BL・MLに関心の無い方 18歳以下の方はご遠慮くださいませ。大人の方の自己責任においてのみの閲覧を お願いします。


プロフィール

紙魚

Author:紙魚
近畿に生息中。
拙い文章ですが、お読み頂けましたら嬉しいです。


紙魚は著作権の放棄をしておりません。当サイトの文章及びイラストの無断転写はご遠慮ください。
Copyright (C) 2008 Shimi All rights reserved

*お知らせ*
長らくみなさまから頂戴した拍手コメント・メールへのお返事は、別ブログの”もんもんもん”にてさせて頂いていましたが、2016年4月より各記事のコメント欄でお返事させて頂くことにしました。今まで”もんもんもん”をご訪問くださり、ありがとうございました。く



    
参加ランキング
FC2カウンター
*
検索フォーム
QRコード
QRコード
16

Category: 広くて長い

Tags: ---

Comment: 5  Trackback: 0

広くて長い 1
<1>

 満足気な息を吐いた男が仰向けに寝転るがと、安っぽいスプリングの音が重そうにギシギシ音を立てた。
「司 (つかさ) くんとできるなら、20万出しても惜しくないなあ。ねえ、もうそろそろ挿れてくれてもいいんじゃないの。君だって金が欲しいからこんな仕事しているんだろう?」
 "こんな"仕事に就く男を、週も明けず ”ご指名” してくる奴に言われてもなと内心で苦笑し、エグみのある粘液をテイッシュに吐き出した。一刻も早く口の中を消毒したい。
「司くんの力になりたいんだよ。学費を稼ぎたいなら、高値がつくうちに売ったほうが得だよ」
 最悪な言葉を連発した男が返答代わりに浮かべた愛想笑を勘違いし、肉付きのよい指で腰を引き寄せた。近くなった顔に、粘ついた視線をなすりつけてくる。吐き出した汚い粘液を再度、顔に塗りたくられるようなきがして、気が滅入った。
「それとも、指名を増やす方がいい?」
 気取られぬようにベッドサイドに置いたデジタル時計を目で確認する。
 21:45 コースはまだ15分も残っている。落胆は顔に出さず、微笑んだ。
「ご厚意は十分に頂戴しております。これ以上は、河内様にもご迷惑がかかるのでは。お気持ち有難く頂いておきますね」
 頬を撫でていた手が、鎖骨を伝い胸の尖りを弄りだす。
 そのネチこい弄り方に、内心うんざりしているのに、躯はざわりと反応する。こういう時、男の躯は単純過ぎて始末に終えないと思い、またその単純さで稼ぐ自分のあざとさにも呆れて失笑しそうになった。
「ねえ司の携番教えてよ。店抜きで直接会えば、その分デート代が全部、稼ぎになるから司も得だろう」
「何度も申し上げた通り、店を抜いてのデートは固く禁じられていますので。その手の誘いは違反で、除名対象になりますよ」
 胸からやんわり手をどけると、またフェラチオを強請られた。ほんの数分数秒だって無駄にしたくないらしい。
「2人だけの秘密にすれば大丈夫。誰にもバレないさ。僕はね窮屈な規約なんか取っ払って、もっと自由に司といろんなことがしたいんだ。わかるでしょ?」
 わかりません。脳内は即答だが、現実は伏せた頭を股間に深く押さえつけられ、不快感に嘔吐きそうになる。口の中のモノを噛み千切ってやろうかと脳裏を掠めるが、想像だけで本当に吐きそうになり、翌日の納品先と加工肉の数量のことを考えて気を紛らわせた。

 河内には、プライベートで会おうとしつこくせがまれ辟易していた。
 他にも駄目だというのに写真を撮ろうとしたり、帰り際に放してくれなかったりと違反行為のオンパレードだ。最近は言動がエスカレートしてきて時々、怖くなる時がある。
 こういう商売にトラブルはつきもので、質の高い店ほどそういう客には警戒する。
 会員制のデートクラブ・アルデバランに登録するには、それなりの客筋であることを保証する紹介者の口添えが必要だ。身元や職業はもちろん、人によっては本人には告知せず犯罪歴や身辺関係まで調べられることもあるという。

 河内の家は祖父が会社を起こし、父親がそれを継いだと聞いている。次は河内の番だが、器ではないと判断されたのだろう。妹婿が跡を継ぎ、河内は役員名簿に名前だけ連ねているのだという。
 遊んでいても金の方からが寄ってくる。それが河内の口癖だ。
 頻繁にクラブを利用してくれるが遊び方がねちこく、今日みたいに携帯番号を聞き出そうとしたり、禁止されている道具を使いたがったりとボーイ間での評判は良くない。河内を紹介した男も、指名したボーイに酷いSM行為を強要し先刻除名処分を受けたばかりだ。
 困ったことに、他のボーイの代理で相手をしてから、河内は自分ばかりを指名してくるようになった。
「終わりました。それと、ちょっとお伝えしてておきたいことが…」
 やっと河内から開放され、駅に向かいながら店にを携帯で報告する。河内のルール違反も正直に話した。デートクラブといえば多少耳障りはソフトだが、所詮は風俗だ。トラブル時に店がしっかり守ってくれないなければ、デート嬢やボーイは傷つき泣き寝入りすることになる。

 昼間は会社員として働き、夜は大学生と偽って男に奉仕して金を貰う。
 平凡と非日常、対極する2つの世界を行き来する生活。
 夜が帳をおろす頃、会社を出て駅に向かうその間にちらちらと零れるように日常から抜け落ちていく。そして陽が昇れば、またどこにでもいる平凡な会社員の皮を被り、肉を運んで納品書を切るのだ。

 あれから河内の指名はぱったりと入らなくなった。後になって、ボーイ仲間から河内が除名処分されたことを聞かされた。
 その河内が再び目の前に現れたのは、それから2ヶ月ほども経った夏の夜だった。

 利便性も高い都内の住宅街に建つ外国人向けレジデンスは、入居審査も厳しいとの噂だ。この高級住宅街界隈でも、賃貸価格が飛び抜けて高いレジデンスの2室を、VIP用の客室としてデートクラブが使用していることを住人は知らない。
 その夜は、新作発表会で上京する度に指名をくれる京都の老舗織物会社の8代目若社長に呼ばれて訪れていた。過ぎた額のチップにほくそ笑みながら、二件目の仕事をキャンセルする手立てはないかと考えながら門を出たところで、見覚えのある小太りな男と出くわした。
 一般会員は知り得ないはずの、VIP室のあるこのレジデンスを、河内は一体どうやって突き止めたのか。ドロリと濁った焦点の合わない目を向けてくる河内に、頭の中で警笛が鳴る。
 本来なら外で客を見かけてもこちらから声を掛けるのはご法度だが、 「お久しぶりですね」 と親しみを込めて話しかけた。河内からの反応はなく、行く手を立ち塞いだまま退いてくれる気配もない。
 面倒臭いことになったと思った。
「司くん、本当に…久しぶりだね」
 口元が引き攣ったように持ち上がるも、顔の他のパーツは全然笑っていない。
 どこか安定の欠いた薄気味悪い目つきで近づいてくる男に、歩道に下りかけた足が本能的に後ろに退いた。
「いいね、いいね。司くん現役の大学生のはずなのに、そういう大人びた格好もすごくよく似合うよね」
 どこか引っかかる河内の物言いに、内心ひやりとした。
 VIP室を使う客は、世間体を気を使わなければいけない立場にある客だ。訪れる時は、なるべく馴染む格好を選ぶようにと、店からも言われていた。
 この日は、顧客の相談に訪れた保険会社の社員風を装っている。スーツは、食肉を扱う会社の営業部に勤める自分が持っている中で一番、ましなものを選んできた。
 鞄の中には仕事の書類や名刺と一緒に、二軒目用の着替えが入っている。
「司くん、僕のこと除名しろってクラブに頼んだんでしょ」
「とんでもない、そんなことは一言も……え!?」
 いきなり飛びついてきた河内に鞄をもぎ取られた。一瞬何が起こったのかと唖然としている間に、運動とは無縁な体型の背中が鞄を脇に抱え、すばしっこく公園の中に逃げるのを見て血の気が引いた。
「待ってください河内様! 誤解です。その鞄を返してください」
 もし鞄の中を見られたら大学生でないことはもとより、本名や住所、勤務先までバレてしまう。それだけは、絶対に阻止しなければならない。
 迷うこと無く、河内を追って暗い山吹の茂みを分け入った。
「河内様……うわっ」
 隠れて待ち構えていた河内にいきなり横手からタックルを食らい、太い木の根っこで膝を強打した。痛みで蹲った躯を半ば引き摺るように奥に引っ張りこまれ、地面に転がされた。
「じゃあ誰が、僕を除名しろって言ったっていうんだ?」
 暗い地面で膝を押さえ、外灯の光が僅かに届く暗がりで仁王立ちの河内を見上げる。河内が鬼気迫る形相で今しがた打ち付けたばかりの膝を蹴った。
「やめてください、誤解……」
 除名しろとは言っていない、事実を話しただけだ。
 痛みに悲鳴を上げるが、夜の公園に誰かが駆けつける気配はない。力一杯また蹴られ、地面の上でもんどり打った。


   2 ▷▷▷  

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学

19

Category: 広くて長い

Tags: ---

Comment: 1  Trackback: 0

広くて長い 2
<2>

 河内に繰り返し蹴られた。あまりの痛さに呻き声も出ない。苦痛に歪む顔を、屈んだ河内の達成感に陶酔したようなが覗きこむ。こんな生き生きと澄み切った河内の目を見たことがない。
「司くん、いまから僕とデートしようよ。ね」
 とても他人をいたぶっている最中の人間が発しているとは思えない、はしゃぐように弾む幼稚な物言いに恐怖が膨らんだ。
「毎日、いっぱいHしようね。司くんのために、ロープと赤いシーツ、玩具もいっぱい新調したからね」
 河内の目的を知り、全身から血の気が引いた。怯え後退る足首を掴んだ河内の、反対側の手で青白い火花が弾けた。
「嬉しいよね。司くん、お返事は?」
 スタンガンを構えた河内の顔は、完全に犯罪者のそれだった。ポケットから垂れ下がった手錠が、暗がりでスタンガンの火花を反射して光った。
「き…今日は、まだ予約が」
「僕の方が大事だろぉがぁーー!」
 河内の絶叫が遮った
「司は耳障りのいいことばかり言って、いつも僕をいいようにあしらうんだ。もうそうはさせないぞ。司くん、本名教えてよ。どこの大学に通ってるの? 住んでるとこは? 携帯見せてよ」
 ヒステリックに叫んだ河内が、地面に放ってあった鞄を取り上げた。
「やめろ!」
 名刺入れやスマホの入ったサイドポケットを開けようとする河内を、無事な方の足で蹴った。鞄は河内の手を直撃し、逆上した河内が飛び掛かってきた。
「痛い、痛い痛い。僕を蹴ったな、僕はお客様なのに! 司くん僕を、蹴ったな、蹴ったな、蹴ったな」
 馬乗りになり相貌をぐしゃぐしゃに崩した河内が、泣きながらスタンガンを構える。乾燥した空気の中で青白い火花がスパークし、パシッと音が鳴った。
「100万、いや300万えんあげるから。ね、だからもう店はやめて僕のものになって。他の客は取らないでぇ」
 人ひとり、その程度の金で縛れると、まさか河内は本気でそう思っているのだろうか。
 大した能力もないくせに、他人の稼いだ金で当然のように自分の欲情まで買おうする。いい歳して、世間知らずで稚拙な男に虫唾が走った。
「お前なんか一億積まれたって、お断りだ! その汚い尻をさっさと退かせろっ」
 脇腹に感じた鋭い痛みに全身が撥ねた。
 痛みに耐えながら、胸の上に馬乗りになった河内の拳で腹を殴ると、今度は露出した首筋にスタンガンがあてられた。
「あんた、なにやってんだ!」
 気が遠くなりかけたところで、河内の体重が急に消え呼吸が戻ってきた。
 咳き込みながら上半身を起こして息を整える耳に、弾力のある厚い肉を殴る重い音が2度聞こえてきた。
「痛い、痛い、やめて、やめてくれ! ひいぃぃ!」
 痺れる項を押さえながら頭を上げると、ビジネスマン風の若い男が河内を殴りつけている。たった2発のパンチで地面に沈んだ河内の顔は、涙と鼻血でぐしゃぐしゃだった。
「待って、待ってくれ。誤解だ。僕は彼と付き合っているんだ。些細な内輪揉めに首を突っ込んできたのはそっちの方だろっ! ね、司くんもなんか言って……」
「あんた些細な内輪揉めで、スタンガンや手錠を使うのか、え?」
 地面に落ちたスタンガンを革靴の踵で踏み割り、背の高い男が泣きじゃくる河内の胸ぐらを掴んで持ち上げる。背は低いが河内は小太りな分体重もかなりある。呆気にとられる自分に男は警察に突き出すかと訊いてきた。
 逆光でよく見えないが、すっと通った鼻梁が窺える。かなり整った顔の男のようだ。
「警察はいいです」 男に襲われて、男に助けられるとか、まったく勘弁してほしい。
 警察に根掘り葉掘り訊かれて都合が悪いのは、会社に隠れてデートクラブで働く自分も同じだ。
 ふんと鼻息を飛ばした男が手を離すと、河内が地面に転げ落ちて、よろよろと近寄ってくる。それに男が 「DVで警察呼ぶぞ!」 と恫喝を入れると、河内は飛び上がって逃げだした。男が忘れ物だと怒鳴って、その背中に地面に落ちていた手錠を投げつける。悲鳴を上げたものの、河内は振り向きもせず逃げていった。

 楠の枝葉を揺らしたゆるい風が、痺れの残る首や頬を撫でた。
「あんた、大丈夫か?」
 目の前に形の良い手を差し出され、不本意に思いつも立たせてもらう。
「危ない仕事するなら、ちゃんと客は選んだほうがいいぞ」 
 どうやら100万、300万の件も聞かれていたらしい。まったく、踏んだり蹴ったりだ。

 びっこを引きながら、男について公園のプロムナードに出た。街路灯の下で見ると、自分のスーツは泥だらけで、無惨に破れた膝には血がこびり付いている。河内への激しい怒りが込み上げた。弁償させたいところだが、もう顔を見るのも声を聞くのもご免だ。
「痛そうだな、ひとりで帰れそうか?」
「大丈夫です。危ないところを、ありがとうございました」
 公園の出口はすぐそこだ。背の高い男となるべく顔を合わせないように深く頭を下げ、踵を返した。
「裕紀 (ひろき)?」
 久しぶりに呼ばれた下の名前に足が止まった。
「束原 裕紀だろ」
 男の声が懐かしい友の声になり、4年という時間の尺が巻き戻される。
 向けた背中を急速に蝕み始めた羞恥が、脚を震えさせた。
「あぶない!」
 足を前に踏み込んだ膝に激痛が走った。バランスを崩した躯を、後ろから伸びた腕が支える。
「その膝で、いきなり走ったら危ないって」
 涼やかな目許に人懐こい笑みを浮かべ、正面に回りこんだ男は裕紀の逃走を阻んだ。
「紅雷……、お前は中国に帰ったんじゃなかったのか」


「誰が大学生だって? 4歳もサバ読むなんて詐欺だよな」
 ビールを飲み干した男が呆れた声で言う。
 半個室が売りの居酒屋は、程よく混んでいて会話が他の席に訊かれることもない。
「しかもツカサくんって、誰だよ」
「蒸し返すな、マジで殴るぞ」
「おねえさ~ん、焼き鳥の盛り合わせと紹興酒ちょうだーいアル」
 通路にひょいと顔を出し、通りかかったバイトの女の子に訛りのない日本語で注文し、最後におふざけをつける。
 汪 紅雷 (ワン ホンレイ)は中国人で、大学時代の友人だった。

 中国人留学生と、地方から出てきて奨学金で通う学生。大学は違ったがバイトが同じで、ぎこちない日本語とさり気に目を引く整った風貌で印象には残っていた。あっという間にバイトをやめた紅雷が偶然、裕紀のアパートに越してきたことで、話すようになってすぐに意気投合した。
「借金返済の目処が立てば、すぐに辞めるつもりなんだから」
 お互い年中金欠で、節約するため卒業までの最後の一年間を、狭い1DKで同居した仲だ。
 あの頃の栄養源が、紅雷が中華料理屋のバイト先から貰ってくる賄いの残り物だったといっても過言ではない。今日の自分があるのはある意味、紅雷の賄いのお陰でもある。
 そんな過去もあるがゆえ、嬉しくない紅雷との邂逅を我慢して居酒屋の椅子に留まっている。
「奨学金の返済って、そんなに大変なのか? 俺ら外国人には給付型の奨学金や生活費まで出してくれるのに、自国の学生からは利子まで取るとか。なんか歪だな、日本って国は」
「財政難だからな。実際、若者には厳しい時代だよ」
 自分だってこの不条理に納得しているわけではないが、銀行の引き落としを諦観の境地で眺めることにも、もう慣れてしまった。
 焼き鳥を串から外した紅雷が、もも肉と葱、つくね、軟骨を裕紀の取り皿に選り分けてくれる。とり皮と肝は苦手だ。
 「よく覚えてんな」 と呟くと、紅雷は得意そうに男っぽい端正な顔をドヤ顔にしてニッと笑った。

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

 ◀◀ 1 /  3 ▷▷ 

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学

21

Category: 広くて長い

Tags: ---

Comment: 2  Trackback: 0

広くて長い 3
<3>

 デートクラブのバイトを始めたきっかけはスカウトだった。
 奨学金の返済は一定期間滞納すると、未払いの元本に5%の延滞金がつく。3ヶ月でブラックリストに乗って、クレジットカードも停止。それも無視したら、取り立ての電話が職場にまでかかってくるという街金も畏れ入る仕組みだ。
 それでも大学に合格した直後に父親がリストラされた自分は、奨学金に頼るしかなかった。学費に加え下宿代、東京での生活費を学業かたわらに稼ぐのは不可能だ。
 ここ数年、似たような理由で風俗に足を踏み入れる学生や若い社会人が増えたという。もちろん大半が女性だ。
 学歴を身につけたい、働き口のある都会の大学を出ていい仕事につきたい。学費が上がり、給与が頭打ちのこのご時世。国の将来を担う若者が、あたり前の夢を叶えるために莫大な自己犠牲を払わなくてはならないこのシステムは、紅雷の言う通り歪だ。
 奨学金の返済は大学を卒業すると同時に始まった。
 大卒でも正規雇用が危ぶまれる折、希望した会社は片っ端から落ちまくり、なんとか今の会社に落ち着いてホッとしたのも束の間、実家が洪水で流された。
 異常気象による大雨で、堤防が決壊したのが原因だった。遠方へ葬式に出掛けていた両親は無事だったが、家財は全て流され家のローンだけが残った。
 立て続けに降ってきた不運を嘆く気持ちの余裕すらなかった。
 金が足りない、金が欲しい。毎日、金の工面のことばかり考え、夢に見てはうなされてた。そんな時、街でスカウトにあった。

 男相手に性的なサービスをする仕事。と内容を聞かされ、目をつけられた事自体が屈辱で、声をかけてきた男に猛烈に腹が立った。ところが他のどのバイトとも比較にならないほど高額な時間単価を提示された瞬間、考えが変わった。
 完全会員制のクラブは、HPも高い会費を払ったメンバー以外は閲覧できない。
 これなら会社にバレることはないと確信した。
 自分はゲイではないし男に奉仕するなんて、考えただけでも吐き気がする。だが仕事と割り切れば、やれないことはないと思った。とにかく金が必要だ。
 時間は自由。客は最初からヘテロだと知った上で指名するから、セックスを強要されることもないし、辞めるのも自由だと男は言った。
 四十過ぎても奨学金や借金に追われる生活など真っ平だ。

 男に奉仕することへの強い抵抗感は、現金を手にすることで鈍化していった。
 身を貶せば貶すほど闇は濃くなるばかり、奈落に底はない。鬱々と地味な会社員の生活に一石を投じる二重生活は、退廃的な仄暗い興奮すら引き起こした。
 
 帰ると言った裕紀をしつこく居酒屋に誘った紅雷は、裕紀の風俗の仕事を否定したり、蔑むような事もないかわりに、同情する言葉も言わなかった。事情を知って仕方のないことだとでも思ったのか、他人の個人的な事情に口を挟むまいと決めたのか。
「もっと食えよ。サラダは?」
「もういいって、ちゃんと食ってるだろ」
 うっかり気を許すと取り皿の上に肉と野菜の山ができる。お前は俺の母ちゃんかと突っ込むと、紅雷は破顔して笑った。
 一言でいうなら、紅雷はいい奴だ。
 優しくて真面目で、メンタルがやたら強い。
 大学時代。ゼミに中国人留学生を蔑視する先輩がいて、紅雷に酷い嫌がらせしていた。だが紅雷は一向に感情を出さず、礼儀的に淡々とその先輩に接したという。結果、数々の悪事を紅雷びいきの教授に知られるところとなった先輩は、就職時の推薦状を出してもらえなかったと人伝に聞いた。

「裕紀に会えてよかった」
 紹興酒のグラスを置き、淡い陰影を落とす明かりの下で静かな視線を寄こす。あの頃から整った容姿はしていたが、地味で垢抜けず素朴な印象が強かった。こういう大人びた表情をする男だっただろうか。こざっぱりと清潔感のある短めの髪型が、輪郭にシャープさが加わった紅雷の顔によく似合っている。
 あれから4年だ。社会に出て仕事を持ち、経験を積み、青臭い学生が大人の男に成長するには十分な時間だ。自分はどうなのだろうかと顧みると、虚ろな眼をして青い息を吐く男がいる。寒くもないのに震えがきた。

「お前は中国に帰って、戻ってこないものとばかり思ってた」
 紅雷が嫌なことを思い出したとでも言わんばかりに、斜め上を仰ぎ渋い顔を作った。
「帰ったけど、親父と流血沙汰寸前の大喧嘩をしてUターンさ。ちょうど親父と険悪な時期に、今の会社の社長に通訳を頼まれてたんだ。社長に誘われて転職して、そろそろ1年半になるかな」
 いずれは中国に戻って、培った経験を活かして起業するつもりだと紅雷は言葉を結び、紹興酒に濡れた唇で笑う。売春クラブのスカウトにしか声を掛けられなかった自分とは大違いだ。

 どこまでも澄み渡った自信と、将来への明確なビジョン。仕立ての良いスーツと上質なシャツが、紅雷によく似合っている理由がわかった気がした。
 もしかしたら、自分はどこかで紅雷にだけは勝てると思っていたのかもしれない。
 目の前の紅雷はもう自分の知っている中国人留学生の素朴な青年ではない。

 追いつけない。

「親父の話す北京語が時々、宇宙語に聞こえるんだ。オレって、拾われっ子だったんじゃないかって思うんだよな」
 口を尖らせた後、紅雷はあの人懐こい笑顔で笑った。そして紅雷が働く会社 『桐亜プレジャー』 が、商業施設やレストランなどレジャー産業の開発を手掛ける会社なのだと説明してくれた。
「月の半分は出張で忙しいけど、やりがいがあるよ」
 羨望より、嫉妬より濃い敗北感に押し潰されそうになりながら相槌を打つ時間は苦痛でしかなかった。
 裕紀と、紅雷が紹興酒を掲げる。
「親友と再会してまた酒を交わせて、今日は最高だ」
 正面きって凝視てくる黒い双眸が、標的に照準を合わせているように見えたのは、気のせいだろうか。
 会えてよかったと繰り返す男付き合い、ジョッキを紹興酒のグラスに軽く合わせた。
 二度と会いたくない。痛烈にそう思いながら。

 居酒屋から出るや、露出している腕や首筋が湿気に包まれた。
「湿度が高いな、雨の匂いがする。裕紀、傘は持ってるのか?」
 紅雷が犬みたいに鼻を鳴らして言う。
 駅前は、リムジンバスを待つ外国人旅行者や家路を急ぐOLやサラリーマン、人待ち顔の人々でごった返していた。雨の気配に、誰もが幾分早足だ。
「駅は目の前だし、降ってから考えるからいいや」
「裕紀は相変わらつらねー」
 紅雷の惚けた”訛り”に苦笑しいていると、ぽつりと雨がやってきた。
「いってる間に降ってきたな。じ…」
 じゃあなと別れるつもりが、ドンッ!と背中を押されてよろめいた。紅雷が肩を受け止めてくれなかったら今日、二度目の転倒になるところだ。
「不好意思!」
 振り返ると、山のような荷物を抱えた女の子がロータリーに停まる観光バスに向かって走り去っていく。集合時間なのだろう、犇めく団体旅行者たちから威勢のいい中国語が聞こえてきた。
「あの子、なに言ったんだ?」
「すみませんだって」
 大量の荷物を積み、中には荷解きをして地面でスーツケースのパッキングをやり直しているものもいる。
「爆買い中国人か。海外に出るなら、旅先の国のルールくらい調べて来いってんだ。しかしよくもあんな見境なく買いまくれるもんだな。日本をまるごと買いそうな勢いで、引くよな」
「13億人だからな。海外旅行に出る余裕があるのはごく一部で、国内旅行にだって行けない人間が大半なんだ。旅行に行く余裕のない身内や、友人に土産物を買ってやりたいと思うのは仕方ないだろ」
 肩を支える紅雷の冷静な声に、我に返った。
「まあ、見栄と義理が大半だとは思うけどさ。日本人も海外旅行に行き始めた頃は似たようなもんだったって、社長が言ってたけどな」
「すまん」
 裕紀の肩から紅雷が手を離した。
 細い雨が地面に染みこみ、濃厚な雨の匂いが辺りに満ちてくる。
「本当に、嫌味なんか言うつもりは……」
「いいって、気にするなよ。それより膝は大丈夫か? まだ痛むなら車で送って行くけど」
 気にするなと言われると、余計に悪いことをした気分になってくる。
「いや、もう痛くないから」
 湿布を貼った膝は、スラックスの中で腫れて熱を持ちズキズキと痛んだが、一刻も早く紅雷と別れることばかり考えていた。
「なら、これ持っていけよ」
 押し付けるように渡されたのは、黒い折りたたみの傘だった。
「いらないって。紅雷こそ、ここから歩きだろ。差して帰れよ」
 もう会うつもりのない相手に傘を借りるわけにはいかない。踵を返し、じゃあなと挙げた手を掴まれ舌打ちしそうになった。
 再会を歓ぶ紅雷が、また会わないか的なことを言い出す前に別れたかった。
 なのに。

「オレは近いからいいんだ。次に会う時に返してくれればいいから。裕紀の連絡先、教えてくれよ」


  にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

  ◀◀ 2 /  4 ▷▷ 

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学

23

Category: 広くて長い

Tags: ---

Comment: 4  Trackback: 0

広くて長い 4

<4>

 メールの返信も滅多にしない、留守電にメッセージが入っていても折り返さない。
 なのに紅雷は4年ぶりの再会がよほど嬉しかったのか、無言の拒絶を気にするでもなく、無頓着とも思える鷹揚さで、近況や取るに足らない無駄話を頻繁にメールしてきた。
 放っておくと着信欄が紅雷の名前で埋まってしまう勢いだ。
 ビニ傘ならば無視するところだが、何やら高そうな傘も返さなくていけないしで、一度きりのつもりで仕方なく会ったが最後、メールの数が倍増した。
「お前ってさ、こんなマメな性格だっけ?」
「中国で携帯盗られて、大学時代の友達に連絡できなかったから、裕紀に会えて嬉しいんだよ」
 沖縄にいる紅雷からの通話を、駐車したフロントガラスに広がる紅葉眺めながら受ける。。
「ただでさえ貴重な休みに男なんかさそってねえで、さっさと彼女つくって、そいつとLINEするなり出掛けるなりしろよ」
 スマホをスピーカーに変え、まだ温い弁当のフタを開ける。ふわんと食欲をそそるスパイシーなソースの匂いに鼻腔を膨らませた。
 デラックス・トンカツス・ペシャル弁当、ひとつ380円。デラックスとスペシャルがWでついて、破格のお値段だ。弁当屋で自社製品を使った弁当を、営業用の車の中で食べるのがここのところ日課だ。自分が納品した加工肉がどう調理されているのか、リサーチも兼ねて買う。

『人のことより、裕紀はどうなのよ。前に付き合ってたカワイイ子いたねー。アミちゃんね、あの子はどうなったアルね?』
 紅雷は日本語を完璧に話せるくせに、わざと訛る時がある。今どきアルなんて訛る中国人もないと思うが。
「亜美って、いつの話してんだ、そんなのとっくにフラれたっつうんだ。まだ借金も残ってるし、とうぶん女と付き合う余裕は俺には無いな」
 亜美は大学時代に付き合っていたコだ。卒業後も半年くらい付き合っていたたが、金欠が原因の喧嘩が絶えなかった。実家が洪水に遭いローンを返済を手伝いたいと言ったらスタンプ付きのLINEでフラれた。お涙なくては語れない悲恋物語だ。

 トンカツを齧って咀嚼する。
 使用されているのはアメリカ産の豚肉で、国産並とはいかないが、デラックス・スペシャルに恥じない味とボリュームだ。しっとりと火の通った肉とサクサクの衣に甘めのトンカツソースがからまって美味い。コスパの高さに感心しつつ、がつがつ食い進めた。
 
 なんでも前向きに考える紅雷に感化されてか、職場の人間やエロ目的の客以外と話す機会が増えて見解が広がったためか、前より物事を俯瞰で考えるようになった。
 仕事のこと、将来の事。考えるのを先送りにしていたボーイの仕事のことも。
 ボーイは賞味期限のある仕事だ。年齢でサバを読むのとは関係なしに、お客に飽きられるときは必ずやってくる。
 いつまで自分は風俗の仕事を続けるのか、ヘテロの看板はいつまで通用するのか。
 デートクラブ 『アルデバラン』の店長の佐野は、人気があるうちにバックヴァージンを解禁にしないかと、やたら持ちかけてくるようになった。
散々際どい事をやっておいて今更な気はするが、自分の意思で咥えるのと、躯を開いて受け入れるのとでは精神面への影響が全く違う。一度、佐野にそれっぽいことを漏らしたら、「ふぅん、あーそ~~」 と白けた顔で流された。
 奈落に落ちながらも一線を超えないのは、自分を見失わないための安全帯にしがみついているようなものだ。
 河内にあの公園でレイプされていたらと想像すると、今でも背筋が寒くなる。そんなことになっていたら、襲ってきた河内以上に襲われた自分を許せなくなっていたと思う。
 自分を助けてくれたのが、4年という年月を隔て現れた紅雷だったというのは。

 しば漬けを口に放り込み、弁当を完食する。
 紅雷も昼食を終えたのか、地元の食べ物の話とか美ら海水族館に視察に行ったこととか、他愛もないことを話している。週に1~2回は、こんな感じでランチタイムに紅雷と電話で喋る。
 適当に紅雷に相槌を打ちながら弁当のパッケージを片付け、ペットボトルの蓋を開けた。
 デラックスでスペシャルな味とボリュームに大満足だが、欲を言えば野菜がもっと欲しかった。緑茶を喉に流しこみながら手帳を開き、『野菜たっぷりメニュー、商品考察、提案』 と書き付け、提案の部分を丸で囲む。

 第一志望ではなく、他社を落ちまくってやっと滑りこんだ会社だ。やりがいとかではなく、ただ淡々と与えられた仕事をこなす日々だった。入社4年目にして、自分の仕事に積極的に取り組みたいと思うようになった。すると、自分を取り巻く環境が面白いように変わった。
 取引相手や社内でのコミュニケーションが増え、より多くの取引先も任されるようになった。近い将来、食品衛生責任者になることを見据え、空いた時間に勉強も始めている。
 紅雷と再会し、追いつけないと卑屈になった日からたった3ヶ月しか経っていなかった。

『でさ、来週末の話に戻るけど、観たい映画があるんだ』
「駄目だな、来週末は埋まってる」
 スマホのスケジュール帳は土日ともDのマークが入っていた。スピーカーから紅雷の不満気な溜息が返ってくる。出張の多い紅雷が週末に東京にいるのは、月に1、2回だ。そんな貴重な休みに男友達と映画とか無いだろうと笑う。
 「そんなことねえし」 
 少し拗ねた紅雷の声に自尊心が擽られて、また紅雷に対する嫉妬や抵抗感情が取り払われてゆく。

 丸2日分の時間を押さえたのは、京都の老舗織物会社の8代目、能勢 朔也だ。
 新作の披露展覧会で上京する能勢とはデートだけでなく、食事の相手や時には能勢の車の運転をしたりもする。その分、時給も割増でもらえるので指名をもらった時、一も二もなく引き受けた。
 能勢はスマートな男で、裕紀が嫌がるようなことはしない。借金を1日でも早く返したい裕紀に、能勢の指名を断る理由はなかった。
『そうか、残念だな。帰りに紅葉の見える庭園レストランで飯でもと思ったんだけど』
 車を駐車している神社横の小路は黄色い銀杏が薄く積もる。低い白い漆喰塀から覗く、もみじの紅とのコントラストがちょっと現実離れしていて、とても綺麗だ。
「その頃には紅葉も、もう散ってるよ」
『散ってない、絶対まだ見頃だよ。土日のどっちか1日くらいどうにかならないか?』
 いつもならこちらの事情を察して、すんなり引いてくれるのに、今日はやけに食い下がってくる。
 一目も二目も置く友人に惜しがられているのだから当然、悪い気はしない。憧れに似た感覚は歯痒いが、今は紅雷に早く追いつきたいという気持ちを素直に認める事が出来るようになった。
「そろそろ昼休みも終わりだ。紅雷は、東京に戻って昆明だっけ。気をつけて行ってこいよな」

 通話を切ると、画面のデジタル表示が13:00になる。デートクラブの仕事を始めて、何かにつけて時計をチェックする癖がついた。
「中国だって紅葉だろうよ」 
 紅雷は明日、一旦東京に戻ってから中国の昆明に出張する。忙しい男だ。戻るのは来週の中頃で、タイミングが合えば、車を止めているこの小路は黄金色の絨毯を敷き詰めたみたいになっているだろう。
 一面金色に染まった道を見せたら、紅雷は歓ぶだろうか。
「中国人は金ピカが好きだって言うしな」
 自然と口許が緩む。
 ギアをドライブに入れたところで、メールの着信があった。
 今夜 20時 Tホテル 1002号室  幸田 東夷 様 (新規会員)
 
「ふうん、写真で見るより落ち着いた感じだね」
 どきりとした。店のプロフィールは大学4年生になっている。
「今どき、就職で忙しい時期なんじゃないの。それとも、もう決まった組?」
 最近、会社でも雰囲気が落ち着いたとか、地に足がついてきたとか言われることがある。老けたというより、実年齢に近くなったということだと、自分にいいように解釈していたが。
「ま、いいや。君みたいな子、嫌いじゃないし。入れよ」
 前室から招き入れられて、前払いで料金を貰う。
「これで本番無しなんて、君んとこ結構高いよな。あー、司くんだっけ?」
「呼び捨てで結構です、幸田様。有料になりますが、当店では一度だけチェンジ可能です。いかがなさいますか?」
 幸田は革の上着をソファに脱ぎ捨てると、冷蔵庫の中の覗く。
「司って源氏名だろ、君にはあんま似合ってないな。ビールにワイン、ふーんシャンパンなんてのもあるぞ。さすが値の張るホテルは、粋なアイテム置いてるなあ。君も、何か飲むか?」
 長駆を屈めて、悠長に飲み物も選ぶ背中は、シャツの上からでも締まっているのがわかる。背格好や余裕のある態度がどことなく紅雷を思い起こさせ、急に気持ちが臆してきた。
「いえ、俺は…。幸田様、チェンジはいかがされますか?」
「取り敢えず、泡系でいいな?」
 幸田がシャンパンのミニボトルを手に振り返った。束の間、じっと裕紀を見てから立ち上がり、今度はフルートグラスを2つ取り出す。
「チェンジは面倒臭いし、いいや。どうせ、挿れられねえしな」
「は?」
 薄いピンクの液体が入ったグラスを渡された。先に自分のグラスを一気に飲み干した幸田が、それで商談成立とばかりにさっさと服を脱ぎ出した。
 グラス片手に戸惑う裕紀に、幸田がにやりと笑う。
「嫁がおっかねーのよ」
「ご結婚されてるんですね」
 そういう客は少なくない。実生活は異性と結婚をして普通に子供もいる。だが本当の性癖を隠し自分を偽る生活に疲れ、救いを求めるように金で男を売るデートクラブに電話を掛けてくる。
「ま、嫁っつうても、男だけどな。嫉妬深いクセに演奏旅行とかなんだっていって、亭主の俺をひと月もほっぽり出すんだからな。マジ信じられねえ。鬼だなヤツは、鬼嫁。だから…」
 一糸まとわぬ姿になった幸田が、惜しげも無く引き締まった裸体を晒し、裕紀の腕を掴んでにやりと笑う。
「今夜は、お前をとことん可愛がってやるから覚悟しろよ、司。先ずは手始めにシャワーだ」


  にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

  ◀◀ 3 / 5 ▷▷  

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学

26

Category: 広くて長い

Tags: ---

Comment: 0  Trackback: 0

広くて長い 5

<5>

 それなりの金を払ったからには、それなりの満足を得たい。それは万人共通の意識だ。あたり前だ。だから金を払ってくれた客に、金額に見合ったあたり前の奉仕をする。
 イニシアチブは常に冷静な自分にあり、客の性欲を自在にコントロールするのはお手のもの。だったはずが新規の客、幸田 東夷には完全にお手上げだった。

 男として非の打ち所のない幸田の躯には、腰の辺に曼珠沙華に龍が絡まった拳ほどの大きさの刺青が彫ってあった。緻密な鱗を纏った龍が紅い曼珠沙華の花に絡んでいる。
龍が花を束縛しているようにも、護っている。そんな想像を誘う構図だ。
 ヤバイ商売をしているような匂いはしてこないが、幸田はまったくの堅気という訳でもなさそうだ。
 もしかしたら幸田は中国人かもしれない。そんな思いが脳裏を掠める。裕紀にはどうでもいいことだし、明確な根拠はない。だが幸田からは、馴染みのある匂いがした。
 その匂いの根拠ならわかる。紅雷だ。
 大陸的とでもいうのか、幸田には紅雷に感じるのと同じ湿り気のない鷹揚さというか、掴みどころのないん”広さ”を感じた。
 ただ東夷という名には、古く漢民族による東方の異民族を示した蔑称だと聞いたことがある。
 東方の蛮族という名を持ち、言動も粗野な男だが、幸田には一貫した気品もある。世界を舞台に活躍する同性のチェロ奏者の伴侶がいるという意外も、幸田の魅力に華を添える。
 男も女も惚れさせそうな男だ。
 似た雰囲気を持つ男の顔がまた浮かんで、頭から閉め出した。

 息を上げ、織目の詰まったリネンに投げ出した裕紀の手を幸田が持ち上げた。
「いい手しているな。働き者の手だ」 
 冷凍肉の入った箱を運ぶ手は、指の先が荒れて爪が割れている。とても学生の手には見えない。慌てて引っ込めようとした手指を捕まえた幸田の手が、自分の口に運んだ。
「隠すな、いいって褒めているだろうが」
 指の節に歯を立てられ、根本を舌で抉られた。感じたことのない痺れが、吐精で萎えた下腹を直撃した。片手でペニスを弄ばれながら乳嘴を啄まれ、絶え間なく追いつめられる感覚に、ついぞ口にしたこともなかった言葉を口走ってしまいそうになる。

 幸田は金で買った商売男を、ただ奉仕させるだけでなく、一緒に快感の高みに連れて行こうとする。これでは、どちらが奉仕しているのかわからなくなる。風俗の面目丸潰れだ。
「これぽっちで、また勃たせんのか。可愛いな、お前」
 喉の奥で笑いながら、熱の点った顔や唇にキスの雨を降らせる。もう幸田の思うがままに翻弄されるばかりだった。嫁がいるから、これでも自分を抑えているのだと幸田は言う。ならば、幸田が本気を出されたら、一体どんなことになるのか。
 男には興味が無い。そうはっきり自覚している自分を、ここまで骨抜きにする幸田の本気の手管を想像し目眩がした。
「色っぽい顔も出来るんだな。なあ教えろよ、お前の本名」
 幸田に組み敷かれてから息が上がりっぱなしだ。
「それは、答えられません。勘弁してくださ…」
「ふぅん、そうか。なら、こうするまでだ」
 大腿の付け根の一点を親指の腹で押さえられた。刹那、甘ったるい痺れが四肢を突き抜け、嬌声を上げた躯が反り返った。
「ヒロ、キ…裕紀です! あ…めて……はぅ」
 堪らず幸田の、厚い胸に手を縋らせ仰け反った。溺れる肢体を幸田が強く抱きしめる。
「裕紀…そうか裕紀か。いい子だ、裕紀」
 客に強要されて吐き出す、醒めた生理的な射精ではなく、官能の波に巻き込まれながらの吐精は頭の芯まで痺れさせた。長く尾を引く余韻は甘くて重い。
 立て続けに吐精を果たし、くたりと力の抜けた裕紀から束縛を解いた男の唇が、 『ヒロキ』 と声に出さずに名をなぞり、蕩けるような笑みをのせてわらった。倣って同じように名前をなぞった裕紀の唇の読んだ幸田が、苦笑を漏らす。その苦笑の意味に気が付かず、素直な目を瞬かせた裕紀を、幸田はもう一度腕の中に抱き込んだ。
「お前は、本当に可愛いな。裕紀」
 背後に滑りこんだ指に、他人には触れさせたことのない場所を触られ、全身に電流が駆け抜けた。急速に思考が浮上し、蕩けていた眼球に切羽詰まった光が宿る。
「やめてください……!!」
 つぷり尻朶を割られる感覚に、抱き寄せていた肩を力一杯、押し返した。
「うおおおおーーっ、挿れてえぇぇっ!」
 幸田の突然の咆哮に度肝を抜かれた。
 仰向けの裕紀の胸に伏した幸田が、突っ張る腕をものともせず、裕紀の胴を掻き抱く。
「ここまでやらせて挿れさせないお前も大概、酷いヤツだが、俺の脳を遠隔操作でコントロールしてやらせてくれない嫁はもっと酷い。鬼だ! 悪魔だ! お前もそう思うだろ?」
 は……? 男らしい眉をハの字に下げた情けない顔に、思わす吹き出してしまった。
 笑いが止まらなくなった裕紀に釣られ、幸田も笑い出す。
 コースの2時間を経過していたが、サービスで幸田のコンクリート並に固くなったペニスを口で抜いてやった。
 幸田の苦笑の理由に裕紀が気がついたのは、数日後の事だった。

 日曜日の午後、仕事で中国の昆明に滞在している紅雷からメールが来た。
 古銭のレプリカと、琥珀の偽物のどちらが欲しい? 
「レプリカと偽物……つまり、どちらもガラクタということか」
 どちらもいらないと返信した。その後、なんでだ? とか、他に何かほしい物はないかとか、矢継ぎ早にメールが届いたが無視した。
 フローリングの床に寝転がって、秋晴れの空を眺めながらごろごろと頭を揺らす。
 図らずも知ってしまった自分の性質に、困惑していた。
 自分には、男を好きになるという要素は皆無だと信じきっていた。だからこそ、風俗も仕事と割りきる事ができた。
 またメールの着信音が鳴る。今度は、スマホの電源を落としてベッドの上に放った。
 幸田の苦笑の理由。幸田を紅雷と呼んだ自分の無意識に、床に転がる頭の中は混乱していた。
 呼び間違え? だとしても、なんであの状況で紅雷の名前が出てくるのか。
 腹や脚を這う幸田の手を、皮膚を貪る唇の温度や甘噛する歯の硬さを、思い起こすとずくりと自分の中の何かが反応する。そして、自己嫌悪に襲われる。
 予感に理性が震撼する。男を……紅雷を好きになるかもしれない。考えを振り払うように、床の上でまた頭を振る。
 紅雷は裕紀が男相手の風俗をしていると知った上で、友人として付き合ってくれている。裕紀が男に興味が無いことも知っているし、金を稼がなくてはならない裕紀の事情も資格を取って前進しようとしていることをわかってくれているからだ。
 紅雷と話していると、自分は負け犬なんかではないと思うことが出来る。まだいけると、自分を信じることが出来る。
 紅雷との友情関係を壊すなど、ありえない。
 
「潮時かもな」
 借金はまだ残っているが、奨学金は4割弱を前倒しで返済できた。実家のローンは非正規雇用だが仕事についた父と、母のパート収入で払ってくれている。
 余裕は相変わらずないし、生活がきつくなるのは目に見えているが、試してみようという気持ちになっている。
 クラブをやめて健全な生活に戻せば、紅雷への気持ちも、気の迷いだったと思えるようになるに違いない。深く息を吐くと、清々しい秋の空気が肺を満たした。
「食品衛生責任者の資格、早く取らないと」
 そうだ地に足をしっかりつけて、人生を立て直すんだ。
 目を閉じれば、抜けるような空の薄い青が瞼の裏まで染みこんでくる。
 青に浄化されながら浅い眠りへと意識は滑っていった。

 夜になってスマホの電源を入れると、予想通りずらっと並んだ紅雷のメールに埋もれるように、そのメールは届いていた。


*********


「おう、司か。どうしたこんな時間に。事務所に顔出すのも久しぶりだな。ここんとこ休んでたみたいだけど、体調はもういいのか?」
 水曜日 21時、曜日はともかくボーイにとっては稼ぎ時な時間帯だ。
 デートクラブ、アルデバランのソファで、裕紀は所長の佐野の出社を待っていた。
「ご心配かけてすみませんでした」
 アルデバランは歓楽街から少し外れた雑居ビルの4階から一番上の7階までをフォロア借りしていた。4階は事務所とボーイの待機室で、5~7階は防音の効いた客室が並ぶ。
 スタッフは所長の佐野とボーイたちのスケジュールを管理するマネージャー2人だけ。それに、客室清掃のおばちゃんが1人いる。
「佐野さん、実はちょっとお願いが。俺…」
 ひっきりなしにかかってくる電話の対応に追われるマネージャーたちの横で、お茶を啜る室内清掃の幸枝さんが弛んだ目蓋を上げる。
「バックヴァージン解禁にします。それと、平日のロングもどんどん入れてください」
 昼間の仕事のことを考えて、平日の泊まりはNGにしていた。
「やっとその気になってくれたか。もう2年だもんなあ。司の細い腰に挿れたい~ってオファーが結構来ててな、出し惜しみもそろそろ限界だなって思ってたとこなんだよな。よし、司の気が変わらないうちにオークションにかけるか」
 遠慮も恥じらいもない。さらっと下種いセリフを吐いてパソコンを開け、佐野自ら威勢良くキーを打ち始めた。
「オークション、ですか?」 自然と語尾が上がる。
 そんなもの入札してまで買いたいという物好きは、河内以外にもいるとは思えないが。
「お遊びみたいなもんだが、こういうイベント事は客にウケるんだよ。司もどうせなら、ちょっとでも高く売れたほうが嬉しいだろ。入札期間は……と、今から72時間でいいか?」
 落札者ナシの可能性を、佐野の頭は微塵も思いつかないらしい。目はモニターに釘付の佐野の嬉々とした横顔に、裕紀は苦笑しつつ溜息を付いた。
「お任せします。それと佐野さん、もうひとつお願いが」
「うん、なんだ? へえ…早速、エントリーがきたぞ。オイオイオイオイ……」
 佐野の口調が変わり、声が裏返った 「どんどん競り上がってくぞ! 流石だな、司。勿体ぶった甲斐があったじゃないか。こりゃあ、開店以来の高値がつくかもしれん」
 人聞きの悪い。佐野は、いまにも小踊りし出すんじゃないかというくらい上機嫌だ。頼むなら今だろう。
「お金を貸していただけませんか」
「あー、金か。司には稼がせてもらってるしな、まあいいけど。いくらだ?」
「取り敢えず、1千万円ほど」
 ダダダとマシンガンみたいにキーを打っていた佐野の指がぴたりと止まり、幸枝さんが啜っていたお茶を吹き出した。


  ◀◀ 4 /  6 ▷▷ 

  にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ

Continue

テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学