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紙魚

Author:紙魚
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長らくみなさまから頂戴した拍手コメント・メールへのお返事は、別ブログの”もんもんもん”にてさせて頂いていましたが、2016年4月より各記事のコメント欄でお返事させて頂くことにしました。今まで”もんもんもん”をご訪問くださり、ありがとうございました。く



    
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Category: 筐ヶ淵に佇む鬼は(全16話)

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筐ヶ淵に佇む鬼は <目次>
    筐ヶ淵に佇む鬼は   (全16話)     2012 / 08 / 06  完結  
    

遠縁の男に身請けされることが決まっていた章俊は、筐ヶ淵に身を投げ別の男と心中した。見つかったのは千切れた章俊の左腕だけ。
事件から30年、茹だるような夏の午後、その章俊と瓜二つの男がわたしの前に現れた。
筐ヶ淵明神にまつわる古い伝承と、謎が残る男同士の心中。
封印したはずの過去が目の前で動き出した。
  
 1 ///////// 10 / 11 / 12 / 13 / 14 / 15 / 16 (完)


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Category: 筐ヶ淵に佇む鬼は(全16話)

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筐ヶ淵に佇む鬼は 1

 その男はデスク越しに瞠目するわたしの顔を認めると、その涼やかな目を細めた。
 ほんの数秒、いやコンマ数秒だったかもしれない。その目に浮かんだ躊躇いを消すと、男は待ちますからというゼスチャーをし、客用のソファに腰掛けた。
 
 空気のゆるんだ平日の昼下がり。
 蝉の声と強い日差しだけが盛況で、不動産を求める客足も風鈴を鳴らす風もぴたりと動きがない。屋根も道路も、街中が火鉢の中に入れられたかの如く太陽に容赦無く炙られ、真新しいアスファルトの上では熱気が揺らめいていた。

 わたしはと言えば、客もないのに贅沢はならんと、せっせと通りに水を打ち、扇風機と団扇のダブル活用で何とか涼を確保せんと格闘していた。だがそれも午前中の話で、気温の上がる午後になると扇風機の風も熱風になり、団扇で自分を扇ぐのすら億劫になった。
 時々、隣の駄菓子屋にやってくるガキどもがアイスキャンディ片手に 「おっちゃん、今日も閑古鳥やん」「閑古鳥、カァーカァー」 と冷やかしていく。
 体力を奪う暑さで追い払うのもかったるく、 「へい、困ったもんですわ」 と適当に相槌を打ってやり過ごすもんだがら、ガキどもは図に乗って毎日やってくる。
 角の蕎麦屋で笊2枚を平らげ、自分もアイスを買って戻ってきた。ソーダ味のアイスバーを堪能して煙草を吸って、今度は落ちてくる目蓋と格闘しているところに、その男はやってきた。
 シャツの襟を緩めだらけ切っていたわたしの眠気は、来店した男の顔を目にした途端、一気に弾け飛んだ。

 柔らかい筆ですっと刷いたような切れ長の眼、その嫋やかさとは対照的な眉は、何事にも易く左右されぬ男の小難しさを感じさせる。日本人離れした形の良い鼻と、流麗な線で削がれた顎には小さな黒子がひとつ。
 暑気も吹き飛ぶ浮世離れした男の美貌は、たぶん誰が見てもため息をつくだろう。
 だが、わたしが驚いたのはもっと別の理由でだった。
 わたしには、幼い日の記憶に封印した人がいた。男の顔は、その人物とあまりにも似過ぎていた。
 頭のすぐ後ろでごそりと蠢いた過去に、わたしは人知れず震撼した。黙ってソファに座る男の横顔を見ていると、記憶の海原に重石をつけて沈めていた古い記憶が、この日を待ちわびていたかのように浮上してくる。
 暑さで流れた汗は、いまは別の意味の汗に変わり、冷たく背中を濡らしていた。
 
 記憶の中の人物を初めて見た時の衝撃は、いまだ鮮明に自分の中に残っている。
 当時まだ子供だったわたしは、銅拍子を手に童舞を舞うその少年の美しさから目を離すことが出来なかった。目の前で舞うのは真、天から降りし迦陵頻伽ではないかと真剣に疑ったものだった。

 いま大人のわたしは、茹だった頭をゆっくり振る。
 そんなはずはない。30年も前の話だ。本人が”生きていれば”、私より年上だった彼は50に手が届いているはずだ。
 目の前の男はどう見積もっても20代半ば。
 今年、厄年を迎えたわたしの半分ほどの年齢にしか見えない。しかも私の知っている男の左腕以外は、郷里の筐ヶ明神の深淵に、今も惚れた男と共に沈んでいるはずだった。


 時は終戦を迎え、めまぐるしく変貌する時代に人々は翻弄されつつも、逞しく生きる道を求めていた。誰もが生きることで精一杯だった。そんな折に起こった男同士の心中事件に、人里離れた小さな村は騒然となった。
 亡くなったのが、村の将来を担うと言われた若者と、村一番の顔役の孫であったというのも、皆を仰天させる要因のひとつだった。
 遺体がなければ葬儀も上げられない。消防団が淵の水に網を投げ、長い棒で衝いてふたりの骸を探したが見つからなかった。後に遺体は沈んだままで、形だけの密葬が執り行われたと聞いた。
 捜索が打ち切られた7日後に、顔役の孫の左腕だけが上がった。
 腕が見つかって村はまた大騒ぎになった。一夜明けると、皆、判でついたように事件のことに触れなくなった。
 子供の好奇心を装って曽祖母に尋ねると、口を捻られ「ほなこと口にすっと祟られるけ、ぜって口にすんな」と叱られた。
 口に上げることすら忌まれた男の心中事件は、やがて村に残る古い因習とともに忘れられていった。

 閉鎖的だった山間の村も、今では道路が整備され近代化の波が押し寄せ、村の様相も様変わりした。ただ、筐ヶ明神と二人が眠る深淵だけは、その一帯が御神体ということもあり、手付かずで残っている。
 そういえば、見つかった左腕はどうしたのだろう。ちゃんと埋葬してもらえたのだろうか。 
 不意に水の中を彷徨う冷たい指が、ソーダの風味が残る唇に触れたような気がして、眩暈を起こしそうになった。

 男は黙ったままソファでわたしを待っている。私が仕事をしていると思っているらしく、終わるまで待つつもりのようだ。
 わたしは覚醒しながら悪い夢を見ているのかと、顔役の孫と同じ顔をした男を横目で盗むように何度も見た。男には腕が2本、ちゃんとついている。それでもわたしの本能は納得しない。
 わたしは怖気を振り払うように立ち上がった。
「どうも、お待たせしました。ここは外より暑いでしょう、いまクーラーをいれますから」
 一分の隙なく最新型のスーツを着こむ男に声を掛けて、窓に手を伸ばす。だが、サッシを摘んだ指はわたしの意志を拒むかのように締めようとしない。伸ばした腕に男の視線を感じた。
 もう、暑さなど感じなかった。全身が嫌な汗で冷えきっている。寒いくらいだ。いつ立ち上がったのか、細かく慄え始めた腕をそっと捉まれ、わたしは飛び上がりそうになった。
「どうかお構いなく。僕は暑いのは全然平気です」
 初めて聞く男の声は、30年という歳月を一気に吹き飛ばした。無様によろめいた私は、扇風機のコードに足を引っ掛け、自分が座っていた事務椅子に倒れ込んだ。
「あ、あなたは……」
 彼は接吻する直前のように緩めた唇に左手の人差指をあて、わたしの言葉を遮った。指の後ろで、薄い弧を描く唇が微笑む形で横にすうっと広がる。
 その手首の内側に、長い平行四辺形が3つ並ぶ徴を見つけ、わたしは衝撃を受けた。自分の確信を否定したくて震える頭を振る。
「嘘だ……章俊さんは、確かに…」
 あの時と同じ。わたしを惑乱させる微笑に、全身から力が抜けてゆく。わたしの怯えになど気が付かないように、男は自分の鞄から封筒を取り出した。
「ある土地の買収をお願いしたいしたくて、今日はこちらに来ました」
 机の上に一枚の紙が差し出される。その住所を見て、わたしは頭を抱えた。

 不動産屋を開業して6年、その前は商社で15年勤めた。横浜、福岡、大阪、ロンドンにも5年いた。仕事柄、たくさんの人間に会ってきたわたしの人生の中で、最も美しく最も恐ろしい人がわたしの目の前にいた。


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筐ヶ淵に佇む鬼は 2
 軒先の風鈴を弱い風がちりんと鳴らす。
 わたしは、小虫の羽音にも負けそうなほど、幽かな風鈴の音に我に返った。いつの間にか蝉の声も止んでいた。急激に陽が翳り、辺りに湿気った空気が充満する。 ひと雨来そうだと思った時には、最初のひと滴が窓ガラスを叩いた。
 窓を閉めた小さな店内には、男の仄かな余韻が残っていた。薄暗く、男の動作のように静かで、ひんやりと皮膚を湿らせる。厚い雨雲で暗転した店内で、わたしは閉塞した水底にいるような気分になった。
 
 男は、澤村真之と名乗った。これは、私が知る男の名前ではない。
 他人の空似だろうか? 手首の徴も、実は単なる痣か怪我の後とかで、自分の中の恐れが勝手に記憶に残る符号と重ねただけかもしれない。
 男とは3日後に、一緒に現地を見に行く約束をした。
 澤村は病床についた祖父の会社を手伝うため、大学を中退したと言っていた。今回の土地買収も、わたしの父母の郷里が同じ土地だと人づてに知り、祖父の代理で来たのだという。やれ、ビー・ジーズだアバだのと浮かれ、大学をすべりまくった自分の息子とは大違いだ。
「ま、後を継いでもらいたい店でもないがね」
 猫の額のたぶん半分もない店内は見回すまでもない。ひと目で全てが目に飛び込んでくるのだから。だがこの狭い店が、わたしには居心地のいい城なのだ。贅沢はできなくとも飯はちゃんと食えて、家族も養える。
 質素倹約な子供時代を過ごしたせいか、わたしの欲望はコンパクトなのだ。

 店頭のガラス戸を締めようとすると、朝顔の花が一輪、軒先から降り込む雨に打たれて項垂れている。他の朝顔は午前中に萎れてしまったというのに、この花だけは午後になっても残っていた。
 『息子が独立したら離婚して下さい』
 朝顔の鉢は、私に三行半を突きつけた嫁が、何を思ったか突然持ってきた。離縁される理由が、未だにわたしにはわからない。だが、そのわからないということが別れたい理由なのだと、嫁は言った。いつまでも変わらないわたしに、愛想が尽きたのだと。

 帰り際、一輪残った鮮やかな瑠璃色に澤村が足を止めた。
「それ、家内が鉢ごと置いていったんですよ」
 澤村の眼球だけが、何の気なく説明したわたしを捉え、すぐに離れた。涼やかな目に、冷たさが混ざったのは、ほんの一瞬だったか。全身がぞわりと総毛立った。
 ――― お前も早くお逝き。
「え…… あ、なんですか?」
 澤村は薄く笑って健気に咲き続ける朝顔に囁くと、問い返そうとしたわたしを振り返りもせず去っていった。

 澤村は 「お逝き」 と言った。あの時の澤村の目が頭から離れない。なぜ、澤村はあんな目でわたしを見たのか。なぜ、たったひとつ残った朝顔に逝けと言ったのか。
 澤村が買い取りたいといったのは、私の郷里のあの淵のある土地だった。彼とよく似た男が、愛した男と眠る底なしの淵。
 あんな山ばかりの土地を何に使うのかと問うと、削って造成して住宅地として売りだすのだという。周辺一帯が御神体とされてます、祟られますよ? そう言ったわたしに、「あなた、儲けるの下手でしょう」 と澤村は冷ややかに笑った。
 ハイライトを口に咥え、斜向かいの喫茶店の名前が書かれたマッチで火をつける。
 澤村の冷たい笑い顔がいつまでも頭から離れない。
「余計なお世話だ」
 吐き出した紫煙は、灼熱に喘いでいた街を冷やす土砂降りの夕立に吸い込まれていった。

 ◇ ◇ ◇

 その人は、大広間の末席で真っ直ぐな背筋を更に伸ばし正座していた。
 顎を引き、前に向けた横顔はいつもと変わらぬ凛とした美しさがあったが、これまでに見た彼のどの顔よりも険しく、そしてどの顔より希望を失っていた。
 終戦を告げる玉音放送を聞いたのが半年前。時代が動き出す気配は、いろんなものや形に姿を変えて、わたしたちのまえに現れた。
「このままでは、会社もこの東郷の家も立ちゆかん。この村かて、ほとんどの家が東郷の世話になってんねやで。融資を受けるためにも……ここはひとつ。章俊君、わかるやろ」
 威圧と馴れ馴れしさがが妙な配合で混ざった言葉の語尾が上がる。
 章俊君と名前を呼ばれた彼は、まっすぐ前に向けていた目をほんの少し下げ口を開いた。
「お祖父様のお考えをお聞かせ下さいませんか。お祖父様も、正彦大叔父と同じお考えなんですか?」
 お祖父様もと問われた上座の老人は、
「この話、お前の意にそぐわんのは重々承知しとる。しかし、この戦争で潰れた工場を再興するだけの財力も力も、東郷にはもう残っておらん。情けないがか、もうお前に頼るしか、会社や工場に残ってくれた従業員とその家族の生活を守る道はない。黙ってこの条件を呑んでくれ、章俊」
 頼むと言いながらもその声には、否を唱えさせない不動の響きがある。長きに渡り、この地方一帯を統率し支配してきた東郷家の翁にたてつける者など誰もいない。それは、直系の孫である章俊にしても同じだった。
 黙ったままで、首を縦に振らない章俊に、しびれを切らした正彦がにじり寄った。
「なあ、今までも散々話おうたやないか。早川は、お前を養子にして、将来は朔之介さんの右腕になるよう育てたい言うてるんや。遠縁とは言うても、わしらと違うて早川は押しも押されもせん財閥や。朔之介さんには、政界からの引きもあると聞くで。お前も末は約束されたようなもんやし、我々の会社も助かる。悪い話やない」
「そんなええ話なら、僕やのうて、隆さんが行かはったらええんとちゃいますか?」
「章俊、何言いだすんや」
 章俊の冷ややかな声に、正彦と横にいた夫婦が気色ばんだ。隆とは正彦大叔父の孫で、隣の夫婦の息子だ。隆は章俊と同い年であったが、派手ななりで人を見下した態度をとるので、帰省しても村での評判は良くない。
 俄かに正彦の口角が下卑た形に歪んだ。
「早川の坊ちゃんは、’お前がええ’て言うてはるんやで。お前かて、そこんところはようわかってるんやろ」
「正彦、もうええ加減にせい」 正彦の言葉を叩き落すような恫喝に、襖の陰で隠れ聞いていたわたしまで竦み上がった。
「息子夫婦を流行り病で亡くしてから、お前を我が子のように育ててきた。正直、孫の中でも一番優秀なおまえを手放すのは業腹や。だが、この通りや。苦しい戦争を何とか生き抜いた従業員や工員たち、その家族らを、これからという時に路頭に放り出すわけにはいかん。不甲斐ないこの祖父を許してくれ」
 上座を降りた東郷翁は畳に手をついて、章俊の前で頭を下げた。驚いた参列者たちも慌てて頭を下げる。
「……わかりました。どうか、頭をあげてください。早川には、章俊が承諾したと伝えて下さい」
 話の内容はさっぱりわからなかったが、広間には緊迫を伴う陰鬱な空気が満ちていた。子供だったわたしは興味本位で覗いた襖の傍からそっと離れ、この立派な東郷の屋敷で何が起こっているのか答えを求めて、勝手口へと向かった。
 勝手横の炊事場では、竃釜を囲んで女たちが何やらこそこそ話をしている。耳を澄ませば、「身売り」だの「男妾」だのと、聞いたことのない単語がぽんぽん飛び出してきた。
「ねえ、男妾って何?」
 女たちの背中に向かって声をかけると、面白いくらいに揃って飛び上がってくれた。
「健吉っ、あんたなに立ち聞きしとん」
 立ち上がったのは、小百合ネエだ。花嫁修行を兼ねて、東郷家に働きに来ているわたしの従姉妹だった。
 小百合ネエは私の耳を摘んで外に引っ張り出すと、このことは誰にも言うなと怒った。口止めしたくせに、結局何も教えてくれずにさっさと戻ってしまった小百合ネエに、わたしはあかんべの応酬をした。

「けん坊。またお使いなんか。寒いのに偉いな」
 引っ張られ損の耳を摩っていると、寸前まで広間にいた章俊が声を掛けてきた。


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筐ヶ淵に佇む鬼は 3
 広間で見たのとは打って変わった、いつもの穏やかで優しげな章俊の表情にほっと安堵する。
「耳が赤いな、どないしたんや?」
「小百合ネエが、男妾って何?って訊いたら、いきなり引っ張って……あ」
 言ってすぐに誰にも言うなと口止めされたことを思い出し、気不味さに自分の口を塞いだ。
「やれやれ、人の口に戸は立てられんって言うけれど、特に女性の口には……やな」
 章俊は何が可笑しいのか、くつくつと笑い出した。
「章俊さん、男妾が何か知ってるの?」
「さあね。ところで、けん坊っはいくつになったん?」
「12」
「12歳か。やっぱり、教えられへんな。もっと大人になったら、小百合さんにでも教えてもらい。それよりもう帰るんやったら、筐ヶ淵の外れの平井口まで送ったるで」
 山の起伏にそった村は昨年暮れに嵐に見舞われた。それまで使っていたメインの道が山崩れの土砂で埋まってしまい、いまも通れないままだ。
 瓢箪のような形で分断された村を行き来するには、筐ヶ明神のある筐ヶ淵脇の旧道を通らなければならない。昼間でも薄暗いこの道が、わたしは苦手だった。春が近いとはいえ、日が傾き始めたら直ぐに暗くなってしまう。
 舗装もされていない田舎道には当たり前のように街灯はなく、夜は明神様の朱色のはげた鳥居を照らす鬼火のような灯籠が灯る。夕刻時にここを通りかかり、あまりの不気味さに引き返し、小百合ネエが帰るまで東郷の家で待たせてもらったことが幾度もあった。

 陽はまだ沈みきってはないというのに、山陰になった参拝路に入った途端、薄闇が辺りを包む。
 章俊は歩き出してからずっと物思いに耽っている様子で、黙ったままだった。
「なあ、早川って誰?」
 章俊は不意を衝かれた顔でわたしを見、目を瞬かせてから困った風に笑った。
「ははあ。さてはけん坊、広間の話を立ち聞きしたな?」
「早川ってどこの人? 章俊さん、なにを承諾したの?」 
 別に叱る風でもない章俊に、わたしは図に乗って立ち入った質問を続けて投げた。
「まったくけん坊は、女性陣より質が悪いんちゃうか」
 そう呆れながら笑って、章俊はわたしの頭をコツンと弾く。
「早川っていうのは東京にある遠縁の家で、俺は今度その家の世話になんねん」
「章俊さん、東京に行くの?」
 東京といえば、わたしの両親の家がある。とはいっても、空襲でもう跡形も無くなって今は埼玉に移っているのだが。父の仕事が軌道に乗れば、わたしを呼び戻してくれることになっていた。
 父母のもとに戻っても、章俊と会える。わたしは嬉しくて、章俊を振り返って言葉を飲んだ。
 山の木々から流れだした闇が、章俊の表情を曖昧にする。わたしは章俊であろう顔を見つめながら、得体のしれない恐怖を感じた。
 章俊の白い手が伸びてきて、わたしの手を握る。咄嗟に手を引っ込めそうになった。
「今すぐやないで。大学もあるし、もう少し先の話や。ほら筐ヶ淵や、急ご」
 筐ヶ淵まで来ると、夕暮れの空の明るさが戻ってきてほっとした。だが、参拝路に灯籠の灯火がやはり鬼火に見えて、私は無意識に離れようとする章俊の手を握りしめた。

「けん坊、なんで明神さんに筐っていう名前がついたか、知ってる?」
 筐 (かたみ) というのは竹で編んだ細かい目の籠のことだ。
「昔、この辺は竹やぶで、竹籠を作って村の人は暮らしていたから、筐って地名がついたって、おばあちゃんに聞いた」
「うん、明神さんの平行四辺形が3つ並んだような徴は、編まれた竹やて云われてるな。これは、あまり人に知られとらんねんけど、もうひとつ言い伝えが残っててな、筐(かたみ)は 『形見』、『片身』 の変形した言葉やとも言われてるんやて」
「形見? 形見って、あの死んだ人の思い出にもらうあれ?」
「そう、それと 『片身』 や」
 今しがた話に出た、筐ヶ明神の徴の書かれた灯籠が、水面に点々と昏い光を投げていた。
 明るさが戻って安堵したのも束の間。筐ヶ淵は刻々と薄闇を重ねてゆく。
 対面にある鎮守の森はすっかり山陰に呑まれ、ところどころ朱の剥げた鳥居の異様さだけが目立つ。筐ヶ明神の鳥居の二本の柱の間には、大人の腰の高さで七五三縄が幾重にも巻かれ、神主以外それより奥に入れなくなっていた。お参りに来た人は、この綱の前に置かれた賽銭箱に賽銭を投げ、手を合わせる。こんな変な七五三縄の巻き方をした鳥居は、他では見たことがない。
 風雨に晒された綱と、綱にこびり付いた無数の御札が訪れる者の入山を拒む。筐ヶ明神は子供の目にも奇っ怪な神社だった。

「この明神さん、いつ建立されたんか詳細は誰も知らんねんけど、とにかく古いらしくて、昔は遠くからも願掛けにこの神社を訪れたんやて」
「こんな、地味でちっぽけな神社に?」
 章俊は小さく吹き出した。
「けん坊、ご利益に神社の大きさと地味派手は関係ないんとちゃうやろか」 
「そうかなあ、大きくて立派な方がご利益も大きそうだけどな」
「確かに心の広い神さんやあらへんかったらしいけどな。掛けた願いが叶ったら、お返しが必要やったゆうし」
「お礼がいるなんて、ぜんぜん神様っぽくないよ。叶った人は、なにを返すの? お布施とか、お酒? 僕なら甘いお菓子がうれしいけれどな」
 章俊は勿体ぶるように横目で薄く笑って、「知りたい?」 と訊いた。
 わたしは章俊の婀娜っぽい微笑みにゆるゆる胸をかき回されながら、ゆっくり頷いだ。
「カラダ……の、一部」
「ほんまに!?」
「あ、けん坊、こっちの言葉が伝染っとる」
 勢いで飛び出した方言に苦い顔をするわたしに、章俊は楽しそうに笑った。
 わたしは、この地の方言が使えないと地元の子供たちに虐められたことで、意地でも使うものかと決めていたのに。章俊が相手で、つい気が緩んでしまった。

「章俊さん、僕をからかってるでしょ?」
「違う、違う、揶揄ったりなんかしてないで。ほんまに昔の人は、願いがかなったら、身体の一部をお返しとして切り落として、筐ヶ淵に沈めたてゆう伝承が残っとるんや。子供に重い病が治れば、母親は自分の乳房や手首を。商売の成功を祈願して片足奉納した商人もいたらしい。叶えられる願い事が大きくなれば、お礼として奉納する部分も大きくなる。そやから、昔は片身明神とか形見明神って言われてたらしい」
 目の前の暗い淵の底には、切り取られた人の脚や腕の骨が朽ちて堆積している。
 そんな水底の光景を想像して、わたしは背筋に悪寒を覚えた。こんな気持ちの悪い場所に、一刻だっていたくない。
「章俊さん、もう行こうよ」
 急かしても章俊は動こうとしない。どうしたのかと見上げると、章俊は明神の鳥居前に水面に張りだして造られた能舞台をぼんやり見ていた。過去に章俊が迦陵頻迦に扮し、絢爛なる天上の舞を舞ったあの舞台だ。
 能舞台といっても、屋根もない吹きさらしの水上に木板を渡しただけの素朴ものだ。いまは篝火も祭りの飾り付けもない、ただただ物寂しいだけのその舞台を、章俊は放心したような眼差しでじっと凝視めていた。
 闇に映える横顔の輪郭、切れ長の目も唇も、何をとっても品のある造りの顔に、口許の黒子だけが艶やかな色香を添える。
 わたしはなぜか隣にいる章俊に置いていかれたような不安を覚え、無理やり口を開いた。
「もしお礼をしなかったら、どうなるの?」

 波一つない暗色の筐ヶ淵はひたりと静まり返り、どこか現実離れした異様な静寂に包まれていた。章俊はもう舞台を見ておらず、縄が張られた鳥居の奥を睨むように見据えている。
 わたしが章俊のこんな怖い顔を見たのは、後にも先にもこの一度きりだった。

「鬼が、取りに来る」

 仄暗い闇の中で、章俊の端正な顔がより引き立つ。
 わたしには暗闇に冴える章俊の美しさが、現世のものではない何か禍々しいものに変えられそうな気がして、恐ろしくなった。





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筐ヶ淵に佇む鬼は 4

 鬼が来て、約束の身体の一部と祈願者の一番大切なものを奪ってゆく

 独白に似た章俊の言葉は、まるで己に言い聞かせているような声音だった。
 章俊は舞台を向いたまま、わたしを見もしない。わたしは章俊の腕を力いっぱい掴むと、ぐいぐい引っ張って歩き出した。
「ちょっ、けん坊? 待ってや。そんな引っ張られたら腕が痛いわ。けん坊?」
 わたしは涙ぐんでいた。その涙を誤解した章俊が、わたしに歩調を合わせてついてきてくれる。
「堪忍、堪忍やで。怖がらせ過ぎてしもたわ。今のはただの言い伝えやから。本気にせんといてや」
 もう遅い。平井口についても、わたしは章俊の手を離さなかった。

「けん坊、ここからはもう一人でも帰れるやろう? もう、手をお放し」
 言われてもわたしは、章俊の腕を捕まえたまま放さない。
 章俊が引き返せば、またあの淵の傍を通ることになる。わたしは章俊をあの淵に近づけたくなかった。
 恐ろしい伝承を聞かされたからではない。
 あの淵には、章俊を現界から引き離してしまう『過去』が沈んでいる。
「章俊さん、筐ヶ淵を通らないで帰れない?」
 章俊はふわりと笑うと、顔を近づけてきて、指の節でわたしの額をコツンと弾いた。
 不意打ちのように近づいた白い顎の黒子の艶めかしさに、心臓が騒ぐ。
「なに心配してるんか知らんけど、今は道がここしかないのは、けん坊かて知ってるやろ? さっきの話、まだ気にしてんのやったら、ほんまに堪忍やで。ただの言い伝えや、帰って風呂でも入ってはよ忘れてしまい。それとお祖母ちゃんに、いつも野菜もろてありがとうて伝えといてな」
 そう言ってわたしの手をそっと解くと、暗闇が押し寄せる参拝路を引き返していった。

 わたしには、参拝路に消えた章俊が昏い淵に佇み、放心したように舞台を凝視る様子が容易に想像できる。
 章俊が見ているのは、舞台ではない。舞台に残る思い出だ。
 筐ヶ淵の畔でひとり、章俊は過ぎ去りし日を懐から取り出し愛しんでいるに違いなかった。憧れだけではない、甘いような切ないような感情が膨らんで、わたしの内側から噴き出そうとする。
 その感情の呼び名を、その時のわたしはまだ知らなかった。
 
  ◇ ◇ ◇

 朱い紗の裾が、火の粉を伴に舞う。
 底なしと伝えられる筐ヶ淵も、その日ばかりは黒い水面に映る提灯や篝火の賑やかな光を揺らめかせていた。
 水面に張りだした舞台の背後に、筐ヶ明神の勾配のきつい石段が見える。石段は鳥居をくぐって少し上がったあたりで、暗がりになり、こんもりと茂った鎮守の杜の木々にのみ込まれる。
 淵に向かって建つ鳥居の七五三縄は新しいものに取り替えられ、供え物の農作物、菓子、酒樽や米俵がずらりとその前に並んだ。
 奉納舞が終わるのを合図に夏祭りが始まる。筐ケ淵をぐるりと囲む参道は、奉納舞をひと目見ようと繰り出した村人や露店であふれかえり、普段の静けさが嘘のように賑わっていた。
 祖父や父母たちに連れられ、舞台に近い最前席を陣取ったわたしは、夢見心地で天上の楽に合わせて舞う優麗な舞人を目で追った。水面をわたる笙や笛の音も、煌やかな装束で舞う2人の舞手も、5歳の子供には到底この世のものとは思えず、ただぽかんと口を開けて幻想の世界に呑まれてるばかりだった。
 迦陵頻(かりょうびん)※はこの地方では本来4人で舞う童舞(わらわまい)だ。
 だが、舞人である少年が揃って怪我をしたとかで、その夜は残りの2人の舞手のみが舞台に上がっていた。
 子供ながら共に凛々しく、はっと目を引くほど端正な容姿をした舞手は、雅楽の音と一体となって天空の舞を舞う。
 美しい声を持ち極楽浄土に住むちう架空の鳥、迦陵頻伽(かりょうびんが)。色彩も鮮やかな鳥の羽を模した装束の、長く伸びた袍の布が少年たちが舞うごとに軽やかにひらめいた。華麗で荘厳な舞に、その場にいたすべての者が息をするのも忘れて見蕩れた。
 ちょうどわたしの目の前に来た舞手が金色の銅拍子を打つ。わずか頭を傾げた少年の涼やかな眼と偶然目が合った瞬間、わたしは甘い毒が塗られた針で縫い付けられたように動けなくなった。
 ひらりと背を向けた少年は、番のように舞う少年と銅拍子を打ち鳴らし舞のクライマックスを踊りあげた。
 鎮守の森に、大気が割れんばかりの拍手が沸く。
 網膜にわたしにだけ分かるように笑った少年の口許と、その下の小さな黒子が心に焼き付いていた。
 2人の若き舞手は見事に息の合った典雅の舞で人々を魅了し、わたしの中に生涯消えることのない神聖で艶やかな残像を残した。

 曾祖母の三回忌で帰省していたわたしはその数年後、今度は疎開という形で父の郷里に帰ることとなった。前年、父に召集令状が届いたのだ。戦局は激しくなる一方で、東京は度重なる空襲にあっていたが、ドのつく郷里の田舎はまだどこか長閑な雰囲気が漂っていた。
 その年、夏祭りは自粛するものの神事だけは執り行うと聞いて、わたしは期待に胸ふくらませ筐ヶ明神にすっ飛んでいった。だが筐ヶ明神に奉納舞を納めたのは、以前とは別の少年たちで、記憶の迦陵頻伽とはまるで別物だった。同じ装束を纏い、同じ迦陵頻でも、あのふたり少年たちの華のある舞の足元にも及ばない。
 童舞は稚児舞とも呼ばれる。この時17歳になっていたふたりの少年の奉納舞は、わたしが前に見たあれが最後だったのだと聞かされ、わたしはひどく落胆した。

 イベントがなければ郷里の村は、実につまらない村だ。公園もなければ遊具のひとつも何もない。
 だが、わたしが途方もなく無駄で退屈な理由は他にもあった。わたしには、友達がひとりもいなかった。関東のイントネーションで話すわたしの言葉を、地元の少年たちはこぞって笑いのネタにした。わたしの方も、垢抜けない田舎のガキどもなんかと一緒にされてたまるかと、一匹狼を気取って孤独に耐えた。
 暇を持て余し退屈するわたしを気遣ってか、祖母や叔母はよく用事を頼んできた。
 そのほとんどが、村の顔役である東郷家の屋敷へのお使いだ。
 東郷家には祖父が長くに仕え、引退した今も叔父や従弟の仕事を世話をしてもらったやら、農地を借りたりやらで何かと世話になっている。村のどの家も何かしらで、東郷家の世話になり縁があった。
 そんなこともあって、祖母は畑で良い作物が採れると、決まってわたしに東郷の屋敷に持って行かせた。これが退屈で自堕落な日々の唯一のメリハリだった。

 その日は、大きなスイカを祖母に持たされた。
 甘い果汁をふんだんに貯めこんだスイカは、子供がひとりで運ぶには重すぎた。吊り下げた紐は手の平に重たく食い込み指の先を痺れさせわたしを辟易させた。
 いつもなら、学校の同級生たちがあまり通らない筐ヶ明神の道を選ぶ。だが、その日はスイカの重さに負けて、近道の新道を選んでしまった。
「おっ、ボクちゃんがでかいスイカもって歩いとるぞ!」
 目敏くわたしを見つけたのは、同級生の中でも一番合いたくない少年だった。面白いものを発見したとき特有のはしゃいだ子供の声に、わたしは隠微に舌打ちをした。
「そんな藁みたいな腕でスイカなんか持ったら、ぽきーんて折れるんちゃうか?」
 遠回りになっても筐ヶ淵を通れば良かったと後悔したが、後の祭りだ。
 わたしを取り囲んだ悪ガキ共5人。退屈を持て余していたのはわたしだけではなかったようで、みな格好の餌食を見つけたとばかりに顔を輝かせ、じりじりと包囲網を縮めてくる。その中でも一等背が高くて、日焼けした少年がぐいとわたしの前に出て立ち塞がった。
 それは国民小学校で同じクラスの、多賀四郎だった。


  ※ 迦陵頻:雅楽の演目。極楽浄土に住むという上半身は美女、下半身は鳥の
    迦陵頻伽に扮した男児4人で舞う童舞。
    舞手が手に持つ銅拍子の音は、迦陵頻伽の美しい鳴き声をあらわす。

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テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学