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紙魚

Author:紙魚
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長らくみなさまから頂戴した拍手コメント・メールへのお返事は、別ブログの”もんもんもん”にてさせて頂いていましたが、2016年4月より各記事のコメント欄でお返事させて頂くことにしました。今まで”もんもんもん”をご訪問くださり、ありがとうございました。く



    
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Category: なべて世はこともなし

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「なべて世はこともなし」 土曜日→日曜日/by紙魚
「なべて世はこともなし」は、『卯月屋文庫』 の紙森様との、リレー小説です。
一週間の出来事を、交代で書かせて頂きました。
6話のお話を、各サイトにて毎日1話ずつ曜日に合わせて更新いたします。
 


なべて世はこともなし 土曜日→日曜日
 


 一気に昇りつめた体温が、限界を振り切ったように灼熱に変わる。
 逃がしようのない熱は、戸惑いが捨てきれない身体や思考をぐずぐずと焼き尽くしてゆく。
 底の見えない欲情と、後から後から生まれてくる新たな熱。
「も、アカン……アカンて。設樂、もう止めて、息ができへんようなる」
「まだやで、アツ。もうちょっと、我慢しといて」
 熱を生む塊を呑まされた柔らかな窪みに、内腿を割っていた指が侵入してくる。それまで丸くなって快感に耐えていた背中が、バネのようにしなり仰け反った。
 短く切羽詰まった声を上げる喉に手がかかり、厚みのある唇が息を吐ききった口を塞ぐ。呼吸を奪われ、迸る放出を絡みつく長い指に止められ、代わりに最奥で熱い迸りを受けさせられた。
「止めるんは、ソレちゃ……う! ア…、阿呆ゥ…っ!!」

 
「やりすぎや。お前は一体、オレをどこに連れて行こゆうねん?」 
 躰の節々に残るけだるさを愚痴る淳明の隣で、設樂はのんびり煙草をふかしている。
 波の音に紛れて、早朝の海岸を散歩する犬の鳴き声が聞こえてきた。
 今日が日曜日で助かった。山下淳明(あつはる)は、まだ靄のかかった頭を枕に埋めて息を吐いた。
「ああ゛? どこも行く気ないけど? 今日は日曜やで。家でアツと一日中、イチャイチャする予定やし」
「一日中って、マジでお前はオレを殺す気か? そうゆう意味ちゃうやろ。ホンマにお前って男は、とことん自己中な男やな」
「殺すやなんて、とんでもないわ。大切なアツを俺が殺すわけないやん。これでも俺的には、めっちゃ譲歩して、セーブしてんねんけど?」
「これの、どこがセーブやねん? 」
 淡く潤みを残した目で、疑わしげに見上げる淳明の髪に設樂がチュッと接吻ける。
「ホンマ可愛ええな、アツ。高校ん時から知っとったのに、なんで気ィ付かへんかったんやろ」
「そういう恥ずかしいこと、口にすんな」
 目許を染め閉口する淳明に、設樂が煙草をもみ消し覆いかぶさる。
「勿体ないことしてもたって、後悔の嵐、真っ只中やねん。だからその分、いま取り返させて」 
 逃げかけた肩を捕まえ、設樂は笑いながら淳明の額に接吻けを落とした。
「お前、やっぱりオレを殺す気やろ」
「もう一晩。今晩もここに泊まるって言うてくれたら我慢するで」
「それは、無理。着替えも、明日の定例会の資料もマンションやし」
「そやったら、今はもう諦めて」
「設樂…」
 設樂は笑みを消した唇を、緩く解けた淳明の唇に重ねた。
 夜の向こうから聞こえる波の音と、口の中に広がった煙草の香りがとても似合っている。淳明は、波に攫われる頭の隅でそんなことを思った。
 
 設楽との出会いは、高校時代だった。
 学校は違っていたが、バスケの練習試合で何度も顔を合わせ、互いの存在はよく知っていた。それが隣県の大学で再び顔を合わせた時はお互い驚いた。
 当時、既にゲイを自覚していた設樂の5年に及ぶ猛烈なアタックの末、淳明が折れるかたちで付き合いだして2年が経つ。
 「好きやで」「惚れてんねん」 と、念仏のように唱え続ける設樂を、淳明はずっと鬱陶しいと思っていたし、実際、本人を前にして堂々と口にもしていた。
 だが歳月とは怖しいもので、いつしか隣で好きだ何だと念仏を唱える男がいることが、淳明の平常になっていた。長年、粘り強く刷り込みを続けた設樂の大勝利というわけだ。
 最初こそ渋々つき合い出したが、今では設樂と同じくらい、いやそれ以上に設樂のことを好きだと淳明は自負している。
 設樂は、淳明の会社と取引のあるITを主軸とする企業に勤めている。
 ベタな関西弁を封印した会社での設楽は、スマートな容姿やいかにも切れ者といった判断の速さで淳明の会社で評判がいい。
 もちろん、恋人の評価が高いことは淳明にとっても悪い気分ではない。
 だがこうして淳明といる時の設樂は、世話焼きでユーモラスで三枚目な男になる。自分だけが知る設樂が嬉しい。などと、本人を前にまったくもって言う気はないが。
 改めて設樂が好きなのだと自覚する時、淳明は腹のあたりがこそばゆいような気分になる。
「まだ寝とってええで。メシ出来たら声掛けるし、それまでテレビでも見とく?」
「いや、いい」
 海辺の街を、雲ひとつない空が覆う。陽は既に傾き、海岸沿いのワンルームを柔らかい海風が吹き抜けてゆく。結局、貴重な日曜日を設楽とだらだら過してしまったことを反省しつつ、淳明はベッドの中からキッチンで手際よく食事の支度をする姿を眺めた。
 波の音をBGMにゆったり時間が流れている。こんな休日の午後も淳明は嫌いではない。
「サラダにプルーン刻んで入れといたから食べや」
「ドライフルーツは嫌いって知ってるくせに。嫌がらせかよ。特にプルーンの鉄臭さは想像するだけで吐きそうになる」
 コーヒーをセットしながら、嘆かわし気に設樂は首を振った。
「そんな偏食ばっかしてるから、アツはいつまでも低血圧なままなんや」
「うるさいな。お前は、俺の母親か?」
 売り言葉に買い言葉。高校時代から変ることのない軽い言葉の遣り取りが心地が良い。フィルターに湯を注ぎつつ、裸でタオルケットに包まったままの淳明をチラリと見て設楽が笑う。
「ヤラシイ目で笑うな。気持ち悪い」
「オカンとしては、息子のめざましい成長ぶりに目を細めんのは当然やん。アツはホンマ教え甲斐あるムスコで、オカンは嬉しいわ」
 そう言うと設楽は、ケトルを下ろした手でそっと脂下がった目尻を押さえた。
「お前、真性のアホやろ」

 ノンケだった自分が、同じ男である設樂にここまでめり込もうとは、正直、自分でも意外だった。
 同性という垣根を飛び越え、友人の枠から抜けだした関係は、思いのほか居心地よかったのだから仕方ない。
 それは、設樂が自分を大事にしてくれているからだということも知っている。
 状況を冷静に判断すると、色々と考えなければいけない事もないわけではない。が、現状の心地良さに、問題直視を先延ばしにしている自分がいることもわかっている。
「ん、なんだ? この黒いのは」
 脱ぎ捨てた服を身につけようと、床に手を伸ばしかけて気が付いた。ベッドとマットの隙間に何か黒いものが挟まっている。
 端っこを摘んで引っ張りだすと、幅の広いレザーのブレスレットが出てきた。ハードな感じのする分厚い本革。外側にもう一本細いベルトが巻き付き、そこから輪っかのついた短いチェーンがぶら下がっている。持ち上げると結構な重みがあり、見かけより頑丈なのがわかる。
 手首に沿うようなタイトなデザインはブレスレットというより、手枷という方が相応しい。
 ハードなデザインのブレスレットは、意外とノーブルな趣味を持つ設樂の好みとは違う気がした。第一、どう見てもサイズが設楽の手首より細い。
「なんだこれ。あ……」
 不意に、ブレスレットが淳明の手の中から消えた。
「アツ、メシが出来たぞ。食おうぜ」
 ブレスレットを素早くカーゴパンツのポケットに突っ込んだ設樂が、訝しげに見上げる淳明にぎこちなく笑う。出来損ないのハリボテ並みに不審な笑顔だ。ここまで焦る設樂を、淳明はあまり見たことがない。
 怪しすぎる。
 まさかと思う気持ちと、絶対怪しいと疑う心が混濁して、何をどう問いかければいいのかわからない。
 ぽかんと固まる淳明を、設樂はダイニングテーブルに促した。
「せっかくのペスカトーレが冷めてしまうやん。力作やねん、早よ食お」
 淳明は自分の服を拾い上げ、釈然としない気持ちで身に着けてゆく。その姿を、ポケットの中のブレスレットを撫でながら、締りのない顔で嬉しそうに眺める設樂に淳明は気付かない。

 日にちが切り替わる頃、設樂が車の中でまたゴネ出した。
 毎日曜の夜、淳明を送る車の中で2人はいつも同じ諍いを繰り返す。
「アツ、やっぱりもう一晩泊まってや。早朝、俺がマンションまで送るやん」
「しつこいで、設樂。なんぼいうても、アカンもんはアカン。今晩もお前に付き合ったら、オレは明日仕事にならんようになる。それにオレは、お前となし崩しのいい加減な生活になっていくんは嫌やねん」
「ほんなら、思い切ってこっちに越してきたらええやん。なあ、一緒に住も」
「無理」
「なんでそない、いっつも判でついたみたいに即行で却下すんの?」
 聞き分けの悪い設樂が声を尖らせる。
「エエ歳して拗ねんな。お前はガキか?」
「母親にされたり、ガキにされたり今日は忙しいわ。それよか、なんでここまで付き合って、同棲できへんのか。アツ、ちゃんと説明してや」
 同棲を承諾しない淳明に納得せず、ゴネる設樂はいつもの設楽と変わらない。それなのに、淳明は心の中に生まれた疑念は膨らむ一方で全く晴れようとしない。
 あのブレスレットは、設樂のものではない。じゃあ、誰のだ。
 自分たちに一体何が起こっているのか、急な展開で頭の中がごった返して収集がつかない。苛立ちは、そのまま淳明の態度に出た。
「先ず、職場が遠くなる。満員電車にも乗らなアカンようになる。お前の部屋に男二人は狭すぎるし、近所にコンビニもない。体裁つかんし、同棲する理由の説明もオレは親にようせん。それに……」
「ようそんだけ並べてくれたな。それにって、まだなんよ?」
 あのブレスレットが誰のものか、なぜ設樂のベッドから出たきたのか。一旦、疑問を口にすると、逃げ道を意で塞いで設樂を問い詰めてしまいそうな、弱い自分がいる。
 欲しくてたまらなかった物が手に入った途端、気持ちが冷めてしまった。そんなこと、よくあることだ。
 付き合って2年。5年もの間、好きだと言い続けてくれた設樂だが、実際に付き合ってみて本当は淳明にがっかりしているのかもしれない。
 設樂はゲイだが、所詮自分は違う。
 見目もよく優しく、情も厚い設樂に”その気”があれば、恋人に立候補したがゲイの男はいくらでもいるはずだ。
 その中に、設楽より手首の細い男がいてもおかしくない。

 山が迫る海沿いの道路を走る車はいつしか、100万ドルの夜景と謳われた都会の高速に乗る。どんより濁った険悪な沈黙のまま、車は淳明のマンションの前に着いた。
「アツ、待ってや。さっきの”それに”の答え、まだ聞いてへん」
 降りようとした淳明の腕を、設樂が捕らえる。
 沈黙する淳明に設楽は小さく息を吐く。
「なあ、ほんなら明日の……今日の晩もこっちに来うへん?」
「オレは、無理やて言ったで」
 淳明の硬い拒絶の声に、設楽は手を放した。


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「なべて世はこともなし」 月曜日/by紙森
なべて世はこともなし 月曜日

 気にかかることがあったとは言え、別れ際の自分の態度は良くなかったと、その日一日淳明は反省頻りだった。同棲を望む設樂の気持ちはわからないでもないからだ。
 恋人としての付き合いが始まった時、二人は社会人になっていた。就職先は別、会社の所在地も違えばそれに伴って住む場所も違う。取引先同士であっても、互いに接点のない部署のため、職場で顔を合わせることはほとんどない。ゆえに二人が会うのは週末に限定される。その週末でさえ、いくら優先しても毎週必ずとは言えないのが社会人の哀しさだ。
 しかし根に少し天邪鬼な性質を持つ淳明は、「良くなかった」とは思いつつも、設樂にフォローのメールを送れずにいた。だから夜遅くの来訪者を確かめるべく覗いたドア・スコープの先に彼の姿を見て、驚く反面、嬉しくて頬が緩む。
「どうしたんや、こんな遅くに?」
 それでもチェーンを外してドアを開けた時には、片眉を上げて偏屈な態度を取ってしまうのである。これを世間一般では「ツンデレ」と称するが、淳明本人は決して認めない。たとえ表情に出ていたとしても。
 瞬時に展開されたであろう恋人の百面相を知ってか知らでか、設樂は「来ちゃった。エヘ」と笑ってドアを押し開け、続いて淳明を押し退け、部屋の中へとずんずん上がり込む。上着、ネクタイをポポイッと脱ぎ捨て、シャツの襟元を緩めるとベッドの上に座った――今、この段階だ。
「今日はオレ、無理や言うたはずやけど?」
「そやから俺が来た」
 設楽は隣に座れとでも言う風にベッドを軽く叩く。
「今週、始まったばかりやぞ。それにオレんとこではやめとこって…あっ、こら、何触ってる?!」
 淳明が隣に腰を下ろした途端に、太ももを撫で擦る設樂の手。その甲を慌てて抓った。
「や、泊めてもらうだけやから。ほら、酒臭いやろ?」
 設楽は触れんばかりに顔を近づけ、淳明の鼻先に息を吹きかけた。確かにアルコール臭はする。但しほんのり程度。下戸に近い淳明と違って笊な設樂にとっては、飲んでいないに等しいのではないか。大方、飲酒運転で引っかかるとか何とかの理由付けに缶ビールを一本、来る前に呑み干したのだろう。
 淳明は会社が法人借り上げで社宅代わりにしているマンションの一室に住んでいた。隣は設樂とも面識のあるシステム担当社員の部屋だ。加えて、築三十年のワンルームの壁は限りなく薄く、更に設樂から与えられる容赦ない快楽に、淳明は声を抑える自信がない。「週始まりの月曜日と、淳明の部屋ではセックスしない」が二人の間で決められたルールである。
 にもかかわらず、一度引っ込んだ設樂の手は淳明の肩に回り、そのまま引き寄せられた。
 耳の下から首筋、鎖骨へと、厚みのある唇が辿る。香り高い紅茶に似た彼愛用のコロンが微かながらも鼻腔を刺激し、たったそれだけで淳明に『週末』を思い出させた。陶然と意識がさらわれそうになる。Tシャツの裾からもう片方の設樂の手が滑り込み、くすぐったい感覚で淳明は我に返った。
「…って、ちゃうやろ!」
 シャツの中で蠢き這い上がる手を押し戻すと、「何がちゃうん?」と耳元で甘く深みのある声が聞き返した。
(なんで、こいつはベッドで豹変するんや)
 普段、淳明の前では色っぽさの欠片もなく、関西人が得意とするボケ・ツッコミのボケ役に徹しているくせに、ベッドの上では魅力的な色事師に変身する。淫靡な艶含みの声に囁かれると、淳明の身体からは力が抜け、良いように翻弄されてしまうのだった。今もまさに崖っぷち状態。
 設樂の声に惹かれた一瞬が、胸の辺りで攻防戦を繰り広げていた淳明の手の動きを止めた。すかさず設樂は淳明の左胸にある官能スイッチに触れる。
「あ…」
 意思に反して声を漏らす自分の口を慌てて手で塞いだ。クスクスと設樂は笑って、淳明の手首を掴み口から引きはがすと、ベッドに押し倒す。
「口は俺が塞いでやる。だからこの手はここな」
 手は頭上のシーツに縫いとめられ、唇は設樂の口づけで塞がれた。
 手首に感じる彼の手の存在で、淳明の脳裏にある物がフラッシュバックした。
 黒いレザーのブレスレット。
「Stey!」
 顔を何とか背け叫ぶ。設樂が顔を上げた。
「ステイ? なんや、それ?」
「ボビーはそれで動きを止める」
「ボビーって?」
「オレんちの犬」
 淳明の答えに、設樂は眉間に皺を寄せた。顔中にハテナ・マークが浮かんで見える。
「俺は犬か?」
「来て早々飛びかかって来るんはボビーと同じや」
 設樂は喉の奥でくつくつと笑った。
 一時的にも彼の気を逸らすことには成功したので、この隙に何とか体勢を立て直そうと淳明は身をよじるが、設樂の身体はびくとも動かない。
「往生際、悪いぞ?」
 設樂はまたあの魅力的な声で囁く。
「今日は泊るだけちゃうんか!?」
「そのつもりやったけど、お互い、ソノ気みたいやし」
 二人の間で兆しを見せる互いの『ソノ気』。設樂の大きな手が淳明のスウェットパンツの中を直に捉えた。息を詰めた淳明の唇に啄むようなキスを落とし、彼は「な?」と言った。
 設樂の手の緩やかな動きによって、淳明の『ソノ気』は兆しから主張へと変化し始める。そうなってしまうと抵抗することは難しい。しかし、淳明は拒まずにはいられなかった。
「あ、明日、朝から、ほんまに会議…」
「わかってる。そやから触るだけ」
「嘘つけ…っ」
「ほんまに触るだけやから」
 耳朶に、頬に、唇に、鎖骨――設樂の繰り出す怒涛のキス攻撃に、淳明の頭が左右に揺れた。
「オレ、おまえに、聞きたいことっ…」
「聞きたいこと?」
「あの、黒い、ブレス…レット」
 切れ切れながらもようやく繋がった淳明の言葉に、設樂は答えの代わりに笑みを返した。それから手の中の『淳明』を少し強く握る。堪らず淳明は声を上げた。
「もう黙らんと、隣にその色っぽい声、聞こえるで?」
 淳明は唇を引き結んだ。連動して瞼もギュッと降りる。
「可愛いなぁ」
 そう言った設樂の唇が、力の入った淳明の瞼の上に落ちた。
 


 
 淳明が目覚めた時、設樂の姿はなかった。
 時計を見るとまだ起きる時間には早すぎる。もう一度寝なおすために目を閉じた。
 追い上げられて煽られて、理性の箍が外れそうになるのをどうにか抑えられたのは、折々で設樂が「隣に聞こえる」と耳元で囁いたからだった。それでもいよいよ切羽詰まると抑えきれない。情欲の高い声が漏れる寸前、設樂の唇がそれを吸い取る。そんなことが何回繰り返されたか、途中でほとんど意識がなくなった淳明は覚えていない。
 設樂は言った通り触るだけだったので身体の負担は少ないものの、「朝イチで取引先に出向くから」と夜も明けきらぬうちに部屋を出る彼を、淳明は夢うつつの中でしか見送れなかった。
 だから結局、黒いブレスレットのことは聞けず仕舞いである。そのことは淳明の二度寝を阻んだ。
 それなりに大人の年齢だから、あれがただのアクセサリーではないと知っている。問題は、なぜ設樂が持っているのかと言うことだ。
 設樂にそんな趣味があるのだろうか?
(そんな素振り、一度もなかった)
 同性同士の道が初心者の淳明を慮ってか、設樂の施すセックスは優しい。
(いや、待て。あれって優しい言うんか?)
 彼が与えてくれる快感と言ったら、とにかく極限まで淳明を心地よくしてくれる。しかしその極限は、さんざん焦らし、煽り、淳明の意識が飛ぶ寸前で、やっと与えられるものなのだ。
(考えようによっては、いじめに似てへんか?)
 ああ言うレザーバンドを使う性癖があってもおかしくないと思えてきた。
 百歩譲って、
(譲るんか、オレ?)
 あれを使う相手が自分ならともかく、誰か別の相手だったら?
 付き合って二年と言っても、二人で過ごす時間は男女の仲より少ない。慣れない淳明は設樂任せで、自分が満足するほどに、彼を満足させているのかどうなのか。とても満足させているように思えない。それを他に求めて得ているのだとしたら?
 淳明は飛び起きた。一晩中、設樂によって生み出され、身体に纏わりついていた熱が、怖い疑問で一気に引く。たった一組のブレスレットが、どんどん不安を派生させた。いつの間に自分は、こんなに設樂に傾倒してしまったのだろう。
 淳明の背筋は震えた。
 一緒に住めば、自分はますます設樂と離れられなくなるかも知れない。反対に設樂は、そんな自分に幻滅するかも知れない――それを思うと、とても同棲に踏み切れない。
 毛布に包まり、再び身体を横たえる。
 窓の外が明るくなるのに比例して車の往来する音が増えてきた。淳明の住むマンションはオフィス街の一角にあり、アスファルトに囲まれている。聞こえてくるのは生活感のない、無味乾燥な音ばかりだ。
 翻って設樂のところは海が近く、夜になって辺りが静かになると、テトラポットにあたって分散する波の音と、沖を行く船が時折発する微かな汽笛が聞こえてくる。それらを設樂の腕の中で微睡みながら聞く心地良さと言ったら。
 離れてまだ一時間も経っていない設樂の体温を、淳明はもう恋しく思った。
 


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「なべて世はこともなし」 火曜日/by紙魚
なべて世はこともなし 火曜日 


「アツ?」 
 ドアを開けた設樂は、驚いた顔をした。そして「おかえり」 と目を細め、訪問の理由を探す淳明を家の中に引き込んでくれた。
 雨上がりの外気で冷えた身体が、室内の乾いた柔らかい空気に触れふるりと慄え淳明は弱く息を吐いた。
「何飲む?」
 パソコンや仕事の書類が広がるダイニングテーブルは避け、ベッドに腰掛ける。
「仕事してたんやろ? ごめん、すぐ帰るから」
 言った途端、設樂はダイニングの上を綺麗に片付けてしまい、ニッと笑う。
「何を仰る。仕事はちょうど終わったとこや」
 淳明の探るような視線を、設樂が願いを篭めた目で受け止める。淳明が先に視線を逸らした。
「雨が上がって冷えてきたし、ビールよか熱いコーヒーにする?」
「ビールがいい。あればウイスキーでもウオッカでも何でも……。飲みたい気分やねん」
 自分の部屋に帰るつもりで電車に乗ったのに、気がつけば海沿いの駅に降り立っていた。海鳴りのする寒い街を設楽の部屋に来るかどうか迷いながら彷徨い歩いて、部屋の前に立った。
「マジ? 平日やのに、ええの?」
 冷蔵庫を開けた設樂が直角でグルッと淳明を振り向く。鼻孔が膨らんで、鼻息が聞こえてきそうだ。
「スペシャルズブロッカでおもてなしするわ。飲ませて、酔わせて今宵も天国に連行なっ!」
 顔が期待で溶けていく設樂に、淳明は冷めた視線を投げつけた。
「お前、生粋のド阿呆やろ」
「なんのこれしき、照れるやん!」
「ア、ホ」

 仕事でミスをして会社に損害を出させた。
 相見積もりの書類の記入漏れが、指名を受けた後に発覚した。長い会議の末、発生した差額を淳明の会社が被ることを決めた。
 閉じた目蓋の内側に、会議で淳明と一緒に針の筵に座らされた上司の硬い表情が浮かぶ。
 弁解するわけではないが、差額自体はそれほど大きなものではない。この先、取引を続ける中で早期に充分穴埋めできる額だ。問題は実際にミスをした自分より、信頼し仕事を任せてくれた上司の櫻井の方により厳重な責任問題を問われていることだった。
 自分のミスのせいで櫻井は左遷させられるかもしれない。 

 頬に触れる温かい指の感触に、はっと我に返った。
「ほっぺまだ冷たいで。これ飲んで先にちょっと温まり」
 目の前に出されたカップを見て、淳明は設楽に目を移す。
「ラム酒入りのエッグノック。酒には違わへんやろ」
 ラムの香る温かいミルクは、口に含むとかなり甘い。甘すぎる、と素直に文句を言う淳明にくっついて設楽が座る。さりげない優しさとワイシャツ越しに伝わってくる体温に、不意に涙腺が緩みそうになった。
 駄目だ。こんなに弱く格好悪い自分は、設樂に見せられない。
「やっぱ、これ飲んだら帰るな」
 同い年の同じ男である設楽に、慰めてもらおうとしていた自分。
 自分の中に潜む甘えに気付いた途端、痛いほどの恥ずかしさがこみ上げてきた。
「なあアツ、なんでなん?」
 ぼそりと低い声で設樂が聞いてきた。設楽を見ると、その目の底で怒っているような不機嫌な色が揺れる。
付き合いだして2年。初めて見る設樂の怖い表情に、今晩ここに来たことを後悔した。
恋愛の賞味期限は4年と聞いたことがある。
 設樂は付き合う5年も前から淳明を想ってくれていた。トータル7年。男同士なら? 
 日毎から抱えていた不安が、不安定な精神を土台に頭を擡げる。
 設樂は淳明との関係に飽きているのかもしれない。それとも、もう既に他の誰かが――? 
 疑った瞬間、黒革のブレスレットが淳明の脳裏をフラッシュバックした。短く頑丈なチェーンのぶら下がったブレスレットの用途を推測することは容易い。
覚えのない誰かのブレスレットが設楽のベッドにあった意味。エッグノックで温まった身体が、部屋に来た時より冷たくなってゆく気がした。
 昨夜、設樂に部屋を襲撃されたことなどさっぱり忘れ、淳明の思考はぐるぐるマイナス方向に嵌っていく。
「それよりアツ、その窮屈なネクタイいつまでしてんの? 早よはずし」
 カップを取り上げた手が喉元に伸びてくる。反射的にその手を払い落とした。
 そして勢い良くに立ち上がり、泣きそうになる顔を背け部屋を飛び出した。はずだった。
「ちょ、設樂」
実際は、エロエロな欲望が全身の毛穴から噴出中の設樂に、ベッドに押し倒されている。
 そんな気分じゃないんだろう。もごもごと抵抗するも、性急にベルトを外しトラウザーズを脱がしにかかる暴走設樂との攻防で手一杯だ。
 ぐっと腰が設樂の膝に持ち上げられ、ニットトランクスごとひざ下まで引き下げられた。
「し、設樂。今日は……っ!」
 ご馳走を前にした子供みたいに口を開け、手を添えたモノを咥えかけていた設樂が上目で見上げ睨んでくる。
 設樂は両手で自分の体を持ち上げ体勢を変えると、淳明に跨ったまませり上がってきた。
「会社で何があったんか、俺に話してくれる気になった?」
「あ……?」

 淳明のマンションの隣に住むシステム部の同僚は、現在、設樂の会社に出向していて設楽とも仲がいい。口が軽めな同僚は、淳明の今日の失敗を設樂に喋ったらしい。
「なあ、アツ」
 設樂は首を伸ばすと、引き結ばれた淳明の唇を柔らかく啄んで離れた。
「なんで、アツの中から俺を締め出そうとするの? アツにとって、俺ってそんな頼りにならん男なん?」
 寂しそうな目で設樂に凝視められ、胸が詰まる。
「そんなことない。オレも男やし見栄もある。設樂に自分の格好悪いとこは見せたないの。わかるやろ?」
「そんなん分からんし、分かりたない。なあアツ、もっと俺に甘えてや。俺のこと頼りに欲しいねん」
 また唇が落ちてきた。何度も繰り返し、顔に、髪に、肌蹴た鎖骨や胸に落ちてくる。
 エッグノックよりも甘く、アルコールよりきつい。爪の先まで設樂に酩酊していく。
 疑惑は頭から揮発し、設楽の浮気を疑った自分を猛省した。
「設樂、オレ会社辞めようと思う」
 ヘッとかゲッとか、間の抜けた奇声を発してガバっと設楽が起き上がった。一呼吸おいて両頬を押さえて叫ぶ。
「ええ、なんでっ? そんなん俺は聞いてない。やめてどうすんの? 誰のとこいくの!?」
 血走った目を剥いて詰め寄る設樂に面食らった。
「決めたのは今日やで。辞めた後のことなんか、まだ考える余裕なんかないって……」
「あ、ああそう。そうなの?」
 頭を掻きあげ、気抜けしたようにつぶやく。
「なんや設樂って、先走り過ぎて取越し苦労する爺さんみたいやな。心配せんでも、お前に迷惑なん掛ける気ないから」
「迷惑やなんて。頼って欲しいて言うたばかりやん。次、そんなん言うたら怒るで」
 むっとした設樂に乳嘴を甘咬みされ、甘い疼きに溶けていた躰が発火したように熱くなる。
「何にしても、辞表はちょっと待って」
 設楽の物言いに引っ掛かるものを感じたが、大きな手に包まれた果実を撫でられ捏ねられ思考は奪われ勝ちになった。


<2>
 
 上司の櫻井は設樂と感じが似ている。同僚が言っていたが、淳明もそう思うことがある。
 快活で、曲がったことが嫌いで、フラットな視線で人や物事を判断する。誰からも頼られ、好かれる。
 だが櫻井は、逆にそういった部分で一部の上の者から疎まれてもいた。
 今回を口実にした櫻井の左遷は確実だと、口には出さないが誰もが胸中で思っている。
 消沈し詫びる淳明に、「そう悄気るな。ちょうど関西も飽きてきたところだし、丁度よかったさ」 と、櫻井は事も無げに笑った。そして真顔になって「それより山下、早まって辞表出そうとか馬鹿は考えるなよ」そう言った櫻井は清々しく格好良かった。
 会議後の櫻井との会話を思い出すと、胸が熱くなる。
上司としても、人間としても尊敬できる人だ。
 櫻井を左遷させて自分だけ本社に残るくらいなら、職を失い路頭に迷うほうがまだいい。

「アツ、アツ!」
 名前を呼ばれ見上げると、上から設楽がジットリ睨んでいる。
「いま俺以外の男のこと考えてない?」
「……いや?」
 三白眼になった設楽と無言で凝視め合った後、短くさり気なく否定する。 
「ウソや。顔に図星て書いてあるし」
 はっ、と自分の顔を押さえた淳明を熱い衝撃が突き抜けた。 
「ぅギャッ!?」
「浮気は許さんへんっ。相手は誰なんっ?」
 逆に浮気を疑われ、ぶるぶると首を振る淳明を、問い詰めながら設楽は何度も角度を変え、猛烈な勢いで突き上げる。爆発すれすれの快感と、薙ぎ倒されるような突き上げに呼吸もままならない。
「浮気なんか、するわけ…ない、やろ! 迷惑かけた上司のことが気にな……あっ、あ」
「そんなヤツのこと気にしたら、絶対に絶対に、あかーーーんっ!!」
「アァッ!!」

 お前は、宮◯大輔かっ?
 頭の中では盛大な突っ込みを入れていたが、現状はうつ伏せになって薬を塗った指を突っ込まれている。小さな擦過傷を軟膏を掬った指がこすった。
「うぐっ、痛いやろっ!」
「ホンマ、ごめん。すんませんでした。マジで堪忍」
 平身低頭する設樂は無視して、ひたすら痛みと情けなさに耐える。
 朝までに辞表……無理。
「なあアツ、やっぱ一緒に住も?」
 完全無視。いまケツに薬を塗られながらする話題じゃねえだろう! と、ムカつく頭の中で再度突っ込む。
「この家かて、アツが最初に海辺に住んでみたいってゆうたからここに決めたんやで? 俺という港がありながら、別の家に帰って行くなんて、俺には理解できへんわ。おまけに一日の大半を別の男といるやなんて、俺もう心配で狂いそうやん」
 薬を塗り終わった設楽が、機嫌を取るように額を淳明の背中にグリグリ擦り付ける。
「あのな、お前おかしいぞ。同僚と仕事すんのは当たり前やろ。だいたい男同士の社内恋愛が頻発する会社ってありえへん。そんなん、異常やろうが」
 ピキッと2人の間で音がして、設樂のごめんねモードが切り替わる。
「そっちこそ、大切な融合の最中に他の男こと考えるやなんて、言語道断やん」
「仕事とプライベートを融合させんな。櫻井さんとオレはなんでもないって、いま説明したよなっ」
「アツがなんとも思わんかっても、そいつはアツのこと狙ってるかも知れへんやろ」
「そんなわけ無いやろ、上司やぞ。櫻井さんの人格を知らんくせに勝手なこと言うな。櫻井さんっていう人はな、仕事が出来て面倒見が良くて、大人で……頼れる理想の上司っていうか、人として尊敬の」
 熱弁を振るう頬に、じっとり湿った視線が刺さる。
「アツ。お前、ニブすぎるわ」
 これにはカチンときた。反論に口を開けた淳明を、設楽は手で制した。
「そのオッサンな、転勤なんかせえへんで」
 え? 口を開けかけたまま固まった淳明に、設楽は渋い顔を作る。 
「会社辞めて独立する言うて、夕方、俺んとこ嬉々として電話してきよったし」
「櫻井さんが設樂に……なんで?」
 設樂は不機嫌MAXの顔で口をへの字に曲げた。
「ほんまは言いたくなかったんですけど、アナタの上司は俺のクソ叔父貴で、クサレ飲み友で、計算高い腹ん中まで知り尽くす旧知の仲ですねん。そんな事実、アツ信じてくれる?」
 なかなか繋がらない思考を接続させようと目を瞬かせる淳明に、設楽が真剣な目で迫る。
「嘘とちゃうで。オッサンな、今の会社にはとっくに見切りつけてて、地元人のコネクションフル活用して、着々と独立の土壌固めててん」
 櫻井と設楽が似ている。
 性格がと思っていたが、言われてみれば眉の切れ上がった精悍な面影が重ならないでもない。
「オッサンがアツに辞表を出すなって言うたんは、自分の会社にアツを引き込みたくて、キープしときたかっただけや」
「櫻井さんがオレを?」
 驚いた表情の中に嬉しさを読みとった設楽が、なお不機嫌そうに大きなため息をつく。
「アツ、オレの話ちゃんと聞いてんの? オッサンがアツのことを可愛いがってんのは、部下としてだけやないで。オッサンも俺と同じ筋金入りのゲイで、悲しいかな好みのタイプも俺とドンピシャやからやねんで」
 ドンピシャと鼻先に人差し指を突き付けられ、淳明の目が真ん中に寄る。
「櫻井さんがゲイ? ……まさかお前、俺たちが付き合ってること」
「そんな、オッサンを面白がらせるようなこと教えへんわ。でも、ヤツはなかなか敏いから薄々気付いてるかもしれん。とにかく、新しい会社に誘われても、絶対行ったらあかん」 
 頬を捕えられ、懇願する子供のような目で凝視められる。
「行かんといて。な、アツ」 
 抱きしめられて、キスされて、強請られて。設樂と二人の生活も、悪くない。本当は、気づいていたけれど、素直になれなかった。

 翌朝、櫻井は辞表を出した。
 早足で挨拶回りを済ませた櫻井は、淳明を外のコーヒーショップに誘った。
「お話はありがたいのですが、もう少しこの会社で頑張ってみたいんです」
「残念だな、昨日はすぐにでも辞表を出しそうな勢いだったのに」
「出すなって言ったの、櫻井さんですよ」
 淳明が言うと、櫻井は云うんじゃなかったなと笑った。明るい外光の下で笑う櫻井の笑顔は、確かに設樂のカラリと屈託のない笑い方と似ている。
「路頭を迷わせてから、恩着せがましく拾ってやれば良かった。まあ、俺が拾う前に、どこぞの若造がさっさと回収しちまうんだろうがな」
 淳明が瞬時に顔を朱くするのを見て、櫻井は「仕事、頑張れよ」と言って席を立った。
 まあ気が変わったらと、新しい名刺を置いてゆくところは、5年間、淳明にアタックし続けた甥と似ていなくもない。

 その夜、一旦マンションに戻り、着替えを持って電車に乗った。
 駅前のデリカで軽めの惣菜とワインを買って、潮の匂いのする街を歩く。設樂がいるこの海辺の街が好きだ。だから今夜は素直になって、設樂に「イエス」と伝えるつもりだった。
 設樂の部屋のドアを開け、ベッドを見るまでは。



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◆ なべて世はこともなし ◆
※こちらは『卯月屋文庫』にての公開になり、別窓で開きます。

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「なべて世はこともなし」 水曜日/by紙森
なべて世はこともなし 水曜日


 嫌な予感がしないではなかった。
 淳明が設樂の部屋の階でエレベーターを降りた時、若い男が入れ替わりで乗り込んだ。すれ違いざま、彼の髪からしたシャンプーの匂いに、淳明は覚えがあった。自分自身、昨夜、使った。設樂のところのバス・ルームで。
(設樂の…)
 もしかしたら違っていたかも知れない。しかし「シャンプーの匂い」と思った瞬間、恋する乙女――もとい恋する男の勘が淳明の足を止め、振り向かせた。
 すでにエレベーターのドアは閉まった後で、表示板の数字が下って行く。一瞬の邂逅で記憶された男は、端正な顔立ちで華奢だった。彼の手首なら、あのブレスレットが嵌まるだろう。
(あほな考え)
 そうは思いつつ、淳明の足は一番奥の設樂の部屋に向かって速度を上げていた。
 ポケットから合鍵を取り出す。いつもはドアベルを鳴らして設樂が留守だとわかるまで使わない。訪れる予定にしている日でも他人行儀にいちいちドアベルを鳴らし、鍵を開けさせる淳明に、「入ってきたらええのに」と設樂は言うが、そこは彼の部屋であり、勝手に上がり込むことには躊躇いがあった。それに出迎えさせるのは、ドアを開けた時の設樂の甘い笑顔が見たいからだ。
 しかし今夜はドアベルも鳴らさず、鍵がかかっていると見ると手にした合鍵をすぐさま使った。
 入ってすぐのダイニング・キッチン越しに、奥の部屋が見通せる。こちらに背を向けていた設樂が、玄関ドアの開閉に気づいて振り返った。
「え? アツ?!」
 あきらかに驚いている設樂の腕には、はぎ取られたシーツがかけられ、ベッドを整えている最中だとわかった。
 淳明は無言で玄関から中に入った。すぐにあるバス・ルームはドアが半開きで、換気扇の音とシャンプーの匂いが漏れていた。さっきまで使われていたことをうかがわせる。で、あるのに、淳明から見える設樂は上半身は裸でスウェット穿きであるが、風呂上りの様子に見えない。それは近づいて傍らに立っても同じだった。帰宅してシャワーくらい浴びただろうが、少なくとも「さっき」ではなく、髪も乾いていてシャンプーの匂いはしない。
 では、バス・ルームを使ったのは誰か。
「アツ、え? 何? 今日…」
 慌て気味の設樂を横目に、淳明の意識はパソコン机の上に置かれた灰皿に向いていた。
 灰皿の中には二種類の煙草の吸殻。一つは設樂の吸っている銘柄だが、もう一つは「男の吸うもんやない」と、常日頃見向きもしない細身のメンソールだった。
 黒い物体が視界の下隅に引っかかった。ベッドの下に落ちていたのは、例の黒いレザーのブレスレットだ。その脇には、使ったと思しきジェル・チューブ、開けられたコンドームの箱が。
 淳明の視線がそれらに走るのを感じて、設樂はベッドの下に蹴りこんだ。その時に足元にあったゴミ箱が倒れ、丸められたティッシュ・ペーパーや使用後感たっぷりのコンドームがこぼれ出る。設樂はすばやくゴミ箱の中にそれらを戻したが、淳明にはしっかり残像として記憶された。
「や、これは、その」
「さっき男とすれ違った。そいつ、おまえんとこのシャンプーの匂いがしてた」
「ちゃうんや、アツ、説明させてくれ」
「言い訳やろ?」
「ほんまに違うんや、アキトと俺はそんな仲やなくて」
「アキト?」
 設樂の「名呼び」に淳明は鋭く反応した。設樂はたいてい友人を姓名で呼んだ。たとえ誰もがその人間を名の方で呼んでも、よほど打ち解けない限りは姓の呼び捨てに留める。その習性は設樂自身もわかっているらしく、淳明の反応に更に慌てた。
「違うんや、あいつは、その、俺の『先生』っちゅうか…」
「先生? 何の先生やねん?」
「や、それはその…」
「料理でも教えてくれてんか?」
「まあ一種の『料理』の仕方には違いないけど」
 設樂のらしくない歯切れの悪い物言いに、淳明はショックを通り越して腹が立つ。
 浮気なら浮気だとはっきり言ってくれた方がマシだった。淳明に物足りなさを感じて、つまみ食いしたのなら、愛が無くても欲情する男の性としてわからないでもない。淳明にも過去、異性と付き合いのあった頃に心当たりがある。
 それを「先生」だの何だのと、うだうだと誤魔化す。
 もっと許せないのは、昨夜さんざんに甘く愛を囁き、同棲を促した同じベッドに別の男を引き入れたことだった。淳明のためにここを選んだと言っておきながら。ラブホテルにでも行くならまだしもである。
 やっとついた淳明の決心が、虚しく宙にぶら下がった。
「ほんまにあいつとは、何の関係もないから」
 歴然と事後を物語っている形跡――ゴミ箱の中に存在するティッシュとかコンドームとか――があるにも関わらず、まだ「関係ない」とほざくのか…と、淳明の握った拳は震えた。怒りを言葉に変換するのも腹立たしい。淳明は視線をゴミ箱に向けることで、その腹立たしさを表現した。
 淳明の視線の移動に設樂も気づいた。
「それはベッドを汚さんように」
「つまりは汚すようなことしたってことやな?」
「してないッ! や、したっちゅうか、その」
「したんやろ?」
「してません、最後まではッ」
 この構図は、まるで浮気を巡って対峙する男女のそれだ。浮気の現場を押さえられているにも関わらず、何とか誤魔化そうとする男と、問い詰める女――テレビや映画、巷の事件で描かれる、昔からありがちな展開。恋人のほんの出来心の浮気を、ヒステリックに詰るステレオ・タイプにデフォルメされた女の姿を見て、「こんな女、引くなぁ」と思っていた立場に、今、淳明自身がいる。
 口を開けばその女子キャラ同様に相手を責め立て、醜態を晒してしまいそうで、淳明はそんな姿を設樂に見せなくないし、見たくもなかった。
 惣菜とワインの入ったレジ袋を握りしめる手に、設樂がそっと触れてくる。
「これ、一緒に食べよう思て、買うて来てくれたんか?」
 拳を解せと言うように、設樂の大きな手が淳明の手を包み込む。淳明が力を抜いて緩めると、レジ袋は設樂が引き取って、床に置いた。彼の腕はごく自然に淳明の腰に回り、引き寄せる。
「ほんまに何もないから。ちゃんと説明させて」
 密着した腰の間で、設樂が緩く『主張』を始めた。
 こんな状況でよくソノ気になれるものだ。抱きしめたら次はベッドに押し倒すパターン。それでなし崩しになって機嫌が直るとでも思っているのか――淳明は解けた拳を握り直す。それから設樂の片足を踏みつけた。
「痛ッ!」
 痛みで怯み離れた彼の鳩尾にボディ・ブロー、くの字に折れた身体に下からアッパーカットを食らわす。設樂はベッドに仰向けに倒れた。
 一発目のボディ・ブローが鳩尾にきっちり決まったらしく、設樂は声も出せず、ベッドの上で丸まった。
「アホ、ボケ、カス、このエロ魔人が!」
 彼にそう罵声を浴びせた淳明は、唇をキュッと噛みしめ踵を返すと、そのまま部屋を飛び出した。
 


 
 階上で人が降りるとすぐに一階に戻るエレベーターが、まるで淳明を待っていたかのように止まっていた。それに飛び乗り一階に下りると、マンションの前にたった今客を降ろしたと思しきタクシーが見えた。流しのタクシーなど通らないところであるのに、間が良いのか悪いのか。乗り込んで駅まで頼むと、タクシーは静かに走り出した。
 一旦、シートに身を沈めた後、振り返った。たちまちマンションは小さくなっていく。設樂の姿をマンションの前庭辺りで見たと思ったのは、希望的観測かも知れない。
(何、甘いこと考えとんのや。あいつは裏切ったんやぞ)
 淳明は今日、残業を終えて一度マンションに戻って出直したため、設樂のマンションに着いた時間はかなり遅かった。月曜、火曜と平日に続けて会ったので、さすがに今日は来ないだろうと彼が考えたことは、想像に容易い。
(同棲にどうしても踏み切れんかったんは、どっかでこうなること感じてたんかも知れん)
 設樂は学生時代を含め、男女問わずによくもてる。だから数多いる対象者の中から彼に望まれて恋人同士になったものの、淳明には常に不安が付きまとっていた。昨日、それはただの杞憂で、設樂は本当に真摯に想ってくれているとわかると同時に、淳明自身も彼を無二の存在だと思い知った。だから今までの不安を払拭し、あの腕に飛び込む覚悟を決めたのに。それがわずか一日…、いや半日あまりで不安は舞い戻り、的中した。
 

『ほんまに何もないから。ちゃんと説明させて』
 

 たとえ何か事情があるにせよ、ジェルやコンドームを使うことをあの男としたのは事実だ。これから先も説明を要することがないとは言えまい。
 ボトムのポケットで携帯電話が震える。おそらく設樂からの電話だろう。しかし出てしまうと今度はタクシーの中であることも忘れて、淳明は彼を詰るに違いなかった。
 少し頭を冷やし、湿っぽい中にもどこか一線を引いたドライな関係に戻ろう。
(『別れる』とは思わんのか)
 完全に断ち切る勇気のない自分を、淳明は嗤った。
 駅に着いてタクシーを降りた時、淳明はふと周りを見回した。設樂が先回して来ていないかと、無意識に探している。
(ほんま、アホやな、オレ)
 ホームに入ると、ちょうど淳明が乗車する電車が進入してくるところだった。ラッシュ時以外は一時間に二本しかないダイヤであるのに、タイミングが良すぎる。エレベーターといい、タクシーといい、設樂との間を隔たせようとする見えない意志が働いているのではないだろうか。やはりこの関係は永く続かない運命なのではないか。
 電車に乗り込み座席に座って、手の中のパスケースを見た。市営地下鉄の通勤定期とICOCAが背中合わせに入っている。ICOCAは設樂のところに通うために購入したものだ。
 パスケースには他に、カードのようなものが入っていた。なんだろうと取り出すと、櫻井がくれた名刺だった。新しい会社の連絡先と並んで、携帯番号が印刷されている。
 顔を上げると、向かいの窓にどんよりとした表情の『男』が映っていた。
 淳明は独りの部屋に、まっすぐ帰りたくない気分になった。
 
                         


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「なべて世はこともなし」 木曜日/by紙魚
なべて世はこともなし 木曜日 


「あの、オレはもう……」
「そんなこと言わずに、俺の独立祝いだと思って付き合えよ」
 薄いグラスに赤ワインが注がれるのを、淳明は半ば諦めの面持ちで眺めた。
「櫻井さんの独立祝いは、ちゃんと企画していますよ。矢沢さんが張り切ってて、北野町の店を予約したそうです」
「それはそれ、これはこれだろう。前から、お前を一度ここに連れてきてやりたいと思っていたんだ」
 迫る山と海に挟まれた港の町の夜は、遙か東の彼方にまで長く長く光の絨毯が続いていく。天の川を思わせる光の連なりの中心に君臨するように、櫻井の連れてきてくれたバーはあった。
「こんないい店に連れてきてもらえて、光栄です」
 シックだが構えすぎない設え、やりすぎないアレンジが心地良いジャズ。金銭的なだけでなく、精神的にも余裕のある大人の選ぶ店だと、淳明は向かいに座る男に笑い返しながら思う。
「山下なら、すぐこういう店が似合う男になれるさ。ま、俺の下に付けばの話、だがな」
 櫻井の言葉に、淳明の笑みは困ったように弱くなった。
「先日も言いましたけれど、オレはもう少し今の会社で頑張るつもりですよ。でも、いままで櫻井さんの下につけて、オレは本当によかったと思います」
「そうか。手塩にかけて育てた山下にそう言われると、嬉しいね」
 手塩にかけて育てた―― 櫻井には仕事のイロハから教えてもらった。櫻井は淳明の能力を買い、独立時の戦力になると認めたからこそ、淳明に目をかけてくれたのだ。
 そう思うと、なんとも居た堪れない気持ちになる。
「そんな申し訳無さそうな顔をするな。お前の意志以外にも、どこぞの洟垂れ小僧の強力プッシュが掛かってんだろ? あいつの事だ。お前に、泣いて縋りでもしたんじゃないのか?」
 ワインを口に運んだまま淳明は固まり、目を瞬かせた。
「その顔は、図星だな」
 櫻井はクっと口角を上げ意地の悪そうな笑みを浮かべる。そして腕時計をちらりと見て 「まだ宵の口だな、ちょっと付き合え」 と言ってきた。

『飲みに連れて行ってやるから、神戸まで来い』
 この日、残業していた淳明の携帯に、定時で会社を出た櫻井から電話が入ったのは午後の8時も過ぎた頃だった。
 はじめは見覚えのない番号に首を傾げが、スピーカー越しの声を聞いて、前夜、設楽への憤怒を渦巻かせながら眺めた、櫻井のプライベートナンバーだったことを思い出した。
 櫻井は設樂の叔父であり、ゲイだ。ゲイで、おまけに淳明がタイプだという。設樂から教えられ、戸惑いがないわけではなかったが、尊敬する上司の退職ははやり寂しい。そう思ったから来た。
 決して、決―っして、設樂の浮気に対する当て擦りなどではない。

 昨夜見かけた設楽の浮気の相手は、綺麗な顔をした華奢な男だった。
 潮風がすれ違う男の柔らかそうな髪と、軽く羽織ったシャツを煽るのがスローモーションのように、何度も頭の中で再生される。薄羽を透かすような儚げで美しい男。
エレベーターの中で握った拳に爪が食い込む。
 (お前のドンピシャな好みは、オレなんちゃうんかい!?) 
「山下、この階だ降りろ」
 先にエレベーターを降りた櫻井が、振り返って口角をクイッと広げて笑う。
「そんな熱っぽい目で凝視められると、故意にでも勘違いしたくなるな」 
「は?」 
 あの甥に、この叔父アリ。 タラシの血統か?
 七年前、熱烈にモーションを仕掛けてきたのは大学で一緒になった設樂の方だ。元々ゲイでもなんでもなく、「真っ当」な人生を歩んできた淳明は、それなりに女の子にももて、それなりに順調に青春していた。
 それを設樂は、五年間というマダルコシイ年月をかけて、淳明を自分に夢中にさせた。
 (自分から言い寄ってきたくせに。付き合ってくれって、泣いて土下座して頼んできたくせに!)
 昨夜のことを考えれば考える程、拳は慄え、腸が煮え返ってくる。
 設楽に告白された当時、男同士という関係を信じられなかった自分。当時の感情が、設樂によって葬られたはずの懐疑的な感情が淳明の中で息吹を吹き返す。
 一線を越えた自分には、もう設楽しか見えない。でも根っからのゲイである設樂には、世の中の半分が恋愛対象になる。よく失恋した奴を慰める時に使う 「男は(女は)アイツだけじゃない。世界の半分は……」 という、微妙に無責任に聞こえるアレだ。
 付き合いだしてからの二年、自分はずっと心のどこかで設樂の心変わりを怖れていた。
 設楽を好きになればなるほど、愛しいと思えば思うほど、怯えや焦燥が大きくなる。設楽に同棲を強請られても、踏み切れないのもそのせいだ。
 全てを明け渡して、手放しで愛した恋人に捨てられたら。
 そんなことになったら、オレは――。
「山下、小僧に泣かされるようなことをされたのか?」
 指先で頬を拭われる感触に我に返った。
 直ぐ目の前にある櫻井の顔に驚き、タイルカーペットの床を後ずさった。
 十一時も近いオフィスはしんと静まり返り、明かりも付いていない。バーからよりやや低い位置から見える夜景が右手の窓いっぱいに広がり、櫻井の顔半分に仄昏い影を落とす。
 どうして、櫻井は明かりを付けないのだろうか?
「ヤマシタ」 後ずさった淳明を追うように、櫻井がゆっくり間合いを詰める。薄く開いた櫻井の唇から目が離せない。
「気付いてたか? 今日一日、お前はずっと泣きそうな顔をしていた」
 思わず顔に手をやる。指を濡らす自分の涙に驚いた。
「お前、可愛すぎだ」
 設楽も同じセリフを言っていた。これも血統のなせる技か。
 櫻井は暗がりの中で苦笑し引き下がると、慣れた仕草で周囲に目を走らせ煙草を咥えた。
「やれやれ、託卵されたことに気付かず一生懸命育てた可愛い雛を、まだ毛も生え揃ってない馬鹿鳥に掻っ攫われた気分だな。あー、ライターはどこだ?」
「櫻井さん」
 ライター求めてデスクの周辺を探し回るその背中に声を掛けると、櫻井は「はん?」と返事を返してくる。
「オレ、女に走ります」
 ばっと半身振り返った櫻井の口から、ぽろりと煙草が落ちた。
 一呼吸おいて、背後のドアの辺りでブーッと噴出すような音が鳴り、続いてゲラゲラという大きな笑い声がして驚いた。暗かったオフィスに煌々と明かりがつき、櫻井と淳明は同時に照明のスイッチに手を伸ばしながら笑い続ける男を見た。
「失礼。あまりに馬鹿馬鹿しい上に、なお且つ斬新なセリフだったんで、思わず吹き出してしまいました」


<2>

 
 サイドできっちり分けた髪、リムレスフレームの奥の目は鋭く、端正な顔の口元は冷笑に歪んでいる。スーツのトラウザーに片手を突っ込んだ男は、明るくなったオフィスを軽い足取りで歩いてきた。決まりすぎた動作が、まるっぽ嫌味に見える。
 男は、櫻井の煙草を拾うと見せつけるように半分に千切り、ゴミ箱に放り込む。そして苦虫を噛み潰したような顔の櫻井を見、背中が薄寒くなるような酷薄な微笑を浮かべた。
「櫻井、ここでの煙草は厳禁。だよな?」 声は柔らかいが、温かみはまったくない。
 厄介な奴に出くわした。櫻井はそんな顔で前髪を雑に掻き揚げ、息を吐いた。
「山下、この男は俺の共同経営者の立川明人だ。おい明人、俺のライターを隠したのはお前だな。どこへやった?」
「隠す? 櫻井、俺がそんなヌルい事するわけ無いだろう」
 笑顔が冷たすぎて怖い。
「まさか、捨てたのか?」
「ふふ…、二十七個きっちりとな。それより君、昨日は挨拶もなしで悪かったね」
 立川は淳明に向き直り、打って変わった笑顔を向ける。悪魔の冷笑を見てしまった後では、怒られるより笑われた方が百倍怖い。こんな物騒な男と一度会ったら、忘れるわけがない。
「すみません、どちらでお会いしたか思い出せないんですが」
 立川はニヤリと笑ってメガネを外し、セットした髪型を差し込んだ指で崩した。現れた儚げな美貌に淳明は刮目する。
「明人、どういうことだ?」
 明人、アキト……そういえばそんな名前だった。
「別に。シンジが新しいの教えて欲しいって言うから、マンションまで行ったんだけど、帰りにこの彼とすれ違ったんだ」
「新しいのって……?」
 櫻井の顔がウンザリするのに反して、立川は思わせぶりにただでさえ黒い笑みを真っ黒けにして笑う。切れ長の目も、整った鼻梁や唇のラインも。華奢で綺麗な分だけ、立川の黒い輝きは増していくようだった。
「わかっているのに聞くかね。まあいいや。それより君……山下くんだっけ。今更、本気でノンケに戻れると思っていると?」
 いきなり切り込まれて、淳明はぐっと言葉に詰まった。
「戻れるなら、大いに結構。大歓迎だけどね、僕は」
「お前、何いってんだ? 山下はいま坊主と付き合ってんだそ」
「どこのタラシの口が言う? お前だって、下心があってここに連れ込んだんだろうが。お前が平気でそういう態度を取るんだから、お前と似たその甥をと、僕が普通に考えても悪くないよな」
 淳明に激震が走った。全く普通でない論理に、淳明と同じく愕然と立ち竦んだ櫻井を、立川は愛でるように見たあと、淳明に冷ややかな視線を向けてきた。
 立川は設楽狙い。ということは、浮気は未遂?
「幸い、僕はゲイです。しかも君も知らないシンジの特別な趣向も共有できる」
 淳明は、怒りも露骨に立川を睨んだ。
「特別な趣向って、どういうことですか?」
 三人の間に空々しい空気が垂れ篭める。本当は知っているのにみんなで知らないふりをしている。そんな空気だ。
 本当に自分は知らないだろうか?頭の中をそっと手探りして、開けようとするとイヤイヤをする黒い蓋がある。蓋はどうしてか、黒い革製のブレスレットの形をしていた。
「所詮、凡人には理解できない同族の絆というものが、僕達の間にはあるのですよ」
「誰が凡人だ? 勝手に凡人にするな。お前らが超絶非凡人なだけだろうが」
「お黙り、凡人。じゃあ櫻井が僕の趣向に付き合ってくれるとでも?」 
 艶を帯びた立川の視線が横目で撫でた瞬間、ビジネス百戦錬磨の櫻井がピタリと貝になる。
 立川明人、怖ろしい男だ。
 クツクツと余裕の表情で笑い、設樂と特別を共有すると言い切った立川に猛烈に怒りが湧いてきた。
 自分以外の人間が設楽と共有する特別。そんな特別、認められるわけがない。
 言い寄られて五年、付き合って二年。今更こんな猟奇的で凶器みたいな男に、設楽を渡せない。
「どう特別なのか、そんなものは聞いてみないとわからないじゃないですか」
 立川の目の端がギラ―ンと光る。
「ふぅん、受け止める覚悟はあると? じゃ本人から直接、聞けばいい。ほらどうぞ」
 立川の指差す方向を見た淳明の目が点になる。
 映画のシーンのパロディみたいに、涙と洟水でグチャグチャに濡れた顔を新品のガラスに貼り付けて設楽が立っていた。
「……後でガラス拭けよな」
 気の抜けた声で櫻井が独りごちる。
 立川の手招きで中に入ってきた設樂は、涙に濡れて赤くなった目で櫻井を睨んだ。
「睨むな真治、俺は“未だ”潔白だ。大体、なんでお前までこんなところにいるんだ」
「下心をたんまり抱えながら若人の相談に乗っていたのは、櫻井だけじゃないってことさ。さて、シンジどうする? お前のツレ、ノンケに戻るってさ」
 いやいや、それは設楽が立川と浮気をしていたと思ったからで、今はそんなつもりも気持ちも微塵もない。ただ、立川とは共有できて、自分とは出来ないものがあることがすごく悔しい。
「設樂、オレは……」
 とにかく浮気を疑った事を謝ろうとした淳明の前で、いきなり設楽が土下座した。
「アツ、ごめん! アキトとはほんまなんでもないねん。出会ってから九年前。俺にはアツしかおらへん。それだけは信じてくれっ」
「その純情ダイレクトな言い回し、何気にムカつくな」
 設楽の告白に、腕組した立川が半眼で見下ろしながらムッとする。設樂のマンションで見た時は儚げな印象だったが、目の前にいる立川はかなり自己中で傲慢なタイプに見える。年齢不詳、誰の味方なのかもよくわからない。ただ、櫻井とは共同経営者という以外に、ただならぬ関係ではあるようだ。
「オレこそ事情も聞かずに悪かった。とりあえず、浮気の嫌疑は晴れたし、それはもうええから」
 淳明は屈み、設樂の顔を覗きこんだ。関西弁に戻した淳明に、「いいね」と呟いた櫻井に設楽がガンを飛ばす。
 その顔をそっと挟んで自分に向けさせ、淳明は続けた。
「だから設樂、説明してほしいねん。浮気やなかったんやったら、設樂は立川さんとはベッドで何してたんや?」
 うぅ……? 手の間で呻いたまま固まる設楽に、淳明の顔から不意に柔らかさが消えた。口調だけは、穏やかに設樂への自白を強要する。
「なに聞いても怒らんから。設樂は立川さんから一体、何を教わってたんや?」
 立川とは出来て自分とは出来ない秘密。そんな秘密の存在など、許してたまるか。
「うううぅぅ……」
 呻くばかりで、顔中に脂汗を吹き出させた設樂に、淳明の苛々が膨らんでゆく。
「だから、昨日の如何にもヤリましたって感じの、アレは一体なんやったんやって訊いてるんや、オレはっ!?」
 徐々に声にドスが篭っていく淳明の声に、立川が短く口笛を吹く。
「うわぁ、赤裸々。関西弁って普段は可愛いのに、ドスが入るといい感じで脅せて便利だねえ」
 嬉しくもない感想に立川は付け足した。
「シンジさ、もういい加減吐いちまえば? このままじゃお前だって欲求不満で、山下君じゃもの足りなくなるのは必至だろ。あ……これは、失礼」
 ギッと睨む淳明の視線と、「アキト!」という二人分の叱責と叱咤を、立川は同時に掌で跳ね返す。
「設樂……っ」
 淳明の呼びかけに、設楽は観念したようにがっくり肩を落として項垂れた。
 愛しい男の哀れな姿に哀憫の情が湧く。が、これからの自分たちのためにも、「なあなあ」にしてはいけない。淳明は心を鬼にした。
「……の……してました」 設樂は口の中で言い篭る。
「聞こえへん! 二人で何してたんや? いい大人がモゴモゴ口篭らんと、もっとはっきり言えやっ」 
 設楽が目を閉じ、鼻孔を開いておもいっきり肺に息を送り込んだ。
「緊縛のお稽古してましたっ。 ごめんなさいっっ!!」
 渾身の激白と同時に土下座し、ひれ伏した設樂の後頭部を見ながら、淳明の頭の中は真っ白になった。

 満員の終電に揺られる身体は脱力して、なんだか足が痛い。
 ああそうだ、設樂に蹴りを入れたんだった。設樂がオレを縛らせてくれと言ったその直後に。
 吊革につかまり、淳明は重い溜息をついた。

 愛が勝つか、常識が勝つか。車窓の外を、きらきらの街の光が流れてゆく。



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◆ なべて世はこともなし ◆
※こちらは『卯月屋文庫』にての公開になり、別窓で開きます。

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