08 ,2011
首輪 上
小さな昇降を繰り返していたチャートが、明らかに下りの一途を辿り始めた。
損切りのタイミングは過ぎている。どれだけ期待を持って画面を見つめても、もうこの株は利潤を生み出しはしない。損益の肥大と塩漬けのデメリットを考え、想定外の安値で売りの予約を出す。ロスカット*を躊躇うなんて、ビギナー並みの失態だ。
無意識のうちに手のひらをGパンの膝に擦りつけていた。
こういう場面に出くわす度、過去の苦い経験を思い出して掌に冷たい汗をかく。
あの時も、証券会社の画面を破壊する勢いで睨んでいた。
今でも当時のことを思い出すと、奈落に滑り落ちる感覚がリアルに蘇り、胃から苦いものが込上げてくる。
すばやく他の銘柄とFXの動きもチェックしてウインドウを閉じる。
抜けるような青空を映した4つの画面をまたいで悠然と棚引く純白の雲が、疲れた心と眼球に痛い。
脱力して背もたれに預けた身体に、背後から腕が回された。
躰を包む上質のコートから零れ落ちる冬の冷たい空気が、カーディガンやシャツの布目から浸透して回された腕の中で身を固くする。
冷たい空気とは対照的な温かい吐息が項や頬を擽った。
「ただいま」
視線は、スクリーンセーバーの真っ青な空を睨んだままで返事はない。
「機嫌が悪いな。なんだ、また投資をしくじったのか?」
頭の中で、ブチリッと何かが切れる音がした。
「ちょっと大口の儲けのアテが外れただけだ。損は出てない」
嘘だ。本当は数百万単位の損失だ。だがここで素直に言うのは癪に障る。素っ気無い守銭奴のセリフに、背後の声が低く笑った。
「ふうん、それは残念。気の毒に」
さして残念でもなさそうな声が耳朶を啄ばむ。
肌に誘惑の吐息がばら撒かれるのと同時に、喉元に馴染みの息苦しさを覚えた。
「自由になりたければ金を稼げ。そう言ったのは、あんただ」
「そういえばそうだった。どう、負債は返せそう?」
項に押し入ってきた声がしれっと答える。
肩に回された腕を邪険に解いて立ち上がった。
「どうせメシは、食って来てんだろう。風呂入れてくる」
立ち去ろうとした腕を掴まれた。
「悪かった、機嫌直せよ。今日は特別な日だから、早めに切り上げて帰ってきたんだ」
立ち塞がった男が、目の前に金色のリボンの掛かった四角い箱を翳す。
思わず男の顔を凝視した。黒縁眼鏡の奥の、白黒の境がくっきり印象的な瞳が、心の動きを読むような鋭い視線を寄越してくる。
不意にその眼がほんの少し細まる。笑っていた。
「風呂を・・・」
押し退けて、すり抜けようとした躰を壁に押し付けられた。
「先に、付け替えてやるよ」
近づいた男の吐息が口許を掠め、サラリと乾いた唇が重なる。
接吻けながら器用に片手でボタンを外した指が襟を割る。首に巻きつく冷たい感触に、咄嗟に離れかけた唇を首の後ろを掴む掌に押し戻された。
接吻けが深くなり、長い舌が口腔を隅々まで蹂躙する濃厚なキスに、頭の奥が痺れ始める。
四肢の力が抜けきった頃、下唇の先端を軽く噛んで唇が離れた。
大きな掌がよろめく躰を、床から天井まで届く大きな嵌め殺しの窓ガラスの前に押し出す。
背後から回された腕に支えられた自分の向こうに、宝石箱を滅茶苦茶にひっくり返したような都会の夜が果てしなく広がる。
その中で一等、輝くゴージャスな宝飾品が俺の首を飾っていた。
「やっぱり似合うな」
息をする微かな動きにも、プラチナは宝石の海で豪奢な輝きを放つ。
複雑な形のリングが幾重にも重なる。ところどころリングから小さな水牛の角のような棘が伸びていて、このゴージャスな宝飾品がただのアクセサリーでないことを印象付ける。
「お前が誰に飼われているのか、忘れないように俺のイニシャルが刻んである」
喉元に伸びた手が、本体の豪華さを半減させる無粋なネームプレートを玩ぶ。
そう、これは喉元を飾るチョーカーでも、ネックレスでもない。
これを身に着ける者が誰の所有で、誰に服従するかを示す隷属と服従の証。首輪だ。
「よくこんな悪趣味なモノ見つけてきたな」
「売っていたのは有名な宝飾店だ。この頃はペットも贅沢だな」
軽く笑った男が背後から俺の髪に鼻先を埋めキスをしながら、首輪と項の隙間に差し入れた指を横に滑らせる。躰の奥で本能がズクリと疼いた。
プレートのI.Sは、坂倉 郁朗(サカクラ イクロウ)のイニシャルだ。
3年前。この男、坂倉は一朝一夕では返せぬ巨額の負債をかさに俺を、“飼い”始めた。
その頃、俺はほんの小手試しで始めた株式投資が成功し、いい気になって一端のデイトレーダーを気取っていた。
小額から始めた金は新たな金を呼び、雪だるま式に増えた。自分には金を動かすセンスと飛びぬけた博才があると信じて疑わなかった。学生のふんだんに有り余る自由時間をフル活用して稼ぎまくった。 親の反対を押し切って受験した都会の大学の高い生活費と授業料も株で賄い、一等地のマンションも手に入れた。住む場所、身に着ける物、交友関係・・・勢いに乗って高騰する株価に連れられ、生活は分不相応に贅沢になっていった。
だが、真の価値を知らぬ人間が労せずして手に入れた金など、手元には残るものではない。人もまた然り。
資金を注ぎ込んだ会社が問題を起こし事業が傾きだしたのと同時に、順調だったバラ色の生活も翳りが出始めた。付き合っていた女は去り、湯水のように使っていた金は大きく目減りして、辛うじて半期分の授業料が手元に残るのみ。
おまけに大学も3年生半ばになると、そうそうPCに張り付いているわけにもいかなる。提出物も増えるし、就活だってある。
何とか手っ取り早く卒業までの学資を稼げないかと悩んでいた矢先に、坂倉と知り合った。
ロスカット:損切り。相場の下落に伴い発生する損失の拡大を抑えるため、下落株を売り払うこと
→ 次話

宝飾品店の【首輪】だなんて~Σ(´゚▽゚`ノ)ノ
悪趣味だけど 豪華そうで、ちょっと羨ましいなぁ~d(´・ε・`)プー
前回読んだ時も思ったんですが、この二人って ほんと 淫靡だわぁ(*´艸`*)
お手も お座りも 回ってワンも言えるよ~⊆^U)┬┬~
お風呂は、嫌いだけど ちゃんと舐めて 身繕いするよ~d(=^‥^=)b ニャッ!
・・・って、お望みとあらば 私なら 犬だって猫にだって なるのに!
あっ イラナイのね...イランポィッ(/-ω-)/⌒━━━・・・〓■●ポテッ...byebye☆