09 ,2009
―花喰い 下―
風呂にいるはずの福井 朋樹が立っていた。
朋樹は、Tシャツに膝丈のパンツという湯上りのラフな姿で呆気にとられる忠桐の前に立つと、ニッコリ笑う。
「忠桐、好きだ」
真正面から唐突に切り出され、邪険に眉間に皺を寄せた。
「朱温、目が明後日の方向を向いてるぞ」
どんなに自分の惚れている相手に似せようと、左右の目がカメレオンみたいに忙しなく動いていたのでは、お粗末過ぎて興も醒めるというものだ。
朋樹の貌は嬉しそうにニヤリと笑うと、「所望とあればよの。ただし、ちと”高こう”つくがの」と、弾んだ朱温の声で言うと、止める間もなくグリリと、瞳の焦点を合わせた。
途端に、自分が恋焦がれて止まないクラスメイトと寸分違わぬ姿が現れ、自分を見つめる熱っぽい瞳にゾクリと心臓が跳ね上がった。
ハンドボールで鍛えられ締まったしなやかな肢体。
部活焼けの小麦色の肌からはいつも太陽の匂いがした。好奇心と素直さがそのまま現れたキラキラと輝く黒い瞳は健康優良児の名を縦(ほしいまま)にする朋樹に相応しい。
今はその躰から湯上りのボディソープの匂いが立ち上がり、肌はうっすら上気し、普段ではありえない破壊レベルの色香を醸す。朱温が自分の願望を汲み取って都合よく体現しただけで、目の前の朋樹は偽者だと釘を打つ頭を難なく悩殺してくる。
目を見開き固まった忠桐を、黒々と艶めく瞳で朋樹がクスリと笑った。
「何見てんのさ?オレの顔になんかついてる?」
そう言いながら脇を抜け、畳に広げられた水盤や散らばった枝花を見た。
「花、活けてたんだ。もしかしてオレ、邪魔した?」
「いや・・・・」
フワリと笑う朋樹の躰から艶やかな色が匂う。
「じゃ、最後まで活けちゃえよ待っててやるからさ」
これは、朱温の仕組んだまやかしだと思いながらも、目の前の朋樹にペースを持っていかれ、水盤の前にもう一度坐り山査子を手に取った。
水盤を挟んで胡坐を掻いた朋樹が直角の方向に坐った。
頭のどこかでこれは朱温の罠だという警笛を聞きながら、濡れたままの髪で胡坐に頬杖をつき、山査子の枝を落とす手許を興味深げに見詰める朋樹に心が乱れる。
二本目の竜胆を生け、白い花を手に取ると「それは、なんていう花?」と訊いてきた。
「孔雀草」
小さな黄色の丸い花芯から細長い白い花弁が放射状にぐるりと囲む。
孔雀が羽を広げるような花弁の姿がその名の由来だ。可憐な花には野草の趣があり、一枝に大量についた花や葉を落とし形を整えていくことで、一本の花を芸術の域ににじり寄せる。
「ふうん」
「花には詳しいくせに聞くなよ。朱温」
自分に現実を言い聞かせるように、わざと小狡い奸計を計る鬼の名前を口にした。
目の前の朋樹はそれには応えず、ただ潤んだ流し目をチラッと孔雀草から忠桐に移しただけだった。
なんとか”可”程度に整った孔雀草を剣山に刺そうと差し出した時、手首を日焼けした手に掴まれる。意外なほどに冷たい指先に躰の中心にある何かが震え、手首を掴む指先から痺れに似た熱が躰の隅々まで伝播する。
弾かれたように振り向くと、頬に息がかかるほど迫った朋樹の顔が熱っぽい炎を瞳に点し妖しく微笑んだ。
「これ食べさせて。忠桐」
艶々と熱に潤む視線を逸らさず孔雀草に顔を近づけると、花のひとつを口に食み、顎をすうっと横に引いて白い花を引っ張った。花はプツと幽かな音を立てて茎から離れ朋樹の唇に留まった。
立体感のある唇に挟まった白い花が扇情的で、躰の芯が焼けるのを感じながら朋樹の唇に釘付けになった目が離せなくなる。
罠だ、これはまやかしだとか、朱温がどうだ。という考えは頭から霞の如く消え去り、ただ血色の良い艶やかな唇に映える白い花に見蕩れた。
その花がはらりと唇から落ち、妙な喪失感を覚えた次の瞬間、唇に柔らかくてあたたかいものが重なった。花の香のする吐息が頬を擽り、自然の流れに押し流されるようにしなやかな背に腕を回した。
唇の表面が蕩けそうなほどの甘い熱が気持ちよくて、もっと捕まえようと舌を差し込もうとした矢先、唐突に甘やかな熱は唇を去り、濡れた表面がひんやりとした秋の夜風に晒された。
それなのに、一旦ともった熱は止まらず沸騰した欲望がはちきれそうになる。
目許を緋に染めた朋樹が吐息を洩らし 「ゴメン」 と小さな声で謝って来た。
朋樹の謝る声に何かが発動した。何がどうなったのか自分でも解らず、気がついた時には朋樹の躰を畳の上に押し倒していた。
濡れて艶めいた黒髪が畳にくっきりと映え、謝罪を口にした黒い瞳は言葉と裏腹な、強い誘惑の笑みを浮かべ見上げている。
「唇が熱い・・・なあ、もっとキスしてくれよ、忠桐」
真昼を連想させる日に焼けたしなやかな肢体を自分の下に組み敷く。このシーンを自分は何度頭の中で想像し、何度その先の行為を繰り返しただろうか。
服地を通して伝わる朋樹の脈拍が、自分の心臓のリズムと絡まって次第に共鳴し大きく振れながら大音響となって2人を包み、朋樹の魂と一体となったかのような錯覚を起こさせる。
ともに共鳴する魂と何もかも分かち合い共有したいような気持ちになり、忠桐を誘うようにゆるく隙間をあける唇にキスをしようと、ゆっくり上半身を沈めていった。
忠桐を待ちわびる朋樹の唇が、興奮を抑えられぬようににニヤリと嗤う。
今にも唇が触れんとしたその時、突然背後の襖がタン!と高い音を立てて開いた。
全ての流れが魔法が解けたように止まる。
「忠桐ぁーっ、こんなとこにいたのかよ! んもおぉぉ、おまえんち広すぎっ。あちこち探し回っちゃったじゃねーの。おっと、風呂、サンキューな。ん、ん? お前、這い蹲って何してんの?」
首からタオルを掛けランニングに短パン姿の朋樹が戸口で勢いよく捲し立て、目を瞬かせながら立っている。
さっきより露出度は高いのに、あの匂いたつような色香は微塵もない。
「トモ・・・・」
振り向くと組み敷いていた朋樹(朱温)の姿はなく、孔雀草の白い花がひとつ畳の上に落ちている。辺りに頭がくらくらするほど強い花の匂いが充満していた。
「な、晩メシは宅配ピザにしてさ、お前の部屋でゲームしながら食おうぜい」
部屋の空気が入れ替わり、一気に瑞々しい新鮮な空気が花の香を押し流してゆく。
肌に蓄積した熱も清々しい空気に洗い流され、平常心が戻ってくる。
「いいけど、その前にお前の使う客用の布団を出しにいかないとな」
「そんなの面倒くせぇし、いいって。お前のベッド、セミダブルだろ。ちょっと狭ぇけど2人で寝ればいいじゃん」
「・・・・・」
「んな、それより早くお前の部屋行こうぜ。オレ、ポテチとかコアラのマーチとかと一緒にジャ○プの最新号も買ってきてっからさ、ピザが届くまで食いながら読もうぜ」
朋樹は元気印全開で戸口で仁王立ちになり、ガキのように喚いている。
お前の頭の中は、食い気とゲームと漫画だけかよ。
溜息交じりの苦笑が零れた。
どうすれば、このお子様を手篭めに出来るってんだ? 誰か教えてくれよ。
急かされて畳に広げた懊悩の残骸を片付ける。
水盤を手に取ると、中途半端に剣山に刺さった竜胆と孔雀草の花の部分が綺麗に消えていた。
月隠りの庭の暗がりから、口惜しげな朱温の声がした気がした。
朋樹は廊下で濡れた髪を手櫛で乾かしながら忠桐を待っている。何においても適当で大雑把だ。ふと傾げた項に、キスをせがんだあでやかな朋樹の貌が重なる。
部屋の灯りを消し、庭に背を向けた忠桐は朋樹と過ごす夜を思い、複雑な笑みに口角を引いた。
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