10 ,2008
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「お待たせして、申し訳ありませんでした。永邨の家からお迎えに上がりました、
茅乃(かやの)と申します」
振り返ると陽炎の中に、このド田舎に不釣合いの華やかに洗練された和服の美少女が立っていた。透けるような白い肌、ふっくらとした唇、漆黒の長い髪濃い紫の地に、菖蒲が大胆に白抜きされた粋な着物を着た、美しい日本人形が続けて口を開く。
「お荷物は?」
「アレだけど…」と、駅前の花壇の横を指差す。
5日間の滞在予定だったが、古民家のディティールを正確に写し取ろうと、模型用の
パネルやスタイロ、スケッチブック、ノートPCなどかなりの量だ。
「鳴海、お持ちして!」
いきなり少女の唇が、その愛らしさに似合わぬ棘のある鋭い声で指示を出した。
「いえ、自分でやりますから」
これから世話になろうというのに、自分の事ぐらいは自分で、と荷物に向かって踏み出したが、丁寧だが硬く張った男の声に止められた。
「時見様、すぐ終わりますので、お待ちください」
享一を制したのは、まだ若い20代後半と思しき、銀縁眼鏡を架けた目許涼しげな表情のスーツ姿の男だった。しなやかな動きで享一の荷物を手際良く車に積み込むと、男のイメージとよく合った漆黒のジャガーの後部座席ドアを、開けて立った。
「お待たせしました。茅乃様、時見様、どうぞ」
浮いている。鳴海も、茅乃も、もちろん黒のジャガーも。都会で撮った写真を、コラージュしてド田舎にべタッと貼り付けたようだ。田舎の古い家を見せて貰いに行くのだから、てっきり迎えは田舎もん的な感じの気のいいおばちゃんか、おじいちゃんみたいな人が来るのかと思っていた。
その事を話すと鳴海は苦笑し、茅乃は朗らかに笑った。
茅乃のティーンエイジャーらしい瑞々しい笑い声に、場が一気に華やいだ。
「時見享一です。よろしくお願いします」改めて挨拶をする。
「鳴海です。ハイヤー及びその他の"雑用"をこなしております」
「鳴海は、お兄様専用なんですわよね」
茅と名乗る少女の声に僅かに拗ねる響きを感じて、何気に茅の顔を伺う。
茅は形のよい鼻をツンと逸らしているのに、瞳は潤む感じで鳴海を見ていた。
もしかしたら、この娘は 優雅に車のドアを支えるこの男に、気持ちがあるのかもしれない。
年の違いを考えると、憧れとでも言うのか。ふと、”憧れ”というワードに突然、脳裏に由利の言葉が蘇り、舌の付根に苦味が広がった。
「私は、茅乃様や美操様のお役に立ちたいと、いつも思っておりますが?」
鳴海は薄く笑ったが、茅はそっぽを向いてサッサと乗り込むと、享一にも乗るように促した。
どうやら、ステイ先は複雑な人間模様なのかもしれない。”お兄様専用”の言葉に、自分と同年代の息子がいると想定された。
ハイヤー付のジャガーを所有する田舎の家。意に反して今風に改築でもされていたら、調査の意味がない。紹介してくれた教授の話では重要文化財に指定されているとの事だったが、いかにも都会的な鳴海達とこの車からは、どうも”古民家”が連想出来ない。
享一は、上質のレザーシートに座りながら、密かに不安を覚えた。
享一の心配をよそに、20分ほど走って着いた屋敷は、古い豪商の家だった。
造りも規模も、予想をはるかに超えた立派な建物だ。豪奢な母屋や並び建つ蔵に圧倒される。
「200年以上前に建てられたものらしいです」
はっと、ニヤついていたかもしれない顔を引き締める。
「ああ、茅乃さん俺の荷物運ばないと。どこですか?」
「美操(みさお)です。はじめまして。享一さんのお荷物は、
鳴海と姉がお部屋のほうへ運んでおりますわ。お疲れでしょう?
どうぞ、夕食の前にお湯をお使いくださいませ」
そう言うと、固い蕾も思わず綻びそうな、艶やかなな笑みを享一に向けた。
享一の目が、釘付けになっているのに気付いたのか「双子なんです」と恥かしそうに笑う。
湯をもらい、用意された濃紺の薄手の着物に袖を通す。廊下に出たところで、延びてきた白い手に襟元を直され、美操だと思い礼を言うと、「茅乃です」と薄笑いで返され、面食らった。双子だから似ていて当たり前だが、身に付けるものまで同じというのは不親切というものだ。
広間まで案内される間、200年の歴史をもつ屋敷の重厚さに圧倒され、見るもの総てに感心しながら 視線が辺りを彷徨う姿は、まるで美術館を見物をするおのぼりさんと変わらない。
子供のように、何度も茅乃に先を促されながら、少女の後について行く。
長年磨きこまれた飴色の光沢の廊下、精度の良い金物細工、柱から外側に伸びた持送りは一つひとつ意匠変えるという趣向が凝らしてあって、目に留まる度 つい足が止まってしまう。
置いてある調度品からして 代々、相当な資産家であったことが伺えた。
享一の心と目を奪う業の数々、まさに宝物庫のような屋敷だった。
「お兄様、享一様をお連れしました」
茅乃に案内され庭に面した広縁を通って、広間に入り”兄”と呼ばれた人と対峙した
瞬間、享一の目は止めのように釘付けになり、引き付けを起こしそうになった。
「茅乃、ご苦労様だったね。佐野さんに食事を始めますと伝えてきてくれないか。
時見君は、どうそ私の隣へ」
正面で胡坐を掻き膝の上に、シャツの袖をまくり上げた腕で頬杖をついて
享一に隣席を勧める人物に、自分の総てを持っていかれていた。
「お待たせして、申し訳ありませんでした。永邨の家からお迎えに上がりました、
茅乃(かやの)と申します」
振り返ると陽炎の中に、このド田舎に不釣合いの華やかに洗練された和服の美少女が立っていた。透けるような白い肌、ふっくらとした唇、漆黒の長い髪濃い紫の地に、菖蒲が大胆に白抜きされた粋な着物を着た、美しい日本人形が続けて口を開く。
「お荷物は?」
「アレだけど…」と、駅前の花壇の横を指差す。
5日間の滞在予定だったが、古民家のディティールを正確に写し取ろうと、模型用の
パネルやスタイロ、スケッチブック、ノートPCなどかなりの量だ。
「鳴海、お持ちして!」
いきなり少女の唇が、その愛らしさに似合わぬ棘のある鋭い声で指示を出した。
「いえ、自分でやりますから」
これから世話になろうというのに、自分の事ぐらいは自分で、と荷物に向かって踏み出したが、丁寧だが硬く張った男の声に止められた。
「時見様、すぐ終わりますので、お待ちください」
享一を制したのは、まだ若い20代後半と思しき、銀縁眼鏡を架けた目許涼しげな表情のスーツ姿の男だった。しなやかな動きで享一の荷物を手際良く車に積み込むと、男のイメージとよく合った漆黒のジャガーの後部座席ドアを、開けて立った。
「お待たせしました。茅乃様、時見様、どうぞ」
浮いている。鳴海も、茅乃も、もちろん黒のジャガーも。都会で撮った写真を、コラージュしてド田舎にべタッと貼り付けたようだ。田舎の古い家を見せて貰いに行くのだから、てっきり迎えは田舎もん的な感じの気のいいおばちゃんか、おじいちゃんみたいな人が来るのかと思っていた。
その事を話すと鳴海は苦笑し、茅乃は朗らかに笑った。
茅乃のティーンエイジャーらしい瑞々しい笑い声に、場が一気に華やいだ。
「時見享一です。よろしくお願いします」改めて挨拶をする。
「鳴海です。ハイヤー及びその他の"雑用"をこなしております」
「鳴海は、お兄様専用なんですわよね」
茅と名乗る少女の声に僅かに拗ねる響きを感じて、何気に茅の顔を伺う。
茅は形のよい鼻をツンと逸らしているのに、瞳は潤む感じで鳴海を見ていた。
もしかしたら、この娘は 優雅に車のドアを支えるこの男に、気持ちがあるのかもしれない。
年の違いを考えると、憧れとでも言うのか。ふと、”憧れ”というワードに突然、脳裏に由利の言葉が蘇り、舌の付根に苦味が広がった。
「私は、茅乃様や美操様のお役に立ちたいと、いつも思っておりますが?」
鳴海は薄く笑ったが、茅はそっぽを向いてサッサと乗り込むと、享一にも乗るように促した。
どうやら、ステイ先は複雑な人間模様なのかもしれない。”お兄様専用”の言葉に、自分と同年代の息子がいると想定された。
ハイヤー付のジャガーを所有する田舎の家。意に反して今風に改築でもされていたら、調査の意味がない。紹介してくれた教授の話では重要文化財に指定されているとの事だったが、いかにも都会的な鳴海達とこの車からは、どうも”古民家”が連想出来ない。
享一は、上質のレザーシートに座りながら、密かに不安を覚えた。
享一の心配をよそに、20分ほど走って着いた屋敷は、古い豪商の家だった。
造りも規模も、予想をはるかに超えた立派な建物だ。豪奢な母屋や並び建つ蔵に圧倒される。
「200年以上前に建てられたものらしいです」
はっと、ニヤついていたかもしれない顔を引き締める。
「ああ、茅乃さん俺の荷物運ばないと。どこですか?」
「美操(みさお)です。はじめまして。享一さんのお荷物は、
鳴海と姉がお部屋のほうへ運んでおりますわ。お疲れでしょう?
どうぞ、夕食の前にお湯をお使いくださいませ」
そう言うと、固い蕾も思わず綻びそうな、艶やかなな笑みを享一に向けた。
享一の目が、釘付けになっているのに気付いたのか「双子なんです」と恥かしそうに笑う。
湯をもらい、用意された濃紺の薄手の着物に袖を通す。廊下に出たところで、延びてきた白い手に襟元を直され、美操だと思い礼を言うと、「茅乃です」と薄笑いで返され、面食らった。双子だから似ていて当たり前だが、身に付けるものまで同じというのは不親切というものだ。
広間まで案内される間、200年の歴史をもつ屋敷の重厚さに圧倒され、見るもの総てに感心しながら 視線が辺りを彷徨う姿は、まるで美術館を見物をするおのぼりさんと変わらない。
子供のように、何度も茅乃に先を促されながら、少女の後について行く。
長年磨きこまれた飴色の光沢の廊下、精度の良い金物細工、柱から外側に伸びた持送りは一つひとつ意匠変えるという趣向が凝らしてあって、目に留まる度 つい足が止まってしまう。
置いてある調度品からして 代々、相当な資産家であったことが伺えた。
享一の心と目を奪う業の数々、まさに宝物庫のような屋敷だった。
「お兄様、享一様をお連れしました」
茅乃に案内され庭に面した広縁を通って、広間に入り”兄”と呼ばれた人と対峙した
瞬間、享一の目は止めのように釘付けになり、引き付けを起こしそうになった。
「茅乃、ご苦労様だったね。佐野さんに食事を始めますと伝えてきてくれないか。
時見君は、どうそ私の隣へ」
正面で胡坐を掻き膝の上に、シャツの袖をまくり上げた腕で頬杖をついて
享一に隣席を勧める人物に、自分の総てを持っていかれていた。