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紙魚

Author:紙魚
近畿に生息中。
拙い文章ですが、お読み頂けましたら嬉しいです。


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*お知らせ*
長らくみなさまから頂戴した拍手コメント・メールへのお返事は、別ブログの”もんもんもん”にてさせて頂いていましたが、2016年4月より各記事のコメント欄でお返事させて頂くことにしました。今まで”もんもんもん”をご訪問くださり、ありがとうございました。く



    
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Category: ユニバース(全80話)

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rose fever 5
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 <ローズ・フィーバー 5>


「ジャスからショウルームになら、いくらでも見に来ていいって伝言も預かってる。今夜ならジャスも遅番だし、混んでなければゆっくりマシンを見せてくれるんじゃないかな」
「今夜、か・・・」
 “外勤”の疲れが錆みたいにこびり付いて身体に残る。
 他人の潜在意識のの中に潜り込むダイビングは、ダイバーの心身にそれ相応の負担をもたらす。今回はトラップを回避した事で、いつもとは比較にならないくらい体力を消耗した。
 黒い瞳が思案するようにアトリウムの外を見る。

 陽は落ち、空は一等星を嵌めこんだ濃紺の闇が西の空に残る太陽の名残を追いかける。
 夜の帳の下りたガラスの向こうに、自分に向かって手を伸ばした男の姿が蘇った。黒いレザーの手袋を嵌めた手がやけに鮮明に脳裏に残っていた。
 あの男は、本当に自分に助けを求めて手を伸ばしたのだろうか?
 そして、墜落。
 あれは自分を守るためではなかったか。いや、そんなはずはない。
 自分の命も危ういのに、何の面識もない人間を守ろうなどありえるはずがない。頭の奥に鈍い痛みを覚え、ダンテに感づかせないよう重い息をつく。あのドライバーは、自分自身が助かるためにエンジンを切ったのだ。

 一連の出来事のことを考えると、どくどくと体内の奥底に潜む何かがざわめき出す。
 何かが起こりそうな予感に耳の後の生え際がチリチリと逆立つのを感じた。

 エレベーターに着くと、発光する長いデッキの反対側から今しがたコンファレンスルームから出てきた数人の男たちが歩いてくる。
 コンファレンスルームのあるフロアーは、一般社員の立ち入りを許していない。
 メンバーの顔ぶれを見たダンテが隣で緊張するのが手に取るように伝わってきた。
 男達は4人。
 上質のスーツに身を包むどの男にも隙がなく、とりまく空気には重い緊張感が漂う。
 アスクレピオス製薬の裏の貌。
 つまり、ノアが本当に所属する部署の幹部たちだ。情報を集め、データを盗み世界を掌握する。
 今やアスクレピオス製薬は薬品に留まらず、政治と金融、そして資源をその手中に収めていた。

「ノア」
 その場の緊張感など気にするでもなく、先頭の男が声をかけてきた。
 他の男達と同じく長躯にダークな色のスーツを纏っているが、醸す雰囲気から明らかに他とは別格であることが伺える。灰色の鋭い眼光。軽く撫で付けた黒い髪。
 シャープな顔の造詣は整っているが、人を寄せ付けない底冷えのするような冷たさがある。
 迅(ジン)・K・クロスト。
 アスクレピオス製薬をいまの規模にまで成長させた男。
 37歳の若さで今の地位につくには、普通の事をやっていたのでは成しえない。能力に恵まれ、ノアたちが集めた情報を最大限に生かす術に長けたジンの手は、清廉でも精白でもない。

 温度のない灰色の目が隣のダンテを一瞥するとそこには誰もいないかのように、ノアの顔に戻った。
 二人は同じ年齢のはずだが、迅の態度にはダンテを気にかける様子は一切ない。存在そのものを無視されたダンテも、ただ硬直して突っ立っている。
 居た堪れない気分でノアも黙り、6人の寡黙な男達で重い空気が流れた。

「ラウンジにいたのか。怪我は?」
「別に」
 エアフライが衝突した報告はすぐに届いたに違いなかったが、翼がガラスにぶつかった衝撃音くらいは聞こえていただろう。
 素早く躰の隅々まで視線を走らせる迅の鋭い眼差しを避けるように顔が俯く。
「今晩、食事に行こう。一度、戻って着替えてくるといい」
 怪我の心配かと思ったら、服装チェックだ。気の抜けた息を吐き、顔を上げる。
 床の発光を受けた鈍色の目が真っ直ぐにノアを見ている。自分を突き刺すようなこの目にぶつかる度、この男の目も心も血の通わない冷たい金属でできているのではないかと思う。

「先約が入ってるから」
 決心がついた。今夜ははBoroth社のショウルームに行く。

 迅が視線だけ動かし、ノアの背後に立つダンテをちらっともう一度見る。
 ひゃああーー!!という突然の叫びに、ノアの心臓がドキッと撥ねた。
 実際に声が出ている訳ではない。ダンテの動揺が強い思念となって、頭の中に飛び込んできたのだ。
『僕のことはいいからっ。な、そっちを優先してくれぇーー!』続けて叫び声が飛んでくる。
 横を見るとダンテの瞳孔は開き脂汗をかいている。唇が緊張で震え、実際今にも叫び出しそうな有様だ。
 力が抜ける。ノアは溜息し、こめかみを押さえた。
 戸惑い困惑するダンテの心の声は、目の前の男にも伝わっている筈だ。黙ってパニックを起こすダンテを、つまらないものでも見るように冷徹な目が見下ろす。そして、ダンテとつるむノアの顔を見ると、小馬鹿にしたように薄笑いを浮かべた。
 迅を憮然と見返しながら、同年齢の男相手に隣で萎縮するダンテに憫察と情けなさの両方をを覚えた。
 ガツンと言ってやれとは思わない。せめて、ビビらないでくれ。

「まあいい、それなら遅くなっても構わない。こっちに顔を出してくれ」
 わざとらしく溜め息を吐いてやる。
「だから、先約があるって言ってる」
「親の言う事は黙って聞くものだろう」 
 黒い瞳が一点を睨む。後の幹部どもの前ですげなく振ってやろうか。
 新世界どころか、今や世界中から冷血と恐れられるこの男に恥をかかせてやりたいという強い欲求に駆られつつ思い直す。
 そもそも迅と同じ匂いを放つ男達は、ジンのプライベートになど興味を持たない。どこかに感情を置き忘れた連中だ。

「わかった。俺も“父さん”に聞きたいことがあるし、気が向いたら行く」
 ノアたちが呼んだエレベーターに、当然のように先に他の幹部たちが乗り込む。最後にジンが乗ると先に乗った男達は迅を囲むように位置に移動し、自らを狙撃から迅を守る盾にする。本当に、ロボットのような連中だ。

「悪くないな。お前から親呼ばわりされるのも、時には面映くて面白い」
 厭味の応酬をさらりと受け流し、迅は嘯く。
 赤は緑に、昼は夜に。
 この男にかかれば自分の言い分など、小虫の羽音ほどに意味を成さなくなる。
 例え動かせない約束があろうと、仕事の最中だろうと、指先一本で合図されるだけで欲望を吐き出すために自分はこの男の元に向かってしまう。

 降下を始めた籠の中の男に目をやると、ガラス越しに迅が口元だけで笑う。何があろうとノアが自分の元を訪れることを見越した余裕の笑いを、苦い思いで見返した。
 ジョーカーは要らない。
 そう思いながらカードを手放せないのは、他でもない自分だ。

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rose fever 6
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 <ローズ・フィーバー 6>

「ハイ、ガイズ」
 正面から転がる甘い声にダンテの顔が崩壊する。
 アトリウムの床に降り立った二人の前に、社長秘書のイブ・ギャレットが立ちふさがった。
 白いブーツに身体の線が美しく強調されるワンピース。
 今日はやけに余計なものに出くわす日だ。
「やあ、イブ。今日もとびきりの美人さんだね。君が視界に入った途端、世界が一気に華やかになったよ」
「ダンテ、上手ね」
 ダンテの歯の浮くお世辞に、溶けかけのキャンディーを思わせる目が輝き、意味深にノアの顔を見た。
 マロン色の絹糸の髪に濡れるようなグリーンアイ。肌は透けるように白い。
 どう?とばかりに挑んでくる得意げな瞳をノアは何気にかわす。

 巨大なアトリウムのカフェは社内でもちょっとした人気スポットだ。
 交した視線の先で、カフェの人だかりからじっとりノアを睨んでいる男と目が合う。ヤバイなと思った。イブに気のある同じ秘書室の男だ。
 目を逸らすが、眉間に突き刺さる視線がやたらと痛い。
「ノアったら、全然つかまらないんだもの。ねえ、もう仕事は終わったんでしょ。これから食事に行かない?」
 あの男はどうすんだ。目で訴えると、ほっとけばいいわと首をすくめる。身勝手さは変っていない。
 男がおもむろに立ち上がった。
 身長2メートルはありそうなやたらとデカイ男がノアを睨んだまま、真っ直ぐこちらに向かってくる。
 自然と足が後ずさる。面倒は御免だ。目立つのも願い下げ。
 腕を絡めようと、虹色のエナメルで飾った爪先が延びるより先に、ダンテの肘を掴んだ。

「悪い。今夜はダンテと約束あるから。じゃあ・・・」 またな、とは言わない。
「え?イヴも一緒でいいじゃない?」
 扉の締まりかけたエレベーターに勝手な事を口走るダンテねじ込み、自分も滑り込む。
 降下するガラス越しにプライドを傷つけられ歪むイブの顔と、ライバルを威嚇する男の顔が同時に消えた。
 煌びやかな夜の摩天楼をガラスの箱は落ちていく。外を大きなエイが横切りその後ろを魚の群れが追いかける。
 100人の男がみれば、全員がイブの美を賞賛する。甘やかされ誉めそやされる事に慣れた女は自分が振られるなど、努々思いもしない。

「ノア、勿体無い。イブを狙ってる男は多いんだよ。可愛いくて、ちっちゃくて、まるで歩くお人形さんみたいじゃないか」 
 ダンテの口元はだらしなく緩んだたままだ。背後に迫る牡丸出しの猛獣は目に入らなかったらしい。
 ジャスに言いつけるぞ。
「お人形さんって・・・オッサンがいう言葉じゃないだろう?聞いてるこっちがむず痒くなってくる」
「僕が白皙の美青年のままだったら。ああ、勿体無や、勿体無や」
 嘯きつつ、褐色の顎に手をあて惜しそうに首を振る。

 イブは見かけこそ歩くお人形でも、歩くだけじゃ終わらない。
 自分から押し倒して、跨って、主導権をとったりもする。
 そこもまあ、可愛いかな。
 ただし、頭の中は結構計算高くてえげつない。
 ひとりで悦にいるダンテを横目に、ゆるく笑って知らぬが仏ということにしておくことにした。


PM08:00

 アップタウンでモノレールを降りた。
 長く連なった車両から流れ出た人の波に乗って駅に面した広場に出る。商業エリアであるこの地区は一流品を扱う店が軒を連ね、昼夜関係なく人で賑わう。
 歩き始めたノアの目の前を、服飾ブランドショップの壁から出てきた3Dのモデルが流れるBGMに乗せて横切り、広場の中央でターンを決めた。モデルがコートの裾がひらめかせてポーズを取る度、頭上で光る数字の桁が上がる。数字の上には「ローズ・フィーバー撲滅チャリティオークション」と点滅していた。
 
「ノア!来たわね。待ってたわよ」
 建物そのものを巨大なショウケースに見立てたBoroth社のエントランスを潜るなり、ふくよかなチョコレート色の巨体を揺らしながら近づいてきたジャスがノアを抱締めた。
「仕事中だろジャス。ホント、久しぶり」
 ローズ・フィーバーが流行して以降、人々は抱擁の習慣を捨て去ってしまったが、ノアに会えばジャスは必ずその太く温かい腕に包んでくれる。
 そしてその抱擁はダンテの笑顔と同じく、いつもほんの少しノアの心を不安定にする。

「ほんとに久しぶりなんだから、カッコいいその顔をもっと見せなさいよ。あら?ダンテ軍曹は」
 ノアの頬を厚い手で挟み優しい笑みでたっぷり見上げた後、ようやく自分のパートナーの不在に気付いた。どれどれと、おでこに手を当てダンテを探すおどけた仕草かキュートだ。
 かなり年上だが、イブよりも100倍可愛い。
「急な残業が入ったんだ。薬品の配送ミスで手配し直すから今夜は遅くなるって」
「んーもう、ドジなんだから。まあいいわ。ノアが来てくれたんだもの、私は大満足。ね、試乗のことはごめんなさいね」
「ジャスが謝る事じゃないよ。こっちこそ、困らせたんじゃないか?」
 褐色の肌に乗っかる迫力あるピンクの唇を、ぐんと広げてジャスが笑う。

「まっさかあ。乗せてあげたくて、こっちが勝手に気を回したのよ。今日は生憎システム不具合を起こしたWBがドックに入っていてテクニカルスタッフの話は聞かせて上げられないけれど、このジャス嬢が隅から隅までご案内して、たっぷりご説明するわ」
「WB・・3001?」

 ナイトブルーに一閃する銀の流線。
 墜落するマシンを自在に操る黒いライダースーツ姿の男がこちらに手を伸ばす。
 ドクン。と、ひとつ胸が鳴った。



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rose fever 7
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 <ローズ・フィーバー 7>

「ジャス、不具合のマシンって、もしかしてナイトブルーにシルバーのラインの入ったやつ?」
「ノア、まずはここに名前を入力してくれる?入店キー発行するわ」
 受付カウンターに引っ張って行かれ、ハンディタイプの電子タブレットを渡された。
「ああ、最後にサインも忘れないで。ここのサークルの中を指で押すだけだから簡単よ。それと丁度いま、シュミレーションシートが空いてるの。子供騙しだけど、結構面白いわよ」
 ぽっちゃりとした指先がタブレットの一角を指さす。
「あのさ、ジャスその・・・」
「もちろん試してみるわよね?」 おおらかで茶目っ気のある笑顔が見上げてくる。
 それで確信した。客の個人情報を無闇に漏らせないジャスは、ノアの質問には答えられないのだ。
 
 我ながらしつこいと思いつつ、下を向いて入店キー発行の操作を始めたジャスに食い下がる。エアフライのライダーへの興味が、どうしても”事情”を上回る。
「ねえ、ジャスって・・・うわ?」
 身を乗り出したノアにベージュの塊がぶつかって来た。その瞬間、どろりと黒く濁った思念がノアの中になだれ込む。重い鋼の板で強打されるような衝撃がノアを襲う。息が詰った。

「失礼。ホーリーだが、表にあるモデルについて少し聞かせてもらいたいのだが」
 ぶつかって来た男は紳士的な口調で軽く詫び、すぐに本題に入った。応えるジャスの声に、ホーリーに対する不快感の硬さが混ざるも、すぐいつもの営業的な愛想のよさをとり戻し応対を始める。
「ホーリー様ですね。すぐにご説明できるスタッフをご用意致しますわ。お待ちいただく間、こちらにご記入いただいても?」
 男の前にも、ノアと同じタブレットが出され薄い手袋を嵌めた手が受け取った。
「ああ、今日はあまり時間がないんだ。早めに頼むよ」

 やや温度の下がったこの場の空気を和らげようとしたか、ホーリーの片頬が緩んだ。いや、ホーリーと名乗った男はこの状況を楽しんでいた。
 ふたりの会話が薄い膜の向こうから聞こえてくるような気がした。声の感じからして4~50代だろうか。
 タブレットに記入するホーリーの身体はノアに接触したままだ。
 おおよそ人の身体とは思えぬ硬い感触がノアの腕や脇腹に当たる。ホーリーは、痩せた身体をノアに寄せる事で上着の陰に抱えたものを周囲から隠していた。硬くて冷たくて、不吉な塊。

 気づかれぬよう、男の思念に自分を同期化させていく。
 自分の思考を完全にブロックし、ホーリーの心の扉に手を掛け重い扉を押し開いた。

 思念がシンクロした途端に押し寄せる、気狂い染みた高揚感にブロックした心が軋んだ気がした。
 昂り、澄み切った狂気の底に沈鬱とした泥濘が横たわり、破壊的かつ排他的なホーリーの本質が沈む。
 自分に殺される被害者の流す血と涙にまみれ、恐怖に引き攣った懇願の顔に快感を覚える異常者。いまホーリーは自分が満たされるその瞬間を、自分の狂喜する欲望をぶるぶる震わせながら待ちわびていた。

 小さなマイクで手の空いたスタッフを呼ぶジャスが、少し待ってと目でノアに合図する。
 ノアは頷きながら、少し身体をずらして男との接触を解いた。
 ほんの7~8秒の接触で気分が酷く滅入った。胸にタールのようなドロドロした澱が残っているような気がして、吐きたい気分だったが、今はそれどころではない。

 男は猟奇的な嗜好を持ったプロの暗殺者だ。
 そして、男はその紳士然とした表面とは間逆の狂った欲望をもって、チャンスの到来を待っている。
 ターゲットはジャスか自分か?それともショウルームの客か。違う。
 この男は誰の登場を待っている。

 緊張に呼吸を浅くするノアの視界の端で小さなライトが点滅した。
 新たなる来客の知らせにショウルームのエントランスを振り返ったジャスの表情が、嬉しげに綻ぶ。
「ミズ、ジャスティス」
 低く厚みのある柔らかな声がジャスを呼んだのが合図だった。
「伏せろっ、ジャス!」 ノアの怒号が響く。
 何もかもが、スロ-モーションのように思えた。

 ホーリーの左手が上着の中に伸び、ジャスは叫びながらカウンターの陰にしゃがみこむ。
 非常警報が店内に鳴り響いた。
 ノアは上体を沈め、自分の肩越しに突き出されたホーリーの腕を足で薙ぎ払った。
 反動で天井に発砲したあと、銃はホーリーの手を離れた。警報音に銃声と若い女の悲鳴が重なった。固い床の上を回転しながら滑ってゆく鈍色の銃に、店内が騒然となる。

 身体を起こしたノアの目の前を、白銀の刃が一閃した。
 刃先に触れた前髪が目の前で切断され、ハラハラと落ちてゆく。
 ノアが抜きん出た反射神経の持ち主でなかったら、目蓋と鼻を同時に削ぎ落とされているところだ。

 ノアの背中は後に柔らかく撓り、ぐるりと方向を変える。起き上がる反動でスピードをつけ、渾身の回し蹴りを見舞う。遠心で勢いがついた足は、スコンと宙を蹴った。
 ・・・・え?
 体勢を崩し、派手に尻餅をついたノアの足の間に、ナイフが音を立てて落ちてきた。
 切れ味よさそうな刃に、困惑気味な自分の顔が映る。
 刃渡り20センチほどのナイフは新品同様の白刃とは対照的に、柄は中心よりやや刃に近い部分が黒ずんで、手指の形にすり減っている。殺人鬼の癖と殺戮の記録を無理に見せられた気がして、嫌悪に眉を顰めた。

「あ・・・つっ」
 打った腰に鈍痛が走る。
「ノア、大丈夫?痛くない?」 控えめなジャスの声。
 差し出された女の子らしい可愛い色の爪がついた肉厚の手を、脂汗を垂らしながら丁重にお断りした。
 空振りで大回転してコケるなんて、カッコが悪すぎる。
「全然・・・」 大丈夫じゃない。プライドが挫けてかなり痛いんだ。

 痛みを堪えて立ち上がる。状況を把握したノアの口が、不機嫌っぽくグイとへの字に曲がる。
 ホーリーは、突如湧いて出た第3の男に既に羽交い絞めにされていた。
 一瞬の出来事だった。
 ノアが身を挺してホ-リーの銃を薙ぎ払い、ナイフの一撃を避ける間に新顔は犯人をあっさり制圧。ケッカオーらいだと思いつつ、どこか割り切れない自分がいる。
 平静を装ってシャツの乱れを整え、さしてついてもいない埃を払う。伸縮性のあるボタンダウンのシャツは流行の20世紀スタイルの復刻もので、目下、一番のお気に入りだ。
 袖の皺をしつこく伸ばしつつ、ついでにガラスに映った自分を見ながら普段気にもかけない髪型も整えた。
 腰が痛ぇ。

 喉を締め上げる腕がほんの少し角度を変えただけで、ガラスに映るホーリーの細い喉がグエッと鳴る。
「おい、力を加減をしろよ。警察に引渡すまでに窒息させたら、なにかと面倒だぞ」
 ガラスに映る意気消沈したホーリーは、痩せている他はこれといって特徴のない顔をしていた。
 覇気もなければ存在感も薄い。この男が人ごみに紛れ込んだら、たぶん誰もこの男を見つけられない。

 平凡な顔の下に、異常な心理と狂った欲望を隠して人の群れに紛れ込む。
 ホーリー(聖なる)という偽名が、このどこにでもいそうな男の存在を一層不気味に思わせた。

「誰に頼まれたの?教えてくれないと、ノドつぶしちゃうよ?」
 低く柔らかな声が、声音とは反比例の物騒なセリフを吐く。

 いいわけないだろう。あらためて、声の方向に向き直った。
 フルフェイスのメットに見覚えのあるライダースーツ。

「あ。」

 同時に声を上げたライダースーツの男は、腕に捕らえたホーリーを放り出した。



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rose fever 8
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 <ローズ・フィーバー 8>

 一体、何が起こったのか、わからなかった。
 甲高く鳴り響く警報の中、拘束から逃れたホーリーが咳き込みながら逃げていく。
「な、んで?」 理由を考えるより先に、身体はホーリーの背中を追っていた。

 酸欠状態にあったホーリーの足取りは重く、今なら簡単に捕まえられる。あの男を野放しにすれば、自分の中に禍根が残るに違いなかった。
 ホーリーを追ってしなやかに跳躍するその身体が、後ろから拘束された。

「な・・・?なにやっ・・・放せっ!」

 逃げるホーリーが途中で自分の銃を拾い、走りながら前方に構える。
 退路を塞いだ店内案内用のガイドロボットが吹き飛び、続けて正面のガラスに穴が開いた。2度、3度。ガラスは砕け、ベージュ色の上着の背中がその隙間に身を躍らせる。
「お前、待てっ!」 
 ノアの叫び声に、ガラスを潜ったホーリーが振り返った。

 平凡な顔に背中が寒くなるような凶悪な笑いを浮かべ、ゆっくり銃を持ち上げる。
 拘束する腕の中でノアの身体が硬直する。
 照準は背後で自分を羽交い絞めにする男。の、はずだが、2人の間には自分がいる。
 幸せな夢の中になら囚われてもいいと、そう思ったこともある。だからって、こんな最悪な夢は好みじゃいない。そして、これは夢ではなく現実だったりするのだ。
 ホーリーよ、間違いなく後ろの男に当てる自信はあるのか?思わず、人非人な問いが頭を掠める。

 狙いを定めたホーリーが笑みを濃くする。
 凄惨で狂気に満ちた笑みに、体温が一気に2度ほど下がった。
 離れていてもホーリーの昏く興奮した息遣いが伝わってきそうだ。
 銃口が青白く光った直後に頭の斜め上で何かが弾け、ジャスの悲鳴と共に床に硬いものが落ちる音がする。

 瞬きした次の瞬間には、ホーリーの姿は消えていた。身体に回された男の両腕はノアの身体を抱きこんだまま、ぴくりともしない。
 音からして、床に落ちたのはヘルメットだ。
 首ごと持っていかれている可能性は・・・・?
 店内に流れるBGMが、警報機の電子音と相俟って鼓膜を破りそうなくらいの大音響に聞こえる。

 密着する背中にいやな汗をかく。
 足元から得体の知れない震えが這い上がってきて、カタカタと小さく奥歯が鳴った。
 その時、ノアを拘束する男の腕が震え出した身体を抱き締めた。

「ふるえてるよ?恐かったんだね。かわいそうに。大丈夫?」

 耳に温かい吐息を感じ、ぎゅううっと更に腕が狭まる。瞬間、頭の中が沸いた。
 前に足を振り上げ満身の力で男の脛を蹴る。振り返りざま後ろ手で肘鉄を喰らわした。
 振り返り、自分の側頭を押えながら沈み込んでいく男を、腕を組んで睥睨する。
 転がったメットの側面には、弾痕が深く抉った痕が残っていた。下を向く長めの金髪が覆う頭には、かすり傷ひとつない。
「さすが高級品」 厭味っぽく吐き捨てる。 

「ノア・・・。ああ、大切なお客さまになんて事を」 両手で顔を覆ったジャスが目を丸くして突っ立っている。
 暗殺者に射撃されて無事だった男は、肘鉄で負傷してしまった。

 逃げたホーリーはこの男に執着をしていた、きっとまた狙ってくるだろう。
 殺人鬼を捕まえるチャンスだったのに。
 蹲る男の背中を見ていると腹の虫が騒ぎ出して、もう一発蹴りでも見舞ってやりたくなる。
 遠巻きに自分たちを見ている他の客やジャスの手前、そこは荒々しく鼻息を吐いて抑えた。
 
「なんで放す?!あいつはイカれた殺人鬼野郎だ。必ずまたあんたを狙うぞ」
 我ながら、地を這うような声だと思う。
「だって、あぶないもの。君がおいかけるのは、よしたほうがいいと思って」
 スナイパーひとり制圧できなければ、今頃とっくに命を失っている。自分には百戦錬磨を切り抜けてきた経験と自信がある。ホーリーが殺人鬼に見えなかったのと同じように、自分も本職が透けて見えては困るのだが。
 たかが肘鉄で蹲る男の、「君がおいかけるのは、よしたほうがいい」というフレーズに、我ながら青いと思う腸がぐつぐつと煮えた。
 
「危ないってな・・・うちのビルに突っ込むあんたの方が、よっぽど危ねえだろうがっ。そうだ、破損したラウンジのガラスは、お宅に弁償してもらうからな、そのつもりでいろよ!」
 男は、側頭を押えたままの格好で蹲り、何も答えない。
 これが地上400M空中で、エアフライのエンジンを切るという英断を下した男だとは到底思えない。
 まさか・・・別人?

 自分の中に気まずい空気が流れ出した頃、男がゆらりと立ち上がった。
 側頭を押えた男の身長は屈み気味なのにもかかわらず、頭3分の2こ分くらい高い。
 間合いを詰めてくる予想外の長躯に自然と身体が引いた。
「いくら?」
「は?」
 男が近づけた顔を上げた。押えていた手を離し、長めの髪を煩げに掻き上げる。鮮やかな紺碧の夏の空を思わせるサファイアブルーの瞳が現れ一瞬、言葉を失う。

「払うから・・・・ガラス代」
 完全に方向を失った会話に、瞳に吸い寄せられた思考が戻り、脱力した。

「俺に払ってもらうわけじゃないし。そういうのはウチの経理か弁護士にでも聞いてくれ。ただな、あのガラスは特殊硬化ガラスだから。半端な額じゃないのは確かだろうな」
 意地悪い笑みがノアの顔に貼り付いた。
「高いの?それじゃあ、苦情がきちゃうかな」
 お前に行くのは、苦情じゃなくて請求書だ。憮然としたノアの顔にうんざりが加わる。
 請求書に加え、もちろんアスクレピオス製薬顧問弁護士からの謝罪要請と、警察からの出頭命令も洩れなくついてくるだろう。

 いちいち間の抜けた男の応えに、気持ちが逆撫でられイライラが増幅する。
 正直、幻滅していた。
 スピードと一体化し、絶体絶命の際で起死回生を果たした男。
 手前勝手な想像で申し訳ないが、自分の中で出来あがったライダースーツの男像は、人並みはずれた肉体と強靭な精神を持つクールな男だった。間違っても、澄んだ子供の瞳で惚けたことを口にする優男ではない。
 エアフライが夕陽を反射させながら視界から消えた時の、胸が踊るような高揚感と寂寥の思い。
 再会しない方がよかった。
 
「ねえ、君・・。ノアっていうの?」
 物思いに耽る顔を上げると、目前に黒いグローブの指先が迫る。
 咄嗟にラウンジでの出来事が蘇り、男から身を引く。ラウンジで感じたのと同じく、自分に伸ばされる男の指先に得体の知れぬ畏れを感じた。明確な理由があるわけではい。本能に近い感覚。

 だが、人並みはずれた反射神経と動体視力を自負するノアの動きよりもさらに早く、男の両手はノアの頬を捕まえていた。



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rose fever 9
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 <ローズ・フィーバー 9>

 瞬発的に頬を挟んだ皮手袋の両手首を掴む。剥がそうと力を入れるが、金髪男の腕は石像の腕みたいにびくともしない。
 
 澄み切った空のような青が目の前に迫ってきた。
 鼻筋が通り質量感のある唇は軽く引き結ばれ、その下の顎はほんの少し突き出ている。
 繊細というのではないが、育ちの良さが滲み出る温厚そうな柔和な顔つき。
 悪いほうに言い換えればどこか1本足りない感じだ。
 ホーリーのような、叩きつけるように迸る強い思念は感じないが、もしかしたらあまり刺激しない方がいいタイプの人間なのかもしれない。
 手首からゆっくり手を離した。

「放せよ」
 男が笑みを零す。青い瞳に、濡れたような甘さが混ざって細まった。
「今日はびっくりさせて本当にごめんね。とつぜん、衝突回避システムが逆作用して、コントロールができなくなって僕もびっくりした。君がぶじでほんとうによかった」
 音の端っこが少し掠れた低い声。知性を匂わす声質に、棒読みっぽいしゃべり方。奇妙なバランスに違和感を感じながら、呑み込まれそうに青い瞳を睨み返す。
 男は目と目を合わせるようにノアの顔を少し持ち上げ、自分の顔をさらに近づけてきた。
「ちょ・・・」

 止めさせようと開いたノアの唇が声を発しないまま薄く開いた状態で止まった。
 男の瞳を通じて「青」が大きなうねりとなって押し寄せてくる。頭の中が隅々まで澄み切っていくような感覚に目を逸らすことができなくなる。
 この感覚は知っている。 

 何もかもが鮮やかに色づき、不安など何処にもない。
 全てが受け入れられ、眩しい光に満たされていく。
 硬く閉ざされた世界が次々開け放たれていく感覚。
    光の中に飛び込め。
 

 放心したように固まるノアを見おろす男の口許が綻ぶ。
 その青い虹彩の底で小さな閃光が走ったことにノアは気がつかない。
 頬を捕らえた大きな手がまた少しノアを引き寄せ、ノアは深い夢から覚めたかのように我に返った。

「あ・・・・」
 金色の房がノアの目尻に触れた。
 あまりの近さに絶句するノアの眉間にさっと深い皺が寄る
 吐息がダイレクトにノアの唇を掠めたところで、男の肩を押し戻した。

「あんた、いい加減にしろ。でないと・・・」
 大きな手がそっと頬から離れる。胸にそれと認識できないほどの寂寞感が湧いた。
 生まれた感情に困惑するノアに男が口を開いた。

「さっきの人をにがしちゃったことも、おこってる?こんなのはいつもの事だし。あ、もしかして君って、本当は警察の人?ねえ、きみ身長のわりに細いよね。ちゃんと食べてる?」
「は・・・?」
 要点がどんどん横滑りする男のセリフに、とんでもない内容が混ざる。
「ああいうのって・・・、しょっちゅうあるのか?」
 400Mを落下したり、命を狙われる日常って、一体どんな生活だ。

「随分とエキサイティングな生活をしてるんだな。生憎、俺は警察じゃないし、幸いな事にお付き合いはこれ一回きりだ」
 ジャスや他の店員が、帰り始めた客に詫びながらエントランスまで誘導している。本来なら警察が来るまで目撃者は残しておくべきだとは思うのだが、正直なところ自分も警察とは関り合いたい方ではない。
 早々に引き上げを決め、客を送り終えたジャスに声を掛けようと踏み出したところで先を越された。

「ミズ・ジャスティス。エアフライのこしょうの原因はわかった?」
 ジャスの顔がぱっと華やぐ。パートナーと同じく美形に弱いのだ。
「テクニカルから上がった報告では、プログラムそのものには問題はなかったんですけど、念のためシステムの総入換えをして、テスト飛行も済ませてあります。すぐお乗りになります?今なら、ドック(格納庫)からそのまま外に出られますが」
「うん、そうしようかな。あ、彼も君と話したそうだけど」
 空気がまるっきり読めないわけでもないらしい。
 ノアに向かって厭味のない笑みをひとつ投げるとそれでもうノアに興味を無くしたのか、男は振り向きもせずテクニカルドックに続く扉に消えた。

 温かい手のひらが自分の手に触れる。
「ノア、今日は本当にごめんなさいね。必ず今日の埋め合わせはさせてね。それと、今の彼は上顧客なの。今日ここで見聞きした事は口外しないで欲しいんだけど、お願いできるかしら?」
 厚くて、温かくて、柔らかい褐色の手。ノアはそっとジャスの手を離した。
「いくら上顧客でも狙われた当事者なんだし。帰してよかったのか?」
「ノア、警察は呼んでいないの」
「え?」

 ジャスの顔がノアを見つめ、暫しの逡巡のあと、切れ味も悪く口を開く。
「顧客情報は口外してはいけない決まりよ。だから何も言えない。あなたもここで彼に会った事は忘れたほうがいい。試乗の事は上と交渉してみるから。来週にでもダンテとまた来て。会えて嬉しかったわ」
 大切な家族にするように、ジャスのふくよかな頬を素早くノアの頬に合わせる。そして申し訳なさそうに「じゃあね」と言うと、黒いライダースーツの背中を追って扉の向こうに去っていった。

 ふと地上400Mの空中で、どうして自分に向けて手を伸ばしたのか。
 男に訊きいてみたかったことを思い出したが、当の本人の姿は消えた後だ。


 瞳を閉じると、残像のように男の残した蒼穹の空が広がる。
 空は眼底に焼きついてしまったのか。結局、ノアは迅の部屋の扉の前に立つまで何度も繰り返し瞳を閉じていた。



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