02 ,2009
木瓜は、枝を持つ左手に背後から伸びた手指がすうっと添えられ、真中よりやや下辺りでパチンと音をたて二つに分かれた。京間4畳ほどの静かな空間に、忠桐(ただひさ)の操る鋏の音だけが小気味良く響く。障子に映える春の日差しに竹笹の影が音も無く揺れている。
「あ~、俺、もうちょっと長めで使いたかったのにな」
「トモ、半人前どころか、ズブの素人を脱していない分際で
僕に意見するなよ。ほら、見てて」
忠桐はそう言うと手元に残った木瓜の枝を手を添えたまま、なげいれの花器に生けた。目の前に、春の野を思わせる小さな空間が現れる。木瓜と花韮のたった2種の花しか使っていないのに、木瓜の枝ぶりや花韮の花の絶妙のバランスが、そこに静謐でありながら、流麗な侘び寂びと呼ばれる宇宙を生む。
俺は、忠桐に会うまで、自分の中にもいかにも日本人といった、こんな感覚が存在するとは思ってもいなかった。目の前の新たに生まれた優美な世界に心奪われていると、耳の下の窪みに柔らかい温もりを感じ、ドクンとひとつ心臓が高鳴った。
「朋樹・・・」
ザーッ、とひと際強い風が笹の葉を煽る音がして、躙(にじ)り口から反射した蹲(つくばい)の水が天井でさんざめく。
「忠桐、やめろって。誰かが来たら、どうすんだよ」
頬やら、耳朶が眩暈がするくらい熱くなる。
きっと自分は茹蛸のようになっているに違いない。
声も無く気配だけで笑った忠桐は、木瓜を包んでいた紙を丸めて捨て、活けたばかりの花器を床に据えると躙り口の戸を閉めた。
「臆病だな、トモは」
「見られて困んのは、俺よりお前の方だと思うけど?」
「破門されるのも悪くない。家を継がなくていいし朋樹とも一緒にいられる。
一石二鳥じゃん。トモ、いつまで正座してんの。もういいぜ、足、崩せよ。」
由緒正しい華道の家元の跡継ぎが、ゲイだと知れた暁には、上を下への大騒ぎになること必至で、実際は、忠桐の言うそんな簡単なものではないだろう。
「うへぇ、痺れたっ!痛ってーーっ」
「情けナイ」
完璧に整った忠桐の綺麗な横顔が、つんと鼻をそびやかす。
「13年の正座キャリアを持つお前と一緒にすんなよなっ」
崩した足はガシガシに痺れていて、そのまま畳の上に大の字で転がった。
痺れた足に急激に血が通う気持ち悪さに、全身が脱力する。俺の上に跨ってきた忠桐の指が伸びてきて制服のカッターの釦を外しにかかる。俺も、忠桐のベルトのバックルに手を掛けた。これから始まる事への期待感に、熱い吐息が漏れそうになる。学年末テストの最終日、マックで昼飯を喰ってそのまま忠桐の家にやって来た。
表向きは”華道の指導”。なんだ、こりゃ?ダジャレにしてもイケてない。
「忠桐、こんなに花が好きなのに、なんで華道部作んねぇの?」
「作ったら、トモは入ってくれんの?」
「俺はさ、ほら、ハンドのキャプテンだし・・・ふっ・・ん」
サワサワサワ・・・・強くなった風が笹の葉を鳴らす。重ねた唇が外れ項や鎖骨に移動する。忠桐の柔らかい髪が肌を擽って、テスト期間中の”禁欲生活”を強いた身体にサワサワと波を引き寄せる。
サワサワサワサワ・・・・ああ、もう笹の葉の鳴る音なのか自分の血潮が体内を駆巡る音なのか、わからなくなる。忠桐が、眼鏡を外して俺たちの脱ぎ捨てた制服の上に置いてからポツリと言った。
「僕ら、もう3年だろ。この先、もう無駄な事に時間は割きたくない」
「じゃ、これはどうよ?どう考えても、受験の邪魔だぜ」
忠桐の長い睫が、探るように上を向く。その下の瞳は俺の罪を裁くように俺を見つめている。少し意地悪だったかと反省するも、不意にその顔が笑った。いや、正確には、瞳以外はと言うべきかもしれない。
「ダブルスタンダードなトモの口は信用ならないからな。
無駄で邪魔なものかどうかは、こっちより100倍素直なトモ君に訊いてみる・・・」
そう言って、忠桐は俺の唇を軽く捻り上げた。
サワサワサワサワ・・・極って仰け反らせた視線の先に、2人で生けた木瓜が見える
----二人で生みだした、小さな宇宙。
絡まる指が汗ばんで溶け合う皮膚が、何よりも自分の心が、高校を卒業しても、その先もずっと忠桐と一緒にいたいと訴えている。
「忠桐・・・好きだ」
「あたりまえ。それ以外の答えは許さないから」
風の音に笹の影が再び大きく揺れる。
俺たちは、もう一度唇を合わせた。
-放春花
-fin-
関連小説 flower Ⅱ―Sakura Spiral
flower Ⅲ―花喰い