05 ,2010
翠滴 3 和輝 4 (105)
広いテラスを打ちつける雨の音と、蛇口から勢いよく流れる水の音が重なる。食器を洗った水が傷の無いステンレスのシンクを泡と連れて流れてゆく。
「享一が、料理が出来るのは知っていたが、ここまでの腕だとは思わなかったな」
キッチンに並んで立ち、食器を洗う享一の隣でコーヒーメーカーにフィルターをセットしながら周が嬉しそうに言う。
「お粗末様。自慢の腕を披露する機会なんて、今までなかったからね、なんてな。聞いてりゃあ、さっきから……褒め過ぎだって」
料理を褒められるのは悪い気はしない。だが、新婚の奥さんが旦那さんに褒められた時のようなリアクションは自分には出来ないし、まさか周も男の自分にそれを期待しているわけでもないだろう。
大体、鍋ひとつで作るお手軽家庭料理をここまで褒められると、こそばゆくて仕方がない。
ただ軽く笑って、照れも泡と一緒に流れて行くのをフワフワとした気分で見つめた。
周に頼んでスーパーに寄ってもらい、ペントハウスに帰りつくころには春の雨は街中をけぶらせていた。
エレベーターを降りた途端、薄暗い玄関ホールの壁に押さえつけられ薄い唇に捕まった。湿った空気が辺りを満たし、激しい雨音と遠くで鳴る雷鳴を聞きながら、戻る事が出来なくなりそうな高みまで連れて行かれそうになる。
流されたくなる気持ちを抑えて「メシが先だろう」と、掌で服の上からでもその完璧なプロポーションを連想させる硬い胸を押し戻した。
目の前の眉根が不満げに険しく寄せられる。
納得がいかないとばかりに不満気に見下ろす周に、今夜は夕食を作るつもりだからと説明すると、拍子抜けするくらいあっさりと解放された。
気合を入れてキッチンに立ち、ペントハウスには炊飯器をはじめとする主だった調理器具がないことを知ったときは後の祭りだった。
周は自分で料理をしない。手先も器用で舌も肥えているし、やれば旨いものを作りそうなものだが、スピード狂で仕事大好き人間の食指は、料理に向かっては動かないらしい。
調味料等は抜かりなく購入したのに、まさか鍋や炊飯器で躓こうとは。そまでは頭が回っていなかった。
仕方なく周が粥を炊いてくれた時に買った土鍋で仕入れたスペアリブを豆鼓と蒸し煮にし、肉を取り出して残った煮汁に米を入れてピラフを炊いた。
肉ごとプレートに盛りつけ、グリーンサラダを添えれば、鍋ひとつで拵えたお手軽ディナーの完成だ。
「俺のはさ、作り方や味付けも適当だし、レパートリーもそんなに多いわけじゃないから」
「いや、美味かった。手際もいいし、正直土鍋一つでここまで美味いものが作れるとは思わなかった」
「はは・・・ホント褒めすぎだって。オレんちは母子家庭だったから、弟や妹の分まで飯を作ることが多かったんだ。ほとんどお袋の見よう見真似でアバウトだけど、あいつ等は量さえあれば満足だったからな」
最後に土鍋を洗おうと底を覗くと、まだピラフの小さな塊が鍋肌にこびり付いていた。今更洗い物を増やすのも面倒に思え、指先でこそいで口許に運んだ。
お焦げの香の芳ばしさに、舌が期待し唾液が口内に溜まる。我ながらいい出来だと、つい笑みがもれた。
今まさに口に入れようとしたその時、ピラフは左手ごと消えた。
自分のではない舌が指先を舐めねぶり、自分のではない歯がピラフを咀嚼し飲み下す。
「知ってるか? 食べ物の恨みは怖いって」
軽く睨んでみせると、濡れた葉のような瑞々しい翠の目が悪びれもせず見返してくる。
「享一は、本当に料理が上手い」
笑った形の蠱惑的な大き目の口が美味そうに指の中ほどを軽く食む。薄い唇とはつりあわない肉厚な舌がぬるりとに巻きつき、ピラフのなくなった指先をねぶり始めた。
「褒めても・・・・ん」
ジンと指先から痺れが伝播し、簡単に煽られる自分が恥ずかしくて眉根を寄せた顔を俯けた。
「料理を作る指も美味い」
薄い水掻きや、指の根元の膨らみを舌と唇で味わい軽く歯を立てられる。
自分の指の間からが挑発してくる翠の虹彩を直視できない。
ぞくぞくと躰の中枢を熱が駆け抜け、反射的に手のひらを引き抜こうとすると逆に引っ張られた。アイランド型のキッチンの天板に上半身を載せられ、動きを封じられる。
雨の音だけになった室内に沸騰した湯がコーヒーを抽出するメーカーの音と、淹れたてのコーヒーの香りが漂った。
「おまけに本人はもっといい味だ」
唇が触れるか触れないかという距離に近づいた2人の吐息が強く絡まる。
「コーヒーが・・・。洗い物もまだ途中だ」
「心配しなくとも、夜のうちに鍋は逃げたりしません。それに、僕はいまコーヒーより先にデザートを食べたい気分なんです」
背中の温度が2度ほど上昇する。
食後のデザートを強請る舌が、濃厚なアイスクリームでも味わうように何度も唇の表面を舐めてくる。
タートルの裾をたくし上げられ、周の手指が胸の尖りに悪さをすると、冷たいステンレスの上で肌が蕩け始める。雨の音に濡れた粘膜が擦れ、吸い合い、融合する音が混じり出した。
柔らかい耳の下を攻められ、頭を傾けた視界に暗いテラスで青く発光するプールが飛び込んできた。雨の雫が降りしきる中、たくさんの光の水滴が跳ね、無数の波紋を青い水面に描き消えていく。
あの中で抱き合ったらどんな感じがするだろうか。
そんなことを考えながら現実では、周の背中を掻き抱く指先も、雨音と荒い息に煽られながら立ったまま覆いかぶさる周の下肢に絡めた脚もとっくに溺れている。
突然、腰の辺りで鳴り出した携帯の無粋な電子音に一瞬動きが止まる。キスしたままチラッと目を合わせ、2人して笑いながら無視を決め込んだ。
放置された電子音は一旦切れ、取らない事を咎めるように再び鳴り出した。
先に周が身を起こし自分ものろのろと上半身を起こして天板に腰掛ける。携帯を取り出しながら胸の上まで露出した情けない姿を何とかしようと、ニットの裾を引っ張ると周に邪魔された。
遠慮なく、とゼスチャーする周を軽く睨んで通話ボタンを押す。
「時見です」
『もしもし、キョウか。俺だ。どこにいる』
幾分疲れが滲んだ低く張りのある声に、生乾きの傷がざっくりと開くのを感じた。
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翠滴 2―1 →
翠滴 3―1 →
「享一が、料理が出来るのは知っていたが、ここまでの腕だとは思わなかったな」
キッチンに並んで立ち、食器を洗う享一の隣でコーヒーメーカーにフィルターをセットしながら周が嬉しそうに言う。
「お粗末様。自慢の腕を披露する機会なんて、今までなかったからね、なんてな。聞いてりゃあ、さっきから……褒め過ぎだって」
料理を褒められるのは悪い気はしない。だが、新婚の奥さんが旦那さんに褒められた時のようなリアクションは自分には出来ないし、まさか周も男の自分にそれを期待しているわけでもないだろう。
大体、鍋ひとつで作るお手軽家庭料理をここまで褒められると、こそばゆくて仕方がない。
ただ軽く笑って、照れも泡と一緒に流れて行くのをフワフワとした気分で見つめた。
周に頼んでスーパーに寄ってもらい、ペントハウスに帰りつくころには春の雨は街中をけぶらせていた。
エレベーターを降りた途端、薄暗い玄関ホールの壁に押さえつけられ薄い唇に捕まった。湿った空気が辺りを満たし、激しい雨音と遠くで鳴る雷鳴を聞きながら、戻る事が出来なくなりそうな高みまで連れて行かれそうになる。
流されたくなる気持ちを抑えて「メシが先だろう」と、掌で服の上からでもその完璧なプロポーションを連想させる硬い胸を押し戻した。
目の前の眉根が不満げに険しく寄せられる。
納得がいかないとばかりに不満気に見下ろす周に、今夜は夕食を作るつもりだからと説明すると、拍子抜けするくらいあっさりと解放された。
気合を入れてキッチンに立ち、ペントハウスには炊飯器をはじめとする主だった調理器具がないことを知ったときは後の祭りだった。
周は自分で料理をしない。手先も器用で舌も肥えているし、やれば旨いものを作りそうなものだが、スピード狂で仕事大好き人間の食指は、料理に向かっては動かないらしい。
調味料等は抜かりなく購入したのに、まさか鍋や炊飯器で躓こうとは。そまでは頭が回っていなかった。
仕方なく周が粥を炊いてくれた時に買った土鍋で仕入れたスペアリブを豆鼓と蒸し煮にし、肉を取り出して残った煮汁に米を入れてピラフを炊いた。
肉ごとプレートに盛りつけ、グリーンサラダを添えれば、鍋ひとつで拵えたお手軽ディナーの完成だ。
「俺のはさ、作り方や味付けも適当だし、レパートリーもそんなに多いわけじゃないから」
「いや、美味かった。手際もいいし、正直土鍋一つでここまで美味いものが作れるとは思わなかった」
「はは・・・ホント褒めすぎだって。オレんちは母子家庭だったから、弟や妹の分まで飯を作ることが多かったんだ。ほとんどお袋の見よう見真似でアバウトだけど、あいつ等は量さえあれば満足だったからな」
最後に土鍋を洗おうと底を覗くと、まだピラフの小さな塊が鍋肌にこびり付いていた。今更洗い物を増やすのも面倒に思え、指先でこそいで口許に運んだ。
お焦げの香の芳ばしさに、舌が期待し唾液が口内に溜まる。我ながらいい出来だと、つい笑みがもれた。
今まさに口に入れようとしたその時、ピラフは左手ごと消えた。
自分のではない舌が指先を舐めねぶり、自分のではない歯がピラフを咀嚼し飲み下す。
「知ってるか? 食べ物の恨みは怖いって」
軽く睨んでみせると、濡れた葉のような瑞々しい翠の目が悪びれもせず見返してくる。
「享一は、本当に料理が上手い」
笑った形の蠱惑的な大き目の口が美味そうに指の中ほどを軽く食む。薄い唇とはつりあわない肉厚な舌がぬるりとに巻きつき、ピラフのなくなった指先をねぶり始めた。
「褒めても・・・・ん」
ジンと指先から痺れが伝播し、簡単に煽られる自分が恥ずかしくて眉根を寄せた顔を俯けた。
「料理を作る指も美味い」
薄い水掻きや、指の根元の膨らみを舌と唇で味わい軽く歯を立てられる。
自分の指の間からが挑発してくる翠の虹彩を直視できない。
ぞくぞくと躰の中枢を熱が駆け抜け、反射的に手のひらを引き抜こうとすると逆に引っ張られた。アイランド型のキッチンの天板に上半身を載せられ、動きを封じられる。
雨の音だけになった室内に沸騰した湯がコーヒーを抽出するメーカーの音と、淹れたてのコーヒーの香りが漂った。
「おまけに本人はもっといい味だ」
唇が触れるか触れないかという距離に近づいた2人の吐息が強く絡まる。
「コーヒーが・・・。洗い物もまだ途中だ」
「心配しなくとも、夜のうちに鍋は逃げたりしません。それに、僕はいまコーヒーより先にデザートを食べたい気分なんです」
背中の温度が2度ほど上昇する。
食後のデザートを強請る舌が、濃厚なアイスクリームでも味わうように何度も唇の表面を舐めてくる。
タートルの裾をたくし上げられ、周の手指が胸の尖りに悪さをすると、冷たいステンレスの上で肌が蕩け始める。雨の音に濡れた粘膜が擦れ、吸い合い、融合する音が混じり出した。
柔らかい耳の下を攻められ、頭を傾けた視界に暗いテラスで青く発光するプールが飛び込んできた。雨の雫が降りしきる中、たくさんの光の水滴が跳ね、無数の波紋を青い水面に描き消えていく。
あの中で抱き合ったらどんな感じがするだろうか。
そんなことを考えながら現実では、周の背中を掻き抱く指先も、雨音と荒い息に煽られながら立ったまま覆いかぶさる周の下肢に絡めた脚もとっくに溺れている。
突然、腰の辺りで鳴り出した携帯の無粋な電子音に一瞬動きが止まる。キスしたままチラッと目を合わせ、2人して笑いながら無視を決め込んだ。
放置された電子音は一旦切れ、取らない事を咎めるように再び鳴り出した。
先に周が身を起こし自分ものろのろと上半身を起こして天板に腰掛ける。携帯を取り出しながら胸の上まで露出した情けない姿を何とかしようと、ニットの裾を引っ張ると周に邪魔された。
遠慮なく、とゼスチャーする周を軽く睨んで通話ボタンを押す。
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□□最後までお読みいただき、ありがとうございます(*^_^*)ペコリ
瀬尾っち、お帰り~!(せめて私だけでも言ってあげよう。
今日は私の住んでいる地域は汗ばむほどの陽気でした。
飼っている猫の毛も生え変わりの時期になったのか、膝の上に大量の毛が!!Σ( ̄ロ ̄lll)
鼻がムズムズするぅ~~くしゅん!
■拍手ポチ、コメント、村ポチと・・本当に、いつもありがとうございます。
ほんの拙文しか書けない私ですがですが、書いていく励みになります。。
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いやあ、私はきっと周が殺してしまったんじゃないかと。
で知らん顔してるとか(そういう男も好き)
瀬尾さん、「どこにいる?」って決まってるじゃないですか。