02 ,2009
盛大な拍手と共に講演会は幕を閉じた。
会場からの質疑応答の中ホールを出ると、反対側のドアから同じように出てきてそのまま出口に向かうほっそりとした姿にハッとした。
その横顔がエントランスの外に何かを見つけたのかパッと華やぎ、艶やかに微笑む。
足取りも軽く、歩を速めエントランスを飛び出していく。
その後姿を目で追うとその先には赤いフェアレディがあった。車の前に立つ男の元に真っ直ぐに向かっていき、蕩けるような笑みを浮かべるその男の前で止まると、照れたように顔を真っ赤にし伸ばされた手をすり抜け車内にその清艶な姿を消した。
先程の頬を高潮させた桜の蕾が綻んだような見事な微笑が、彼が現在(いま)本当に望んだものを手に入れ、幸せに満たされている事を物語っている。彼は、はたして圭太の傍であんな幸せそうな顔をしていただろうか?
時見 享一。艶やかで綺麗な圭太の元恋人。
自分が恋する圭太の恋人である享一を、花隈 静(せい)は決して嫌いではなかった。やや硬めだが、控えめで気遣いの出来る享一にシンパシーを覚え、好ましくさえ思っていた。だが、先の薄紅の桜が一斉に開花したような、清廉なくせに艶を注したような貌を見せられ複雑な心境に陥る。
彼は、圭太のことをどう思っていたのだろう?
ホ-ルから人が吐き出されエントランスを過ぎて行った。建築に感心を持つ者、圭太の教え子らしき学生たち、単にモデル張りに容姿が良く新進気鋭と称される建築家・河村 圭太のファンの女性たち、皆、口々にレクチャーの内容についてや河村への称賛を口にしながら去っていく。
自分だけが異質で、ポツンと浮いている気がした。
人も掃けて半時が過ぎた頃に、漸く圭太が奥の関係者用の通用口から出てきた。
背後に所員らしき2人の若い男がついてきている。
圭太が自分を見つけると驚いたように目を丸くするのを見て、自分が待っていたことが迷惑だったかもしれない事に気付き、感付いた気持ちを誤魔化すように、ゆるく笑って見せた。
全く、客商売をしていながら、相手の立場に考えが至らなかったとは、なんたる失態。
圭太に会える、それだけで浮き足立っていた自分が恥ずかしくて、いたたまれなくなる。
「シズカ、今まで待ってくれていたのか?」
「いや、ちょっと時間があったから・・・はい、これ圭太さんの好きな
シャトー オー・ブリオンと、ナパの白。講演、お疲れ様でした」
「お、サンキュ、シズカ。時間があるなら、ちょっと飲んで帰らないか?」
そう言って破顔した圭太は、背後の2人を親指でクイクイと指し示した。
「いや、これから帰って店を開けなくちゃいけないんだ。今日は、久しぶりに顔を見ようと思って寄っただけだから。じゃあ・・・圭太さん、また店にも来て下さい」
踵を返して美術館を出、駅に向かった。
本当は、今日はシーラカンスの定休日だ。
店を開けるというのは、咄嗟に口をついて出た嘘で、これから打上げに行くであろう圭太達に気を使わせないための方便だった。
慣れない嘘をついた顔が熱くなる。早くこの場から逃げ出したい。
エントランスから外に出た足は、早く姿を消してしまおうと一目散に駅に向かう。
その腕をとられて驚いた。
「待てよ!シズカ。何度も呼んでるのに。・・・駅はそっちじゃないだろう?」
聞き慣れているはずの圭太の声に心臓が跳ね上がった。
「え?」
見れば、圭太の背後、振り返った自分の進路とは間逆の方向に地下鉄の目立つ目印が掲げられている。間抜けな自分に、頬が熱くなった。
その横顔に、呆れたような圭太の声が投げられる。
「お前、相変わらず、方向音痴だな。車で送ってやるから、ここで待ってろよ」
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会場からの質疑応答の中ホールを出ると、反対側のドアから同じように出てきてそのまま出口に向かうほっそりとした姿にハッとした。
その横顔がエントランスの外に何かを見つけたのかパッと華やぎ、艶やかに微笑む。
足取りも軽く、歩を速めエントランスを飛び出していく。
その後姿を目で追うとその先には赤いフェアレディがあった。車の前に立つ男の元に真っ直ぐに向かっていき、蕩けるような笑みを浮かべるその男の前で止まると、照れたように顔を真っ赤にし伸ばされた手をすり抜け車内にその清艶な姿を消した。
先程の頬を高潮させた桜の蕾が綻んだような見事な微笑が、彼が現在(いま)本当に望んだものを手に入れ、幸せに満たされている事を物語っている。彼は、はたして圭太の傍であんな幸せそうな顔をしていただろうか?
時見 享一。艶やかで綺麗な圭太の元恋人。
自分が恋する圭太の恋人である享一を、花隈 静(せい)は決して嫌いではなかった。やや硬めだが、控えめで気遣いの出来る享一にシンパシーを覚え、好ましくさえ思っていた。だが、先の薄紅の桜が一斉に開花したような、清廉なくせに艶を注したような貌を見せられ複雑な心境に陥る。
彼は、圭太のことをどう思っていたのだろう?
ホ-ルから人が吐き出されエントランスを過ぎて行った。建築に感心を持つ者、圭太の教え子らしき学生たち、単にモデル張りに容姿が良く新進気鋭と称される建築家・河村 圭太のファンの女性たち、皆、口々にレクチャーの内容についてや河村への称賛を口にしながら去っていく。
自分だけが異質で、ポツンと浮いている気がした。
人も掃けて半時が過ぎた頃に、漸く圭太が奥の関係者用の通用口から出てきた。
背後に所員らしき2人の若い男がついてきている。
圭太が自分を見つけると驚いたように目を丸くするのを見て、自分が待っていたことが迷惑だったかもしれない事に気付き、感付いた気持ちを誤魔化すように、ゆるく笑って見せた。
全く、客商売をしていながら、相手の立場に考えが至らなかったとは、なんたる失態。
圭太に会える、それだけで浮き足立っていた自分が恥ずかしくて、いたたまれなくなる。
「シズカ、今まで待ってくれていたのか?」
「いや、ちょっと時間があったから・・・はい、これ圭太さんの好きな
シャトー オー・ブリオンと、ナパの白。講演、お疲れ様でした」
「お、サンキュ、シズカ。時間があるなら、ちょっと飲んで帰らないか?」
そう言って破顔した圭太は、背後の2人を親指でクイクイと指し示した。
「いや、これから帰って店を開けなくちゃいけないんだ。今日は、久しぶりに顔を見ようと思って寄っただけだから。じゃあ・・・圭太さん、また店にも来て下さい」
踵を返して美術館を出、駅に向かった。
本当は、今日はシーラカンスの定休日だ。
店を開けるというのは、咄嗟に口をついて出た嘘で、これから打上げに行くであろう圭太達に気を使わせないための方便だった。
慣れない嘘をついた顔が熱くなる。早くこの場から逃げ出したい。
エントランスから外に出た足は、早く姿を消してしまおうと一目散に駅に向かう。
その腕をとられて驚いた。
「待てよ!シズカ。何度も呼んでるのに。・・・駅はそっちじゃないだろう?」
聞き慣れているはずの圭太の声に心臓が跳ね上がった。
「え?」
見れば、圭太の背後、振り返った自分の進路とは間逆の方向に地下鉄の目立つ目印が掲げられている。間抜けな自分に、頬が熱くなった。
その横顔に、呆れたような圭太の声が投げられる。
「お前、相変わらず、方向音痴だな。車で送ってやるから、ここで待ってろよ」
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