BL・MLに関心の無い方 18歳以下の方はご遠慮くださいませ。大人の方の自己責任においてのみの閲覧を お願いします。


プロフィール

紙魚

Author:紙魚
近畿に生息中。
拙い文章ですが、お読み頂けましたら嬉しいです。


紙魚は著作権の放棄をしておりません。当サイトの文章及びイラストの無断転写はご遠慮ください。
Copyright (C) 2008 Shimi All rights reserved

*お知らせ*
長らくみなさまから頂戴した拍手コメント・メールへのお返事は、別ブログの”もんもんもん”にてさせて頂いていましたが、2016年4月より各記事のコメント欄でお返事させて頂くことにしました。今まで”もんもんもん”をご訪問くださり、ありがとうございました。く



    
参加ランキング
FC2カウンター
*
検索フォーム
QRコード
QRコード
05

Category: 翠滴 2 (全53話)

Tags: ---

Comment: 2  Trackback: 0

翠滴 2 雨 - rain  3 (6)
←(5)                                           (7)→ 

 
 超高層ビルから見る雨には風情が無い。

 特にこんな雨の夜は、雨に煙る街のぼやけた明かりでしか雨降りを知る事は出来ない。光なくしては存在すらも危うくなる、暗闇に降る雨。この雨に果して意味などあるのだろうか?
永邨 周(ながむら あまね)はこの雨に、どこか朧(おぼろ)な自分の存在と重ね この雨に何とか意義らしきものの欠片でも見出せないかと目を凝した。

 暗いガラスに覇気のない自分の顔が映り、カラーコンタクトを嵌めた瞳が
感情を持たないただの黒い二つの穴となって、こちらを見つめ返している。

 もし、コンタクトの奥のこの目も ガラスに映る通り一般的な日本人の目の色だった
なら、自分の人生はもっと違うものになっていたのだろうか?
普通に青春を謳歌し 就職をして結婚し、あの雨に煙る街の何処かで同僚や先輩に
仕事の愚痴の一つも零しているのだろうか。
一度思考を巡らし始めると、取り止めも無く、手に入らぬ日常に思いが馳せる。

 少くとも、こんな天上のスイートで男娼紛いな事はやっていなかった筈だ。

 「いや、男娼以下だな」と嘲う。

 ふと結婚というワードに 1人の男の顔を思い浮かべた。
花びらのような唇を微かに綻ばせ、ここより他に居場所が見付けられないかのように、周の心の中に佇む男。

 背景や容姿で周を虚飾する事無く、永邨 周という人間の重さと体温だけを感じ、受け止めてくれた。2年経った今も褪せる事無く、全てを真正面から受止める強さを秘めた静かな瞳を周に寄越している。大地に激しく降る真夏の雨のような 何もかもを内包してしまう、潔さを持った男。
 そのくせ可憐にすら見える楚々とした姿に、その心に、男の全てを愛しく想い恋をした。なんとか手に入れたいと半ば強引に手にしたが、自分とは違う次元にいる男(ひと) だと気付き諦めた。

 心の中に空いた穴は 今だ塞ぐものが見つからず、慕情を垂れ流している。
 2年も前、それも3週間という短い蜜月だった。
 今は どこにいて何をして、何を考えて、何に傷付いているのだろうか?
 きっと、恋人とかもいるのだろう。
 何と言っても、同級生の女を孕ませかけた男だ…

 可憐に見えようとも、立派に雄なのだ。そう思い至ると、愉快な気分になって小さな笑いが漏れた。

 今も、愛しい。
 自分のことを、恨んでいるだろう。それとも、もう忘れてしまっただろうか?

 享一。
 

 「周、来ていたのか」

 背後から声を掛けられ、緩慢な動作で振り向く。神前 雅巳(かんざき まさみ)がバスルームから上って来ていた。
 束の間の幸せな気分が、一気に萎えた。

 バスロープを纏い、手にはシャンパンとグラスを2つ持っている。
来ているのは判っていただろうに、自分から呼び出しておいてよく言うものだ。

 「遅くなって申し訳ありませんでした」

 スーツの背筋を正して慇懃に頭を下げる。

 「こちらの仕事にはもう慣れたかな? N・A トラストとの調整等は滞りなくいっていますか」

 イタリア高級ブランドの黒皮のソファに長い脚を組んで寛ぐ姿は、
33歳という若さでありながら、端麗な容姿と鍛えられた体躯そして育ちによって培われた風格が相俟って、背景の豪華さに引けを取ることはない。

 怜悧な頭脳は男の目に冷めた陰を宿し、他者を易々とは信用しない。人が権力を持つとは、こういう事なのか。
 この男も、この代々続く背景の権力さえなければもっと違う人生を歩んでいただろうにと思う。
 全くイヤミな男だ。良心以外の全てを持っている。
 今はその権力に跪き、頭を垂れるしかない我が身が不甲斐なく腹立たしい。

 「はい、永邨サイドで行き届かないところは、鳴海がフォローしてくれています」

 「鳴海か。あれは抜け目の無い男だね。早く慣れて1人で動けるようにして戴きたい」

 「心掛けておきます」
 一体、何に抜け目がないと感じているのやら、まあ当らずしも遠からずだ。周は冷笑を隠した。

 「ところで、今週末もまた庄谷の家に戻るつもりか?」

 「はい、妻も私が帰るのを待っておりますので」

 「妻ね・・・」

 吐き捨てる声音と少し空いた間が気になって「何か?」と雅巳の顔に視線を向る。
 手にシャンパンの注がれたグラスを渡された。

 「いつ君の細君に会わせて貰えるのか、君はのらりくらりと躱してばっかりだ」

 「また、その話ですか?サクラはこういう色事には向いていおりません。
 神前様にとって、面白い女ではありませんゆえ、どうぞご容赦下さい」

 「君の婚姻の時に見ただけだが、私は気に入ったよ。周とはまた違う魅力がある」

 この男、どこまで俺を縛り付ける気だ。
 うんざりして 平静を装う胸の奥では怒りの炎がうねりを上げる

 「神前様、他の方々は私の婚姻を機に、私を自由にして下さいました。神前様は何時になったら、私の手を離して下さるのですか?」

 「私が手を離したら、君は何処へ飛んで行くつもりかな?」

 「仰られていることが、判りませんが?」

 見せかけの杞憂と優しさ滲ませた神前の目が、正面から周を捕らえる。
 こういう時の神前は苦手だ。計り兼ねて見つめ返す周に、神前はひとつの名前を口にした。

 「時見 享一に会ったよ」

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学

06

Category: 翠滴 2 (全53話)

Tags: ---

Comment: 2  Trackback: 0

翠滴 2 雨 - rain  4 (7)
←(6)                                        (8)→ 

 
 時見享一に会ったよ。
 
 周(あまね)は、砂に落とした水が忽ち吸い込まれて消えていくように、すうっと表情を消した後、疑問の視線を神前に投げ掛け、無味乾燥な表情で小首を傾げた。
 神前は口の中で「タヌキめ」と呟く。
 自分に都合が悪くなると、感情の一切を殺し、何事も無かったかのようにさらりと躱してしまう。しかし、神前は周のこういう強かさが結構、気に入っている。

 これがビンゴなら今、周は動揺し、腑が煮えくり返っているはずだ。
 今にも薄皮の下で燃え滾るマグマが透けて見えそうだ。だが、自分の前でその怒りを晒け出すことは、時見の存在を認める事になり、迂闊に怒った顔を見せる訳には行かず耐えるしかない。
 内心では歯噛みしながら罵詈雑言を吐きまくっているに違いない。そう思うと愉快で堪らない。従順な風をしているが、周は元来、気性の激しい男だ。
 
 「時見 享一さん・・・ですか?存じ上げず、申し訳ありません」
 予想通り、しれっと返してくる。
 
 「圭太が狙っている新しい男だそうだ」

 「そうですか、圭太さんが・・・・次の方は男性なんですね。
 それが、私とどんな関係があるのでしょうか?」

 周の問い掛けを無視して神前が続けた。

 「きょう会ったが、なかなかの美形だったよ」

 「・・・そうですか。圭太さんとうまく行けばいいですね」

 見事だ。口角に薄い笑みさえ浮かべ、毛の先ほどの興味もない顔で答える。昼間、似た反応を返しきた男の顔とぶれて重なった。

 「気に入らないな」
 「私がですか?では、手放してくださればいい」
 「即答するなよ。本当に君は憎らしい奴だな」
 「これは、申し訳ございません」
 憎々しげに見据えると周は慇懃に頭を下げた。可愛さ余って何とやらだ。すぐに、その涼しげな表情の仮面を翠の瞳ごと引き剥がし、激情を晒け出させてやろう。薄く笑って立ち上がり、周の手から口をつけていないシャンパンのグラスを取上げ、至近距離で見つめた。

 「周、コンタクトを外してくれないか?」

 周はこうなる事を予め予測していたのだろう。
 スーツのポケットからケースを取り出すとコンタクトを外し、素直にその瑞々しい魅惑の翡翠を露にした。美しい東洋の男の顔に、翡翠の双眸が穿たれた現実離れした美がそこに現われる。
 もっと、もっとだ、理性もプライドも反抗心も全部剥ぎとって丸ごと裸にしてやろう。
 周の本心とは全く裏腹の従順なその態度に比例するように、嗜虐心が煽られていく。
 
 「シャワーを浴びておいで」

 一瞬、激しい躊躇いの色が浮んで消えるが、意を決したかのように浅く目を伏せた。
 躊躇ったのは、時見享一の名前が出たからか? 

 「・・・はい」
 「サクラを守りたいなら、私を満足させたまえ」
 動きかけた周の腰を捕まえて乱暴に引き寄せ、顎を掴み噛み付くようにキスを奪い言い放つ。
 周の深緑の瞳に燃えるような憎悪が過ぎり、それを隠すように身を離した周は早足にバスルームへ向った。  
 その背中へ、
 「今夜は趣向を変えましょう、衣服はこちら脱いで行くといい」
 怪訝な顔で周が振り返った。その顔に穏やかに笑いかけてやる。
 「ストリップを見せてください」
 周の顔が蒼白になり、美しい碧眼が大きく見開かれた。
 私を欺いた償いは高くつくという事を、この花の香りのする躰と謀反を思いつく不埒な頭の中に、しっかり刻み込んでやらなければならない。
 嫌悪を剥き出した深緑の瞳が睨み付けてくる。この貌も周の中でもっとも美しいと思える表情のひとつだ。
 周の肩が怒りで小刻みに震え、平常心を取り戻そうと乱れる呼吸を押し殺し目蓋を伏せる。
 優しい声音と微笑で、周の肩を押した。
 「さあ、周。ステージの上に立ってごらん」
 隣接する寝室の大きなスライドドアを開け放ち、ベッドの上を指し示した。一人掛け用のソファをベッドに向けて腰を落とす。ショーの始まりだ。

 「圭太の新しい“恋人”に乾杯。今夜は大いに楽しませてくれよ、周 」

 周は危うい足取りで隣室に行き、靴を脱いでベッドの上に立つ。
 「俯いては駄目だよ。表情がよく見えるように、私と目を合わせながらどうぞ」
 注文つけるとぎこちなく周は顔を上げ、怒りと絶望で赤味が差した翡翠の瞳を神前と合わせながらスーツの上着を肩から落とした。

 時見の名を聞く前の周なら、この程度の事は薄笑いすら浮かべて遣って退けただろう。
 だが今は全身が小刻みに震え、ネクタイを解く指すらまともに動いてはいない。その様子をシャンパン片手に、背凭れに肘を預け脚を組み、ソファに身を寛げながら鑑賞する。

 周に恋愛感情を抱く男や女達を数え上げれば限がない。
 時見がそう言った輩や、かつての顧客らと違うのは、周の心を掴んだ唯一の人間だということだ。どれだけ嘘をつこうと、時見の本心は周の名を聞いたときの反応ですぐにわかった。
 臓腑で煮え滾る怒りと憎しみで、薄いシャンパングラスが掌中できしりと音を立てる。
 時見 享一。そこそこ小綺麗ではあるが、周に比べれば取るに足らない平凡な男だ。

 屈辱に耐え一枚一枚 自から衣服を剥いでいく周を鑑賞しながら、欲情を滲ませた嗤いを浮かべる。
 残念だがこの美しいプライドの塊のような男を、私は死ぬまで手放す気はない。

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学

07

Category: 翠滴 2 (全53話)

Tags: ---

Comment: 2  Trackback: 0

翠滴2 Agua de beber 1 (8)
←(7)                                      (9)→ 

朝から何度も入力ミスを繰り返していた。
いつもはコンタクトの目に慣れない眼鏡が鬱しい。

 モニターから目を放し眼鏡を取って目頭を押さえる。
あと少しで、アトリエサイドとの初顔合わせなのに。
今からコンタクトに替えようかと迷いつつ、机の上のアトリエの資料に目を落とした。


 設計集団・アトリエK2  主宰 : 河村 圭太(かわむら けいた)
 アメリカ クーバーユニオン 卒業 在学中より数々のコンペを獲得…と華々しい経歴が紙の上を踊る。
 33歳、若き天才といったところか。
 プロフィールの横に河村の小さな写真が載っていた。モノクロの枠の中には解像度が低いせいか鮮明ではなかったが、スクエアタイプの眼鏡をかけた神経質そうな男が挑戦的な目付きでこちらを睨んでいる。

 10件程並んだ作品リストの中に、葉山のバー”シーラカンス”があった。
 一瞬 嫌悪感に眉を顰めるが、あの一件は自分の中で揉消す事案として決定済だと考えた無視することにした。作品とその建物の中で起こった出来事は、関係がない。切り離して考えるべきだと。

 それよりも、完成度の高いあの空間の設計者に会えるのかと思うと、自然と河村圭太という人間に興味が涌いてくる。

 俄かに 社内が騒がしくなっている事に気が付いた。
 色めきだった 女子社員の様子に神前が来た時の事を思い出し、警戒心と不快感に眉根を寄せる。
 今日はクライアント抜きの顔合わせの筈なのに…
 
 「時見君、そろそろ始まる時間だし行こうか」
 「はい」

 大石部長が声を掛けられ席を立った。

 「部長、今日はクライアント側の方々も顔を出されるんですか?」
 「いや、今日は設計事務所とウチだけだ。クライアントのN・A トラストには
 改めて社長と総本部長と私で出向く事になっているからね」

 名指しで聞くわけにいかず、遠回しに尋ねたが自分の求めた答えは聞けた。今日の会合に神前 雅巳は来ていないと知って、ひとまず胸を撫で下ろした。
 そして、別の重圧に気持ちが張り詰めてくる。 
 翌週から、と決まったK2サイドの人間との顔合わせだ。
 当然、河村 圭太 本人が来ているだろう。
 経歴を見る限り、かなり頭の切れる人物に違いない。もし的外れな事を口にしたら、即刻出向を取り消されるかもしれない。そう思うと、自ずと気持ちが引き締まった。

 
 緊張した面持ちのまま 部長に連れられて、コンファレンスルームのドアを潜る。
 ロの字型に並べられた机にはK2のスタッフと思われる若い男と、大森建設の開発営業部や建築部 設計部やらの15名程が顔を揃えて座っている。

 部屋に入って真っ先に、ロの字の真ん中にチームが担当する部分の100分の1の模型が置いてあり、享一の目を惹いた。
 その模型は、この段階で既にプロジェクトの成果の素晴らしさを予感させている。
 美術館であるその建物は地面から浮いたようにデザインされ縦横比のバランスが絶妙だ。この建物に自分も関われるのかと思うと胸が躍った。
 感嘆を隠せず、模型に目釘付けになっていると上座から声が掛った。

 「気に入って頂けましたか、時見さん。どうぞ空いている席に座って下さい」

 さらりと苗字を呼ばれ、声の主に目を向け固まった。
 勝手に身体が翻って、ドアに向かう。

 「時見君?」

 大石部長に腕を掴まれ声を掛けられて、はっと我に返った。

 「何してるの? 早く席に着きなさい」

 小声で叱責され、慌てて末席に身を落ち着かせた。

 「失礼しました」
 「では、全員揃ったようなので始めましょう。それと、時見さんは来週からの、K2への出向の件で話があります。この後、残って戴きたいので お願いします」

 絶句した。
有無を言わせず ”お願い”して来たのは、揉消した筈の葉山の男だった。

 

 皆が各部署に戻っていった後の、がらんとしたコンファレンスルームで享一は葉山の男・河村圭太と2人きりで対峙していた。狼狽を隠せぬまま、正面を向き合うとやはり背が高い。”神前”と同じ位ありそうだ。

 肩にかかるぐらいの長い癖毛を後ろで束ね、優男と形容出来る風貌は少女まんがの王子様だ。なるほど、女子社員たちが色めきだっていたのはコレかと思い至る。 
 最悪の展開に、溜息を呑み込んだ。

 「眼鏡掛けてるんだ。この前は掛けてなかったよね。もしかして変装でもしてるつもりとか?」

 確かにそういう意味もあったが、笑いを含んだ言葉にカチンと来た。
 コンタクトを眼鏡に変えたのは、自分を 『サクラ』 だと言い当てた神前を気味悪く感じ、少しでも顔の印象が変わればと思っての事だ。
 だが今は、目の前の河村の顔を正視するのも、表情を読まれるのも厭だった。

 「もともと目が悪いんです」

 自分が晒した痴態や醜態をどうフォローすれば良いのか分らず、伏し目がちになる。

 「そう、じゃあ眼鏡外して」

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学

08

Category: 翠滴 2 (全53話)

Tags: ---

Comment: 4  Trackback: 0

翠滴2 Agua de beber 2 (9)
←(8)                                      (10)→  


 一瞬なんのことか判らなかったが、言われるままに眼鏡を外した。
 胸のポケットに仕舞おうとしたそれを、河村が取上げ窓際のペリメータボックスの上へ置く。
 驚いて顔を上げた頬を思い切り張られた。ぐらついた胸元を捕まれ、もう一発。

 ううっ…。
 「これで、おあいこだよね 享一君」
 
 目の前を星が舞い、頭がクラクラした。
 強さが違うだろ!と反論したい気持ちもあるが、声に出して返す言葉はない。

 「俺が河村圭太だと知って、驚いた?」

 涼しい顔で訊いて来た。こいつ、絶対性格悪い……。
 プロフィールの写真が不鮮明すぎると悪態をついても、後の祭りだ。

 「正直、驚きました。すぐに人員を交替します」
 「何故?」
 「俺は平常心を保ちつつ、あなたと同じ空気を吸いながら仕事するなどという、ビシバシの剛毛が生えたタフな心臓は持ち合わせていませんから」

 話はこれまでと、ベリメータカバーの上の眼鏡に伸ばした。その手首を手に捕まれ、グイと河村の胸の前に引き寄せられて驚いた。
 「面白いことを言うね、享一。君は俺をただの行きずりの男だと勘違いしてない?」

 締め上げられた手首の痛さに顔を顰めて睨み付けると、河村の顔が近付いてきた。唇が触れそうになって顔を背ける。

 「そのまんまでしょう? あなたはただの行きずりです。ちょっと、離して下さいっ」
 力任せに身体を捩り、その反動でよろめいた享一の手首を河村が引き上げる。
 「痛っ!」
 「ふうん。俺たちの所見には食い違いがあるわけだ。これはひとつ、話し合う必要があるようだな」
 享一の顔を覗き込んだ河村の瞳に、酷く冷たい残忍な陰を認めて身が竦んだ。
 唇の端だけを上げて嗤っている様はまるで悪魔の形相だ。容姿の端麗さが却って凄みを加える。河村に捕まったまま後ずさった身体がバランスを崩し、ドンッと音をたてペリメータボックスにぶつかった。窓の腰壁と同じ高さの天板に肘を付いた形で、上体が乗り上がる。
 河村が逃げ道を塞ぐように空いた方の手を享一の身体の横についた。素早く享一の脚の間に身体を割り入れ、下腹部を密着させる。

 「ねえ、なんで君の会社みたいな、なんら繋りのない準大手のゼネコンが今回のプロジェクトに指名されたと思う?」
 「知りませんっ。痛い、手を離して下さい!」

 嘘だ、平沢から河村のプッシュがあったと聞いている。だからといって、何だというのだ?
 そんな事は、知るもんか。下腹部が密着する不愉快さに、声に怒りが籠ってしまう。

 河村の顔に愉悦の表情が広がり唇が耳元に近付いてきた。

 「この仕事、他の会社に回してもいいんだけど? それとも今ここで、この前みたいに熱く乱れて見せてくれる?」

 享一の顔が、カッと羞恥に赤く染まる。
 逃げ場がなく、ずり上がった背中が窓ガラスにあたり完全に退路を断たれた。
 背後に繰り広がる光景が視界の端に入り、ざっと血の気が引く。

 「悪魔っ」

 戦慄く口をついて出たその瞬間、幅80センチ程の外開き窓が開いて背中が宙に浮き、上半身がビルの外に飛び出した。素早く腕が伸びてきた手が、享一の胸倉をネクタイごと掴む。

 「うわっ!? あぁーっ!」
 「悪魔? 結構じゃないか。なんなら、それらしくこの手を離してやろうか?」

 剣呑な声だが、顔が楽しそうに笑っている。頭上で隣のビルが踊る恐怖で顔が引きつった。
 床から離れた足先が空しく取っ掛かりを求めてもがいている。

 「やめて下さいっ! 高い所が苦手なんです!」
 「享一の余裕の無いその顔。色っぽさは全く足りないが、十分にそそられる。あの夜を思い出すな」

 河村は、さも愉しげにウットリ笑っていた。サド野郎と罵ろうにも、心拍数が急激に上がり、視界が涙に滲む。心拍数がマックスに達し、呼吸が苦しくなる。ヒッ、ヒッ・・と痙攣の前触れのような、おかしな声が喉から飛び出した。自分がパニックを起こしかけている事は明白だ。限界を悟った。

 「……助けて」 息も絶えだえに弱々しい声で懇願する。
 「うん、何? 外の騒音がうるさくって、声が聞こえないよ?」
 「助けてください!! 河村さん!」
 「んじぁ、もう人員交替なんて言い出さない?」

 顎に指が掛って、更に外に押し出される恐怖に身体が震え出した。

 「言わないっ! だからっ」

 やっと身体が引き上げられた。頭の中が真白だ。

 「涙が滲んでる 可哀相に」

 気遣わし気な顔が、恐怖に小さく歯を鳴らす享一の頬を大きな手で包んで顔を覗き込んできた。
 誰の所為だ!! 勝手なことをと、はらわたが煮え繰り返った。

 「もし俺を揶揄おうと思って、ウチを指名してきたというのなら、あなたは間違っている。本来、あなたが取引をする筈の会社に指名を戻すべきだ。俺に120億もの事案を、どうこうさせる価値はありませんから」

 慄えの残る身体を抑えながらも、享一は強い意思をたぎらせて真直ぐな視線を向けた。
 
 



<<← 前話2-1次話 →>>

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学

09

Category: 翠滴 2 (全53話)

Tags: ---

Comment: 0  Trackback: 0

翠滴2 Agua de beber 3 (10)
←(9)                                      (11)→  


 美しく 美味しい水・・・・・・

 やはり、目の前の男の事をそう喩えてしまう。
 それは冷蔵庫で冷され、美しいグラスに注がれた水などではなく
 大地から涌き出て流れ出す、官能と冷静のうねりを持つ、程よく冷えた水。
 一口飲んだら、もっと欲しくなる。

 「君は自分の選んだ会社の事をどの程度判っている?」

 享一は怪訝な顔をした。どんな表情も愛しく思えて、もっともっとと貪欲な感情が湧き出し、自分を抑えるのに苦労する。

 「君は自分の会社には今回の仕事を成功させる実力が無いとでも?
 自分の会社を信頼して無い・・・・訳じゃないよね?」

 わざと突き放すように言う。

 「今回はJV(共同企業体)ですが、我社には単独でもこの仕事を請ける
 実力はあると思います。ただ今まで繋りが一切無かった所へ今回の話だ。
 訝るのは当然でしょう」

 入社試験の面接で聞けそうな返事が帰ってきた。今回の指名はクライアント側の毎度同じ企業を採用することで発生する馴れ合いに対しての危惧感から、施工会社の一新を図りたいとの希望があってのことだ。
 ただ、お互いが馴れ合う業界だ。 同業でも繋りを持たない会社が割り込むのは難しい。この繋りが、かつて談合を生んだ。
 大森建設はクライアントの意図を知って、裏から雅巳を通じて推した。前から大森の仕事のレベルの高さを買っていたし、そこに享一が在籍しているとなると、これはもう神の導きとしか思えない。

 「実力がある・・・・。なら、問題は無いよね。
 君は、君一人の判断で会社にとっての最大のチャンスをフイにする。
 それが何を意味するのか、国立大卒のその頭を少し捻れば解る筈だ」

 「・・・・・・・・」

 「事務所の住所だ。遅刻厳禁 残業厳禁だ」
 「俺の名刺は、必要ありませんよね」
 「まあね」

 葉山で、一枚失敬したことを暗に責めているらしい。

 渡した名刺をケースに収め、部屋を出る手前で振り向いた。
 覚悟のようなものを纏い、その姿から凜とした空気が流れ出る。

 「この際、要求が何かをはっきり言って下さい。俺は正直いって、河村さんの創るものにも仕事にも、とても興味があります。プライベートは別として建築家 河村圭太の凄さはわかっているつもりですし、リスペクトもしています。ですから余計、何も出来ない新卒の俺をアトリエに入れて、河村さんの役に立つとは思えません」

 享一の顔が探るように真直ぐに見つめて来る。
 こういう直球を寄越すところも、酷く可愛い。
 
 「嬉しいことを言ってくれるね。俺の要求の第一は、”美味しい水”だよ。仕事は、この間まで学生だった君に過度の期待はしていないから、心配することは無い。追々、ウチのやり方を覚えていってもらうつもりだから」

 ドアが閉まる。

 どうして、なかなかのもんじゃないか。思っていた以上に、見どころがありそうだ。一年とは言わず、このまま手許に置いて公私共に育てるのも悪くないかもしれない。
 去り際の物問いたげな表情を思い出し、笑いが漏れる。

 怪訝な顔をしていたが、市販されているペットボトルの水でない事は解るだろう。
 享一と関係のあった唯一の男は、どんな思いで享一を手放したのだろうか。
 俺はもう一つの、美しい水の流れを思い起こす。

 こちらは、深緑の静かな水面の下に猛狂う激流を隠し持っている。
 その流れを征していると思い込んでいる男は、既に流れに絡め取られ、溺れている事に気が付いていない。水の力をナメてはいけない。

 「永邨 周。時見 享一は、俺が戴くよ」

 河村は、享一の消えたドアに向って薄く笑んだ。 





<<← 前話2-1次話 →>>

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学