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紙魚

Author:紙魚
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Category: 翠滴 3 (全131話)

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翠滴 3 前兆 2  (2)
 空(くう)を見上げていた。
いや、睨みつけると言った方が正しいかもしれない。
睨みあげる先に、何がある訳でもない。ただ、星もなく月もない、ただの暗闇があるのみだ。
気が付けば、自分は中学時代の制服を着ている。持ち上げた自分の手は、見慣れた形より2廻りは小さい、少年の手であるのが見て取れる。

 自分がなぜ見上げているのか、享一にはわからなかった。
ただ、今の自分には、守らねばならければいけないものが出来たという思いだけが、空洞と化した自分の躯の内側を支え支配していた。それまで、時見 享一という人間を形成し庇護しくれていたものが、急に形を崩し消え去ってしまった後の虚無感に、中学生になったばかりの享一は、戸惑っていた。自分の感情を、どのように表現すればよいのかも分からず、困り果ててもいた。

 暗闇の中、すぐ背後で子供の泣く小さな声がして、心臓が跳ね上がるほど驚いた。
 弟だろうか?不意に小さな手が享一の手のひらを握り、ぎゅっと力を込めて握り締めた。湿った小さな手から熱が伝わり、享一も無意識のうちにその手を握り返す。その小さな温もりに、どうしようのない切なさが込上げる。

 この感情は一体どこから来るのか?緩く手を引かれる感覚に視線を下ろした享一の目から、涙が零れ落ちた。空洞だと思っていた躯の内側は、いつの間にか愛情とか喪失感、思慕といったわけのわからない感情が溢れ返り、出口を求めたそれらは透明な雫となって暗闇の中に落ちていった。

 すっと手のひらが軽くなり視線を落とすと、手の中にあった筈の子供の手は無くく、湿っぽい温もりだけが皮膚の上に薄く残っている。振返って見渡しても、自分を包み込む、したたるような闇があるのみだ。どこへ行ってしまったのだろうか?一体、何者だったのだろう?まだこの闇のどこかにいるような気がして、知るはずもない筈の子供の名前を呼ぶ自分の声で、目が覚めた。


 和紙を透した常夜灯代わりのスタンドの仄暗い灯りの中に、書院造の古い日本家屋の天井や障子の桟、珍しい幾何学模様の欄間が、ぼんやり浮かび上がっている。見慣れない光景にやっと、昨日から周(あまね)の実家である庄谷の屋敷に来ていることを思い出した。携帯を開くと、04:23と出た。

 隣には、美しい造形をもつ男が静かに目を閉じて横たわっている。
出会って5年が経とうというのに、出会った頃と変わらぬ引力で、いや、それ以上の強い力で自分を惹きつけ続ける。

 この男と、一緒に暮らしたら自分はどうなってしまうのだろう。きっと、自分を無くしてしまうくらいのめり込むに違いない。溜息を吐きながら、前髪を掻き揚げる額に金属のあたる感触を覚え、左手を見た。
ぬめるようなプラチナの起伏を戒めるかのように、翡翠の葉をもつ同じプラチナの蔓が巻きつく細かい細工の施された指輪が薬指に嵌っている。いつもは、存在を主張しすぎるこの幅広の指輪は、紅い絹の紐に通して首からかけているが、昨日、周と落ち合った際に周の手で薬指に嵌められた。

 昨日、この地。庄谷の里へ向かう道中で軽い諍いがあった。
 もう何度も同じ内容で話し合い、そしてその度、互いの意見が決裂して終わる。『好きすぎて、想いすぎて一緒に暮らす事が出来ない』、などという心理は、「もっと自分に溺れて、メロメロになればいい」 と、赤面もののセリフを恥ずかしげもなく豪語する男には通用しない。

 他にも、まだ記憶に新しいNKホールディングスの買収事件で、未だ周はマスコミから目を付けられている。視聴率に直結しそうな周の容姿と、一気に上がった知名度に目をつけたパパラッチの類のものだが、もうひとつまことしやかに囁かれるのは、買収時の違法性を問うものだった。後者に関してはかなり気になるところもあるが、周は買収の経緯その他一切を語ろうとはせず、背後から大きな力が動いているのか、今のところ買収時の裏事情が表面化することはない。加えて、神前雅巳の絡む話でもあることから、享一にとっても気持ちのよいものではなく、敢えて踏み込んで触れることはしなかった。

 大企業の乗っ取りを目論んだファンドの美貌の代表の恋人が男とあっては、折角落ち着いた騒動が、大衆の嫌悪と好奇を上乗せして再燃することは想像に易い。
周を守りたい。その気持ちが『一緒に暮らそう』と言ってくれる周から、また一歩自分を遠ざけていく。

 だが、今は柔らかい闇に包まれ、ここにこうして2人いる。
 美しく通った鼻梁や軽く閉じられた薄い大き目の唇に愛おしさが込み上げ、安堵に似た溜息を吐くいた。色彩を欠いた、周不在の2年をよく自分は耐えられたものだと思う。
立体的なカーヴを見せる睫は閉じたままで、その下の指輪に嵌った石と同じ色の瞳がある。目蓋が薄く開いて、その翠の宝石が現れる瞬間を息を潜めて待つ。詳細は思い出せないのに、言いようのない不安な気持ちの残る夢見の悪さを、濡れた翡翠を思わせる周の鮮やかな虹彩を見ることで払拭したかった。

 障子を隔てて秋の虫の声が聞こえてくる。透き通り始めた物悲しい秋の空気に、ただ周の体温を感じたくて、閉じた口角に軽く唇を押し付けた。すると、心にほんのりと明るい灯火が燈り、ここにこうして2人いることへの歓喜が沸き起こる。
ゆるやかな起伏をみせる目蓋は閉じられたままだ。起こさないように、吐息だけで囁いた。
「朝までは、お預けだな」
 朝になったら、夢の話を聞いてもらおう。だが、話すべき夢のほとんどが既に靄に包まれたように朧で、再び目覚める頃にはすっかり忘れていそうだ。

 もう一度、寝直そうと引きかけた手をいきなり強い力で摑まれ、心臓がドクンととびあがる。
眠っていると思っていた目蓋が天井を向いたまま突然開き、すうっと線を引くように光沢のある翡翠の瞳だけがこちらを向いた。
「俺は、朝までなんて、待っていられないけどな」
大きく息を吹き返した男が、完璧な美を取り戻し艶やかに笑いながら掴んだ享一の腕を引いた。



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テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学