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紙魚

Author:紙魚
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*お知らせ*
長らくみなさまから頂戴した拍手コメント・メールへのお返事は、別ブログの”もんもんもん”にてさせて頂いていましたが、2016年4月より各記事のコメント欄でお返事させて頂くことにしました。今まで”もんもんもん”をご訪問くださり、ありがとうございました。く



    
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Category: 翠滴 2 (全53話)

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翠滴 2  葉山  1 (1)
←1部 最終話                                     葉山 2 (2)→  
   
 俺は朝からすこぶる機嫌がよかった。

 音を絞ったボサノバが、床から高い天井まで白系で統一した明るい静かな部屋に流れる。
曲が、『Agua De Beber』 に変わった。      美味しい水…
 まさに、そんなイメージだ。冷たく透明で飲むと甘い。清らかな水の流れを連想し、ベッドの中の新しい恋人にイメージを重ねる。
 白いシーツに身を伏せ、疲れの残る横顔を埋もれた枕から覗かせる彼は、長い睫毛を閉じたまま起きる気配はない。

 きかん気の強い感じの眉に、シャープだがどこか少年の名残をのこした輪郭、
 肩から背中にかけて流れる美しいラインがシーツに隠れる下肢へと続く。

 昨夜の激しい情事に翻弄され、流れに艶を放ち続け妖しくうねった肢体や表情も、今はまるでそんな事は無かったかのように熱を忘れ、冷たく清らかな甘さをたたえて静かに横たわる姿は神聖ですらある。
 まさに、美味なる清水だ。
 清らかで、素知らぬ顔をしながらせせらぎ、生きとし生けるものの生命を育む。
 幸せの媚薬。

 多分、俺の他に稀有なこの水を飲んだ男は、唯一人だろう。この男に、普通(ノーマル)では知り得ない快楽を最初に教え、男に脚を開く事への抵抗を取り省いた男。
 軽く嫉妬を覚えるね。
 但し、まだ未完成だ。この身体が熟れきる前に手放したらしい。
 それとも、ジェラルミンのケースにでもしまうように大切にされていたのだろうか。なぜか、そちらの可能性の方がが強いような気がする。
 
 まあいい、それも随分前に終わったようだ。
 仕上げの余地を残して置いてくれたことに感謝だ。
 俺は満足している。
 
 無粋な電子音が静かな部屋に響いた。
 小さく舌打ちして清らかな眠りを邪魔するまいと、携帯を片手にテラスへと出た。潮風が心地よく頬をなぶる。
 
 「雅巳か おはよう」
 ・・・・・
 「ああ、葉山のセカンドハウスだ」
 ・・・・・
 「俺の機嫌?まあね」
 ・・・・・
 「ふふ、分かるか?どうやら俺は巷で言う「運命をの人」ってやつを見付けたみたいだ」
 ・・・・・
 「まさか。俺は、お前が愛人を縛り付けるみたいに、恋しい人を拘束したりはしないよ」

 雅巳に囚われる、類稀なる男。美貌に奇跡ともいえる翡翠の双眸を穿ち、いつも不機嫌そうにしているその横顔を思い浮かべた。携帯の向うで雅巳が苦笑しているのがわかる。
 隙あらば雅巳から掠め取ってやろうと考えていたが、その必要はもうない。
 恋人を愛でようと、ガラスの向こうのベッドに目をやった。くっきり浮いたシンメトリーの肩甲骨も美しい、綺麗な背中が身動いでいる。

 「王子様のお目覚めだ。切るぞ。少し気になる事もあるから、また連絡する」
 ・・・・・
 「雅巳、周(アマネ)も今や妻帯者なんだから、あんまり苛めてやんなよ」

 いきなりブツッと切られた。
 まるでガキの反応だ。まあいいさ。
 俺は悪いと思いつつ、今朝、名刺入れから勝手に抜き出した1枚を目の前に翳した。

 時見 享一

 「キョウイチ…イカす名前だ」

 享一は、上半身を起こし二日酔いの頭痛がするのか、頭を抱え眉間に嶮しく皺を寄せている。

 「おはよう キョウイチ君」

 ゆっくり顔を上げる。
 綺麗な顔・・・乱れたウェンゲの前髪の奥で 困惑気味な黒い瞳を覗かせている。鼻梁は通っているが、お高く止まるといったイメージではなくて、少し前向きな感じが愛らしい。

 何より、俺の視線を引きつけて止まない唇。 
 こうやって明るい場所で見ると、思っていたより若そうだ。
 22~24歳、スーツが着慣れていなかったことを考えると、この春就職したばかりといったところか。
 何もかも 俺好みの新しい恋人。
 再び眉間に皺を寄せ、享一が辛そうに額を押さえる。花びらを連想させる唇から零れる言葉を、俺は期待を込めて待った。

 「っ・・・・アンタ、誰だ?」

  

 

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01

Category: 翠滴 2 (全53話)

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翠滴 2  葉山  2 (2)
←(1)                                          (3)→  
   

 「時見、おはよう。風邪は、もう大丈夫なのか?」

 会社がテナントとして入る高層ビルの一階にあるエレベーターホールで、同期入社の片岡が声を掛けて来た。
 この春、享一らは準大手のゼネコン〈大森建設〉の設計部に入社した。

 「ああ、おはよう片岡。もう、大丈夫だ」

 片岡は気さくな性格で、享一は意匠、片岡は構造と配置された場所は違っていたが、人付き合いに積極的でない享一に何かと構ってきた。背は殆ど変わらないというのにハンドボールで鍛えたという躯体は、享一より年上に見せ貫禄すら醸し出す。だが、中身は学生ノリの抜けない体育会系の男だ。いかにも健康そうで面倒見のよさそうな濃いめの顔が、屈託無く聞いてくる。

 「お前さ土曜日、どうしていなくなったのよ?もしかして、あの日から体調悪かったとか?」
 「いや・・・まあ・・」

 結局、葉山から戻ると熱が出て、月曜日は会社を休んだ。入社して半年も経たないというのに欠勤するのは気が引けたが、身体よりメンタル面でのダメージが酷かった。
「あの後、一緒に飲みに行こうと思ったのに」 片岡が隣で残念そうに口を尖らせた。

 土曜日、同期入社の設計部の4人は、この春に竣工したばかりの自社設計のリゾートホテルの見学を言い渡され、葉山に赴いた。
 いつまでも学生然とした同期たちの賑やかなノリが、享一は少し苦手だ。見学の後、皆で飯でも食って帰ろうかと駅まで歩いている途中で享一1人がはぐれてしまい、これ幸いと享一はその場を離れた。

 葉山の海岸を1人ぶらぶらと歩いて、なんとなく目に付いた海沿いのバーに入った。
”coelacanth”(シーラカンス)と小さな字で書かれたドアを潜ると、早い時間の為か客はおらず、髭面のバーテンが目だけで挨拶をしカウンター席を薦めた。

 店内は至ってシンプルで、低いカウンターがあるだけの小さなバーだが、カウンターの背後の大きなガラス一面に夕方に凪いだ海が広がる。
 カウンターの中は段が下がっているようで、バーテンの存在を客に過剰に感じさせないようになっている。誰の設計なのか気になった。
 無駄なく美しく、しかも緻密に計算されたデザインの完成度の高さに享一は思わず感嘆の言葉をもらした。
 「巧いな…」
 
 白で統一された内装が程よい緊張感を生む居心地の良い空間は、かつての旧家の隠し部屋を思わせ享一の思考を奪う。
 あの部屋の美しい主は、今どうしているのか?
 あの魅惑色した翠の瞳は、自分の企てた祝言の直後に捨てた男の事を、少し位は覚えているだろうか?

 『惚れた』などと言っておきながら、言葉なんてやっぱりあてにならない。心は変る。
 いや、心など最初から何処にも無かった。そう思うと自分の中で、変色し乾きかけていた傷が再びパックリと口を開け、鮮血を流しだす。
 あれから2年、心はこの作業をずっと繰り返してきた。

 ジンを前にぼんやり夜に染められていく金色の空を見ていると、隣に人の座る気配がして「此所からの黄昏は最高でしょう?」と声を掛けてきた。
 
 何故か、その辺から記憶が朧でところどころ途切れている。
 その後、自分が一体どんな飲み方をしたのか? 想像すら恐ろしい。
 しかも目覚めは最悪だった。

 激しい頭痛と、トップライトから射し込む眩しい光。枕に埋もれる頭と目の奥がズキズキと痛んだ。自分の吐く酒臭い吐息に吐きそうになる。くぐもったような話し声に割れそうな頭をずらして視線を向けると、テラスで背の高い男が潮風に遊ばれる長めの癖髪を抑えながら携帯で話していた。
 享一が目覚めたことに、まだ気付いていないようだ。

 「……っ!!」

 上体を起こそうと身体を動かしたその時、下半身に疼痛が走った。
 この痛みとだるさには覚えがある。
 しかも、シーツの下は全裸だ。断片的に甦る昨夜の記憶に頭を抱えた。
 俺は、なんて事をしてしまったのか……。自己嫌悪にドップリ浸かっていると、頭の上から柔らかだがハリのある声が降ってきた。

 「おはよう キョウイチ君」

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02

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翠滴 2  葉山  3 (3)
←(2)                                          (4)→  
   

 「おはよう 享一君」

 名前を何故…と顔を上げ、ベッドの横に立つ長身の男の顔を見上げた。

 「あんた、誰?」 咄嗟の一言だった。

 話が終わったのか、携帯のフリップの角で唇を弄びながらニヤついている長髪男を見ていると、何やらムカムカと頭にきて、気付いたら相手が答える前に、平手打ちを見舞っていた。
見舞ったと同時に身体がバランスを崩してベッドから転がり落ちた。その拍子に股の間からトロリと白っぽい液体が腿を伝い落てゆく。背筋を悪寒が走った。

 「享一っ、大丈夫か!?」

 人の名前を呼び捨てにし、慌てて抱き起こしにかかってきた相手にもう一発、見舞ってやった。 
 決して、相手が悪いわけじゃない。八つ当たりだ。
 そんな事は自分でもわかっていたが、この怒りをどこかにぶつけないと遣り切れなかった。

 男の頬は2発のビンタで赤く腫れているが、構うものか。どうせ2度と会うことはない。
 憐れな男にバスルームを貸せと迫り、ソファの上に丁寧に掛けられた自分の服と下着を掴むと一目散にバスルームに駆け込んだ。
 久しぶりにする後処理に情けなくなり、こういう事態を招いた自分に再度、怒りが込上げる。
 きれいに積み上げてあったタオルを勝手に使い、衣類をすばやく身に着けた。
 バスルームを出て急ぎ足で靴下を探し、無造作に足を突っ込む。

 その様子を、余裕綽綽でソファに踏ん反り、コントレックス片手にニヤニヤと眺めている男が酷く癇に障った。結局、最後まで男と口を利かず、別荘だと思われるその家を挨拶も無しで飛び出した。


 葉山での無様な自分に思い至ると、激しい自己嫌悪に自然と顔が紅潮し険しくなるのを自分でも感じる。昨日の夜まで落ち込みが激しく、何もする気が起こらずに会社も休み、ふて寝し続けていた。

 「時見 なんかあったか?顔、怖いぜ。なんか赤いし目ェ吊り上ってる。まだ、本調子でないんじゃねえの?」

 19階でエレベーターを降りて廊下に立つと、突きあたりの大きなガラス窓の向うに、隣接する高層ビルの連窓(れんそう)が目に入った。羞恥のあまり、いっそこのまま叫び声を上げ、あのガラスを突破って自分を罵りながら飛び降りてやりたい衝動に駆られてしまう。

 高所恐怖症負の自分には、絶対に無理な話だが。

 「なんだ、あの団体さんは?」

 葉山で消えた適当な言い訳を並べる享一の横で、片岡が小さな声で注意を促す。
 片岡の視線の先を見ると、専務の平川が数人の男を従え、廊下の向こうから歩いて来る。営業や建築の部長クラスがズラリと周りを固める中心に、一際目を惹く長躯の男がいた。

 その隣に享一の上司でもある設計本部長の大石もいる。余程、気を遣う相手なのか、
大石はいつもの威勢は何処にという風情で、頻りに男に向けて頭を下げ、享一たちには気が付かないようだ。他のお偉方も一様に似た対応で、自分等より一回り下手をすれば二回りは若い一人の男に付き従うような光景は少し異様でもあった。

 「何者だ? 取引先の偉いさんとかかな」 と片岡。
 「お前と同じ新入社員の俺に分かるわけないだろ」

 不意に、長躯の男がこちらを向く。男前だが、遠目でもわかる瞳の奥に宿る仄暗い冷たい光に、得体の知れない胸騒ぎを覚えた。

 あの眼を見たことがある、知っている気がする。なのに、それをどこで見たのか思い出せない。
 頭の中で記憶の断片がゴソリと蠢き、ザラザラする断面で享一を逆撫でしてくるような不快感を感じた。

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03

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翠滴 2 rain - 雨  1 (4)
←(3)                                          (4)→  
   
 目が合った瞬間、バチッと音が鳴った気がした。ほんの2~3秒、怜悧な瞳に捕らえられ動けなくなった。片岡に倣って慌てて頭を下げた前を、男は他の役員達に促され会議室に消えていった。

 「滅茶苦茶、格好いい人だったよな。何者だろな? あのオーラは、只者じゃねえよなあ」
 ひとしきり感心する片岡を置いて歩き出す。早くこの場を離れたい。
 「あ、おい時見、待てって。置いてくなって」
 片岡が肩を並べた。
 「見た目は整っているけど、冷たい印象がマイナスだな」
 「おっ、むこう張ってんのかよ?イイ男対決?時見君、惜しいなあっ。身長で負け決定じゃん。しかも、ルックスもお前はどっちかつーと、可憐系だもんよなぁ。あ、でも俺は時見に一票だから、安心していいぞ」
 どこまで本気なのか、人をおちょくっているだけなのか。片岡はこのテの冗談をよく口にする。いい奴だが、他の同期と同じでノリが軽い。
 「バッカバカしい。勝手に言ってろよ、先行くからな」
 相手にするまいと早足で歩き出す。
 「だって、時見の立ち姿って水仙みたいで、楚々としててさ。オレ、気に入ってんだもんよ」
 「水仙って、あの物欲しげに上向いて口開けて咲いてる、アレかよ」
 「アー?ったく、身も蓋もねーな」片岡が隣で苦笑した。

 当分の間、背の高い男にはムカつきそうだ。

 フレックスをいいことに、普段より遅めに出社した社内では、旧臨海地区の再開発工事受注の話で持ち切りだった。
 総額2000億円の大規模工事で施工会社も大手数社が参加する。享一の会社に来たのは敷地内に建設予定の美術館の施工工事だ。準大手の大森建設が、スーパーゼネコンに混ざって受注出来たのは奇跡に近い。

 同僚との話の中で、先程の男がクライアント側の投資会社であるKNホールディングスの不動産開発室長の、神前 雅巳(かんざき まさみ)であることが判った。
 施工を請け負った大森建設を視察に訪れたのだということだった。
 室長クラス相手に役員たちがあそこまで腰を低くするものかと思ったが、神前はKNホールディングスの社長の息子で、将来多岐に広がった関連会社をグループごと継ぐ立場にあると聞かされた。どうりで専務を筆頭にみな平身低頭するわけだと、納得した。

 席に着くと隣ブースの2年先輩の平沢がやってきた。
 「時見、今度の計画で、お前の出向が決まったみたいだぞ」
 「新人の俺が出向ですか?」

 享一は怪訝な顔で尋ねた。
 入社して半年。学生に毛の生えた程度の社会人モドキが、どこかに出向したとて先方の役に立てるとは思えない。
 平沢は享一の考えを表情で察したのか、軽く笑った。
 「出向先はアトリエ事務所だ。今回の再開発の美術館の設計をする河村圭太のとこらしい。新人希望ってのは、あちらサイドからの依頼で、リーマン思考に染まってない人間を寄越せって事だろ。この手の大規模物件は雑多な仕事も山程あるし、そっち要員って事かもしれんな」

 つまり、雑用係だ。
 アトリエの多くは、弟子取り的に所員を確保する。入所を希望するのは最終的に独立を目指す者が殆どで、同じ[モノ造り]を目指していても終身雇用を頭の片隅に置く享一のような”会社員”とは、スタンスや構え方が全く異なる。
 河村圭太といえば、ここ数年で名前が売れだした若手建築家の一人だ。このところ、国内外で幾つも名のある賞を獲得している。ただ、小規模作品が主だっていると記憶していた。

 「随分、小さな事務所も参加するんですね」

 「今回の計画はゾーニングされいてテーマが分かれているし、河村は海外での評価も高いからな。売れっ子建築家なら問題無しということだろうよ。それに、今回のウチの参加もどういう訳か河村事務所のプッシュで、急に決まったらしいぞ」
 そこで一旦言葉を切った平沢が居住まいを正す。
 「時見は、元々アトリエ事務所 志望だったよな」
 「ええ、まあ」
 本当は尊敬する建築家が主宰するアトリエに就職したかった。だが実家は母子家庭で、学生の弟やこれから大学受験を控える妹もいる。結局、給料も安定し地元にも支社がある中堅ゼネコンの大森建設を選んだ。

 「チャンスじゃないの。たとえ雑用でも外から推測するのと、その環境に身を置くのとでは雲泥の差だ。アトリエの仕事をしっかり見てこいよ」
 
 アトリエは1人の優れた建築家に附いて、ものづくりを身近で吸収するチャンスの場であると同時に、企業とは違って人員が少ないため、1人でより多くのことをこなさなくてはならない。
 当然、一人前に育つのもアトリエ所員の方が断然早い。
 自分の目でアトリエの仕事が見られる。そう思うとワクワクしてきた。


 昼前になって、設計室が俄かに騒がしくなる。主に女子社員の興奮したヒソヒソ声が耳につく。
 モニターから目を放して声の方向を見やると、あの神前という男が大石部長に連れられて来ていた。
 これから仕事を依頼する会社の仕事ぶりでも偵察しているのだろう。
 椅子に座ったまま、間に立ちはだかる女子社員の隙間から、室内を見回す神前の横顔を観察する。

 心当たりの無い既視感に、胸の奥が再びざわめき出す。
 どこかで、会っただろうか?
 一介の入社して間もない新入平社員と、大手銀行の開発室長に接点ははない。
 大体、こんなインパクトの強い人間を一度見たら忘れる筈は無い。ジグソーのピースが上手く嵌らない時みたいに、心に引っ掛かってスッキリしない。
 不意に、神前がこちらを向いた。
 飛跳ねる心臓を抑え何喰わぬ顔で、モニターに視線を戻す。
 
 「時見、悪いけどこのデータ、建築部の高見さんに渡しといて。で、返事は夕方までにメールで入れてくれるように伝えといて」
 「わかりました」
 この騒ぎに気付いていないらしい平沢から声を掛けられた。

 立ち上がると、神前は同じ場所からまだこちらを見ている。平沢からファイルとCDを受け取る間も背中に視線を感じる。気付かない振りで軽く会釈し横を通り過ぎようとした時、神前が小さな声で何かを呟いた。

 「サクラさん」

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04

Category: 翠滴 2 (全53話)

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翠滴 2 rain - 雨  2 (5)
←(4)                                           (6)→  

 反射的に、足が止まった。

 なぜ立ち止まったのか、自分でも訳が解らず190cmはあろう長身をゆっくり見上げた。神前と目が合った瞬間、ズレて嫌な感覚を享一に齎していた記憶の断片が音を立てて嵌り慄いた。

 『サクラ』は、永邨 周(ながむら あまね)と祝言を挙げた時の享一の偽名だ。
 神前は、あの時の参列者の一人で、周と”羽衣”を舞い、渡り廊下で周と揉めていた。
 振り返っては、いけなかった。
 そう思った途端、身体が凍付いて動けなくなる。背中を冷たいイヤな汗が伝う。

 「なるほど…これは これは、こんな所でお会いできようとは。
 まさか、あなたが男性だったとは、思いもよりませんでしたね。
 でも、見た瞬間、あなただってわかりましたよ」

 神前は、酷薄ともとれるしたり顔で目を眇めた。宝物を見つけたトレジャーハンターよろしく、嬉しくてしょうがないとでも言わんばかりに愉悦の表情で笑っている。
 どうすれば、この状況を切り抜けられる?

 「あの、ちゃんと聞き取れなかったもので。私に、なにか仰られましたか?」

 喉が、からからに渇いていた。
 享一は、狼狽を読み取られぬように、全神経を総動員して平静を装う。
 左胸から、今にも心臓が飛び出そうだ。

 「周には一杯食わされたな。なるほど、木の葉を隠すなら森ということか。最も見付け難い場所 東京に、大事な花嫁を隠した訳だ。まったく小賢しいことを。それとも、君がここにいるのは偶然かな?時見……享一君?」

 神崎は享一の首に掛けられた社員証を見ながら言う。
        隠す?
 周の名を耳にして、心は完全に動揺していた。

 「申し訳ございません。人違いをされているのでは? 仰られている事が、私にはよく判りませんが。急いでおりますので、失礼します」

 頭を下げ、足早にエレベーターホールに向う。背中に享一を見ている男の視線を痛いほど感じる。エレベーターのドアが閉まったとたん足が震えた。
 声は震えて無かっただろうか? 顔色は?
 無理だ。周の名前を聞いただけでも、狼狽えて平静でいられなくなるのに。

 祝言の時は髪型も違ったし化粧もしていた。自分でも、全くの別人に見えた。
 これはもう、神前が気のせいだったと思ってくれる事を願うしかない。
 

 夜になって雨が降り始めた。
 都会の夏の雨は湿度を伴った生温い空気が身体に纏りついて気持ちが悪い。
 シャワーで汗を流した後、コンタクトから眼鏡に替えて缶ビール片手にソファに沈み込んだ。
 柔らかな白熱色の光が静けさを強調して、雨の音だけが際立つ。

 「疲れた」

 背凭れに頭を預けて目を閉じる。今、頭を占めているのは、やはり昼間の一件だ。
 長い間、風の便りにすら聞くことの出来なかった周の名を耳にして、享一の中の動揺は抑えきれない。神前は周とどういう関係なのだろうか?

 あの男は、「隠した 」と言った。あれは、一体どういうことなのか? 神前の物言いからして、只の友人とは思えない。恋人なのだろうか?
 では、あの祝言は何だったのか? 鳴海とは……わからない事だらけだ。
 2年を隔てた今、庄谷での出来事は混迷の途を辿るばかりだった。

 あの身を焦がすような短い日々。周は 『惚れた』 と何度も言葉で享一の胸を打ち抜き、煽り続け、それまで享一が知らなかった恋の懊脳と、煮え滾る情欲の波の中に引きずり込んだ。
 たった3週間で、時見 享一という人間を周は根こそぎ変え、そして鮮やに身を翻しあっさり捨てた。

 「アマネ……」

 酷い男だと思う。
 それなのに、この2年の間、享一の心は周に支配され求め続けている。あの深緑の瞳にもう一度会えたなら自分は一体、何と言うのだろうか?
 もしかしたら、泣き縋り 「傍にいさせてくれ」 と乞うてしまうかもしれない。
 惨めだ。
 結婚まで考えた由利と別れた時にすら、こんな感情は生まれなかった。
 雨足が強くなって、雨音が部屋ごと享一を包んでゆく。
 夏の雨は苦手だ。
 周と二人で堂に出掛けた日の雨を思い出す。少し冷んやりして、仄暗い。雨に濡れた木々や下草の鮮やかな緑が豊かな芳香を放ち、古い堂の中の2人を包んでいた。
 記憶に煽られ、胸が苦しくなり熱い吐息をついた。葉山での出来事が、熱に翻弄される躯に追討ちを掛ける。

 会いたい。あの多様な色彩を放つ不思議な深緑の瞳にもう一度、見つめられたいと思う。

 何度も思い出す度、傷だらけになりながら抑え付けた気持ちが、変わってしまった想い人の心を求めて、深夜に降り続く雨の中へと彷徨い始めた。




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