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紙魚

Author:紙魚
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長らくみなさまから頂戴した拍手コメント・メールへのお返事は、別ブログの”もんもんもん”にてさせて頂いていましたが、2016年4月より各記事のコメント欄でお返事させて頂くことにしました。今まで”もんもんもん”をご訪問くださり、ありがとうございました。く



    
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Category: 翠滴 3 (全131話)

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翠滴 3 タンジェリン ライズ 3  (6)
 定例会は昼を少し回った頃に終了した。

 享一は、トイレの手洗いで何度も顔を洗い、ハンカチで顔を拭った。
会議の終了後、河村から昼食の誘い受けた。午後一で別の打ち合わせがある旨を伝え、自分なりに丁重に断ったつもりが、例のごとく「その顔を見ながら打ち合わせをする相手が気の毒だ」とか「オサカンなのは結構だが、ほどほどにしておけよ」だの好き勝手な事を言われた。
 そんなことを言われるのは、こちらにも弛みがあるからだと、頭を冷やし気分を入れ変えようとコンファレンスルームから直接やって来た。冷水に顔をさらそうと屈むと、だるさを纏った腰に負担がかかり、情けないのを通り越して無性に腹が立ってくる。

「ったく!いらぬお節介だって言うんだよっ」
「なにが、お節介だって?」

 ひとり悪態を吐いていると、背後のブースから水の流れる音がして、同じチームの平沢が出てきた。
大学の2年先輩でもある平沢だが、好奇心が強くどこかすっとぼけた風貌をしている。見た感じはとろそうだが、何事にもちゃっかり抜け目が無く、意外と面倒見もよい。平沢は享一の入社前からなにかと気を掛けていてくれ、社内で唯一、享一の高所恐怖症を知る人物でもある。

「お前、今日はエルミタージュの定例だったろう。毎週月曜の朝になると、設計の女子たちが色めき立つんだよなあ。河村圭太みたいなおっさんより、もっと若くてピチピチの俺が目の前にいるってのに、どうして目に入んねぇかねえ?」

 河村は、二枚目タレント顔負けのその容姿から、建築業界以外からも注目を浴びメディアで取り上げられる事も多い。月曜の午前に定例で大森建設を訪れる河村に社内の関心が集まるのも無理は無い。朝、時間がなかったのか平沢は、携帯シェーバーで顎にうっすらと延びた髭をそり始めた。

「平沢さん、もしかして設計内に気になる女性(ひと)でも、いるんですか?」
「設計の女子かぁ・・・・ありえないねぇ」
 付き合いで尋ねると、惚けたような返事が返ってくる。
設計に籍を置く女性陣は一昔前とは違い皆、実力で入社試験を突破してきた強者ばかりだ。何のかんの言ってまだ、男社会の色が濃く残る建築業界で男性社員と肩を並べようというからには同等かそれ以上の実力を持ったものも少なくない。鏡を通してみる平沢の目が一瞬遠くなり現実に戻ってくると、一重の平沢の目がジトッと言う感じで横目で享一を見た。

「社内の女よか、時見の方がよっぽど色っぽいもんよ。お前さ昨夜(きのう)、彼女とイイコトしたろう?」
「は?」
顔に疑問符が大きく張り付いたのを読み取ったのか、ご丁寧に平沢が解説を始めた。
「まずはだね、その腰・・・だるそうだね、使いすぎは体に毒だぞ。で、次に・・・目だ、色気がありすぎる。会社をなんだと思っているのかねえ?時見クンは?で、トドメだ・・・ま、なんといってもこれが決定打だな。項にキスマークがついてるぜ」

にやりと笑って指摘してきた平沢の言葉に、弾かれたように項を手で覆った。
それを見た平沢は呆れたように溜息をつき、首を振る。

「時見、“反対”だって。なんだ、そっちも吸われたのか?時見の彼女って激しいのな。
もしかして、昨夜は寝かしてもらえなかった・・・とか?」
 悪意のない、満面にやけ顔で平沢が訊いてくる。
これが女性相手なら自慢話のひとつにでもなりそうなものだが、相手は男で、しかも『昨夜は悶絶させられました』とは、口が裂けても言えない。

 こんなモノを、わざと見えるところに残すという周の諸行は、たぶん河村に対する牽制のつもりだろう。間違いなく確信犯であろう男の、してやったりと笑う顔と、気がついていた筈なのに教えてくれなかった河村のにやけた顔が浮かんできて、怒りがふつふつと湧いてきた。

「お前、午後一で建具屋と打ち合わせじゃなかったけか?その顔を見ながら打ち合わせをする業者が気の毒だねえ。いいねえ、若いっていいねえ、モテる男は、憎いねえ」
「いい加減にしてください。何が、“若い”ですか?先輩は2歳しか変わらないでしょう?」
皮肉か羨望か、ニヤニヤうすら惚けた声で、奇しくも河村と同じ言葉を吐いた平沢を直接、睨み付けた。
「おっと、睨むなよな、照れちゃうじゃないか。部屋に戻ろうぜ。ルミちゃんがいたら、なんかお知恵を拝借できるかもしれない」
 ルミちゃんというのは、西元留美子という、平沢より更に5つ年上の32歳の女性で誉れ高き才女だ。その才女を平沢は恐れ多くもルミちゃんと呼び、事あるごとにちょっかいを掛けていた。

「西元さんにですか?」
「怖がんなって。あれでなかなか気のイイとこ、あんだから。
ほれ、早く行かないとルミちゃんが飯に出ちまう」
「別に怖い訳では・・・」 自分の恥をひけらかすにはかなりの抵抗があるが、このまま放置するわけにも行かず、意気揚々と歩き出した平沢に大人しく従った。

「時見君、見事ね」
 西元留美子の席にいくと、ルミちゃんはどんぐり眼を遠慮なく項に向けてきた。
「はい、コレ貸してあげる。黙っといてあげるから、今度ランチ奢りなさいよね」
「すみません。お借りします」
手の中の小瓶にはコンシーラーとアルファベットで書かれている。

 西元の机の上は仕事の出来る人間らしく、整理されており、例外的に机の隅に写真立てがひとつだけ飾られていた。
 その中には永邨 周の写真が入っている。シップス&パートナーズの代表としてNKホールディングスの買収に乗り出した周は、その手腕と年齢、飛びぬけた風貌から一時、メディアに取り上げられることも多かった。自称、永邨 周フリークの西元は、経済誌に載った写真を切り抜いて、自分のデスクの上に飾っているのだ。

 隠微に盗み見したフレームの中の周は、意気揚々と気を吐き、高らかにNKホールディングスの獲得を宣言している。それが、『自分自身の自由』を勝ち獲るための宣戦布告であったと知る享一には、小さなフレームの中の周が、眩し過ぎるくらいに輝いて見えた。表向きは買収に失敗したことになっているが、実際は奇跡を起こし、鮮やかな手口で自由を勝ち得た周に、享一はそっと感嘆と賞賛を贈った。

「ルミちゃんメシまだだろ?俺たちと一緒に行かねえか?」
「あら、残念。アタシもう食べちゃったの。今から、下のコーヒーショップに行って加納 太一の新刊読むんだ。悪いわね」

 “加納 太一”の名に、享一は静かに息を殺した。今や押しも押されぬ有名作家となった加納 太一は自分たち家族を捨てた父、時見 太一のペンネームだ。

「へえ、ルミちゃん加 納太一なんか読むのか。」
「なんか、とは何よ?平沢君も時見君も一度読んでみたら良さがわかるわよ。そうね、私が読み終わったら貸してあげるわ。今回のタンジェリン・ライズ、読んだら”ニブちん”の平沢君でも感動するわよ。それにね、表紙がまた凄くいいのよ、ほら」
 差し出された表紙に、享一の目が大きくなった。

「ねえ、似てると思わない?」
「はあ?誰に?俺の知っている男で色っぺえって思えるのは、ここにいる時見ぐらいだけど?」
「バカね。会社にキスマークつけてくるような、おバカさんの話じゃないわよ。
アマネさまに決まってるじゃない!」
 西元の大きな瞳が、夢見る少女のようにトロンと写真立てに向けられる。
 その様子に、平沢が憮然と顔をしかめる。
「でもね、ずいぶん若いし、瞳が碧なのよね。表紙のモデルはハーフか外国人だと思うわ」

 朱色の火焔と黒を背景に、半裸の少年がしどけない姿で横たわるその表紙のレイアウトはカバーを広げると全身を見ることができた。芸術と淫蕩の挾間を危ういバランスで行き来する少年の、瑞々しい翠の瞳が潤み、苦しげで切なげな表情は、数時間前目にした今や、自分しか知ることのない筈の愛する男の秘めたる貌そのものだ。享一は、愕然と表紙から目が離せないでいた。

 似ているのではない。この絵のモデルは、永邨 周そのものだ。



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Category: 翠滴 3 (全131話)

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翠滴 3 タンジェリン ライズ 4  (7)
 残業もそこそこに、会社を出て駅前の大型書店の入るビルに飛び込んだ。
昼間、西元留美子に見せられた小説の表紙が頭から離れなかった。表紙だけではない。
父親であった男の小説の表紙絵になぜ周の肖像が載せられたのか?
あの絵は一体、誰が描いたのか? 周は、このことを知っているのだろうか?

 周には他人が触れてはいけない過去がある。あの表紙の周は、二十歳前後だろうか・・・・・
たとえ自分の父が関わることであっても、自分に口出しすることは許されない事のように思えた。

 周の背後で燃えていた火焔と真っ黒な闇に、周の中に沈む苦悩を見た気がした。普段の周は自分の背負っている悩みや傷を享一に見せることはない。そのことを考える時、享一の心に、周の全てには決して触れさせてはもらえぬという事実と、周が頼りにできぬほどに自分が未熟であるという焦燥感、それに諦めに似た寂莫の思いが圧し掛かる。

 以前は、他のものに対してこのような感情を抱くことはなかった。
以前の自分なら、人と自分をはっきり分けて、必要以上に相手を知り、慮り、頼まれもしない手を差し伸べたいなどと思いもしなかった。

 周は特別なのだ。
だがその特別に引っ張られて、最近 周りの人間と自分との距離が少し狭まったような気がする。

 商業ビルの中の巨大な吹き抜けに設置されたスケルトンのエレベーターに乗るとガラスの外をすっかり暮れた夜の街が浮遊感を伴い足下に流れてゆく。背中が軽く強張るのを感じ視線をずらし、エレベーター内の、階数表示のデジタルの数字を目で追った。

 11階で降り書店へ向かう。自分の父親の本を見るために書店を訪れるのは何年ぶりだろうか?大量の本が並び積まれる店頭に辿り着く頃には、既に享一の心は迷い、歩くスピードは鈍り始めた。周の過去の欠片を知ってどうなるのだろう?自分の過去を糊塗して、その片鱗すら享一に見せようとしない周は、自分が過去を知るのをなんと思うだろう。

 思いあぐねて引き返そうと振り返った時、足に衝撃を感じ、同時に弾けるような泣き声を聞いて驚いた。床を見ると4~5歳の男の子供があお向けに倒れて泣いていた。
どうやら、自分が急に立ち止まって振り返ったのが原因らしかった。頭を強く打ったのか、リノリウムの上で頭に手をやり真っ赤になって泣く子供を享一は慌てて抱き上げた。

「ごめんな。大丈夫か?」
「パパぁ、パパぁ」
自分を父親と勘違いしているのか、首にしがみ付き父親を連呼する子供の後頭部に手をやると、なるほど手のひらの窪みに熱を持った大きなたんこぶが触れてきた。
「本当に、ごめんな。今、冷やしてやるから待ってろな」

 抱っこしたまま洗面所まで連れて行き、入り口付近に置かれたベンチに座らせ濡らしたハンカチで後頭部を冷やしてやる。小さなリュックを背負った子供は、鼻の頭を真っ赤にし、しゃくり上げ、それでも何とか泣き止んだ。

「痛かったか?ぜんぜん気がつかなくて、ごめんな」
「おじちゃん、だれ?パパはどこにいるの?」
 おじちゃんかよ。
 苦笑し、訂正してやりたい気持ちを抑えて、聞いてやる。

「お父さんと来ているのか?お父さんは本屋にいるのかな?」
「ボクの絵本買いに来たの」

 小さく頷く子供の瞳にまだ、うっすらと涙が溜まっている。頷いた拍子に零れ落ちた涙を、享一は不思議な既視感を持って眺めた。

「じゃあ、絵本コーナーに行ってみる?」
「うん」
 再び抱っこをせがまれて「はいはい」、と小さな体を腕の中に納めて歩き出した。
小さな心臓がドクドクと脈打つ鼓動や、子供特有の高い体温が重なった布を通して伝わってくる。
享一は無意識のうち、その小さな体を抱きしめていた。

「この中に、君のお父さんいる?」
「うんん。パパね、すごく背が高いんだ」

 結構な賑わいを見せる絵本コーナーに立って、背の高い男性を探すが、いるのは自分より背の低いくらいの男性2人と母親らしき女性ばかりだ。みな傍にはそれぞれの子供がいる。
雑誌から専門書まで豊富に揃った店内は図書館並みに広い。このまま、見ず知らずの子供いつまでも抱っこして父親を探すのもどうかと思い子供を下に下ろし、自分もしゃがむ。

「今、店員さんにお願いして店内アナウンスで呼び出してくれるように頼んであげるから、もう少しのがまんな?」
「・・・うん」
 再び泣き出しそうな顔をする子供の手をとり、広い店内を店員の姿を求めて歩き出すと、ふと掌に収まる湿り気のある高い体温の小さな手に、何かを思い出しそうな気になるが、店員の姿を見つけた途端、それは霧散して消えてしまった。

 子供を店員に託し、手を振って別れ引き返そうとしたその時、平積みにされた父の本が目に入った。特設された加納 太一のコーナーには、過去に出版された本と共に、昼間 西元に見せられた、新刊の『タンジェリン ライズ』が積み上げられている。意識のないままに享一はその本の一冊を取り上げた。
カバーの裏を見ると『装画 徳良 鳴雪』と書かれていた。

 あらすじは、戦時下の日本で生まれた混血児の主人公が数奇な運命に翻弄されながらも大陸を目指し、成長し自由を勝ち得ていくという話だ。どことなく周とだぶる内容に、父の書いた小説に感情を示すのが厭でページは開かなかった。

 もう一度、表紙を見る。見てはいけないものを覗き見するような気分で、心臓の鼓動が早まった。だが、結局のところ手に取ってしまうと目が離せないでいる。改めて見る表紙絵ははじめて見た時の印象と少し変わっていた。首を傾げ、こちらを真っ直ぐ向く翠の瞳からは、最初に受けた妖気すら放つ妖艶な色めいた印象の影に隠れるように、戸惑いや諦め、恐怖や悲しみが澄んだ冷たい水が染み出るように流れ出し、享一の心を揺さぶった。

 今や背景の燃え盛る朱色の火焔は、瑞々しい二つの瞳によって、その熱を奪われ激しさを失い業火が描かれているに関わらず、ひんやりと瑞々しい印象を受けた。
 
 まだ、うっすらとあどけなさの残るこの時の周は、まだ10代だったかもしれない。

 周が苦しんだこの時期に傍にいて周を守ってやれなかった自分の運命に怒りすら覚えた。
周が、恋しくて可哀想で、愛おしくて堪らず、今すぐ会ってこの腕で抱きしめたいという狂おしい衝動に、いてもたってもいられなくなる。
 早く周に会いたい。昼間、周に対して激怒したことも忘れ、恋しさだけが胸のうちに募ってゆく。視界がぼやけて表紙の周の輪郭が滲んで見えた。早く帰ろう、周のもとに。


「パパ!この人だよ!」
「あの、先程は息子がお世話になり、すみませんでした」

 いきなり背後から声を掛けられ、慌てて本を置き、ポケットを探ったが、ハンカチはたんこぶを冷やすために子供に上げてしまったのを思い出し、素早く手の甲で目を拭った。
 何とか取り繕い振り向いた享一は、瞠目した。



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Category: 翠滴 3 (全131話)

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翠滴 3 交差  1  (8)
「キョウ」
「・・・・瀬尾」
振り返った先にはさっきの子供を連れた背の高い男が立っていた。
「いや・・・驚いたな。こんなところでキョウと会うなんて」
「ああ、俺も・・・・驚いた」

 目の前に立つ男、瀬尾 隆典は、5年前 享一の恋人だった上原 由利に横恋慕し享一から奪っていった。いや、横恋慕うというのは正しくはないのかも知れない。あの時、由利はずっと瀬尾のことを好きだったと言ったのだ。享一の恋人だった由利は、享一に自分に妊娠を告げたその口で、子供の父親が瀬尾であることを告げたのだった。

 享一は少し前に自分が抱きあけた子供を、不思議な面持ちで眺めた。
子供が瀬尾の子であると聞く寸前まで、由利の腹の子を享一は自分の子だと信じ喜んだ。
今となっては、由利が浮気するに至った事に関しては、自分にも原因があったことなのだと理解できる。あの時の自分は、自分勝手な幸せの形に拘り過ぎて、由利を無理やりその中に填め込もうとしていた。

 同性である周を愛し、見えない枷から放たれて初めて見えてきたものがたくさんあった。5年前の自分はまだまだ未熟で、自分にも非があると認めながらも、2人のことを許せないでいた。
 蟠りのようなものが全然ないといえば嘘になるが、5年の月日が経つうちに、由利のことも、親友であった瀬尾のこともいつか心の底から祝福できる日が来ればよいと、そう思っていた。

「きみ、名前は?」
屈み目線を合わせて尋ねると透明度の高い澄んだ黒い瞳と見返してくる。

「瀬尾 和輝(かずき)」
「ふうん、和輝くんか、いい名前だね」
自分を見つめるつぶらな瞳は確かに由利に似ているような気もした。
「上原さんは?」

 人妻になった自分のもと恋人を、なんと呼んでいいか分からず、呼び捨てにするのもどうと婚姻前の苗字で呼ぶ。こうやって、以前付き合っていた恋人を苗字で呼ぶと、急に空々しく感じ、あの頃に関わるもの全てがスピードを上げて過去のものへと変化し色褪せた気がして、ほんの少しの寂しさと自分の中で完全なる“過去”になった安堵感のようなものを感じた。

「由利はまだ、NYにいる。運良くあっちの設計事務所に潜り込めたんで、もう少しNYで自分を試したいそうだ。」
「へえ、瀬尾たちはNYか、格好いいな。お前は、法律関係の仕事についているのか?」
「ああ、この近所の法律事務所だ。司法試験にも合格して弁護士をやっている」
「この若さで?流石、瀬尾だな。お前は高校の時から優秀だったからな」
「はは、キョウにそう言われると、なんだかくすぐったいな」

 なんの衒いもなく、口から出た賞賛の言葉に、瀬尾は本当に嬉しそうに笑った。
 それが、享一にも瀬尾を親友だと思っていた頃の気安さや心地よさを思い出させて、享一もつられて笑う。和輝も、新しく買ってもらったのか絵本の包みを抱えながらにこにこしている。
 一度は絶縁してしまった瀬尾との穏やかな邂逅に、自分の中に残っていた小さな塊が解けて消えていく。

「キョウ、よかったらこれから一緒に飯食わないか? ちょうど、これから和輝と行くところだったんだ。それに・・・」
「それに?、なんだ?」
「俺は、一度キョウに会って、ちゃんと謝りたいと思ってた・・・」
 自分を裏切ったとばかり思っていた瀬尾は、実はこの5年の間、自分に謝りたいと思っていてくれたのだと知り一気に親友だった時間に戻ったような気がした。

「瀬尾、俺はもうお前たちを恨んでなんかいないし、俺こそ、瀬尾と由利に会えたら、ちゃんと祝福しようって思っていたんだ」

 こんな言葉を自然と毀れるのも、周というかけがえのないパートナーを得ることが出来たからなのだと、実感する。

「キョウ、一緒にご飯食べるの?やったぁ!」
 幼い和輝にいきなり呼び捨てにされ、唖然とするが“おじさん”よりは幾分ましかと、和輝に腕を取られてぶんぶん揺らされるに任せた。代わりに瀬尾が詫びを入れてきた。

「すまん、向こうで変な癖がついちまったみたいで、追々直していかなくちゃならないんだけどな」
「まあ、構わないよ。晩飯に行くんだろう、どこへ行くか決めているのか? 俺も、久しぶりに瀬尾と話したいし、お言葉に甘えて一緒させてもらうことにするよ」
 享一の返事を聞いた瀬尾の顔が、「よし、決まりだな」と嬉しそうに微笑んだ。

「ね、こっち、こっち!」
 享一の手を和輝はどんどん引っ張っていく。
 一人遅れて歩き出した瀬尾は、享一が慌てて戻した本にさり気なく目を落とすと、片眉を上げ口の端を歪めて嗤った。
「これはまた、永邨 周に高波 清輝、加納 太一とは。三者揃い踏みってところだな」
 そして顔を上げ、仮面を付け替えるように穏やかな友人の表情を創ると、エレベーターに向かった2人を追いかけた。じゃれ合う2人の後姿を見る目には、一瞬冷ややかな影が浮かぶが、追いつく頃にはそれも消えうせた。

「和輝、そっちのエレベーターじゃなくて、あっちのに乗ろう」
「えー!パパ、こっちがいい。ぼく、お外が見たいもん」
「和輝、このお兄ちゃんはね、高いところがダメなんだ。だから窓はないけど、あっちので我慢しような」
「キョウちゃん、高いの怖いの?」
 呼び捨てから『ちゃん』がついた。幼い和輝に気遣うように見上げられ、微妙に哀れむ瞳に情けなくなり、声のトーンを落として小声で瀬尾に講義した。

「瀬尾、いいって。子供の前で余計なこと言うなよ。恥ずかしい」
「ん?直ったのか?高所恐怖症」
「や、まだだけど・・・さ。まったく、つまらない事よく覚えてんな」

 瀬尾は、参ったなと呟いて閉口する享一の肩を抱くように手を回すと和輝の手を取り、楽しそうに笑いながら歩き出した。



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Category: 翠滴 3 (全131話)

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翠滴 3 交差  2  (9)

 小さな子供連れで行くには小洒落すぎたレストランだと思ったが、落ち着いた店内の奥にいくつかの小部屋があるのを知って納得した。室内は6人も入れば充分な大きさで、卵色の漆喰の壁が狭い室内にあたたかい雰囲気を醸し、狭さからくる息苦しさを払拭して居心地のよい空間にしている。横に長いFIXガラスの外にはハーブの植わる庭が控えめな照明で演出されている。ロマンチストな瀬尾が選びそうな店だと、目の前の友人の好みを思い出した。

 和輝は、初めのうちこそ珍しい新参者に興味を示し、享一に何かと相手させようとがんばっていたが、料理を腹に収めると、急にスイッチが切れたように瀬尾の膝を枕に眠ってしまった。
その背中に自分の上着を掛ける瀬尾に享一から穏やかな笑が漏れた。

「学内一のモテ男、瀬尾 隆範が、こんなに早く子持ちになっちまうなんて、あのころのGF達からしたら唖然って感じだろうな」
「いままで付き合った女の中で本気になった相手なんて、ひとりもいやしないよ。それは、向こうも然りだろう」
「もてる男のセリフは違うな。その中で、由利だけは特別だったってことなんだろう?
瀬尾、遅くなったけど、本当におめでとう」

 改めて、祝いの言葉を口にする享一に瀬尾は視線をはぐらかし、曖昧な笑いを浮かべただけで応えた。その力のない笑いが享一の心に不穏な感じで引っ掛かったが、他人の踏み込む領域ではないと、口を噤んだ。なにかあったのだとしても、自分には言いにくいのだろうという思いもあった。

 気づけばお互いのグラスが空になっている。クーラーに入ったボトルに同時に手が伸びた。享一の手の甲に瀬尾の掌が重なる。なかなか離れていかない掌に享一は焦れて抗議した。
「いいって、俺がやるから手を離せよ」
やっと手が離れると、まず瀬尾のグラスに、次に自分のグラスにフルーティーな香りの淡い黄金色のワインを注ぐ。

「で、キョウはどうなんだ?」
「どうって?」
「恋人くらい、いるんだろう?」
「・・・・いるよ」

 『女性』ではないけど、と心の中で訂正し、改めて自分達の関係は容易に外に出すことが出来ない関係なのだと実感した。少しあいた間を埋めるように瀬尾が口を開く。

「どんな彼女?会社の同僚とか?」
「うん、会社も違うし、俺より年上だ。・・・俺には勿体ないくらいの相手だと思う」
「そうか・・・・よかったな」
「ああ、ありがとう」

 はにかみながら蕩けるように笑う享一に、冷えた白ワインのグラスを口にした瀬尾は、ただ冷めた微笑を向けた。
差し障りのない会話と、ワインで気持ちよく酔いが回る。お互いの職場と家が偶然近所であることを知った享一は心の底から瀬尾との再会を喜んだ。

「瀬尾、また会おうぜ。名刺くれよ、俺のも渡しておくからさ」
 カバンから名刺を取り出そうと身を捩り、露になった享一の項に大きく見開かれた瀬尾の視線が張り付いた。瀬尾の前に晒された項には、アルコールで浮き上がった鬱血痕が淫靡な紅い所有印のように張り付いている。薄いブルーのシャツの縁には項と擦れた時についたのか、肌色のファウンデーションのようなものが付着していた。

「瀬尾?」
「え?ああ・・・なに?」
「なんだよ、怖い顔して。はい、これが俺の名刺だ。携帯は替えてないから、番号も前のままでいいよ。お前のも貰っといていいかな?」
「そのシャツ、いいな・・・・彼女の見立てか?ほれ、これが俺のだ」
「おおっ、肩書きが『弁護士』だ。これから先生って呼ばなきゃだな」
 名刺を翳し冗談ごかしに破顔して笑う享一に、瀬尾はで眉を顰める。
「やめてくれ。弁護士というだけで、年配の人が若輩者の俺を『先生』と呼んで頭を下げる度に、俺は居た堪れない気持ちで一杯になるんだから」
「瀬尾らしいな。お前は昔から女さえ絡まなければ本当にいい奴だった。うん」
うっすら染まった目許を細め、横目で軽くにらみながら自分の言葉を後押しするように頷く。
「女さえって・・・・・妻帯者に言ってくれるな。お前はどうなんだよ?今の相手と結婚とか考えないのか?」
「なんかさっきから、俺の恋人にえらく拘るなあ」
「興味があるからな。お前が不幸にでもなったら、後味が悪い」

 瀬尾がわざと顔を顰めて返答すると、一呼吸置き、お互い顔を合せて、同時に噴出す。
「はは・・・もういいって、本当にいいんだ。実は俺達、内輪でだけだけれど祝言みたいなものを済ませたんだ。いまは、一緒に住もうって、言って貰ってる」

 2人の顔から笑いが消えた。
「住むのか?」
「瀬尾、ここで質問するなら、普通『住まないのか?』だろう?」
 そう言って、享一が再び笑う。その目が、瀬尾の膝で眠る和輝に注がれ、優しげに細まって、
「和輝君、可愛いよな。今まで、色々考えてしまって踏み切れなかったけど、今日、瀬尾と和輝君を見ていて、家族って良いなって改めて思った」

 自分がかつて理想とした『幸せの形』には、その中心に必ず家族という単位があった。自分の愛してやまない男といる限り、その家族の象徴ともいえる子供を持つことはない。その事実を当然のことと受け止め、自分はひとつの道を選んだ筈なのに、現実として映る瀬尾とその息子の姿は享一の心の中に、正直小さな衝撃を与えた。

「キョウ?」
「あ・・・ああ。遅くなったな、そろそろ帰ろうか?」

 店を出て歩き出す。
 夜の賑わいを見せる繁華街の歩道を、瀬尾と並んで歩いた。和輝は瀬尾の背中で夢の中だ。
 信号を渡ろうと足を止めた時、享一の視界の隅に見覚えのあるZが飛び込んだ。低い車体。濃厚でしたたるような赤い光沢が夜の街に鮮烈に映え、妖艶な雰囲気すら醸している。偶然なのだろうが、まるで自分を待ってくれていたかのように停車している赤い車に、なぜか泣きたい気分になった。

「瀬尾、悪い。知り合いだ。和輝君を負ぶって一人で大丈夫か?」
「ああ、俺はタクシーを捕まえるから大丈夫だが、お前はどうするんだ?」
「終電にはまだ間に合うし、俺は適当に帰るから。今日は楽しかった、ありがとな。さっきも言ったけど、また会おうぜ」
「ああ、勿論だ。連絡する」

 瀬尾と別れて、信号で停止しているヘッドライトの光の洪水の隙間を縫って、道の反対側に亘る。暗がりでも人目を引く真紅のフェアレディに近付いた。

 心は決まっている。
 自分の帰る場所はたったひとつ、周のところだけだ。周のいない人生はもう、自分には考えられない。助手席のドアを開けて乗り込むと、運転席の周がいきなり無言でキスを仕掛けてきた。いつもならこんな場所でと突っぱねるところだが、大人しくされるがままに受け入れる。周に会ったら、真っ先にこうしたい。自分もそう思っていた。

 信号が変わり、一斉に車が流れ出す。対向車線を走るタクシーの暗い後部座席から、瀬尾はすれ違いざま車内で接吻けを交わす二人を一瞥した。感情のない視線が膝で寝息を立てる和輝に落ちる。不意に酷く冷たい笑みが浮かべると、瀬尾は膝に散らばるウェンゲの髪を愛おしそうに何度も撫でた。



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Category: 翠滴 3 (全131話)

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翠滴 3 交差  3  (10)

 唇が離れて、我に返った。
 車道をヘッドライトが流れ、車内を淡い光が横切っていく。

「周・・・、写真に撮られたら、拙い」
 碧眼を隠す薄い色のサングラスを掛けていても、西元のように周に関心のある人間ならすぐに正体を見破ってしまうだろう。
「俺は構わないけど、享一は・・・困るか。心配しなくても、最近はこそこそ嗅ぎ回るマスコミ関係の奴らもめっきり減ったし、大丈夫だろう。メディアっていうのは常に流動的だからな、いつまでもチョイ出の人間に関わるほど暇じゃない」
「”あの人は今” とかで、やって来られても困るんだけど・・・」
 周の言葉に小さな非難を感じながら、それを誤魔化すように笑って答える。
 自分は、どうなのだろうか? 周のように平然と言ってのけれらるほど自分は強くはない。瀬尾に「彼女は?」と訊かれ、自分たちの付き合いが何の躊躇いもなく人に話せる関係でないことを実感したばかりだ。
 いつも頭の隅に会社や友人、家族といったものたちへの社会的な体裁を気にする自分が常にいる。
 
「・・・ごめん」
「いつも言っていることだが、俺は享一の望まないことを強いるつもりはない・・・・享一が納得のいく答えを出せばいい」
 視線をフイッと正面に逸らすと、ポツリといった感じで 「俺のマンションでいいな?」 と、訊いてきた。
「え・・・ああ」
 いつもなら自分のアパートに帰る日だが、こんな会話が途切れた状態で離れたくはなかったし、今夜は本屋を出た時から周のマンションに帰るつもりでいた。
「もともと、今日は、そっちに帰るつもりでいたんだ」 そう付け足すと、流れた視線の端で周が“ニヤリ”と笑んだ。
 ゆっくり発進したフェアレディが、いきなりスピードを上げる。ぎょっと胸騒ぎを覚えた時には、既に全身にかかるGで躰がシートにずしっと沈んでいた。


「無茶な運転するなよな、車はレジャー施設の乗り物とはわけが違うんだぞ。胃がひっくり返るかと思った」
「安全運転で走るスポーツカーなんてありえないだろう。スピードなくして、車の一体どこが面白いんだ?」
 憮然とソファにカバンを置きながら抗議すると、いつも通りとり澄ました顔が返してきた。
 その腕に捕まり唇が重なる、続けて文句を繰り出そうとした舌は、心に並べ立てた言葉の半分も言い終わらないうちに、強引な舌に絡め取られ勢力を奪い取られた。
「全く暖簾に腕押し、糠に釘だな。でも、気をつけてくれ、周にもしものことがあったら、俺は・・・」

 緩く笑い、これだけは言わせてくれと周の頬に手指を添えると、吸い込まれそうな深緑と、全てを見透かせそうな黒檀の瞳孔が真っ直ぐ享一を見返す。どれだけこの瞳に会いたかっただろう。

 自分より大きくて、繊細で美しい動きをする指に頬に添えた手を取られて、無言で強く抱きしめられた。その腕の強さに、焔の中に横たわりこちらに向けられた不安と困惑に満ちた翡翠の双眸を思い出す。モデルのことや父の事、訊きたいこと言いたいことは、たくさんある筈のに、どれひとつ口を衝くことはなかった。周の背中に同じように腕を回して、自分も周の身体を抱きしめた。シャツを通して周の体温が伝わってくる。

 いまはただ、腕の中の温もりを抱きしめていたい。言うべき事があるならきっと、話してくれる。それを待つ覚悟は出来ている。

「気をつけます」
「ああ、そうしてくれ。この腕がなくなったら、俺はきっと生きていけない・・・」
「・・・・!」

 両肩を掴んだ周が目を見開き、正面から放心したように見つめてきた。一瞬、周が泣くのかと思い、何も言えず見つめ返す。すると周は空気を鮮やかに反転させ、はっとするような艶やかな顔で笑った。どこまでもこの男は自分を魅了するのか。自分がリードしたかと思ったら次の瞬間には周のペースに巻き込まれている。

 腕を取られバスルームに引っ張っていかれた。
「もう、待ちきれない・・・・」
「俺も・・・・俺もだ。きょう偶然大学時代の友人に会ったんだけど、そいつ子供連れててさ・・・2人を見てたら周が恋しくて」

 再び周の長い腕(かいな)に包まれる安堵感に、瞳を閉じて周の体温を感じ、周が発するあの独特の白い花をイメージさせる香りを肺いっぱいに吸い込む。すると、頭の奥から陶酔が広がって、吐息とともに甘露のような声が零れた。

「凄く・・・・会いたくなった・・・・」

 そう、白状するとこの一日がとてつもなく長い一日だったように思えた。
 キスをしながら着ているものを剥ぎ取られてゆく。上着は落とされネクタイも解かれて、お互いのシャツのボタンを外し合う。いったん落ち着きかけた熱がまた、加速をつけて上昇してゆくのを始めるのを止められない。

 周の手のひらに煽られるように全身を隈なく洗われ、蕩けそうな皮膚に湯を掛けられ額にキスを受けた。お互いの熱が上がりきった感じで、ほとんど飛び出すような勢いでバスルームを出てベッドルームに向かう。
「周、ほらちゃんと拭かないと風邪、引くぞ」

 互いをバスタオルで拭いながら子供のように2人で笑い転げベッドに縺れ込み、深い夜に埋没してゆく。 
 両手の指を絡め、強く握り合い周の手を取ったまま、日常から抜け落ちていくのを感じた。




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テーマ : BL小説    ジャンル : 小説・文学