵を忘れないで下さいね」
「朝は目玉焼きがないと目が覚めないから、忘れたら大変だ」
「好きなんですか? 目玉焼き」
硬かったレジ男の目が急にキラキラと輝きはじめた。どうやら、レジ男も目玉焼きファンらしい。
「うん、目玉は絶対2コ。子供みたいだろ」
冗談めかして笑うと、レジ男も一緒に笑った。
レジ男の笑顔はいいと思う。
息の凍る家路を歩きながら、レジ男が前の仕事を辞めた理由を想像する。一気に消沈した若者の表情が気になった。
几帳面で慎重派っぽいレジ男が、仕事で会社を辞めるほどのミスをしたとは考えにくい。
よく気が付くし、頭も悪くなさそうだ。人当たりも良いレジ男は、人間関係も卒がないだろう。
あとは恋愛問題、とか?
社内恋愛。痴情の縺れ・・・苦いものが込み上げて、苦笑が漏れる。俺じゃあるまいし。
あれっ?
マンションのエントランスで鍵を出そうとして、卵の袋を忘れたことに気付いた。あれこれ考え事をしながら歩いているうちに帰ってきてしまっていた。
仕方ない、明日は卵抜きか。
せっかくレジ男が忠告してくれたのに。と、レジ男の気遣いがこそばゆい気がして頬が緩む。
マンションに入ろうと歩き出した俺の肘を誰かが掴んだ。
「田口、やっと捕まえた」
笑ったまま固まった唇が強引に奪われ、掴まれたままの腕からスーパーの袋が地面に落ちた。
衝撃で裂けた袋から中身が飛び出す。白菜、豆腐、鶏ミンチ・・・
「楽しそうだな、瑛介。なにかいい事でもあったか?」
「良平・・・」
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