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紙魚

Author:紙魚
近畿に生息中。
拙い文章ですが、お読み頂けましたら嬉しいです。


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長らくみなさまから頂戴した拍手コメント・メールへのお返事は、別ブログの”もんもんもん”にてさせて頂いていましたが、2016年4月より各記事のコメント欄でお返事させて頂くことにしました。今まで”もんもんもん”をご訪問くださり、ありがとうございました。く



    
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広くて長い 6

<6>

 頬をなで前髪をそっと梳くと、眠っている唇が幸せそうに笑う。それにつられて、釣られるように自分の口も綻ぶのを感じた。
 枕元には真新しい定期入れが置いてある。いつも持ち歩いて欲しいという、贈り主の粘着質な気質が透けて見えて、窓から投げ捨てたい衝動に駆られた。
 定期に添えてあった、毒みたいに甘ったるいチョコレートはあっという間になくなった。安らかな寝息を立てる男が、宝石みたいに摘んで口に頬張った時の幸せそうな顔を思い出して、嫉妬で目が眩みそうになる。
「チョコ、嫌いだっけ?」
 目を瞬かせた裕紀に、ただ微笑んだ。
 安物のチョコレートなんか口に合わない。そう言って贈った相手を貶してやりたかった。だが、「バレンタインにチョコレートもらうなんて久しぶりだよなあ」 と、嬉しそうに茶色い粒を齧る裕紀を目にして結局、なにも言えなかった。

 夜中、寒さに目が覚めて窓を見ると雪がちらついていた。
 2月14日、聖バレンタイン。大切な人に贈り物を渡す日。いつの頃か贈り物はチョコレートに定着した。自分のチョコレートは心の中にしまってあって、もう3つも溜まっている。
 バイト先で知って一目で恋に落ちて、すぐに同じ学生寮に引っ越した。
 努力の甲斐あってトントン拍子で仲良くなれて、大学生活最後の一年間は家賃と光熱費の節約を口実に同居することになった。
 浮かれて舞い上がって嬉し泣きするオレに、叔父貴は白けた顔で、「無可救藥」(馬鹿につける薬は無いね)と頭を振った。痛い目を見るぞとも。

 叔父貴の忠告通り、自分の浅はかさに気付くのに、そう時間はかからなかった。
 好きだから一緒にいたい。無邪気な欲求が先走った同居は、残酷な現実を突きつけてきた。
 息遣いも体温も、すぐ手の届くところにいる相手に愛情も欲望も高まる一方なのに、触れることすらできはしない。深夜、隣で寝息を立てる裕紀の汗の匂いに、発動する欲望を押さえることがどれだけ難しいか。
 男同士だからと警戒心もなく、シャワーから素っ裸で出てきて上気した喉を晒して水を飲む。その無神経さに翻弄される男のどれだけ惨めなことか。
 毎日が欲望に暴れる懊悩との戦いで頭がおかしくなりそうだった。
 友情と信じて無邪気に信頼を寄せる友を、愛しいと思えば思うほど自分が壊れていった。
 そんな生殺しの日々にも転機が訪れた。
 裕紀に彼女が出来た。

 あの日は、同居して初めてのクリスマスだった。
 二人分のケーキはバイト先でもらったことにして、ホテルの限定ケーキを自分で買った。ブランディーのきいたナポレオンパイと、あまおうをふんだん使ったショートケーキ。
 裕紀はいちごが好きだが、節約生活にいちごを買う余裕はない。ツリーも電飾もない夜も、2人で特別なケーキを食べれば楽しいはずだった。
 日が暮れてから気温が急に下がって、雪が降り始めている。
 寒いから早く帰っておいでと、雪を眺めながらひとり帰りを待つ部屋に、裕紀は女の子を伴って帰ってきた。
「バイト先で知り合った酒井亜美さん。実は、先週から付き合い始めたんだ」
 裕紀のはにかみと、すっかり恋人面で小首傾げて挨拶する亜美に、横面を張られた気分だった。
 裕紀のために買ったケーキを半分こしようとした裕紀に、亜美はいっこまるごと食べたいと、マスカラで大きく見せた瞳を瞬かせて強請る。
 丸ごと亜美にあげようとした裕紀を制して、自分のナポレオンパイを亜美に渡した。
「あげるよ、オレはバイト先で食べたから」
「え、いいの? ホンちゃん優しいね」
 誰がホンちゃんだ。
 亜美は 「美味しーい」 を連発し、ナポレオンパイをあっという間に完食した。そして裕紀のケーキのあまおうをフォークで突き刺すと、呆気にとられる裕紀を横目にぱくりと口に放り込んだ。
「うふふ、だってイチゴ好きなんだもん」
 上目遣いで舌を出す亜美に、裕紀は目尻を下げ、オレは軽く殺意を抱いた。
 家を覚えた亜美は、それから頻繁にやって来るようになった。奥さん気取りでやたら味の濃い料理を作っては、狭いワンボックスの冷蔵庫をいっぱいにする。

 そんなある日、裕紀のいない時を狙って亜美がやってきた。
「私とひろくん、卒業後に結婚しようって話してるんだ」
 亜美お得意の上目遣いは、敵にとどめを刺す時の勝利を確信した愉悦にギラギラと光っていた。
「ホンちゃんの気持ちは黙っててあげるから、ひろくんは諦めて他の男の子さがしてくれないかな。中国って人口多いし、ホンちゃんの好みに合うゲイの男の子だっていっぱいいると思うよ」

 眉間を押さえながら、はっきりと気付いた事があった。
 この苦痛は繰り返す、ということを。
 例え亜美と別れたとしても、裕紀はまた女を選ぶ。ヘテロである裕紀が、男である自分を選ぶ日は永遠にない。
 別れれば終わる恋愛と違って、友情ならずっと続く。広い距離を保ちながらも延々と流れる河のように。
 つまり友情という大きな河は、どこまで流れても友情のままだった。
 苦しくて、切なくて、恋しくて。このままでは、いつか自分は裕紀を。自分の願望に欲望が呼応して、ぞくりと甘い毒がせり上がってくる。自分が怖くなった。恋心が拗れた破壊衝動に変わる前に逃げるしかなかった。
 帰国前日の夜、穏やかな寝息を立てる裕紀の顔を何時間も眺めた。
 3月 裕紀は就職の決まった会社と同じ沿線上に部屋を借り、自分は中国への帰国を決めた。裕紀の新しい転居先は空港で迷った末、携帯から消去した。
 断ち切ることの出来ない想いに終止符を打つため、手に入れた自由も就職も捨て逃げた。


*********


「お前さ、いつも家でゴロゴロしてないで、週末くらい外出しろよ」
「東京の夏は湿度が高い上に、アスファルトがフライパンみたいに照り返すから嫌だ」
 初夏の日差しが大理石の床に濃い影を落とす。
「もう2年目だろ、いい加減に慣れろ。大学の4年間で夏の東京の厳しさを知ってて、戻ってきたのはお前だろが」
「うるせえ」
「やっぱ、馬鹿につける薬は無えな」
 ソファに寝そべった長駆がふんと不貞腐れ、もぞもぞと背中を向けた。
「お前さ、恋煩いもこう長いと女々しいだけだぞ。振られた恋なんざ忘れて、新しい恋人を作れよ。若いんだし仕事ばっかしてねえで、恋して遊んで、その若さを謳歌しろ」
「べつに振られてねえし。年中パートナーの尻に敷かれてる中年に、あれこれ言われたかないね」
 向かいのソファでコロナを呷った男が口元を拭い、ムッとする。
「昔は俺の後ろばっかついて回ってた癖に、なんど可愛げのねえ奴に成長したもんだ。さては、相当溜まってんだろ」
 嫌味が、ニヤついた声に変わる。こういう時、大概ろくでもないことを考えるのがこの男。叔父貴の幸田 東夷だ。
「しょうがねえな、大サービスだぞ。呼んでやるから、こっから好きなの選べ」
 ソファに寝転がった顔の前にタブレットが翳される。
 ずらりと並んだ顔写真と簡単なプロフィール。顔写真をクリックすると全身の写真と、もう少し詳しい情報が出てくる。
「これって、東夷がやってる、いかがわしいクラブのHPじゃん。オレに男を買えっていうのか?」
「付き合いたい相手がいないなら、こういうのもアリだろってこと。若い身空で自分で処理してばっかじゃ、寂しい限りだろうよ。たまにはこういうの利用してみてもいいんじゃねえか、俺の奢りだし」
 言われてみれば一理ある。
 男には定期的にすっきりさせたい、躯の事情ってものがある。
 行きずりは危険が多いし、面識のある相手は関係を持つと付き合うのどうのと後々、面倒くさい事になって疲れる事が多い。金を払う相手なら、後腐れがなくていいかもしれない。
「そうだな、お薦めの子とかいる?」
 身を乗り出すと、そう来なくちゃと東夷がソファの袖に座る。
「うちのボーイは容姿も性格も厳選してるから、どの子もお薦めだぜ」
「片手間で運営してるくせによく言うよ。レジデンスを2部屋もVIPルームに使って、晴人によくバレないね」
 画面をスクロールしてざっと目を通す。東夷が自慢するだけあって、なかなか容姿の整った男が揃っている。
「あいつは1年の半分も日本にいないからな。来月また一週間も留守にするんだとさ。まったく俺をなんだと思ってんだろうかね」
「仕方ないだろ、そういうことわかって音楽家と付き合ってんだから」
 デートクラブとカタカナで言うと小洒落て聞こえるが、つまるところは風俗だ。会員制のアルデバランのHPはグレーを基調にした上品で趣味の良いデザインで、風俗の卑猥さも後ろ暗さは微塵もない。本当にモデルでも通用しそうな男たちを、たいして熱心にでもなく眺めた。
 自分の目につくのは、惚れて諦めた男に似た面影をもつ男ばかりだ。
 目つき、細い鼻筋、少し尖った顎のラインが…似ているようで、よく見ると全然似ていない。
「いいか、晴人にはクラブのことを絶対に言うなよ」
「今度こそ、間違いなく捨てられるもんな……いい気味」
 スクロールしかけた指が止まった。
「どれ、気になるのがいたか」
 画面をタッチする指が慄えた。全身写真とプロフィールが出てくる。
 繊細な顎のラインに、薄い目蓋が印象的な目。全神経が画面に喰い付くのを感じた。
 司というのは源氏名だろう。 21歳 大学生  自己紹介欄は空白で、セクシャリティはヘテロ。
「21歳って」
「ああ、そいつなぁ」
 ソファの袖に腰掛けた東夷がタブレットを覗き込み苦い声で語尾を伸ばす。
「やっぱわかるか、サバ読んでんだよな。ノンケ好き以外にも割りと人気ある子みたいだけど、なにせノンケだからな、お前の相手ならこっちの方が…」
 クローズしようとした東夷の手をタブレットを持つ手が邪険に払った。
「紅雷?」
 蒼白になった紅雷と顔を合わせた東夷の眼が大きくなった。


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広くて長い 7

<7>

 カーテンの隙間から差し込んだ月光が、フローリングの床に一本の白い線を引く。
 深夜2時。ベッドに入っても睡魔は訪れない。
 72時間後、土曜日の夜には、セックスをする相手が決まる。店のHPを開いても、VIP専用のパスワードを知らされていない裕紀には、オークションサイトを見ることは出来ない。
 オークション期間中はフライング防止のため、京都の織物会社の若社長 能勢の予約以外は全てキャンセルするよう、佐野からお達しが出たが断った。
 今日も佐野と話した後、ショートの客を取った。
 
 何か取り返しの付かないことをしてしまった感が、ずっとついて回っている。
「何を今更。腹を括れよ、自分」
 念のためと渡されたゲイビは、本番を迎えるまでに一度は観ておけと佐野に言われたが、持ち帰ってすぐ、使っていないキッチンの吊り戸棚の中にしまった。
 早ければ能勢の仕事が終わった月曜日には、自分を落札した相手とすることになる。
 いろんなことが心のなかで雑音を立て、とうとうベッドから起き上がった。キッチンに行き、明かりもつけずに水道の水を汲んで一気に飲み干し、息を吐いた。
 膠着しそうな静寂の中、充電中のスマホから電子音が響き、ぎくりと戦いた。確かめると、奨学金引き落とし完了の通知だ。
「何時だと思ってんだ、下種なブラック金融め」
 呆れたのか諦めたのか、それとも怒ったのか。昆明にいる紅雷からの着信は、ここ2日間ほど無い。

 1千万という大金は、やはり貸してもらえなかった。当たり前だ。
 それどころか、「思い余って怪しげな金融とかで借りたりするんじゃないぞ」 と、佐野に念押しまでされた。
 競売でケツを売ったところで、せいぜい5万もつけば御の字。
 床の照り返しでぼんやり輪郭の浮かぶ天井を見上げながら、20万円と口走った河内の脂ぎった白い顔を思い浮かべ、惜しかったかもと思ってしまう自分が情けない。
 突然、静かな室内に短い電子音が鳴る。充電コードをつけたままのスマホの画面に、紅雷の名前が表示されて消えた。


「これが清王朝時代の布銭の偽物で、こっちが明の頃の。で、こっちが樹脂製の琥珀に虫が入ったやつ。ジュラシックパークみたいだろ」
「樹脂なら樹脂って普通に言えよ。それをわざわざ琥珀っておかしいだろ」
 結局は布銭も琥珀メイドインチャイナの偽物という訳だ。裕紀の突っ込みに、紅雷は 「やっぱり?」 と笑い返し、居酒屋の壁に掛けた上着の内ポケットから黒っぽい小箱を取り出した。
「中国の偽造はもう文化だと思って諦めてくれ。でもこっちは本物だから」
 偽造を文化と言い切り、平然と開き直る中国人の強かさに呆れつつ、見た目より重量のある小箱を受け取った。
 8角柱の箱は表面に漆が塗られ、金色と色硝子で細かな象嵌が施されている。
「なんか高そうな箱だな」
「蓋を開けてみてよ」
 興奮を抑えるような声に促され、金具を外して蓋を開けると、内張りの臙脂の天鵞絨に緑色の玉が嵌めこまれていた。
「こういうの見ると、中国人って雑なのか器用なのかわからなくなるな」
 直径40ミリほどの球体の表面には、びっしりと細かい透かし彫りがされ、隙間から覗くと、中にも同じような玉を内包する石の球体が入っているのが見えた。全ての玉に細やかな透かし彫りと金色の細工が施されている。
「ガキん時、友達の家の客間でもっと大きいのを見たことがある。金細工のない真っ白なやつで、そいつの父親は象牙だって自慢してたな」
 ふうんと紅雷が皮肉めいた笑みを口の端に挟む。驚いたことに、それだけで友人の父親の自慢する象牙は自分の中で無価値になった。
「これは玉(ぎょく)といって、翡翠でできてるんだ」
「ああ、中国人は翡翠が好きだよな。この金の模様って」
 それは、どちらかといえば気味の悪い類の生き物で、美しい球体に張り付くには似つかわしくいように思えた。
「コウモリだ。中国では蝙蝠という字から福を偏る、つまり福を呼ぶ生き物として、縁起がいいとされてる」
「へー、4個だな」
「なんだよ、その微妙な数は」
 珍しく拗ねた顔をした紅雷に、悪戯心が顔を出す。
「だってコウモリだろ。夕方になると空を飛んでる、ちょっと気味悪いアレだろ。いくら縁起物つってもな、微妙だろ」
 にやつきながら意地悪な感想を言ってやると、気分を害したらしい紅雷がさっさとテーブルに広げた中国土産を片付け始める。
「ごめんごめん、悪かった。嘘だって。土産なんてよかったのに、わざわざありがとうな」
 笑いながら謝って礼を言うと、紅雷の曲がった口が横に広がって、嬉しそうな顔になる。つられて笑いながら、笑みひとつで自分の価値観さえ動かしてしまった紅雷に、微かに震撼した。

 
 その日、仕事を終えて会社を出ると、紅雷がエントランスの前で仁王立ちしていて驚いた。
 入っていたボーイの指名がキャンセルになり、気は進まないがアルデバランの経営するナイトクラブで客待ちでもするかと思っていたところだった。
「なんで、メールの返事をくれない、電話に出ない?」
 紅雷の足元のグレーのリモアには、まだ機内預けのタグがついている。空港に降り立ったその足で直行してきたのがわかった。
「メールも電話も、何度もしたのに」
 低い声に、冷静であろうとする抑圧された紅雷の憤怒が籠もる。
 すらりと長駆で人目を引く容姿の男にがんと睨まれ、唖然と立ち尽くした裕紀を、エントランスから出てくる女子社員たちが、横目で見ながら帰ってゆく。
 紅雷の風貌や身なりの良さのせいで、無条件で裕紀に非があるように見えるところが分が悪い。実際その通りだから 「心配するだろう」 と紅雷に凄まれて、すまんと消沈して謝った。
「時間、あるか?」
 なくても作れと睥睨する紅雷の眼が脅してくる。仕方なく頷いた。
 タクシーに乗せられ、再会して以来、何度か足を運んだ居酒屋に落ち着いた。
 ごぼうサラダとサイコロステーキが運ばれて、狭くなったテーブルの上から紅雷の中国土産の古銭や樹脂琥珀やらを片付けた。

「でさ、向こうの地域開発部長が頷く度に、カツラがずりってズレるんだよな。もう、社長も俺も、笑いを堪えるんで必至でさ、あれは本気でやばかった」
 紅雷の怒りはタクシーに揺られるうちに解け、居酒屋に到着する頃にはほぼ上機嫌状態だった。店の暖簾を持ち上げ、裕紀を先に中に入れる。
「なんか強引というか、おまえって前からこんな性格だっけ?」 
 まるで連行されたみたいだと、通りざま溜息した裕紀に 「お前にはもう遠慮しないって決めたから」 と。なにやら韻を含む言い方が気になって見上げると、逃げるように視線を逸らされた。


「で、何があった?」
 一通り料理に箸をつけ、酒も入ったところで紅雷がまた話を掘り返す。食い下がる紅雷のしつこさにもいい加減呆れ、今度は裕紀が口を曲げる番だった。
「だから悪かったって、俺は謝っただろう。残業が続いたところにバイトも入って、超絶に忙しかったんだから仕方ないだろう」
「嘘だな。そんなことなら今までもあったけど、いつもメールを返すくらいはしてくれただろ」
「お前さ、俺の彼女じゃねえんだからメールの返信がないくらいで、男がぶうぶう言うなよ」
「茶化すな。俺はまじめに聞いている」
 芯のある低い声に、ほろ酔だった気分が一気に醒めた。腕を組んで睨めつける紅雷の様子に、生半可な理由では納得しなさそうだと、口につけていたビールグラスを置き重い息を吐いた。
「親父が仕事先で自動車事故を起こして、入院したんだ」
 紅雷の瞠目した瞳から、急速に怒りが抜けた。そして、済まなさそうに肩を落とした。
「そうだったのか。全然知らなかった。くだらないことで怒ったりして悪かった」
「親父はいいんだ、自業自得だから。ただ対人事故でさ、相手に全治3ヶ月の怪我を追わせてしまったんだ」
「実家に帰らなくていいのか。対人なら損害賠償とかは? 大丈夫なのか」
「家には月に帰ってきた。賠償金とかは保険から下りるらしいから、大丈夫だ」
 嘘だ、親父も相手も保険に入ってなかった。そして、相手の男性の意識はまだ戻らない。病院のベッドで 「俺が死ねばよかったんだ」 と言った父親の言葉を否定してやることが出来なかった。

「なあ、裕紀」
 テーブルに置いていた腕に、紅雷の手が置かれた。別に深い意図も無く軽く載せられただけなのに、心臓に触れられたような衝撃を感じて反射的に腕を引いてしまった。
 ほんの一瞬、2人の間に気不味い空気が流れて、紅雷も自分の手を元の位置に引っ込める。
「お父さん、早く良くなるといいな。困った事があったら、いやなくても、どんな小さなことでも絶対に俺に話してくれよな」
 金が要る。大金を作らなくては。頭ではそんなことを考えながら、機械的に頷いた。
「絶対だぞ」
 誠実で曇りのない紅雷の黒瞳。いつもは穏やかなその黒い眼が本気で怒ると、灼け付きそうな熱を孕むことをきょう知った。いまは和紙を透過した柔らかい明かりの下で、心配そうに自分を見つめている。温かく力のある視線に胸が苦しくなる。
「ああ、ありがとうな」
 潤みだした瞳を誤魔化すように俯いて、料理をつついた。
 甘ったるくて息苦しい。
 間違いなく、自分は紅雷を好きになる。これまでのような友人としてではなく、性的な意味も含めた恋愛の対象として惚れる。

 自分はこれまで同性である男に性欲を感じる客たちを、どれだけ冷ややかな目で見てきたことか。
 欲望を満たすために男を買う。憐れな欲を満たしてやるのだから、高い対価を払うのは当然だと、男の足下に傅きながらそう思っていた。
 今、やっとわかった。
 手が届かない、報いのない相手だとわかっていながら恋に落ちてゆく怖さが。自分を買った男たちがその胸に抱える葛藤や絶望を、初めて自分にも垣間見えた気がした。


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広くて長い 8

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 肌触りのよいリネンに伏せた頬を撫でられ、薄目を開けた。
 和紙越しの柔らかな朝陽が、丹精に造りこまれた旅館の和室に満ちている。錆赤の効いた上品な聚楽壁、畳の先の広縁は障子の桟が映りこむほどに磨き込まれ、障子には部屋付きの露天風呂の水面に反射した光の模様がゆらりと揺れる。
「起こしてしもたな。よう眠とったから、大丈夫や思たんやけど」
 口調は詫びているが、声には目覚めを愉しんでいる響きがある。すっかり身支度を終えている能勢に髪を梳かれて、目を細めた。
「すみません、寝坊してしまったみたいで」
 前日の正午、約束の場所で落ち合った時の能勢は綴織の粋な着物を着ていた。今朝はシンプルな白シャツに黒の革ズボンを合わせている。
 京都の老舗の若旦那というよりは、若き起業家といった風貌だ。
 いつもはきっちり整えられている髪も今朝はラフに下ろし、育ちの良さが窺える品のある顔に伝統の京織物を世界展開しようと奮闘する野心家の貌が垣間見える。

 前日、早めに仕事を切り上げた能勢は、いつものレジデンスではなく神奈川の温泉旅館に裕紀を連れてチェックインした。

 能勢が起きているのに自分だけ寝ている訳にはいかない。背中を起こそうとすると、能勢に布団に押し返された。
「かまへん。今日は急ぎの用も入れてへんし、司は好きなだけ眠たらええ」
 能勢の手が頬に戻ってくる。唇を弄び、顎から顔の輪郭を滑りおりて、肩先でくるりと円を描いて背中に流れる。
「この半年は、ほんま怒涛の忙しさやった」
 ぽつりと能勢が独りごちる。朝の静寂の中、障子で水面がまた揺れた。
「アメリカ、アジアと回っていらしたんですよね」
 そういえば、能勢に指名されるのは、河内に襲われたあの初夏の夜以来だ。確かにこれだけ期間が空いたのは、初めてかも知れない。
「どうやら…ぎょうさん間を空け過ぎてしもたんかもしれんな」
 舌打ちでも聞こえてきそうな能勢の苦い呟きに、自分に何か落ち度があったのかと慌てて考えた。

 能勢の指が素肌を晒す背中に伸びやかな線を引く。花に鳥。その線は川になって水が流れ、風になって背中を吹き抜けてゆく。
 裕紀の肢体は創作意欲を掻き立てる。初めて相手をした時、能勢はそう言った。
 それから織物作家でもある能勢の構図はこうして時々、裕紀の肌の上で生まれ、次のシーズンの新作となって実を結ぶ。
「いつもと違いましたか?」 いくら考えても思い至らず、とうとう口に出して尋ねた。
「なにも怒っとん違うで。司はゲイやないし、この仕事は金のためと割りきっているものとばかり思とったから、なんや意外やったというか…」
 歯切れの悪さが、どうにも能勢らしくない。布団に臥せた肩越しに能勢を見上げると、こういう言い方したら身も蓋も無いかもしれんが、と前置きして 
「昨夜の司のサービスには愛情があった」 と能勢は言った。
 金を取っている以上は、プロ意識を持たなくてはいけないと肝に銘じているつもりだった。自分でも意識していなかった同性愛者に対する差別的な心根が、知らないうち態度に出ていたのかもしれない。そう思うと、胸の中が申し訳なさで一杯になる。
「勘違いしたらあかんで」 強い口調が思考を断った。
「なにも割り切ってんのが、悪いと言うてるわけやあらへん。司がノンケで本番も出来へんのに人気あるんは、いやらしい媚びたりせんと、自分を買うた客に満足してもらいたいて努力も精一杯してくれるからや。ノンケに惚れて諦めた経験を持った男にとって、司は憧れを慰めてくれる存在や。それが…」
 言葉を切った能勢が複雑な表情をする。憧れを慰める、抽象的な表現だが、言われた自分のほうが慰められた気がした。
「能勢様、それが…なんですか?」
「オークションはどういう心境の変化か…て、思てな」
 どこか夢心地で過ぎていた時間が、何を置いても金を稼がなければいけないという現実に速やかに戻っていった。
 
 オークションの終了は土曜日。つまり昨日だ。
「もしかして、能勢さんもオークションに参加してくださったんですか?」
 落札者はもう決まっているはずだが、デート中の裕紀には佐野からの連絡はない。36時間のコースで裕紀を抑えている能勢とのデートは今日の深夜0時までだ。
 最速であれば、明日の夜には落札した相手と会うことになる。
 起き上がって浴衣に手を伸ばすと、能勢が取って手渡してくれた。朝食までは、まだ時間がある。能勢が許してくれるならもう一度、温泉に浸かっておきたい。
 肩に浴衣を羽織り、立ち上がろうとしたところを能勢に引っ張られ、胡座の上に崩れ落ちた。
「勝てると確信できるだけの額を入れたつもりや。司を落札せんかったら後々、後悔してもしきれんからな」
「リップサービスでも光栄です」
 そう笑った裕紀の頤を能勢が掬った。
「口先のサービスに価値はないで、司も俺に口先の言葉は言わんでええ。よう覚えとき」 
 心得ておきますと頷き、能勢の接吻けに応える。
「こんなサービス精神旺盛になってしもたら、もうこれまでみたいにほっとけんな」
「これまで以上に、どうぞご贔屓に。オークションも、俺は能勢さんに落札してもらいたいと本気で思ってるんです」
 落札されるなら能勢がいい。能勢なら無体な要求はせず、大事に扱ってくれると確信できる。
 愛情とは別物だが、デートの時間をベッド以外の仕事のアシスタント的に裕紀を使う能勢とは、”客と男娼”よりもう少しまともな関係が築けているという気がしている。
「煽らんほうがええで。ほんな可愛いことをいわれたら、いますぐ奪いたなる」
「え?」
 問返す間もなく、天井が回った。
 言葉に嘘はなかったが、喉を鳴らして笑う能勢に上から四肢を伸され、本気で焦った。
「いつも澄ましてる司がそんな顔するの、初めてやな」  
 にやりと破顔した能勢に揶揄われたこと悟り、慌てて平常心を取り繕う。
「残念やけど、店からフライングはご法度やて散々、釘刺されてる」
 店に守られていると知って、心底ホッとした。
「オークションは昨日までです。能勢様の落札が決定したら、ご連絡が入ると思いますので、それまでは…」
 能勢が不意に真顔になる。
「もしかして、司は知らんのか?」

 参道を埋める茶色や黄色は、紅葉狩りを兼ねて訪れた参拝客の足の下で、カサカサと乾いた音を立てる。紅葉の名所として名高い古寺は、燃えるような赤や黄色に色付いた錦の森に飲み込まれていた。
 奉納する帯を携え、本殿に入った能勢が出て来る気配はまだない。参拝客も来ない本殿裏で裕紀は佐野との通話を切った。
 オークションは木曜の夜、アルデバランのHPから忽然と消えたのだと能勢は言った。
 佐野に確かめると、サーバーに問題があってオークションのコーナーだけ復旧が遅れているのだと教えられた。 
 どこかで助かったと思う気持ちは否めない。
 能勢ならと思っていたのに、いざとなると心が烈しく拒絶をした。こんなことで、本番を迎える事ができるのだろうか。

 降り積もった黄色い葉っぱを秋の日差しが黄金色に変えている。
 石段に座り、黄色い銀杏の葉が空からはらはらと落ちてくるのを、なんとはなしに眺めた。
 この週末、紅葉狩りをしたいと言ってきかなかった男も、紅や黄に色づいた葉をどこかで目にしているだろうか。
 
「こんなとこにおったんか。待たせて、わるかったな」
「いえ、思わぬところで紅葉が楽しめてラッキーでした」
 黄金の絨毯の上に立った能勢が、晩秋の澄み切った空に黄片を散らす銀杏の大木を見上げる。
「今年は色付きが、また」 ……と途中で言葉を切った能勢が、暫しの間を置いて徐ろに振り返った。
 そして能勢が言ったのは紅葉とは、全く関係のない内容の話だった。

 帰りは能勢の運転で東京に戻った。
 駅のロータリーで車を降りる際、能勢から小さな紙袋を渡された。
「条件に不服があるなら言うてくれ。要望に応えられるよう、出来る限り用意させる」
 能勢は、裕紀が大学生ではないことをとっくに見抜いていた。借金があることにも薄々感づいていて、京都に来るなら代わりに返済してやると言われた。
「耳障りのええ返事だけを待ってる」
 走り去る能勢のマセラティを見送り、駅に向かって歩き出す。
 
 東京での仕事を全部辞めて、京都に来へんか。

 能勢には、今も本名や本当の年齢、住所も教えていない。そんな素性の知れない裕紀を、能勢は自分のスケジュールの管理や、身の周りの世話をする秘書として京都に連れて帰りたいという。
 アシスタントの真似事をさせたのは、能勢なりの採用試験で、その上での結論だと能勢は言った。
 もちろん、京都に行けば社長と秘書という関係だけで済むはずがない。能勢はその関係にも、別途で手当てを出すと言う。
 改札に入りかけて、振り返る。
 夜更のコンコースは人影もまばらで、めっきり冷たくなった空気の中を電車から降りてきた人が急ぎ足で横切ってゆく。その向こうに見慣れた居酒屋の提灯の灯りを見つけ、胸がぎゅっと締め付けられた。
 能勢にどこで降ろして欲しいかと聞かれて、咄嗟にこの駅の名前が出た。
 紅雷が住む街。この街のどこかに紅雷がいる。出張は明日からだと言っていたから、きっと今夜は家にいるはずだ。
 ポケットからスマホを取り出し、ロックを解除する。通話履歴の紅雷の名前に指を滑らせて、押さえる前に思い留まった。
 呼び出して、紅雷に何を言わせようというのか。

 スマホをしまった手でICカードを取り出す。
 そして人の流れに逆らうように、裕紀は改札に身を滑り込ませた。

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広くて長い 9

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 能勢に教えてもらったパスワードを使って、HPのオークションサイトを開いてみた。能勢が言った通り、エラーのロゴと短い謝罪文だけで、再開についての案内などはない。
 喜々としながらオークションを開催した割に、サーバーが復旧するまで待てと、佐野は悠長なことを言った。
 もし今、オークションを中止にしたいと言えば、聞き入れてもらえるだろうか。
 ふとそんなこと考え、即座に頭の中で取り下げる。自分に選択の余地は無い。

 刀や、鋤を模した不思議な形の古銭のレプリカはつくりも雑で、型押しのバリが縁に残っている。緑色の樹脂に虫が入った琥珀(のレプリカ)もよく見れば小さな気泡が入っている。
 いかにもバラマキ用の品々だが、土産物屋で買えばそれなりにボラれるのだろう。紅雷なら、中国人同士でその心配もなさそうだが。
 縁起物の蝙蝠が貼りついた緑の玉を電灯に翳す。
 紅雷に、「これだけは本物だから」 と太鼓判を押された透かし彫りの球体は3層構造になっているようで、一番小さな球体の中に透明なガラスの破片のようなものが入っている。
 本物だと言った時の熱のこもった目。もっと別の意味で本物と言っていたように思えるのは自分の思い過ごしか。対して、冷ややかな笑みひとつで象牙を偽物に変えた紅雷を思い出すと、いまも背中をぞくりと何かが駆け上がって来る。
 玉を箱に戻した。
 きっと紅雷は職場の同僚にも同じようなものを配っているのだろう。
「全員、微妙な顔だな」 乾いた笑い声は部屋の中に吸い込まれて消えた。
 紅雷の言う中国人の義理堅さなど、欲しくない。ではなにを自分は望んでいるというのか。
 幸田に 「裕紀」 と名前を呼ばれながら抱締められた時に感じた、頭の芯の痺れるような感覚。官能に呑まれ、東夷と幸田の名前を呼ぶつもりで無意識に口にした名前は幸田のものではなかった。
 紅雷と一緒に暮らした1年間を、自分がどう過ごしていたのか思い出せない。どうすれば、あの頃の、ただの友人だった時代に戻れるのだろうか。
 大切な友人を友情を、風俗で身についた経験が穢してゆく。
 たった一度、感じた熱が清廉な想いを破壊し、狂った欲望をどんどん増長させてゆく。違う、そうじゃないと、何度自分に言い聞かせても、汚れた恋情は夢の中に何度も紅雷を呼び寄せた。
 何があっても力になると言ってくれた、大切な親友。もしこの汚れた感情を知られたら…。
 侮蔑の眼を自分に投げる紅雷を想像し、ぞっと背中が恐怖で慄えた。

 もう会わない方がいい。そんなことはわかっている。この感情を封印すれば、きっといつかは元の友人関係に戻れる日が来る。
 目の奥が熱くなった。駄目だ、駄目だ、本心は今も会いたい。
 消えてなくなるどころか、想いは濃度を増して、紅雷の事を考える時間は増える一方だ。切なくて、苦しくて、満たされない。
「男を好きになるとか、想定外…だろうよ」 
 しかも相手は旧友ときた。細く長い息を吐いて、夜の間に沈んでゆく。
 こんな夜に限って、指名が入ってこない。

 床の上に置きっぱなしになっていた紙袋を引き寄せ、中から箱を取り出しリボンを解いた。
 黒い革のベルトに黒の文字盤。Paneraiと刻印された腕時計には能勢の携帯番号が記した小さなカードが添えてあった。
 ―― 耳障りのええ返事だけを待ってる
 時計を箱から取り出し、代わりに紅雷の土産を中に詰めた。そして佐野に借りたゲイビの入ったミニキッチンの吊り戸棚に突っ込んだ。
 その夜はもう、食品衛生責任者のテキストを開かなかった。


「束原さん、前に会社の前に来てた人、下に来てますよ」
「え、誰?……あ、下に?」 
 同僚の女の子の耳打ちに、得意先との電話を切ったばかりの裕紀の目が大きくなる。
「待ち合わせですか?」
シマちゃんは入社2年目の経理の子だ。私服姿なのは、帰りがけに紅雷を見つけて戻ってきてくれたからなのだろう。シマちゃんがわざわざ戻ってきた理由は、好奇心にキラキラ輝く瞳を一目見ればわかった。
「ああ、もうそんな時間か」
 それらしく時間を確認するふりをして立ち上がった。
 紅雷と会う約束なんかした覚えはない。会おう、飲みに行こうという紅雷の誘いは、年末は忙しいからというのを理由に尽く断っている。
「その腕時計、カッコいいですね。前から思ってたんですけれど、束原さんって持ち物のセンスいいですよね」
「そうでもないよ。これだって景品だし」 
 お世辞を偽りで受け流し、外回りの上っぱりを羽織ってさり気なく隠す。
「ああそうだ、この伝票だけど経理処理行きのやつなんだ。着替ちゃってるとこを悪いけど、出しといてもらっていいかな?」
 間を置いて、いいですよと答えたシマちゃんが、エレベーターに向かう裕紀を追いかけてきて並んだ。伝票ファイルを抱えてはいるが、歩調を合わせたパンプスは、紅雷のいる1階までついてきそう気配だ。
「あの人、束原さんの大学時代の友達なんですか? いい感じの人ですよね。この前は束原さんのこと睨んでて、凄く怖かったけど、今日は目が合ったらちょこって挨拶してくれたんですよ。格好いいんだけど可愛いっていうか」
 どうやらシマちゃんも、仁王立ちで待ち伏せする紅雷を目撃したひとりらしい。
「伝えとくよ、既婚者だけどね」
「そうなんですか? ちぇっ!」
 あまりに正直な反応に、思わず吹き出してしまった。眉をハの字にして唇を尖らせるシマちゃんを残し、笑いながら一人でエレベーターに乗り込んだ。
「裕紀!」
 歩道を行き交うOLがチラチラと視線を送る中、裕紀の姿を見つけた紅雷が人待ち顔をぱっと綻ばせ、ガードレールから身を起した。
「ちょっと来い」
 近寄ってきた紅雷を斜向かいのカフェまで引っ張っていき、最奥の席に落ち着いた。
 ランチが売りで昼は激混みの店内も、この時間は閑散としている。狙い通り、ウエイターがブレンド2つを運んでくると、店の奥は個室状態になった。

「目立つんだよ、お前は。…ったく、昔は地味な奴だと思ってたのに」
「オレは昔と何も変わってないけど。別に金髪になったわけでもなし、着るものは多少マシになったけど、デカいだけでいまも地味な方だと思うけどな」
 両腕を軽く広げ、自分自身を見下ろして 「ごく普通だ」 と付け加える。
「お前が言うと嫌味になるから言うな」
 同じタイミングでブレンドに口をつけ、同時にソーサーに戻すと、もうカップを持ち上げることはない。これがランチタイム以外で、この店が閑古鳥が鳴く理由だ。紅雷が 「不味い。驚くほど不味い」 と小声で呟く。「こんなに不味いのに店が潰れないなんて、さすが東京だな」 と笑った目許に心臓がチリチリと焦げ付いた。
「……で、今日は何時まで仕事やるんだ?」
 どうやら、裕紀の仕事が終わるまで待つ気らしい。
「年末は忙しいから飲みは無理だって、俺は言ったしメールにも書いたよな?」
 裕紀は露骨に顔を顰めてみせた。
「じゃあ、週末は? この前言ってた映画、上映期間が延長してまだやってんだ」
「土曜日は仕事、日曜日はアッチの仕事で埋まってるから無理」
「夜も週末もじゃ、働き過ぎだろ」
「貧乏暇無しなんだよ。年始はどうしてもクラブの仕事が減るし、稼げる時にしっかり稼いどかねえと……」
 苛々と前髪を掻き上げた手首に紅雷の目が留まる。隠すより早く、紅雷が口を開いた。
「時計変えたんだ?」
「ああ、これな。この前のボーナスで買ったんだ」
またしても偽りをすらすらと口に乗せる。自分が真っ正直な人間だとは思わなかったが、ここまで衒いなく嘘がつける自分を薄気味悪く感じた。
「見せてもらっても?」
取り立てて目立つデザインではない。どちらかと言うと地味で素っ気ないくらいなのに、人の目を惹き自分に嘘をつかせる。こんなことなら付けてくるんじゃなかったと、後悔ししつつ手首から外して紅雷に渡した。
「これいくらするか知ってる?」
 俯き時計のケースをひっくり返した紅雷が、探るような上目使いで訊いてきた。
 あまり聞いたことのないブランドだ。紅雷の腕に嵌まる物々しいブライトリングに比べれば随分と簡素に見える。そう安物っぽくもないと思うし、せいぜい5~6万くらいか。いや能勢の選ぶ時計なら、もう少し値が張るかもしれない。
「240万円。20代の社員に、こんな高価な時計が買えるほどのボーナスをくれるなんて、食肉を扱う会社ってよっぽど儲かるんだな」
 飛び出しそうになった目玉で、紅雷から無言で返された腕時計をガン見した。
 カーブした四角いケースにスモールセコンド。至ってシンプルで、裏がシースルーになっているところはちょっと珍しいかもしれない。
「そんなけ稼ぎがあるんなら、副業なんかしなくても奨学金は簡単に返せるんじゃないのか」
「ニ…セモノかも」
「パネライのラジオミール 1940シリーズ 間違いなく本物だ。こんな本気の貢物、誰に貰った?」
「お前には関係ないだろう」 
 紅雷に貢物と責める口調で決めつけられ、それが的を得ていることで余計に腹が立った。
 
「仕事に戻る」 
 膠着する空気に耐えられず、席を立つと紅雷も立ち上がった。
「俺は忙しいんだ、どけ」
 口を固く結んで押し黙り、岩のように行く手に立ち塞がった紅雷を睨みつける。退けよと繰り返すと、切れ長の眼がすうっと細まった。静かに沈む漆黒の虹彩に捕えられ、進退が取れなくなる。
「再会したあの夜みたいに、また俺から逃げるのか?」
 ぱんと横面を張られたような衝撃に、思わずよろめいた。
 河内に襲われ助けてもらったあの再会の夜、自分を呼び止めた紅雷から逃げようとした。紅雷は気付いていたのだ、落ちぶれた自分を見られたくなくて逃げようとした、卑屈で姑息な自分に。
 全身が屈辱で熱くなる。脈拍が乱れてまともに息もできなくなり、目の前が滲んでぶれた。
「年が明けたら、俺は京都に行く」
 もう紅雷の顔も正視することが出来なかった。俯いた視線は、板張りの床に立つ紅雷のオックスフォードシューズを凝視めた。
「京都?」
 一瞬、僅かに怯んだ紅雷の声が、すぐに確信したかのように鋭くなった。
「旅行…とかじゃなさそうだな。仕事はどうするんだ。食品衛生責任者の資格は? 取るんじゃなかったのか」
「仕事は、新しい仕事先を見つけた。収入も増えるし、借金も返せる」
 固まった首を無理矢理上げると、揺らぐこと無く自分を見据えた紅雷の眼とぶつかった。逃げるような、そんなみっともない真似はもうしない。突き刺すような視線と刺し違える覚悟で見返すと、受け止めた言葉を噛み砕くように紅雷の頬に力が籠もる。
 不意に紅雷の目が見開かれた。

「売ったのか? ……自分を」

 言葉の衝撃に薙ぎ倒されそうになる。
 眇まる紅雷の目、怒りに戦慄く広い肩。それらが侮蔑を滲ませる瞬間が、すぐそこに来ていた。
「それが仕事だからな。なんで今更、そんな目で俺を見る? 知ってて旧交を深めようとしたのは紅雷、お前の方だ」
 ぎらついた怒りが紅雷からふいに消えた。眇めた目蓋を慄えさせ、いつもは大人然とした顔が泣くのを堪える子共のような表情に変わる。
「もう一度、親友に戻りたい。いやあの頃よりもっと……と、そう願ったのは、オレだけだったっということか」
紅雷の双眸から、熱っぽさのようなものが潮のように引いて行く。代わりに悲しげな色で満たし目が力なく笑った。眼の奥が熱くなって、鼻がツンとする。落ちた紅雷の肩に手を伸ばしそうになるのを拳を握って。
すぐ謝れば、きっとまだ間に合う。優しい紅雷のことだから、怒りはしても許してくれる。消え去ろうとする友情に追い縋って、引き止めて。だがその後は、どうなる?
 紅雷が好きだ。
 過去に友達だったというそれだけで、堕ちてしまった友人の力になろうと必死で手を伸ばすこの男に、恋してしまった。友情という流れを変えてしまった自分に、流れゆくその先はない。
 だから深く呼吸をひとつ吐いて、流れにとどめを刺した。
「金さえ出せば、誰にでも…そう、お前にだって俺は自分を売る。俺はそういう男だ。お前も、もうわかってんだろ」
 壊れてゆく。紅雷も自分も友情も。
「友達ごっこはもう終わりだ。わかったら金輪際、電話もメールもしてくるな」
 腕を押すと、あっけないほどに紅雷は道をあけた。


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広くて長い 10
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 オークションが再開した。
 能勢から送られた時計の値を知った裕紀も、いまや能勢の落札を確信している。
 来るべき日に着けていこうと心に決め、腕時計は箱に戻した。腕時計を嵌めた裕紀を能勢が見れば、それが申し出への返事だと能勢は気付くはずだ。
 ―― 「また俺から逃げるのか?」
 そう逃げ出すのだ、自分は。
 会社までやってきた紅雷とファミレスで決裂したあの夜以降、1日と開けず届いていたメールや電話はぴたりと来なくなった。
 友人に裏切られ付き纏うなとまで言われて、プライドが傷つかない人間はいない。
 紅雷の最後の表情を思い出す度、大きく心が揺さぶられて苦しくなる。明け透けに心の動揺を映す子共みたいな目は今にも泣きそうだった。
「泣きたいのは俺だ」
 散々、懐いて構い倒してきても、ひとこと好きだと告白すれば友情は終わる。同性に好きだと言われて気味悪がりはしても、はいそうですかと笑って受け入れるヘテロはいない。
 自分がそうだったからわかる。
 いや、紅雷なら自分を傷つけないように上手く振ってくれて、その後も友達でいようとしてくれるのかもしれない。
 水道の蛇口を捻ってコップを満たし、シンクにもたれたまま喉に流し込む。
 ワンルームの床にカーテンの隙間から射し込む月の光が短い線を引く。眠れない夜が、ここのところずっと続いている。
 水の入ったコップを手に持ったままベッドに戻り、抜け殻の自分のベッドを見下ろした。
「友情って、なんだ?」
 紅雷はきっと友人がゲイだと知っても態度を変えたりはしない。自分には受け入れられないとしても、相手に態度を変えないように気遣い、友人関係を続けていく努力をする。
 友達だから。
 自分が紅雷に望んでいる関係は、もはやそんなハリボテの関係ではない。
 キスをしたい、手を繋ぎたい。いや、もっとだ …… もっと欲望は深い。
 手のひらで、舌で紅雷の体温を確かめ、鳩尾に接吻けたい。輪郭のくっきりした男らしい唇を舐め、躯の中で最も熱い場所を絡め、涼やかな瞳が劣情に煽られ苦しげに眇められた貌を見たい。
 同居時代に見た記憶の中の紅雷の裸体を、客にするのと同じ淫らな行為で犯してゆく。
 自分の精液で汚れたシーツを冷然と見下す。
「狂ってる」

 日本中が師走に突入していた。
 街を歩けば至る所でツリーを目にし、テレビを付ければ番組は年末特番に切り替わっている。巷にあふれるクリスマスと正月が渾然一体になって、ただでさえ気忙しい人々を、なお急き立てる。
 スーパーやデパート、レストランからの加工肉の注文が増えるこの時期、裕紀の会社も目の回る忙しさだ。外回りの時間が増えた分、事務仕事は残業に回る。
 さすがに体力の限界を感じ、クラブの仕事はストップしていた。
 そんな折、佐野から連絡が入った。
「落札者が決定したぞ」
 1日中、納品先を駆けずり回って残業をこなし、コンビニ弁当片手に部屋に戻ったばかりだった。飯にするか、それとも冷えた躯を風呂で温めるか、洗濯機も回しておかないと。スマホを耳にあてながら、狭い部屋を歩きまわる。
「あっちの都合で、エッチデーは年明けにして欲しいそうだ。用心深いのか潔癖なんだか、当日まで司には客を取らせるなって言われてるんだよな」
 履行日をエッチデーと呼ぶ身も蓋も無い佐野の表現に苦笑しつつ、バスタブの栓を捻り、弁当を電子レンジに放り込み、洗濯機に洗剤をセットした。
「まあその間のデート料は払ってくれるらしいからいいけど。よかったな、司。ちょっと癖は有りそうだが、太客になるのは間違いない相手だからしっかり下準備しとけよ」
 佐野が下卑た声で笑う。なりそうじゃなくて、能勢は既に立派な太客だ。佐野は仕事は出来る、性格もまあまあ。こういう下品なところさえなければ、もう少し好感が持てるのだが。会話する度、残念な気持ちにさせてくれる男だ。
「もっと稼ぎたいなら、司のロストバージンってタイトルで、ネットで有料配信……」
 付き合いきれず、話の途中で通話を切った。
 弁当のフタを取って箸を割って、あ……短く声を上げる。
「落札価格を聞くの忘れた」

 大晦日から元旦にかけた一泊で帰省した。
 そこそこ大柄だった父親は、見る影もなくやせ細り、別人のようだった。事故で脊髄に損傷を負い、うつ病の症状も出ている。もう仕事は無理だろうと医者からいわれた。
 リストラに事故。親のくせに息子を借金地獄に突き落として、この上まだ負担を強いてくるのか。家族の足を引っ張るくらいならいっそ死んでくれと、心の中で悪態を吐きながら医者に頭を下げた。
 それでも、病室のベッドに眠る父親の、痩けた顎や額に、苦労の滲む深い皺が刻まれているのを見つけた時は、不覚にも涙が出そうになった。
 母親に仕事の内容は伏せ、京都に移ることを話した。帰省は難しくなるが送金の額を増やせることを伝えると、力が抜けたのか長い長い息を吐いた。そして、ありがとうと泣いた。苦労させてごめんねとも。
 
 佐野から履行日を知らせるメールが入ったのは東京に戻った翌日、1月2日のことだった。
「明日って、まだ正月だよな?」 
 少なくとも正月の三ヶ日は無いだろうと思っていた。
 場所は例のVIP用の客室がある外国人向けのレジデンスだ。決心し覚悟も決まっていたが、いざ明日といわれるとさすがに緊張した。
 サービスは売るが、躯は売らない。
 塵みたいなプライドで高尚ぶっていた自分が青臭いガキだった。
「これまで数えきれない数の男の欲望を満たしてきた。自分の中にこびりついて離れない抵抗感を、何を今更と自分を叱咤し、土気色の父親の顔を思い起こす。金の心配がなくなるのだからよかったじゃないかと鼓舞する心がきりりと痛む。
 自分を売ったのか? 責めるような紅雷の言葉は、今も胸に突き刺さったままだ。
 この痛みを愛しく思うくらいは許してどうか欲しい。

 寒々しい薄曇りの空の下、冬枯の欅の並木を歩いた。
 レジデンスへの最短コースではなく、遠回りする自分の往生際の悪さに自分でも呆れつつ、つと立ち止まって肺いっぱい冷えきった真冬の空気を吸い込んだ。
「なにをやってるんだ、俺は」
 夏に河内に襲われた公園に、紅雷は現れた。ならば、住んでいるのも公園に近い場所かもしれない。気がつけば公園の周辺をぐるりと周るコースを取って歩いていた。
 偶然会えたとしても、どうにもならないことはわかっている。お互い、後味の悪さが残るだけだ。
 なにをやっているんだと、もう一度繰り返し腕に巻いたパネライを見た。
 約束の時間まであと5分もない。
 能勢は時間に几帳面で、どちらかと言うと早めに来るタイプだ。少し歩調を早めなければ、能勢を待たせてしまうことになる。
 少し戻り、レジデンスに一番近い道に折れる。すると街の雰囲気は少し変わり、大きな家ばかりが目につき出す。住宅地としては都内でも地価の高い場所なのだと、佐野が自慢気に話してくれたことがある。。
 一歩、また一歩と、レジデンスが近づくにつれ、手首に巻いたパネライの重みが増すような気がして、外したくなる。それで京都に行くメリットだけを考えようと務めた。
 能勢は洒脱で頭が切れ、自分にはない包容力がある。シーズン毎に美しい作品を生み出す、伝統工芸の作家の貌も持つ。能勢のような男を他に見たことがない。
 京都に行けば、公私で能勢のサポートをすることになり、もう不特定多数の男を相手にすることもない。何より自分の借金がなくなるのは大きい。
 父親の治療費と、事故の賠償金は働きながら返していけばいい。
「いい事だらけだ」 
 
 いつもの格式張った正面の門ではなく、レジデンスへと公園と挟まれた脇道に入った。私道らしく、車一台分ほどしかない古い石畳の片側を、公園の枯木立が迫る。公園の何処かで鳴く高い鳥の声も、もの寂しい雰囲気に追い打ちをかけ引き返したくなってくる。
 スマホを取り出し、佐野が描いてくれた大雑把な地図を呼び出した。
「東西逆だし。下手な地図だな」
 やがて長く続く塀の奥に、青銅色の柵と、跳ね上げ式のカーポートの黒い扉を確認して安堵したところを、背後から声を掛けられた。

「能勢様もいま着かれたところだったんですね。お待たせしたのではなくてよかったです」
 軽く会釈して笑った裕紀の手首に能勢の目が釘付けになる。そして 「司…」 と、徐ろに顔を上げた能勢は切羽詰まった眼をして言った。 
 「すまん、俺は君を落札できんかった」


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