04 ,2009
今朝も、オレは電車型の枠の中に客を押し込んでいる。
ぎゅうぎゅう詰めの客の身体の間からすうっと手が伸びてきて俺のポケットに小さな紙片を落とし込むと、また灰色と紺色の縒れた生地の合間に消えていく。
まるで異次元ポケットから腕が生えてきたみたいだ。
発車のメロディと共に電車から離れ顔を上げる。そこにはいつもの涼しい顔があり、ドアが閉まると同時にいつもと同じく俺の視界からかき消えた。ポケットから紙片を取り出しさっと見て掌で丸めポケットに戻す。
『夜勤明けお疲れ様です。19時 ロータリーで待っています。』
整った几帳面な文字が並ぶ。
必要事項の前にワンフレーズが付くところが品の良い人柄を示す。
「調子が狂うな」
初めてプライベートな時間に会ったその日に俺たちはベッドインした。
即物的なゲイカップルの逢瀬。
別に、珍しい事ではない。ましてや、オレ達はカップルですらない。
俺たちの関係に強いて名前をつけるなら、セフレというヤツだろうか。
時間が合えば、会って躯を重ねる。食事する時もあれば、深夜のバーで待ち合わせそのままホテルへ直行することもある。
使うホテルは決まっていて、最初に行った海辺のホテルか、街中にありながら木々に囲まれた静かなホテルかのどちらかだった。どちらも質がよく申し分ないが、どちらかと言うとこじんまりしたホテルで、こういうホテルの方が却って値が張ったりする。一度、お手軽で安価なソレ用のホテルは使わないのかと尋ねたことがあるが、利用した事がないという返答にお互いの住む世界のレイヤーの違いを感じた。
質の良い服、食事、ホテル、何一つとっても自分とは対岸にある男なのだと思った。
多分、もっと会話を掘り下げれば、価値観も習慣も生まれも環境も根こそぎ自分の想像すら及ばないところにいる人間なんだろう。
つまり、アレだ。
エイリアン[alien]。
未知なる生き物、オレ達の共通言語は性行為って訳だ。
エイリアンは、なかなか気遣いの出来るヤツらしく、会う時間は普通のサラリーマンとズレている、平凡な人間のオレの勤務時間にあわせて時間を調節してくれる。
「どうして、オレに声を掛けたんです?」
ホテルの庭に設えられたテーブルにエイリアンと向かい合わせで座っていた。
オイルキャンドルの明かりの中、目の前の大きな白い皿の真中に、お上品に盛られた”空豆と海老のサラダ”をフォークで刺そうとすると、ドレッシングで空豆が滑って、エイリアンの皿の上にポトンと落ちた。
エイリアンは少し目を大きくすると、その鮮やかなグリーンの空豆を自分のフォークで刺しついでに小エビと、サラダの上に載っかった黄色い豆の花を突き刺して、俺の前に差し出した。オイル系のドレッシングのからまった、豆の緑と海老の赤、黄色い花びらが俺の食欲を誘う。
オレは一瞬躊躇ったが、周りに目を配せすると素早くフォークにパクついた。
旨い。問題は量だけだ、少なすぎる。
「顔に、誘惑OKって書いてあったから」 なめらかな声が答える。
唐突に答えられ、一瞬何のことか失念していたが、自分の放った質問を思い出し、思わず手で顔を押さえた。その様子に、涼やかな目が細まって、微笑む。
そんなもの欲しそうな顔をしてたんだろうか、オレは・・・・
次のエイリアンのセリフにオレは、鼻白んだ
「君はね、人恋しそうな顔をしていた」
エイリアンは、苗字を三沢といった。
だがそれも、ホテルで『三沢様』と呼ばれるのを聞いて、『三沢』というのか、と思ったのみで2ヶ月もこの関係が続いているのに、お互い下の名前は知らなかった。
最初に、抱きたいか抱かれたいかを聞くと三沢は、まずは抱きたいと言い、そのままオレは抱かれ続けている。もし、オレが抱きたいといったら、三沢はこの綺麗に筋肉のついた、柑橘系の花のような匂いのする肌理の細やかな肢体を、オレに抱かせてくれるのだろうか?
「君、名前は?」
あの日以来、三沢はオレの名前を訊かない。
2人で会うときは、いつも車で現れるくせに、毎朝通勤電車に押し込められながら、涼しい笑みを送ってくる。
今も、その涼しい余韻を残してドアが閉まった。雑多で殺伐とした時間の中で三沢の周りにだけ、他とは違う緩やかな時間が流れているようだ。思わずつられて笑みを返しそうになり、一斉にこちらに目を向ける複数の客と目が合って慌てて咳払いをして誤魔化す。
「調子が狂うな」
あと一ヶ月で駅務掛の研修が終わる。そのことは、三沢には話していない。
なぜ、オレは話さないんだろう?
携帯番号も教えあわず、どこに住んでいるのかも知らない。
朝、三沢が寄越してくる紙片だけが俺たちを繋ぐ。
研修が終わってこのホームに立たなくなれば、オレ達の些細な関係なんて簡単に消滅してしまう。
今朝もオレは、三沢をのせた電車が小さくなって消えるのをぼんやり見送った。
←前話 次話→
ラッシュアワー1 ・ 2
ぎゅうぎゅう詰めの客の身体の間からすうっと手が伸びてきて俺のポケットに小さな紙片を落とし込むと、また灰色と紺色の縒れた生地の合間に消えていく。
まるで異次元ポケットから腕が生えてきたみたいだ。
発車のメロディと共に電車から離れ顔を上げる。そこにはいつもの涼しい顔があり、ドアが閉まると同時にいつもと同じく俺の視界からかき消えた。ポケットから紙片を取り出しさっと見て掌で丸めポケットに戻す。
『夜勤明けお疲れ様です。19時 ロータリーで待っています。』
整った几帳面な文字が並ぶ。
必要事項の前にワンフレーズが付くところが品の良い人柄を示す。
「調子が狂うな」
初めてプライベートな時間に会ったその日に俺たちはベッドインした。
即物的なゲイカップルの逢瀬。
別に、珍しい事ではない。ましてや、オレ達はカップルですらない。
俺たちの関係に強いて名前をつけるなら、セフレというヤツだろうか。
時間が合えば、会って躯を重ねる。食事する時もあれば、深夜のバーで待ち合わせそのままホテルへ直行することもある。
使うホテルは決まっていて、最初に行った海辺のホテルか、街中にありながら木々に囲まれた静かなホテルかのどちらかだった。どちらも質がよく申し分ないが、どちらかと言うとこじんまりしたホテルで、こういうホテルの方が却って値が張ったりする。一度、お手軽で安価なソレ用のホテルは使わないのかと尋ねたことがあるが、利用した事がないという返答にお互いの住む世界のレイヤーの違いを感じた。
質の良い服、食事、ホテル、何一つとっても自分とは対岸にある男なのだと思った。
多分、もっと会話を掘り下げれば、価値観も習慣も生まれも環境も根こそぎ自分の想像すら及ばないところにいる人間なんだろう。
つまり、アレだ。
未知なる生き物、オレ達の共通言語は性行為って訳だ。
エイリアンは、なかなか気遣いの出来るヤツらしく、会う時間は普通のサラリーマンとズレている、平凡な人間のオレの勤務時間にあわせて時間を調節してくれる。
「どうして、オレに声を掛けたんです?」
ホテルの庭に設えられたテーブルにエイリアンと向かい合わせで座っていた。
オイルキャンドルの明かりの中、目の前の大きな白い皿の真中に、お上品に盛られた”空豆と海老のサラダ”をフォークで刺そうとすると、ドレッシングで空豆が滑って、エイリアンの皿の上にポトンと落ちた。
エイリアンは少し目を大きくすると、その鮮やかなグリーンの空豆を自分のフォークで刺しついでに小エビと、サラダの上に載っかった黄色い豆の花を突き刺して、俺の前に差し出した。オイル系のドレッシングのからまった、豆の緑と海老の赤、黄色い花びらが俺の食欲を誘う。
オレは一瞬躊躇ったが、周りに目を配せすると素早くフォークにパクついた。
旨い。問題は量だけだ、少なすぎる。
「顔に、誘惑OKって書いてあったから」 なめらかな声が答える。
唐突に答えられ、一瞬何のことか失念していたが、自分の放った質問を思い出し、思わず手で顔を押さえた。その様子に、涼やかな目が細まって、微笑む。
そんなもの欲しそうな顔をしてたんだろうか、オレは・・・・
次のエイリアンのセリフにオレは、鼻白んだ
「君はね、人恋しそうな顔をしていた」
エイリアンは、苗字を三沢といった。
だがそれも、ホテルで『三沢様』と呼ばれるのを聞いて、『三沢』というのか、と思ったのみで2ヶ月もこの関係が続いているのに、お互い下の名前は知らなかった。
最初に、抱きたいか抱かれたいかを聞くと三沢は、まずは抱きたいと言い、そのままオレは抱かれ続けている。もし、オレが抱きたいといったら、三沢はこの綺麗に筋肉のついた、柑橘系の花のような匂いのする肌理の細やかな肢体を、オレに抱かせてくれるのだろうか?
あの日以来、三沢はオレの名前を訊かない。
2人で会うときは、いつも車で現れるくせに、毎朝通勤電車に押し込められながら、涼しい笑みを送ってくる。
今も、その涼しい余韻を残してドアが閉まった。雑多で殺伐とした時間の中で三沢の周りにだけ、他とは違う緩やかな時間が流れているようだ。思わずつられて笑みを返しそうになり、一斉にこちらに目を向ける複数の客と目が合って慌てて咳払いをして誤魔化す。
「調子が狂うな」
あと一ヶ月で駅務掛の研修が終わる。そのことは、三沢には話していない。
なぜ、オレは話さないんだろう?
携帯番号も教えあわず、どこに住んでいるのかも知らない。
朝、三沢が寄越してくる紙片だけが俺たちを繋ぐ。
研修が終わってこのホームに立たなくなれば、オレ達の些細な関係なんて簡単に消滅してしまう。
今朝もオレは、三沢をのせた電車が小さくなって消えるのをぼんやり見送った。
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ラッシュアワー1 ・ 2