12 ,2008
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超高層ビルから見る雨には風情が無い。
特にこんな雨の夜は、雨に煙る街のぼやけた明かりでしか雨降りを知る事は出来ない。光なくしては存在すらも危うくなる、暗闇に降る雨。この雨に果して意味などあるのだろうか?
永邨 周(ながむら あまね)はこの雨に、どこか朧(おぼろ)な自分の存在と重ね この雨に何とか意義らしきものの欠片でも見出せないかと目を凝した。
暗いガラスに覇気のない自分の顔が映り、カラーコンタクトを嵌めた瞳が
感情を持たないただの黒い二つの穴となって、こちらを見つめ返している。
もし、コンタクトの奥のこの目も ガラスに映る通り一般的な日本人の目の色だった
なら、自分の人生はもっと違うものになっていたのだろうか?
普通に青春を謳歌し 就職をして結婚し、あの雨に煙る街の何処かで同僚や先輩に
仕事の愚痴の一つも零しているのだろうか。
一度思考を巡らし始めると、取り止めも無く、手に入らぬ日常に思いが馳せる。
少くとも、こんな天上のスイートで男娼紛いな事はやっていなかった筈だ。
「いや、男娼以下だな」と嘲う。
ふと結婚というワードに 1人の男の顔を思い浮かべた。
花びらのような唇を微かに綻ばせ、ここより他に居場所が見付けられないかのように、周の心の中に佇む男。
背景や容姿で周を虚飾する事無く、永邨 周という人間の重さと体温だけを感じ、受け止めてくれた。2年経った今も褪せる事無く、全てを真正面から受止める強さを秘めた静かな瞳を周に寄越している。大地に激しく降る真夏の雨のような 何もかもを内包してしまう、潔さを持った男。
そのくせ可憐にすら見える楚々とした姿に、その心に、男の全てを愛しく想い恋をした。なんとか手に入れたいと半ば強引に手にしたが、自分とは違う次元にいる男(ひと) だと気付き諦めた。
心の中に空いた穴は 今だ塞ぐものが見つからず、慕情を垂れ流している。
2年も前、それも3週間という短い蜜月だった。
今は どこにいて何をして、何を考えて、何に傷付いているのだろうか?
きっと、恋人とかもいるのだろう。
何と言っても、同級生の女を孕ませかけた男だ…
可憐に見えようとも、立派に雄なのだ。そう思い至ると、愉快な気分になって小さな笑いが漏れた。
今も、愛しい。
自分のことを、恨んでいるだろう。それとも、もう忘れてしまっただろうか?
享一。
「周、来ていたのか」
背後から声を掛けられ、緩慢な動作で振り向く。神前 雅巳(かんざき まさみ)がバスルームから上って来ていた。
束の間の幸せな気分が、一気に萎えた。
バスロープを纏い、手にはシャンパンとグラスを2つ持っている。
来ているのは判っていただろうに、自分から呼び出しておいてよく言うものだ。
「遅くなって申し訳ありませんでした」
スーツの背筋を正して慇懃に頭を下げる。
「こちらの仕事にはもう慣れたかな? N・A トラストとの調整等は滞りなくいっていますか」
イタリア高級ブランドの黒皮のソファに長い脚を組んで寛ぐ姿は、
33歳という若さでありながら、端麗な容姿と鍛えられた体躯そして育ちによって培われた風格が相俟って、背景の豪華さに引けを取ることはない。
怜悧な頭脳は男の目に冷めた陰を宿し、他者を易々とは信用しない。人が権力を持つとは、こういう事なのか。
この男も、この代々続く背景の権力さえなければもっと違う人生を歩んでいただろうにと思う。
全くイヤミな男だ。良心以外の全てを持っている。
今はその権力に跪き、頭を垂れるしかない我が身が不甲斐なく腹立たしい。
「はい、永邨サイドで行き届かないところは、鳴海がフォローしてくれています」
「鳴海か。あれは抜け目の無い男だね。早く慣れて1人で動けるようにして戴きたい」
「心掛けておきます」
一体、何に抜け目がないと感じているのやら、まあ当らずしも遠からずだ。周は冷笑を隠した。
「ところで、今週末もまた庄谷の家に戻るつもりか?」
「はい、妻も私が帰るのを待っておりますので」
「妻ね・・・」
吐き捨てる声音と少し空いた間が気になって「何か?」と雅巳の顔に視線を向る。
手にシャンパンの注がれたグラスを渡された。
「いつ君の細君に会わせて貰えるのか、君はのらりくらりと躱してばっかりだ」
「また、その話ですか?サクラはこういう色事には向いていおりません。
神前様にとって、面白い女ではありませんゆえ、どうぞご容赦下さい」
「君の婚姻の時に見ただけだが、私は気に入ったよ。周とはまた違う魅力がある」
この男、どこまで俺を縛り付ける気だ。
うんざりして 平静を装う胸の奥では怒りの炎がうねりを上げる
「神前様、他の方々は私の婚姻を機に、私を自由にして下さいました。神前様は何時になったら、私の手を離して下さるのですか?」
「私が手を離したら、君は何処へ飛んで行くつもりかな?」
「仰られていることが、判りませんが?」
見せかけの杞憂と優しさ滲ませた神前の目が、正面から周を捕らえる。
こういう時の神前は苦手だ。計り兼ねて見つめ返す周に、神前はひとつの名前を口にした。
「時見 享一に会ったよ」
超高層ビルから見る雨には風情が無い。
特にこんな雨の夜は、雨に煙る街のぼやけた明かりでしか雨降りを知る事は出来ない。光なくしては存在すらも危うくなる、暗闇に降る雨。この雨に果して意味などあるのだろうか?
永邨 周(ながむら あまね)はこの雨に、どこか朧(おぼろ)な自分の存在と重ね この雨に何とか意義らしきものの欠片でも見出せないかと目を凝した。
暗いガラスに覇気のない自分の顔が映り、カラーコンタクトを嵌めた瞳が
感情を持たないただの黒い二つの穴となって、こちらを見つめ返している。
もし、コンタクトの奥のこの目も ガラスに映る通り一般的な日本人の目の色だった
なら、自分の人生はもっと違うものになっていたのだろうか?
普通に青春を謳歌し 就職をして結婚し、あの雨に煙る街の何処かで同僚や先輩に
仕事の愚痴の一つも零しているのだろうか。
一度思考を巡らし始めると、取り止めも無く、手に入らぬ日常に思いが馳せる。
少くとも、こんな天上のスイートで男娼紛いな事はやっていなかった筈だ。
「いや、男娼以下だな」と嘲う。
ふと結婚というワードに 1人の男の顔を思い浮かべた。
花びらのような唇を微かに綻ばせ、ここより他に居場所が見付けられないかのように、周の心の中に佇む男。
背景や容姿で周を虚飾する事無く、永邨 周という人間の重さと体温だけを感じ、受け止めてくれた。2年経った今も褪せる事無く、全てを真正面から受止める強さを秘めた静かな瞳を周に寄越している。大地に激しく降る真夏の雨のような 何もかもを内包してしまう、潔さを持った男。
そのくせ可憐にすら見える楚々とした姿に、その心に、男の全てを愛しく想い恋をした。なんとか手に入れたいと半ば強引に手にしたが、自分とは違う次元にいる男(ひと) だと気付き諦めた。
心の中に空いた穴は 今だ塞ぐものが見つからず、慕情を垂れ流している。
2年も前、それも3週間という短い蜜月だった。
今は どこにいて何をして、何を考えて、何に傷付いているのだろうか?
きっと、恋人とかもいるのだろう。
何と言っても、同級生の女を孕ませかけた男だ…
可憐に見えようとも、立派に雄なのだ。そう思い至ると、愉快な気分になって小さな笑いが漏れた。
今も、愛しい。
自分のことを、恨んでいるだろう。それとも、もう忘れてしまっただろうか?
享一。
「周、来ていたのか」
背後から声を掛けられ、緩慢な動作で振り向く。神前 雅巳(かんざき まさみ)がバスルームから上って来ていた。
束の間の幸せな気分が、一気に萎えた。
バスロープを纏い、手にはシャンパンとグラスを2つ持っている。
来ているのは判っていただろうに、自分から呼び出しておいてよく言うものだ。
「遅くなって申し訳ありませんでした」
スーツの背筋を正して慇懃に頭を下げる。
「こちらの仕事にはもう慣れたかな? N・A トラストとの調整等は滞りなくいっていますか」
イタリア高級ブランドの黒皮のソファに長い脚を組んで寛ぐ姿は、
33歳という若さでありながら、端麗な容姿と鍛えられた体躯そして育ちによって培われた風格が相俟って、背景の豪華さに引けを取ることはない。
怜悧な頭脳は男の目に冷めた陰を宿し、他者を易々とは信用しない。人が権力を持つとは、こういう事なのか。
この男も、この代々続く背景の権力さえなければもっと違う人生を歩んでいただろうにと思う。
全くイヤミな男だ。良心以外の全てを持っている。
今はその権力に跪き、頭を垂れるしかない我が身が不甲斐なく腹立たしい。
「はい、永邨サイドで行き届かないところは、鳴海がフォローしてくれています」
「鳴海か。あれは抜け目の無い男だね。早く慣れて1人で動けるようにして戴きたい」
「心掛けておきます」
一体、何に抜け目がないと感じているのやら、まあ当らずしも遠からずだ。周は冷笑を隠した。
「ところで、今週末もまた庄谷の家に戻るつもりか?」
「はい、妻も私が帰るのを待っておりますので」
「妻ね・・・」
吐き捨てる声音と少し空いた間が気になって「何か?」と雅巳の顔に視線を向る。
手にシャンパンの注がれたグラスを渡された。
「いつ君の細君に会わせて貰えるのか、君はのらりくらりと躱してばっかりだ」
「また、その話ですか?サクラはこういう色事には向いていおりません。
神前様にとって、面白い女ではありませんゆえ、どうぞご容赦下さい」
「君の婚姻の時に見ただけだが、私は気に入ったよ。周とはまた違う魅力がある」
この男、どこまで俺を縛り付ける気だ。
うんざりして 平静を装う胸の奥では怒りの炎がうねりを上げる
「神前様、他の方々は私の婚姻を機に、私を自由にして下さいました。神前様は何時になったら、私の手を離して下さるのですか?」
「私が手を離したら、君は何処へ飛んで行くつもりかな?」
「仰られていることが、判りませんが?」
見せかけの杞憂と優しさ滲ませた神前の目が、正面から周を捕らえる。
こういう時の神前は苦手だ。計り兼ねて見つめ返す周に、神前はひとつの名前を口にした。
「時見 享一に会ったよ」